3-7.激闘
「ギャァォォォ!!」
森を震わせる轟音が天地を揺さぶった。
咆哮の主はドラゴン種。その声だけで兵士たちの鼓膜は痺れ、背筋に冷たいものが走る。恐怖は瞬く間に伝染し、誰もが己の武器を握る手に力を込めた。
魔法騎士団が前に出て盾を掲げる。盾の隙間から中衛の魔物討伐隊が槍を突き入れるが、鋼鉄のように硬い鱗には通じない。
ドラゴン種は一歩も退かず、ただ圧倒的な質量をもって前進する。
移動速度は決して速くはない。だが、何人で押し止めようとも、巨躯は止まる気配は無い。
薙ぎ払われた腕に接触した兵が、木の葉のように吹き飛ばされ、地へ叩きつけられる。
「後退しながら立て直します!」
女王トゥエルノーラの澄んだ声が響く。
その声には毅然とした強さがあったが、彼女の心の奥には焦燥が走っていた。
指揮官が号令を飛ばし、兵は慌てながらも隊列を組み直そうとする。
だが、その瞬間、ドラゴン種の牙の奥で赤光が揺らめいた。喉奥に炎が満ちる。
「ブレスが来るぞ!」
誰かの絶叫と同時に、灼熱の奔流が吐き出された。
避ける暇などない。誰もが死を覚悟し、反射的に顔を伏せる。
しかし次の瞬間、炎は二つに裂かれ、左右に散っていった。焦げた匂いだけを残し、誰一人傷つけることはなかった。
「防御は私が! 皆、攻撃に集中してください!」
その声に顔を上げると、前衛の前に光の障壁が輝いていた。透き通る結界が炎を切り裂き、続いて放たれた火球や雷撃すらも弾き返す。
兵たちの胸に希望が灯る。守られている――その確信が、再び彼らを戦いへ駆り立てた。
「今だ、総員攻撃開始! 閣下を信じろ!」
「おぉぉ!」
鬨の声が森を揺らす。
槍が一斉に突き刺さり、魔法が雨のように降り注いだ。
最初は弾かれていたが、やがて鱗にひびが入り、赤黒い血が滲む。攻撃が重なるごとに、その傷は広がっていく。
だが、ドラゴン種は黙って屠られる存在ではない。
ブレスや魔法こそ障壁に防がれるが、間近に迫った兵までは守れない。
腕の一振りで兵士が宙を舞い、至近距離の炎が前衛を焼いた。犠牲者の数は刻一刻と増えていく。
トゥエルノーラの胸を冷たいものが締め付けた。
ここで退けば国の未来は無い。秘術の使用を決断しかけた、その刹那――。
「ごぉぉ!」
巨体が舞い上がった。誰もが目を疑った。
飾りのように見えた皮翼が大きく広がり、羽ばたくたびに大気がうなりを上げる。
陽光が遮られ、戦場は一瞬にして闇に沈んだ。
「全員、急いで離脱なさい!」
「陛下!」
女王の叫びも虚しく、影は後衛の真上に落ちた。
大地が裂けるような轟音と振動。木々がなぎ倒され、濛々とした土煙が空を覆う。
咄嗟に展開した障壁もその質量の前には無力で、後衛は壊滅した。
呻き声と血の匂いが戦場を満たす。
トゥエルノーラは、最後に自らを突き飛ばした指揮官のおかげで、転倒による負傷だけで済んだ。
だが振り返った先、巨体の下から血が溢れ出していた。
「なんてこと……」
胸に押し寄せるのは、悔恨と怒り、そして恐怖だった。
戦列は完全に崩壊し、立つ者はわずか。
撤退しか残された道はない――しかし、目の前のドラゴン種が再び暴れれば、それすら叶わぬ。
思考が凍り、表情が引き攣る。
「穿て、雷……」
その時、森の奥から閃光が走った。
稲妻の矢が木々を避け、兵士を避け、正確にドラゴン種を貫く。
轟音とともに巨体がのたうち、苦痛の絶叫を上げた。
生き残った者たちは巻き込まれまいと、必死に這いずって退避する。
「何か人と魔物が戦っていると思えば……エルか」
姿を現したのは若い女性だった。
だが、その場にいた兵士たちにその女性が誰なのか見覚えが無い。ドラゴン種を攻撃したという事は味方なのだろうが。
トゥエルノーラだけが、その人物に見覚えがあった。
「セリ……どうして貴方がここに?」
「この辺りに香りの良いハーブが生えているから摘みに来たのよ。それにしても、大丈夫?」
女王陛下と親し気に会話する若い女性に、兵達はどう対応すれば分からず、とりあえずドラゴン種への警戒と負傷者への救護に当たった。
「大丈夫よ。助けてくれてありがとう」
苦痛に身を捩らせていたドラゴン種は、この人間が先程の攻撃を放ったのだと考え、その女性目掛けて尻尾を振り回す。
だが、雑に広げた腕から障壁が展開され、重たい尻尾が容易に受け止められた。
「とりあえず、これを倒せば良いのね?」
再び放つ雷が、またもドラゴン種を大きく削った。
ドラゴン種は悟る。勝てないと。
ドラゴン種は血を撒き散らしながら、羽ばたき跳ね、あっという間に森の向こうへと消え去った。
トゥエルノーラは顔を強張らせた。このまま逃せば、再び被害を広げる。
「ここで倒さなければ……ごめんなさい、セリ。この場をお願いできるかしら?」
「良いけど、どうするの?」
「追いかけて止めを刺します。……皆さん、聞いてください! この方はセリフィア、私の個人的な親友です。身分は明かせませんが、実力があり信頼できる方なので、頼ってください!」
トゥエルノーラは周囲が止めるのも聞かず、飛空魔法で逃げたドラゴン種を追った。
ドラゴン種はすぐに見つかる。負傷を癒しているのか、深い森の中でじっと動かない。
奇襲を仕掛ける為、トゥエルノーラは地上に降り、木陰に身を潜めて近づいた。
もう少し近づこうと思った時、人の話し声が聞こえ、その場で身を隠した。
「ドラゴン種に話しかける人? ……まさか、『魔王の後継者達』?」
話し声の主を探すが、木々が邪魔で姿が見えない。
話し声から若い男性というのは分かる。
どうするべきか……思いがけない状況にトゥエルノーラは迷う。
上手くこの場で取り押さえることが出来れば、『魔王の後継者達』を捕まえる証拠となるし、捕まえれば関係者を洗い出すチャンスとなるはずだ。
しかし、その僅かな逡巡の間に男の声は消えていた。しかも、ドラゴン種の負傷が癒されてしまっている。
(これはまずい……!)
兵は既に満身創痍。セリが残っているとはいえ、二度目の戦闘は壊滅の危険がある。
ドラゴン種が羽ばたき、ゆるやかに空へ浮かぶ。女王は咄嗟に魔法を放ち、発信印をその腹に刻み込むと、すぐさま木陰に飛び込んだ。
(……)
息を殺す。
羽音が遠ざかり、発信の気配も森の奥へと遠のいていく。
「……助かったようね」
トゥエルノーラは安堵の息を吐いた。
危機は去った。だが、心の奥底では、今交わされた「声」と「癒えた傷」が重くのしかかっていた。




