4.まず初めに、この後の流れを説明するぞ
「まず初めに、この後の流れを説明するぞ」
ヒガンは小さな指をひらひらと揺らしながら、こちらを見上げてくる。
その姿はまるで、人形のように精巧で、でもどこか柔らかく親しみやすい雰囲気だ。
(ふわぁ……やっぱ、可愛いなこの子。いや、AIだけど)
でも、俺の中では妙に現実感が強い。
彼岸花のような赤髪が揺れ、白いワンピースの裾がふわりと揺れるたびに、まるで本物の少女と話してる気分になる。
「この後はな、リアル時間で1時間経過するごとに一度ログアウトじゃ。その度に10分ほど休憩を挟んで、また2時間ごとに休憩する決まりじゃよ」
ふむふむ、なるほど……でも――。
「え、徹夜は無理なの?」
思わず口を挟んでしまう。俺としては、ぶっ通しで遊び倒す気満々だったのに……。
「ふむ、気持ちは分かるが……お主、まだ学生じゃろ? リアル世界を疎かにしてはならぬからの。この施設では、学生は18時までしかプレイできぬ決まりじゃ」
「そ、そんなぁ……」
ヒガンは顔をずいっと寄せてきて、俺をじっと見つめる。その赤い瞳が、妙に刺さる。
「遊んでくれるのは嬉しいことじゃが、リアルを蔑ろにしてしまっては、意味がないのじゃ」
(うぐ……正論……!)
そりゃそうだ。分かっちゃいるけど……。
でも俺としては、夏休みくらい、思いっきり現実を忘れたっていいじゃないか、と思ってしまう。
(でも、まぁ仕方ない……。それに、今日は初日だしな)
次の説明は、時間の流れについてだった。
「この世界では、リアルの約100倍もの速度で時間が進むのじゃ」
「100倍!? マジで!?」
俺は驚きで声を上げた。
たった今ここに来たばかりのはずだが、リアルではまだ6秒も経っていない計算になるらしい。
「たとえば、最初の1時間。リアル時間の1時間で、この世界ではおおよそ4日と4時間が経過する。これだけでも十分楽しめるじゃろ?」
確かに、ゲームの中で4日も冒険できるのなら、それだけでテンションが上がる。
さらに、ヒガンは涼しい顔で続ける。
「この時間加速は、さらに調整ができるのじゃ。1万倍やそれ以上も可能じゃが……あまりにも差を広げすぎると、リアルに影響が出る恐れがあるゆえ、過剰な設定や連続変更は制限しておるぞ」
(なるほど……確かに、気付いたら体がボロボロになってた……なんてことになったら洒落にならないもんな)
体調不良で強制終了とか、笑えない。仕方ないかぁ。
「次に、ログアウトを含めた特殊行動のやり方じゃ。お主の左手人差し指を見てみよ」
「ん?」
言われるままに、俺は左手に視線を落とした。
普段通りの手……と思ったが、人差し指に小さな指輪がはめられているのに気付く。
でも、全然重さも締め付けも感じない。手を振っても動かないし、何よりいつの間に付けたんだ、これ?
「その指輪は、投影されたものじゃ。お主にしか見えぬ。親指で触れながら、心で命令を思うだけで、操作ができるのじゃ」
「……これ、どんなことができるの?」
ヒガンは、にんまりと微笑んで答える。
「なんでも、じゃ」
――なんでも?
「物を作り、生き物を作り、空想の怪物も、神すら作れる。
自然現象を起こし、魔法を生み、文化を築き、世界のルールすら作れる。
特殊能力も、世界ごと創り直すことも……すべて思いのまま、じゃ」
(マジか……! チートにも程があるだろ!)
どうやら、困った時には「ヘルプ」と心の中で思えば、操作方法を文字で教えてくれるらしい。ログアウトも同様に簡単。
「細かい操作は、その都度説明するが……先に、これだけは念押ししておくぞ?」
「な、なに? 早く色々試してみたいんだけど」
俺は食い気味で問い返す。
だって、世界を創るんだぞ? 夢じゃないか。
でも、ヒガンは真剣な表情で、指をピッと立てる。
「重要なことじゃ。何でもできる世界じゃが……センシティブな表現、特に性的なものは、絶対にお主には見えぬ、聞こえぬ、触れぬよう制限されておる」
「な、なにぃ!!?」
衝撃のあまり、思わず声を張り上げる。
(そんなバカな……俺がこの世界で密かに楽しみにしてた“ハーレム体験”が……!)
実は俺、ここで可愛い女の子や綺麗なお姉さんたちに囲まれて、あんなことやこんなことを体験するのを、ちょっと……いや、かなり期待していた。
現実じゃ、女子とほとんど接点のない俺が、せめて仮想世界で夢を叶えるくらい、許されると思ったのに……!
「『未知と幻想の箱庭』は、最初からその手の目的で運営されることは絶対にない。諦めるのじゃ」
「ぐぬぬ……!」
(血涙を流してやろうか……いや、やめとこう……)
でも、ガッカリはしたけど……まぁ、仕方ないか。
元々この世界は、俺の“創造欲”を満たすために来たんだ。ここは切り替えよう。
「説明は、だいたいこんなものじゃな。私は常にお主の傍におるゆえ、分からぬことがあれば、いつでも呼ぶがよいぞ!」
ヒガンは両手を大きく広げると、周囲の彼岸花がふっと消えた。
視界いっぱいに、再び広大な草原が広がる。
(……あ、やっぱ草原の方が落ち着くな。けど、彼岸花の景色も幻想的で綺麗だったな……)
「さあ、この世界を好きなように楽しむがよい!」
ヒガンの楽しげな声が、草原の風に溶けるように響いた。
俺は、思わず大きく頷く。
(よし、いよいよだ……!)
心の底から湧き上がる興奮を抑えきれない。
これから俺は、自分の理想を、空想を、全部この世界に叩き込める。
現実じゃできなかったこと、夢にまで見た光景。
そのすべてを、自分の手で創っていく。
(――さあ、俺の“仮定世界”を始めようか!)
胸の鼓動が高鳴る。
この瞬間を待ち望んでいたんだ。もう迷いはない。
俺は、そっと左手の指輪に触れた。