2-13.対峙の魔王
空間がひずみ、黒い靄が渦を巻くように凝縮していく。
五人の間に、黒き影が音もなく立ち現れた。
――魔王、アリアン。
その存在感は、空気そのものを重くする。
目の前に立つだけで、胸の奥を鋭い氷柱で貫かれるような圧迫感が走った。
ライラは息を呑む。
幾度も死線を潜ってきた彼女ですら、この神力は異常としか言いようがなかった。
(……これは……創世の時代に語られる、あの神々の……)
「なんて神力……まるで昔話に聞く創世時代の人々のよう……」
呟きはかすれ、震えを帯びていた。
ウォルクもシアレナも、無意識に後退りする。
体が動かない。筋肉が、骨が、この男を前にして拒絶している。
アリアンは、感情の色をほとんど見せぬまま周囲を見渡した。
ライラを視界に収めた時、わずかに眉が動いたが、それだけだった。
地面に転がるゼアライスとリューリィへ視線を落とし、その状態を一瞥して彼らの敗北を察する。
「……用事はもう済んだのか?」
「ああ。世界の粗方の都市を落としてきた。もののついでに力を奪ってきたが、あまり足しにはならなかったよ」
淡々と語られる破滅の報告。
ゼアライスは自分の指輪に視線を落とした。
アリアンは、その指輪の名を聞いたことがなかったことをふと思い出す。だが、次の瞬間にはどうでもよくなった。
重要なのは――この指輪が、自らの目的を叶えるための鍵であるという事実だけだ。
「だからアークライト一族の所に顔を出してきた」
アークライト一族。
血に宿る力を代々受け継ぎながら、それを表に出さぬことを誇りとし、掟としてきた古き家系。
世界が滅びようと、決して外へ出ない。
その孤高の里へ、アリアンは迷いなく刃を向けた。
全ては力を一つに集めるため――この手に、絶対の頂点を握るために。
生まれながらにして最強の才を持ち、さらに世界中から力を奪ってきたアリアンを、誰も止められなかった。
一族の家長でさえも。
「やはり、アークライト一族は素晴らしい。だが、力を秘する掟は不要だな。さて……」
アリアンの視線がライラに移る。
一目見て理解する。
勇者たちにも神の使いが現れ、何らかの力を授けたのだ――でなければ、この短期間での成長はあり得ない。
「お前達の持つ、授かった物を頂こう。そして、その力も俺の糧とする」
刹那、勇者たちは間合いを取り、武器を構える。
三人とも、戦いの傷が深く体力も神力も削られた状態だ。
今のアリアンを相手にすれば、勝ち目などほとんどない。
「ウォルク、シアレナ! 私が隙を作るから逃げなさい!」
「そ、そんな!」
「ライラを犠牲になんて出来ない!」
理屈では理解している。
逃げるだけでは到底振り切れず、誰かが足止めしなければならないことも。
だが、その役目をライラに押し付けることなど、二人の感情が許さなかった。
「俺が、アリアンを倒せば解決するんだ!」
「ウォルク!」
ウォルクは限界を超えて神器に神力を注ぎ込む。
刃が眩く輝き、地面の影が揺らめいた。
「神器よ! 俺にアリアンを倒す力を貸してくれ!」
下段に構え、全身をばねのように縮め――次の瞬間、稲妻のごとくアリアンへと駆けた。
ゼアライスをも上回ったあの一撃ならば――。
「なるほど、良い力だ……」
ギィィィン――!
甲高い衝撃音が響き渡る。
ウォルクは目を見開いた。
神器の刃は、アリアンの素手によって完全に受け止められていたのだ。
手のひらに集中させた神力が、鉄壁の防御と化している。
「くそぉぉぉぉ!!!」
ウォルクは喉を裂く叫びと共に、命を削るような神力を放出する。
地は割れ、雷鳴が轟き、大気が悲鳴を上げた。
だが、アリアンは微動だにしない。
空いた手から炎が奔り、ウォルクの体を吹き飛ばした。
シアレナが駆け寄り、法具《ミーネの呼輪》で必死に回復を施す。
アリアンは手を見下ろした。
そこには、ごく僅かな傷と血。
瞬く間に癒えるその傷――しかし、この男に傷を付けられる存在は、そうはいない。
「頂こうか……その力も!」
その時、小さな何かがウォルクに投げ渡された。
ライラだった。
「ウォルク! それを神器で突き刺せ!」
動けないほど力を使い果たしていたウォルクは、シアレナを脇へ押しやり、それを受け取って神器へと突き刺す。
――装具《エーメルの円環》。
まるで最初から一つだったかのように、神器の鍔として融合する。
「ウ、ウォルク!?」
「……ぉぉぉおおお!!!」
枯渇していたはずの神力が再び溢れ出す。
いや、それ以上の力が、血肉を震わせていた。
「これは……!?」
アリアンも異常を悟り、表情を引き締める。
ウォルクの姿が掻き消え――次の瞬間、首元へ振り下ろされる神器。
アリアンは飛び退き、同時に破壊の球体を連射するが、ウォルクは全てを弾き飛ばす。
逸れた球体が山と大地を削り取った。
二人は激突し、衝撃波が戦場を引き裂く。
今や、互角。
ライラはシアレナを連れて後方へ下がりながら、その光景を見つめた。
「これは一体……ライラさん、何をしたんですか?」
「私にも良くわからない……でも声が聞こえた。『装具と法具を犠牲にせよ』って。装具だけでああなった」
シアレナは唇を噛む。
自分の法具も同じようにすれば、ウォルクは――きっとアリアンに勝てる。
だが、それは同時に、自分がライラに何の優位も持たなくなることを意味していた。
もしかしたら、ウォルクはライラに目を奪われてしまうかもしれない。
もしかしたら、ウォルクは自分に興味を持ってくれなくなるかもしれない。
(……そんなの、嫌……)
激戦の轟音の中、シアレナの胸の奥に、戦場とは別の嵐が渦巻いていた。
その手には法具が握りしめられていた。




