2-4.歴史上初となる《魔王》
灰煙が空へと昇っていた。
都市の一角が、崩れた瓦礫と燃え残る火の粉に包まれていた。
崩れた壁、焦げた木材、倒れた屋台や焼け焦げた布。そこはほんの一刻前まで、人々の暮らしがあった場所だ。
だが今、人々の瞳に映るのは、かつて見たこともない異形の存在――“魔物”。
それは都市の外れから突如として現れ、言葉もなく咆哮を上げ、一直線に人の住む街へと突撃してきた。
人々は恐れ、叫び、戸惑った。
けれど、恐怖の中にも人は立ち向かった。
――そして、勝った。
「……何だったんだ、これは?」
煙の中、剣を携えた男が、倒れ伏した魔物の死骸をつま先で突いた。
「見たこともねえ生き物だったな。動物とも違うし、力も強い……けど、今はそれより、怪我人の手当てだ」
「こっちは終わった。他に負傷者は――いないか?」
互いの無事を確認し合う声。
崩れた建物の影で、数人が怪我人を運びながら笑っていた。
創世の時代に比べれば、確かに今の人間は“始祖の血”から遠ざかっている。
だが、それでも――彼らはまだ「強い」。
魔物の数は万を超えていた。対する人間は千にも満たなかったが、最初の混乱を除けば、戦いは一方的だった。
反撃は苛烈で、都市の一部を自らの手で破壊するという失敗すらあったが、終わってみれば――人間の死者は、ゼロ。
地に伏しているのは、魔物ばかりである。
その様子を、遠く離れた丘の上から三人の影が見下ろしていた。
「……やはり、魔物では駄目だな」
「だろうな」とゼアライスが応える。
「俺が試しに戦った選りすぐった個体でも、相手にならない。雑魚をぶつけても、人間には勝てんさ」
「……どうするの?」と、リューリィが静かに尋ねる。
彼女の視線の先には、燃え落ちた街の景色が映っている。
その背後には、より強力な魔物たちが、整然と並んでいた。
それぞれが先程までの魔物を遥かに超える力を持ち、群れとしての規律さえ持つ、いわば“軍”だった。
アリアンは一つ息をつくと、口を開いた。
「まずは……俺が行こう」
次の瞬間、彼の姿がふっと掻き消える。
まるで空気そのものに溶けたように。
――その男は、突然現れた。
魔物の残骸を片付け、傷者の看護を進めていた人々の前に、どこからともなく現れた青年の姿。
異形ではない。見た目は、確かに人だった。
だが、その気配は――何かが違う。
「ああ、どこの人だ? 今、ちょっと騒ぎがあってな……」
周囲の者が声を掛けると、男は問い返した。
「この都市の代表者、あるいは王はいるか?」
「……は?」
突拍子もない質問に、人々は戸惑うより先に、唖然とした。
そんな中、一人の男が衛兵を伴い姿を現した。
「私がこの都市の王、トゥルムリ・ファルザーンだ。お前は何者だ? どこの一族の出だ?」
アリアンは男の姿を見て、目を細めた。
この時代の“王”と呼ばれる者の多くは、自らが最強であるがゆえにその地位にある。
だが、このトゥルムリには、そうした力が見えなかった。
判断は即座だった。
「この程度の魔物で驚く者など、誰も居ない事は最初から承知だ。――あれは、ただの”挨拶”に過ぎない」
アリアンの背後に、ゼアライスとリューリィが現れる。
そして、その周囲に……遥か彼方まで、魔物の軍勢が壁のように展開された。
人々の表情が、徐々に引き締まっていく。
アリアンは、ゆっくりと右手を挙げ、声を張った。
「聞け、人よ。我が名は――アリアン・アークライト!」
その声は大気を震わせ、都市全体に響き渡る。
「我が始祖、アークライトの無念を晴らすために、今ここに立つ。
この手で創り出した“魔物”を率い、世界に新たな理を打ち立てよう。
我こそが《魔王》。すべての王の上に立つ存在。
今日この日より、神話に続く歴史は我が名を起点に記される。
世界は、アークライトの理によって再構築されるのだ!」
人々はざわめき、笑う者もいた。
ただの狂人の妄言に過ぎない――そう思ったのだ。
だが、アリアンの周囲に満ちる“気”を感じたとき、人々は笑うのを止めた。
圧倒的な存在感。膨れ上がる神力。
それは、かつての神々が纏っていた気配に近い――いや、それすら凌ぐものかもしれない。そう思わせるものがあった。
「アークライト……? 聞いたこともない一族だな。どこかの新興か?」
トゥルムリは混乱しながらも威厳を取り繕おうとする。
だが、その声はわずかに震えていた。
「とにかく、この騒ぎの元凶であることは明白だ。衛兵たち! この三人を捕らえよ!」
数少ない精鋭の衛兵たちが前に出る。
この世界では、衛兵という職は特異だ。
基本的には王自らが最強であり、争いも少ないゆえに守備兵のような存在はほとんど不要である。
それでも衛兵を置くということは、つまり――王自身が弱い証でもある。
「アリアン。この衛兵……中には戦えそうな奴もいるな。任せてくれ」
ゼアライスが一歩踏み出す。
静かなる炎のような気迫が、その身から立ち上がっていた。
「いいだろう。任せる」
周囲の空気が凍り付く。
それが、この都市の終焉の始まりだった。
「さあ……俺の力の糧となれ!」
後の時代、初めて神々が殺されたこの場所を『エルグナ―シア』(神々の終焉)と呼ばれるようになり、長い間、人が寄り付かない地となった。
その日、ある都市がアークライト一族を名乗る三人と、それに創造された魔物によって占拠されたという報が広まった。
その都市の市民数名が占拠される直前に逃げ出して、他の都市に助けを求めたのだった。
三人を防ごうとした衛兵たちは全滅。いずれも神力が高い強者であったというのにだ。
王トゥルムリは敗北の末に解放されたものの、国を追われる屈辱を味わった。
トゥルムリが他の都市に救援を求めたことで、これが本当の話だと悟り、魔王アリアンにどう対応すべきか、代表者や王たちが話し合うことになる。
「まずはアリアンと話し合うべきだな。確認に誰か遣わしたのだろう?」
「ああ。使いを出したのだが、戦って服従せよとしか言わなかったらしい」
「偶に居る力を示したい奴か? そもそもアークライトとか言ったか? そんな一族は聞いたことが無いのだが……」
「『知識の蔵』で調べてみたのだが、我らの始祖アダムの系譜にその名前があった。珍しい事にそれ以上の情報が無かったのだよ」
「蔵で調べて無い情報なんて、珍しいな」
そして、ある一人の女性の名が挙がる。
「ライラ……彼女だけが、あの“魔王”アリアンと交戦し、生き延びたらしい」
彼女は、今――都市にて療養中だった。
深手を負いながらも、奇跡的に回復し、ゆっくりと再び歩き出そうとしていた。




