1-3裏.なるようになれの精神で
ふと気がつくと、リアル時間で一時間が過ぎていたらしい。
あれだけ長時間没頭していたはずなのに、推測としてはせいぜい二、三十分ってところだったのにな。
それくらい、あの世界は俺を惹きつける。
視るだけでも飽きない。創造の喜びと観察の面白さが、どんどん中毒になってくる。
だが、それを見透かしたようにヒガンが俺に警告してきた。
「万が一、お主に身体の不調が起これば、このゲームが問題視されるかもしれぬ。そうなれば、このゲーム自体が続けられなくなるじゃろ?」
まったく、その通りだ。
この世界をフルダイブで管理しているのは俺一人。俺が倒れたら、この世界は存続できなくなる。
「休憩したらまた戻ってくるからな!」
「うむ。では待っておるぞ」
ヒガンにそう告げて、俺はログアウトを実行する。
視界が暗転し、次第に輪郭を取り戻していく光の中で、俺は現実世界へと帰還した。
目を開けると、カプセル型のベッドの中。
マスクは外れ、蓋が開く。ログアウトは正常に行われたらしい。
ベッドから身体を起こして、軽く伸びをする。
長時間仮想世界にいたとは思えないほど、目は冴えている。身体は重くない。むしろ軽い。
さすが高性能フルダイブカプセルだな。次世代感すごい。
「お疲れ様でした。ご気分は如何ですか?」
扉を開けて、小糸さんが現れた。
相変わらず、柔らかい笑顔と丁寧な口調。……ほんと、癒し力が高すぎる。
「問題無し! まだまだいけるぜ!」
思わず元気に答えてしまう。大丈夫、元気なのは本当だ。
「それは良かったです。では10分以上の休憩をお願いします。ロビーで寛いで頂いても構いませんし、シャワーもご利用いただけますよ」
再びカプセルのボタンを押してみるが、反応しない。
システムでロックされているらしい。
こっそり戻ろうとしたのも、見抜かれてるかもしれない。さすがに抜け道は用意されてなかったか。
仕方ない。じゃあ素直に休憩しようか。
「なんだ、俺だけか」
ロビーに来てみたら、見事に誰もいなかった。
受付の小糸さん以外、まったくの無人。寂しいけど、静かなのは悪くない。
この感じ、俺以外にも何人かプレイしてるとは思うんだけど、時間帯がズレたかな。
ま、いいか。
他の人のプレイも気になるし、初対面なら新鮮な感想を交換したかったけど、またの機会だな。
無料の自販機でジュースを一杯もらいながら、ロビーのソファに腰を下ろす。
濃いめのオレンジジュースが思ったより美味くて、ちょっと笑った。
少しの休憩が終われば、すぐに再ログインするつもりだった。
今日プレイできるのは、次が最後だ。明日もまた来るつもりだが、今日のうちに少しでも進めておきたい。
進捗欲というやつだな。ゲーマーの血が騒ぐ。
ログイン直後、意識が戻った場所はいつもの『天界』のソファだった。
このソファ、本当に最高。フワッと包み込む座面、足を伸ばせる横幅、さすが神用仕様。
「お、戻ってきたようで。なによりじゃ」
ヒガンが笑みを浮かべて傍らに現れる。
「あったりまえよ! で、『現世』は今どうなっているん?」
「人が増えて来ておるが、まだまだじゃな。それよりお主に捧げものが届いておるぞ」
「捧げもの?」
ヒガンの言葉と同時に、俺の前に現れる二つの物体。
ひとつは明らかに上質な肉の塊、もうひとつは瓶に詰められた穀物だった。
肉は……おお、シャトーブリアン!? 写真でしか見たことないが、なんとなく高級なオーラを放ってる気がする。
正直、うまそう。焼いて食いたい。でも、今は見るだけなのが残念すぎる。
「持ってきたのはアダムの息子。肉は長男のサリムで、穀物は次男のカイレルが用意したものじゃ」
そうか。アダムの子供たちか。
瓶を開けて中を見ると、ぎっしりと穀物が詰まっていた。……なるほど、ちゃんと育てて収穫したのか。
でも正直、肉ほどのインパクトは無い。俺には良さがよくわからないのが申し訳ない。
「ヒガン、これ保管しておいて。後、二人に肉ありがとねって、褒めておいて」
「分かったのじゃ」
ヒガンが軽く触れると、肉と穀物の表示がスッと消える。仮想保存庫に転送されたのだろう。
いやー便利なもんだ。冷蔵庫いらず。テクノロジー万歳。
「所でワタルよ」
「ん?」
ヒガンが思いついたように、こちらを見て問いかけてきた。
「この世界を聖書を参考にしているのなら、アダムたちを『楽園』に戻れるように助けたりしないのかの?」
「ああそれか」
聖書のあれね。
確か、アダムとイヴは罪を犯したあとでも希望を与えられていたはず。
けれど俺の世界では、そもそも唆す蛇も悪魔もいない。
彼らは、自分で選んで実を食べた。
だから、罰を受けるのも、自分の行動の結果として当然……というのが建前。
実のところ、俺はこの世界の流れをコントロールし過ぎたくないのだ。
手を出し過ぎたら、全部“予定調和”になってしまう。それでは世界の面白さが半減する。
「そういうことで、アダムたちは不完全なまま成り行きに任せるつもりさ。なるようになれの精神で」
「ワタルの目的は分かった。覚えておこうぞ」
ヒガンは納得したように頷く。
彼女には、俺の放任主義と介入癖のバランスも理解してもらってる……はず。
その後も、しばらく『現世』を見守っていた。
アダムの子供たちは、誰も有能で建築スキルが高すぎる。
建物も、素材だけでなく、自然との調和を重視して作られていた。
もはや、理想郷そのものだ。
文明としてはまだまだ未熟なはずなのに、あまりにも完成度が高い。
人が少ない分、個々の能力と時間が集中してるからかもしれないな。
そんな景色を俯瞰視点で楽しんでいたその時――
世界の一角で、視認できるほどの大規模な戦闘が起こっているのを発見した。
俺は驚きよりも、やっと来たか!という気持ちだ。
「おっしゃ、イベントが発生したみたいだな! ヒガン、早速いくぜ! まずはアダムの所だ」
「ふむ、これか。分かったのじゃ。何時でも飛んで良いぞ?」
これは……この世界で最初の、記念すべき大きな戦闘になるかもしれない。
俺の中の観察者としての血が、激しく騒いでいた。
胸の高鳴りを感じながら、俺は転送準備に入った。
次の瞬間、舞台は『現世』のアダムの下へと切り替わる――




