2-7.魔王への祝福
魔王アリアンの進軍は止まらなかった。
各都市の反応は様々だったが、驚くべきことに、戦わずして降伏する都市も少なくなかった。
恐怖による支配ではない。むしろ、アリアンが征服した後の対応は寛容で、市民にはほとんど手出しをしていなかった。
魔物が巡回しているとはいえ、外出の自由はあり、空間跳躍を使っての逃亡すら許されていた。
この“異常な穏やかさ”こそが、一部の都市にとっては「降伏も一つの選択肢だ」と判断させる要因だった。
だが、抵抗者に対しては容赦がなかった。
魔物自体はそれほど強くない――問題はその背後だった。
魔物を倒した瞬間、ゼアライスかリューリィが空間跳躍で出現し、即座に制圧する。
それでも抵抗を続けた者には、容赦無く死の制裁も下された。
そうして一つ、また一つと都市は落ちていき、やがてアークライトの名は、世界の半数近くを制した支配者として広く知れ渡るようになった。
その日も、アリアンは黒の居城――玉座の間で、一人思索に耽っていた。
数多の都市を制しながらも、彼の視線にはまだ、征服し切れていない地図の空白が映っていた。
だが、思考は突然中断された。
何の気配もなく、目の前に“人のような者”が現れたのだ。
アリアンは瞬時に警戒心を募らせる。
外の魔物は全く反応していない。リューリィの探知にも引っかかっていなかった。
そして何より――自身が、この存在の気配に“まったく気づけなかった”。
それは、アリアンにとって最大級の異常だった。
「……何者だ?」
アリアンの問いに対し、その存在は明確な答えを返した。
その声は澄んでおり、男とも女ともつかない中性的な響きを持っていた。
「神の使いです。貴方に、与えるものがあって来ました」
「……胡散臭いな」
アリアンは言葉と同時に、神力を凝縮した球体を放った。
威力は抑えているとはいえ、普通の存在ならば即死する力。だが――
神の使いは微動だにしなかった。
「……ほう」
さすがにアリアンも、無傷で受け止めた様に、ただならぬ実力を見て取る。
「まあ待て。私は戦いに来たのではない。忠告しに来たのでもない。――“授け”に来たのだ」
「俺に何かを与えよう? ずいぶん上から来るな!」
アリアンは距離を詰め、強化された拳の連打を叩き込む。
しかし、彼の眼が見開かれた。
この世界で、この拳を見切れる者はほとんどいない。それほどまでに洗練され、殺傷力を秘めた連撃だった。
なのに、この“神の使い”はすべてを淡々と受け止めていた。
さらに距離を取って放った“炎の矢”も、着弾こそしたが、熱も爆発も発生しない。
「なっ……!」
アリアンは最大限の注意を払っていた。
炎の矢が効かない相手なのだ。油断などするはずがない。
それでも、神の使いは、何の力を使ったのか、気づけばアリアンの首を片手で掴み――
そのまま床に叩きつけた。
空間跳躍を封じられ、力も逃せない。
アリアンは完全に制圧されていた。
「お前は……何者だ……?」
「言っただろう。神の使いだと」
神の使いの顔が見える。見た目は白い人形。
だが、その白い顔の向こうの奥――まるで全く異なる“存在”の面影がちらついた。
首を掴んだまま、神の使いは空いた手で、アリアンの指にひとつの指輪を嵌めた。
「これは、倒した相手の“神力”を奪い、自らのものとするための指輪だ。
神力を失った者は、しばらくの間はそれを使うことができない。もっとも、いずれは戻る。……何十年かかけてな」
アリアンの脳裏に、一つの記憶がよぎった。
始祖・アークライト――
彼がアダムに“封じられた”時の記録と酷似していた。
あの時、アークライトは力を奪われ、無力と化したのだ。
それを今度は、自分が“与えられる側”になる。
敵に、それを――味あわせる側に。
思わず笑みがこぼれた。
自分でも気づかぬうちに、頬が緩んでいた。
神の使いはアリアンから手を離す。
アリアンはゆっくりと立ち上がると、嵌められた指輪を見つめた。
「……いいだろう。使ってやる。これで、アークライトの偉大さを世界に知らしめてやろうではないか!」
だが――
「違うだろう?」
静かな声がアリアンの胸を射抜いた。
神の使いは、白い顔の奥から感情の読めない瞳でアリアンを見つめていた。
「お前がやっていることは、アークライトの為ではない。
お前自身の欲望と虚栄のためだ。栄光を浴び、崇められるためだけに動いている。始祖を語るのは、その“言い訳”に過ぎない」
その瞬間、アリアンの中で何かが弾けた。
「出鱈目を言うなぁぁぁ!」
全力の神力が暴走し、玉座の間の天井が吹き飛び、城の周囲の魔物は爆風に巻き込まれて霧散する。
外で警護していた魔物たちが、爆風に吹き飛ばされていく中、リューリィが空間跳躍で現れた。
「……何があったの? あなたがこんなに感情を乱すなんて」
「……なんでもない。なんでも……ないんだよ」
アリアンは震える手で、指にはめられた指輪を睨みつけた。
その異物感。まるで“押し付けられた使命”のように感じた。
だが、捨てれば、それは相手の言葉を認めることになる。
彼の中に生まれた苛立ちは、行き場を失い、ただ燻り続ける。
アリアンは、しばらくの間――何もできずに立ち尽くしていた。
遠く、神の使いの影は、すでにどこにもなかった。




