1-6裏.将来、大きく咲けよ~
『現世』の大地は、ゆっくり、しかし確かに文明の歩みを始めていた。
丘の上には神殿が建ち、市場では交易が芽吹いている。家々は整い、道が生まれ、人々が集い、語り、笑い合っていた。
――まるで「始まりの物語」が、ゆっくりと呼吸を始めているかのようだった。
ソファに寝転びながら、その光景を上空視点で観察していた俺は、しみじみと思った。
「……やっぱ、世界って面白いな」
最初はただの広大な箱庭だった場所が、いつの間にか血の通った“世界”になっていた。そこに暮らす人々には物語があって、悲喜こもごもの歴史が刻まれている。
アダムとイヴ、そして彼らの子供たち……。その血が今、この世界の至る場所に流れている。
……でも、穏やかな時こそ、何かが起こる予感がするのが“神視点あるある”なんだよな。
俺の目が、不意にモニターの揺らぎを捉えた。
「ん……? これは……」
空間が、いや――世界が、揺れた。
物理的な地震じゃない。もっと根源的なもの……エネルギーの震え、神音残響の歪みだ。
神音残響。俺がこの世界に設定した存在強度の指標。
アダムが95、イヴが94、彼らの子供たちは良くて93止まり。
だが、今回の震え方は異常だった。
まるで、100を超えようとする“何か”がこの世に誕生したかのような、そんな震え。
「ヒガン。今の……何が原因だ?」
「少し待て……ふむ、原因は……生まれたばかりのイヴの新しい子じゃ。その子が発したもののようじゃな」
「え……イヴって、まだ子ども産めるのか」
正直、それが最初の感想だった。
すでにアダムとイヴは高齢に差しかかっていた。
何世代も続く子孫たちが各地に家族を築いている今、まさか本人たちがまた子供を授かるとは。
だが、モニターに映し出された映像は、それが紛れもない事実だと告げていた。
イヴが赤子を抱いていた。アダムも傍にいて、その瞳は驚きと、わずかな警戒を湛えていた。
「なんか……あの赤ん坊、異常に強くね?」
俺は正直、言葉が漏れていた。
その子の神音残響は98。
アダムを超えたどころじゃない。完全体に届く寸前だ。
しかも、その力が生まれつき備わっているとなれば……これはもう、“設定の想定外”と言っていい。
「言うなれば、世代の異端児。世代に一人現れるかどうかの万能の天才という奴じゃな」
「天才……いや、これは……天災かもしれんぞ……」
その赤子――アークライトと名付けられたその存在は、美しさと力を兼ね備えていた。
アダムとイヴの血を濃密に受け継ぎながら、さらに洗練された造形。
その未来を思うと、華やかな光景が広がる一方で、濃密な影もまた想像されてしまう。
「ヒガン、あの顔……アダムたち、どう見ても浮かない顔してる。分かるか?」
「ふむ。どうやら、未来を見通したようじゃ。アークライトの将来が、この世界に災いを齎す……と、考えたようじゃな」
それはつまり、“どんな育て方をしても、同じ結果になる”という絶望の予感だ。
親として、創世の担い手として、そんな予感を持ってしまった時、彼らが選ぶ行動は――
「封印……か」
アダムとイヴは、アークライトの力を完全に封じた。
力を使えなくするのに、アークライトと名付けるとは……心中の複雑さが察せる。
「だが、しかし。面白いな」
俺は指輪に触れ、封印が完了したあの赤子に対して、アダムに気付かれぬように設定を追加した。
「何をするのじゃ?」
ヒガンが興味深そうに聞いてきた。
「アダムの気持ちを考えて、あの子には何もしないさ。ただ、あのとびきりの才能を無くすのは惜しいからな。もしあの子に将来子供が出来るのであれば、その才能を受け継ぐようにしたのさ。受け継ぐとは言っても、それが開花するか確実じゃないし、開花しても時代のレベルには引っ張られる。だから、ほどほどのアクセントになるさ」
「ふむ……好きにするのじゃ」
ヒガンのジト目が若干刺さるが、気にしない。
だって俺、神だし。ちょっとくらいお遊びしたって、バチは当たらない。
アークライトは封印されたまま成長し、やがて親元を離れていった。
アダムとイヴは、その姿を寂しそうに見送っていた。
彼らがどんな気持ちで手を振っていたのか、想像するだけで胸が痛くなる。
その背中を見ながら、俺は静かに呟いた。
「……きっと、大丈夫だよ」
誰に向けた言葉だったか、もうよく覚えていない。
さらに時は過ぎた。
俺は天界から、日常のように世界を観察していた。
ある日、ある家族の祈りの声が届いた。だが、その内容が全く理解できなかった。
「*#$**……」
「は? 今、何て?」
聞き取れなかったんじゃない。理解できなかったんだ。
それはまるで、未知の言語――いや、新しい文明の“音”だった。
「どうやら、大きく違った言語のようじゃな。少し待つのじゃ」
ヒガンがすぐに翻訳対応してくれたおかげで、祈りの意味は把握できたけど……問題はそこじゃない。
言語の変化、それは文化の独立。
つまり、人々が“神の言葉”を手放し、彼ら自身の言葉で世界を記述し始めたということだ。
「アダムとイヴも……もう表には出てこないみたいだしな」
祈りは届いている。神としての存在も消えてはいない。
でも、もう俺を直接知る者はいない。創造主の名は、徐々に伝承の彼方に消えていく。
この瞬間、俺は理解した。
「――これが、『創世時代』の終わりか」
始まりの物語は、幕を下ろした。
アダムとイヴは姿を消し、言葉は変わり、人々は神を“語る存在”として記憶に刻む。
ならば、俺もそれに倣おう。
「この時代を……記録に伏すか。さて、次の世代は、どんなドラマを見せてくれるのかな」
俺は新たな物語の胎動を胸に、そっと世界を見守る姿勢に戻った。
創世時代の幕は、確かにここで閉じた。
だが、神としての俺の旅路は――ここからが本番だ。




