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仮定世界のログキーパー -仮定世界創造神録ー  作者: 田園風景
創世時代 (神韻残響95)
11/66

1-6.創世の時代を終える

  世界は、ゆっくりと、しかし確実に人の手で開拓されていった。

 緑の海に覆われていた大地は徐々に家々と畑で染まり、川辺には市場が生まれ、丘の上には祈りの歌が響く神殿が築かれた。


 だが、いまだ全世界の人口は千人に満たない。

 それでも確かに文明は動き始めていた。言葉が変化し、衣が美しく染められ、笑いと嘆きが街路に交錯する――人という種が、歴史を刻みはじめている証であった。




  年老いたアダムは、厚手の布で包まれたソファに身を沈めていた。

 かつて神が創りし最初の人間――黄金の巻き毛を湛え、完璧な肉体美を誇った彼も、いまや白髪混じりの髪を背に垂らし、皺を刻んだ瞳に遠い記憶を湛えている。


「そうか……わかった。よく伝えてくれたな」


  彼の前に立っていたのは、一人の青年――その血筋はアダムから数代を隔てた曾孫にあたる。

 見た目は青年だが、彼の年齢でも既に百歳を超えていた。


「爺、よくわからんが……まあ、そういうことだから。俺は帰るけど、身体には気をつけてな」


  軽く肩をすくめ、扉を閉めて去っていく彼の背に、アダムは穏やかなまなざしを向けていた。

 年齢差は千歳に迫るが、血のつながりの中に変わらぬ想いがある。


 入れ替わるように、やわらかな足音が近づいてきた。


「あなた……どうだったの?」


 現れたのはイヴ。かつて神秘を纏っていた巻き髪の女性も、いまは皺に覆われた手で夫の肩に触れる。

 しかしその瞳には、未だに静かな知性と気品が宿っていた。


「イヴ……ありがとう。大した話じゃない。遠方の子孫の様子を聞かせてくれたよ。皆、上手くやっているそうだ」

「それはよかったわ」


  イヴはそっと隣に腰を下ろし、アダムの隣で焚き火のような安心感を漂わせた。


「ただ……話している言葉が、あまりに混乱していた。文法も、語彙も、まるで別の言語のようだった」


  アダムとイヴ、そして彼らの初期の子孫たちは、神・シーク・ワタルの言語を共通語として使っていた。

 それは神との意思疎通を可能にする、いわば“聖なる鍵”であった。


 だが時は流れ、人は遠くへ旅をし、独自の生活を築く中で、言葉にも変化が生まれていた。

 それは単なる崩壊ではなく、新たな文化の芽吹きでもある。

 だがアダムには、それが“神との断絶”の予兆にも見えた。


「共通語が失われることは、神との交信が閉ざされることでもある。……それが気がかりだ」

「ええ、私もそれは……心配しているわ」


  イヴは静かに頷いた。その眉には、母としての、そして最初の人間としての深い思慮が刻まれていた。


「けれど、それは避けられないことでもある。私たちの時代が、終わりを迎えようとしているだけの話よ」




「少し……外に出ようか」


  アダムが立ち上がると、イヴは微笑んで手を取った。

 その手はかつて神によって結ばれたもの。何千年経っても、互いの温もりは変わらない。


 やがて二人は、いつもの断崖へとたどり着いた。

 そこは、かつて神と語り合った聖なる場所――空と大地が交わる境界であり、人が神を想うことを許された、最も静謐な空間だった。


 遥か彼方に街々が広がり、家々の灯火が星のように瞬いている。

 人々の暮らしの音までは届かないが、そこに流れる生命の鼓動は確かに二人の胸へ届いていた。


「……私たちの役目は、これで終わったのかもしれないわね」


  イヴがそっと呟く。

 アダムは視線を遠くへ向けたまま、小さく頷いた。


「ああ。もう、我々が支えずとも、子供たちだけでこの世を築いていける。知識の蔵もある……必要なことは、すでに残した」


  二人の視線は、静かに交差する。

 そこに言葉は要らなかった。ただ、過ごした年月と、無数の命の流れが二人の間に豊かに広がっていた。


「ただ……あの子は、残念だったわね」


  ふと、イヴが目を伏せた。


 彼女が語った“あの子”――それは、彼らの最後の子供であり、アダムの最盛期すら凌駕する力をもって生まれた者だった。

 その異常ともいえる才能は、やがて己を破滅へ導くと予見し、力を封印することとなった。


「あの子も、私たちの愛する子。どんな運命を辿ろうと、それは変わらない」


   イヴの手に、アダムはそっと自分の手を重ねた。


「処置は……してある。力をしっかりと封じた。あの子の周囲には優しい者たちが多い。生きていくことに、きっと困りはしないさ」


  イヴは小さく微笑んだ。

 それは、母として、信じるしかない者の笑みだった。


 空に星が灯りはじめた頃、二人は断崖の端に立ち、最後にもう一度、世界を見渡した。


 遠くに広がる文明の灯――そこには、かつて“楽園”と呼ばれた理想郷の理想が、確かに受け継がれていた。

 アダムとイヴは、その光を見届けた。


 ――私たちの願いは、届いたのだ。


 そう確信しながら、二人は静かに、その姿を世界から消していった。

 誰にも見つからぬように。誰にも気づかれぬように。


 だが、彼らの想いは、決して消えることはなかった。


 やがて時代は創世時代を超え、さらなる未来の神話時代へと進んでゆく。

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