3.ようこそ、未知と幻想の箱庭の世界へ、じゃ!
小糸さんに案内され、ほどなく「施設室7」と書かれたプレートのドアの前に立つ。
その部屋は、外からは想像できないほど近未来的な空間だった。
中に入ると、部屋自体はそう広くはない。けれど、整然と並んだロッカー、シンプルな机と椅子、無機質な電話にパンフレット……そして、ひときわ存在感を放つカプセル型のベッドが、部屋の中心に鎮座していた。
どの設備も、まるでSF映画から飛び出してきたようなデザインだ。
それなのに不思議と圧迫感はない。天井に照明は見当たらないのに、室内は優しく明るく、どこか柔らかい光に包まれている。
(うわぁ……なんだよこの部屋……すっげぇ……!)
「まずは、荷物をこちらのロッカーへお預けください。鍵はパスコード式になっています。忘れてしまいそうなら、メモを取っていただき、お持ちになってくださいね」
「わっかりました」
言われたままに、ロッカーに荷物を放り込む。
勢い良く閉めると、ロッカーの扉に取り付けられたディスプレイに、パスコード設定を求める表示が浮かんできたので、適当に判り易いものを設定した。
もう、現実世界に引き戻されるものは何もない。
「それではこのカプセル型ベッド”ドリームコクーン”の、簡単なご説明をさせていただきますね」
小糸さんがベッドの隣に立ち、優雅な手つきで側面のボタンを押す。
すると、スーッと音もなくカプセルが開き、内部のベッドが現れた。
中は思っていたほどゴテゴテしておらず、クッション部分とプラスチックのような硬質プレートがうまく組み合わされている。
他にも細かな装置は見えるけど、どこか落ち着いたデザインだった。
「このベッドの中で、『未知と幻想の箱庭』をフルダイブでプレイして頂くことになります。このベッドで横になると、自動的にマスクが降りてきますので、必ず着用をお願いします」
その説明に、俺の頭の中で医療用の酸素マスクをイメージさせた。
でも、その用途は想像以上だった。
プレイ中の簡単な匂い再現に使われるが、それ以外にも着用者のメディカルチェック、緊急時の酸素吸入。さらには嘔吐物処理と非常に多機能なマスクらしい。
しかし、フルダイブで匂いまで再現されるとは……ごくりと唾を飲み込んだ。
「カプセルの開閉は、ベッド右側面のこちらのスイッチで行います。そして、反対の左側面にある、こちらのカバー付きスイッチですが、これは緊急解放スイッチとなっています。何かの異常事態で一刻も早くベッドから出る場合、または、通常のカプセルの開閉がされない場合は、カバーを突き破って此方のスイッチを押してください」
小糸さんは、淡々と説明しながらも、終始にこやかだ。
その笑顔に少しの幸せを感じながら思う。
(まぁ、こういう安全装置は必要だよな……でも、俺には無縁の話だろ)
――とか思ったけど、内心、これフラグじゃないか? と少し不安になる。
……いや、フラグだって気付いてる時点で無効!無効!
「プレイでの詳しい操作方法や説明、終了後の流れは、全てログオン後に行われます。ここまでで、何かご質問はありませんか?」
「い、いえ。無いっす!」
「それでは、ベッドにお入りください」
俺はワクワクを感じながら、ドリームコクーンに入り、ゆっくりと身体を預ける。
ひんやりとした感触と、驚くほど滑らかな寝心地に思わず息が漏れる。
(なんだこれ、めっちゃ気持ちいい……これ、絶対高いやつだ)
しばし贅沢な感触に浸っていると、小糸さんが小さなコップを差し出してきた。
「それでは、最後にこちらをお飲みください。軽い睡眠導入と、栄養及び水分補給を兼ねた飲み物です。アレルギー物質は含まれていませんが、念のため確認します。何かアレルギーをお持ちでは無かったでしょうか?」
「はい、平気です! 生まれてこの方、食べられなかった物は無いです!」
俺の即答に、小糸さんはふんわりと笑った。
(ああ……やっぱ天使だわこの人……)
「それは良かったです。では、どうぞ」
渡されたコップを手に取り、中身を一気に飲み干す。
透明な液体は、ほのかに甘く、喉越しもまろやか。スポーツドリンクみたいで、驚くほど飲みやすい。
(おかわりしたいくらいだ……)
けれどそんなことを言える空気じゃなく、俺はコップをそっと返す。
「それでは、今回は私がカプセルを閉じさせて頂きます。それでは、ごゆっくりお楽しみください」
小糸さんが微笑みながら操作すると、カプセルが静かに閉まり、マスクがゆっくりと降りてきた。
マスクを手に取り口に持って行くと、ピッタリと顔に吸い付く様にフィットする。
外の光も音も、徐々に遮断されていく。
やがて、俺を包むのは自分の呼吸音と、かすかな電子音だけになった。
「生体スキャン開始します。心拍数、脳波、身体データを測定中……」
居ないはずなのに、まるで俺の耳元で優しく囁いているように聞こえた。
僅かな振動が体を揺らしている。これがメディカルチェックってやつなのだろうか?
この僅かな振動が心地良く、瞼が重くなっていく……
「全ての生体データ、正常を確認。接続を開始します」
暗闇しか見えない世界。
視界の奥に小さな光が灯った。
その光は徐々に広がり、やがて俺の視界全てを包み込む柔らかな白へと変じていった。
同時に、俺の体から力が抜け、浮遊感に包まれる。それは、夢の中へ沈んでいくようだった――。
そして、世界が一変する。
次に目を開けた時、俺は、どこまでも広がる草原に立っていた。
どこか懐かしく、けれど現実とはかけ離れた光景。
こんな広大な草原、日本にはあるはずもない。
(すげぇ……これが、未知と幻想の箱庭……!)
全身がゾクゾクする。
この非現実感を味わいに、俺はここへ来たんだ。
「ようこそ、未知と幻想の箱庭の世界へじゃ!」
ふと気が付いたら、あたり一面の彼岸花畑。
その中に立つ一人の少女が声を掛けてくる。
(知ってる……俺、こいつを知ってる!)
「私はヒガン。アプリ版をプレイしておるなら、知っておるはずじゃな? ここでも同じように、そなたをサポートするAIじゃよ。よろしくな!」
ヒガンは楽しげにくるりと回り、彼岸花の刺繍が施された白いワンピースの裾をふわりと揺らす。
長い赤髪が舞い、赤い瞳が印象的に輝く。
(うわ……現実にいたら、絶対こんな感じなんだろうな……すげぇ……)
「さてさて」
ヒガンは指を一本立てて、楽しげに話し始めた。
「はやく遊びたいという気持ちは分かるのじゃが、まずは色々と説明させてもらうぞ。説明するのも規則じゃからな」
まだまだ、ヒガンからの説明は続く。