1-5裏.見つめる先が同じでも思う先が同じとは限らない
『現世』を眺めていると、時間の流れは驚くほど速く、でも不思議なほど静かだ。
人類はゆっくりと大地に根付き、家族を増やし、村をつくり、文明らしきものの輪郭を形にしていく。
……のだけど。
「ん~……ちょっと平和すぎるなぁ」
俺はソファに寝転びながら、『現世』を映すモニターをぼんやりと見つめる。
サリムやカイレルたちの世代以降も、思ったよりも衝突が起きない。
皆、穏やかなアダムとイヴの気質をよく受け継いでいて、争うより助け合いを選んでいる。
もちろん、それ自体はいいことなんだろうけど……。
「もうちょいイベントが欲しいよなあ」
無理にトラブルを起こすのも俺のスタイルじゃないし、ということで、時間の流れを少し早めに飛ばしてみることにした。
ざっくり言えば、年単位スキップの高速観察モード。
過去ログを整理しているような感覚でもあるけど、断片的に見えてくる人々の営みが、それはそれで面白い。
それにしても――
「アダム、老けたな……」
ふとモニター越しに視線を移すと、断崖に立つアダムの姿が映っていた。
あの完璧な肉体美の象徴だった男が、今や少しずつ背を丸め、髪にも白いものが混じり始めている。
でも、そんな年齢の刻まれた姿ですら絵になるんだから、ほんとズルい。
俺が歳を重ねても、あんなふうになれるだろうか……。
そんなことをぼんやり考えていると、アダムが深く眉を寄せ、ひとりごとのように空を仰ぎ見ていた。
「久々のイベントのようだな」
軽く腰を浮かせて伸びをしながら、ヒガンを呼ぶ。
「おーい、ヒガン。いくぞー」
「ふむ。何か目に付いたのかの?」
「大したことじゃなさそうだけど、アダムが長い時間頭を悩ませているみたいなんでな」
ヒガンがこちらに歩いてくる音が聞こえる。とてとてと。……なんか可愛いな。
俺はリングに触れ、ヒガンと共に『現世』へと転移した。
「ふむ……どうしたものか……」
断崖の上に立つアダムの後ろ姿は、少しだけ寂しげに見えた。
彼が何かを考えるとき、よくここを訪れる。きっと彼にとっては“自分と向き合う場所”なんだろう。
俺が後ろから近づくには足場が狭い。なので、空中に浮いたまま、声をかけた。
「何悩んでるの? アダム」
驚きもせずに俺へ振り向き、深く頭を下げるアダム。
……いやいや、もうそんなに気を遣わなくていいのに。どれだけ長い付き合いしてきたと思ってるんだ。
「これは神シーク・ワタル様。そしてヒガン様。将来のことを考えておりました。いずれ我らが去った後、子供たちは……いや、その子孫たちは、この世界で何を拠り所に生きてゆくべきかと」
ああ、なるほど。
俺だったら「その時になってから考えればいいじゃん」で済ませる話なんだけど、アダムは真面目だ。
未来を案じて、行動しようとする。そこが彼の尊敬できるところだよな。
「それで、私が持つ知識と想いを、文字にして後世へ残そうと考えたのです」
「成る程な。立派な考えしてるなぁ」
「しかし……」
アダムは少し難しい顔をして言葉を続けた。
「それをどう残すかが問題でして。電子的に記録するのが正確かとも考えたのですが、技術が失われれば誰にも扱えない。たとえ閲覧できても、その一部だけを見て誤解される可能性が高いのです」
確かに、それは一理ある。
技術が失われるのは想定してなかったけど、確かにあり得るな。
下手すりゃ神の意志が「娯楽」とか「呪い」とか、曲解される可能性もある。
「ふ~ん……」
顎に手を当て考える。俺が設定で残してやることは可能だけど、それは勿論没だ。効率良く残すのであればパソコンとかなんだろうけど、あれは世代を超えて残せるような物じゃないよな。
残すと言えば、昔テレビで観たことをふと思い出した。
そうだ、“石”って、意外と長持ちするんだよな。
「では、こういうのはどうだ? ――石板、というのは」
「石板、ですか?」
アダムが反復した。
「そうだ。石って長い年月が経っても形変わらないじゃん? アダムの力でこうなんか、護すれば、百万年でも大丈夫だって。余計な物も要らないだろうしさ」
この提案に、アダムの目がキラッと光った。
分かりやすい人だな。いや、こっちも手応えあって嬉しい。
「流石は神です……では、さらに提案をさせて頂いても?」
「ん? 何?」
「石板は膨大になりますので、それらを格納する別空間を用意し、その入り口に“知識を呼び出す言葉”を設けてはどうでしょう。呼びかけに応じて、望む石板が出てくるように」
「ああ、そっか。石板だと嵩張るもんな。それは良いね。じゃあさ――見終えた石板は一定時間で自動的に戻るようにすれば、管理も簡単にならない?」
完全に盛り上がっていた。
神と人という垣根を忘れて、俺とアダムは“創作者同士”として話し込んだ。
気がつけば三日経っていた。
俺は寝食不要だけど、アダムも同じようなもんだし、会話が止まらなかった。
その横でヒガンはというと、ちゃっかりお茶を啜って煎餅をかじっていた。放置して悪かったかな……。
それからアダムが作り上げるのを俺は見届けた。
俺が手を貸しても良かったんだが、アダム一人でも問題無さそうだったし、ここはアダムのお手並み拝見と行こう。
完成したのは“知識の蔵”。
膨大な石板を格納し、呼び出しも自動、収納も自動。
もちろん、閲覧者が選んだ知識を間違って使わないように、それなりの認証や指導機能も備えている。
アダムのこだわりが詰まった、最高の仕上がりだ。
「ザル=ナ・クォル=ネム!」
アダムが高らかに呪文を唱えると、空間が波紋のように歪み、無の宙にぽっかりと開いた穴が現れた。その中央には、一つの丸い石が浮かんでいる。
ここで現れたのは初老のイヴだ。
「これは……あなた、ついに完成させたのね!」
イヴは驚きと尊敬のまなざしを向け、アダムの隣へと立った。
「ふふっ、見ていてくれ。――豚汁の作り方を!」
声と共に、丸石が共鳴し、光の軌跡を描いて一枚の石板が降りてくる。
それをアダムが軽々と両手で受け止めると、そこには細やかな文字が彫り込まれていた。
「お? これが……残したかった知識か。何が書かれているん?」
俺は眉を寄せて、興味本位で聞いてみた。
「ええ、これは神より頂いた知識を基に、妻イヴの料理法を加えた“究極の豚汁”のレシピです!」
……いや、豚汁かよ!
「……なんというか、それで良いのか……」
壮大なシステムを作り上げて、残したのが豚汁レシピ……いや、今回呼んだのが、レシピであって本当に色々な事を書いてあるのは知っているけどさ。
俺を困惑させるとは、恐るべきは豚汁レシピか。
けど、究極の豚汁か~俺が味わえないのは、惜しいなぁ。
アダムは、最後に静かに語った。
「知識を残すだけで、未来が救われるとは思いません。しかし、もしこの石板の言葉が、ほんの一人の子供でも……悲しみから救うことができるのなら、それだけで意味はあるでしょう」
「……ああ、そうだな」
人は、知識を得て、過ちを繰り返し、そしてまた前に進む。
その積み重ねが、この世界を“現実”たらしめている。
それを見守るのが、俺――神シーク・ワタルの役割だ。
俺は静かに頷く。視線の先に、阿鼻叫喚のイベントにでもならないかという、楽しみを思っていたのだった。




