3-10.探究府の長エレノア
女王トゥエルノーラが次に訪れたのは、王都の中心部にある探究府だった。
この部署は、新たな魔法の研究、未知領域の探知、資源調査、技術開発など――あらゆる「未知」に挑むことを目的とした機関である。
古代研究室、未開拓地調査団、技術開発部など、多くの下位部門を抱え、その活動が国の繁栄を支えていた。
これらの部門がもたらす新しい知識は、この国にとってかけがえのない部署といえる。
そして、あの「結界具」を生み出したのも、この探究府であった。
その所有者はすべて登録されており、トゥエルノーラは今回、その最新のリストを確認するためにここへ足を運んだのだ。
「失礼します」
「……どうぞ」
返事をしたのは、探究府の長――エレノア。
ドアを開けた瞬間、トゥエルノーラは目を瞬いた。整然としているはずの執務室は、まるで吹き溜まりのように混沌としていたのだ。
棚や箱からは書類や魔導具が溢れ、床はほとんど見えない。
魔法陣の書かれた紙束があちらこちらに散らばり、瓶や素材の破片が光を反射して鈍く輝いている。
その混沌の中心、書類の山に半ば埋もれるようにして座っていたのが、氷の女王とあだ名される美貌の持ち主、エレノアだった。
冷ややかで整った横顔にわずかに光が射し、彼女はペンを筆置きに戻すと、静かにトゥエルノーラを見やった。
その瞳は氷のように澄んでいるが、何を考えているのかは読めない。
「予定は無かったはずですが……どのようなご用件でしょう、閣下」
「結界具の現所持者を確認したいの」
「……承知しました」
一拍の沈黙のあと、エレノアは立ち上がり、近くの棚から一つのスクロールを取り出した。
巻物にはうっすらと埃が積もっている。どうやら長らく触れられていなかったらしい。
――そういえば、彼女は掃除が苦手だったはず。
トゥエルノーラの脳裏に、そんな他愛のない話を思い出す。
掃除をすると何かしら壊してしまうらしく、部下たちが代わりに行っているとか。
部屋の有様を見れば、その噂もあながち嘘ではない。
「確認させていただきますね」
トゥエルノーラは埃を払いつつ巻物を開いた。
記載されていた個人所有者は四名。自分を除けば、律法省の長ゲイル・ハルトマン、探究府技術開発部のエーテル・ブレイズ、同じく古代研究室のシード・フェザー、そしてエレノア自身である。
「エレノア、結界具の予備に異常はありませんか?」
問われた彼女は無言のまま金庫の前に立つ。
魔法認証の光が一瞬きらめき、重厚な錠が外れる音が響いた。
いくつも並ぶ引き出しの中から一つを開け、中を確認して答える。
「ええ、異常はありません」
「偽物とすり替えられている可能性は?」
「……いいえ。全て本物です」
淡々とした口調に迷いはない。
その姿からは嘘をついている気配は感じられないが、何故だろう――この部屋の冷気とは別の、微かな緊張が空気に混じっていた。
「エレノア。貴方が個人所有している結界具はちゃんとあるかしら?」
「……妙なことを聞かれますね」
短い言葉の裏に、探るような視線が交錯する。
結界具は簡単に複製できるものではない。個人での製作など、ほぼ不可能に近い。
だが、結界具の設計と管理の中心にいる探究府の長ならば――その限界を越えうる存在でもあった。
トゥエルノーラは一瞬、胸の奥に冷たい感触を覚える。
もしこの女が『魔王の後継者達』と関わっているのだとしたら――。
『魔王の後継者達』は思ったより国へ影響がある。
その事を、再び思い返す。
部屋の空気がさらに凍りつく。
エレノアの目がわずかに動き、ドアの方をちらりと見たように思えた。
「今日、貴族邸宅で襲撃があったの」
トゥエルノーラは言葉を慎重に選びながら、探りを入れるように口を開いた。
だがエレノアの表情は変わらない。氷の仮面のような無表情のままだ。
「その件で、個人所有の結界具を確認していたのよ」
「……そうでしたか」
一拍置いて、エレノアは引き出しを開錠し、中から結界具を取り出して机の上に置いた。
青白い魔石が埋め込まれたそれは結界具であった。
「この通り、ちゃんとあります」
「あら……」
あまりにもあっさりと差し出されたので、先ほどまでの緊張が拍子抜けするほどだった。
魔力を流して確認すると、確かに本物。偽物の気配はない。
「そのような場合、先に説明をいただけると助かります。女王陛下といえど、いきなり貴重品を見せろと言われれば、多少は警戒します」
「あ……それもそうね。ごめんなさい」
トゥエルノーラは苦笑した。
確かに、姿や声を偽る魔法はいくらでもある。貴重な魔法具を不用意に見せないのは当然の警戒心だ。
エレノアは淡々としているが、その一つ一つの行動には、彼女なりの誠実さと理性が感じられた。
結界具を丁寧に仕舞い直す彼女を見ながら、トゥエルノーラは静かに息をつく。
「ありがとう、助かったわ。さて……次は誰を当たるべきかしら」
「古代研究室のシード様は如何でしょう?」
「どうして?」
「今朝、ここに来られていました。結界具をもう一つ欲しいと仰っていましたが、規則で即時に渡せないと分かると、そのまま帰られてしまいました」
トゥエルノーラの眉がわずかに動く。
破損した結界具が発見され、その翌朝に“新しいものを求めた人物”がいる――。
偶然とは思えない。
「なるほど……」
女王は静かに立ち上がる。
次に訪れるべき相手がく決まった。




