最前線のパイロットですが今日も暇なので推しのラジオを聴いています
グラスコクピットにはどこまでも広がる褐色の大地が投影されている。
気温はマイナス三十六度。二酸化炭素が96%で、酸素は0・13%。気圧は6hPa。
「口笛を吹きながら軽く散歩するのにはうってつけの条件だな」
『近距離戦闘兵装ドレスか火星EVA用宇宙服を着なければ一歩目で窒息死することは請け合いですが?』
「冗談に決まってるだろ。学習しろよ」
あくびを噛み殺す。
地球が昆虫型侵略兵器に侵略されてから十数年。
火星は最前線基地として開発されていた。
おかげで僕は近距離戦闘兵装のパイロットとして暇でありつつも、食いっぱぐれそうで食いっぱぐれないでもやや貧困寄りな生活を送っている。
移動も、索敵もAI任せ。
たまに思い出した様に送られてくる侵略兵器に応戦するくらいしか正直やることがないのだ。
あまりにも暇すぎて操縦は手動に切り替えているし、そうでない時も色々暇を潰している。
クソ不味いにもほどがある乾燥コオロギを固めたカロリーバーを齧ったり爪切ったりゲームしたりお気に入りの長寿梅を弄ったりする日々だ。
「ニルギリ、時間だ」
『ーー起動致します』
最近のお気に入りはラジオだ。
オールドカルチャーと笑いたいやつは好きなだけ笑えばいい。
遥か彼方の地球から大したラグもなくコクピットまでひっぱり込まれるのはチープなジングルと元気のいいハスキーボイス。
『春原アオイのぉーフロントライン放送局〜♪』
正確にはラジオではなくてvtuberの動画配信だが配信者がラジオと言い張っているのでこれはもう立派なラジオである。
まあそもそも二次元の動画配信サービス自体オールドメディアなのでラジオみたいなものだろう。
「どうもーラジオの前の皆さんおはこんばんちわー。まだまだお鍋が美味しい季節皆さんどうお過ごしですか。パーソナリティの春原アオイでっす」
春原アオイーー彼女はvtuberで本業は声優。
肩書きは多いが元々はラジオパーソナリティになりたくて紆余曲折あってこの放送を始めた地球生まれ地球育ち地球在住の女性だ。
何となく暇を持て余した挙句に行き着いた番組だったがわりと気に入ったので日課のように聴き続けていた。
ナムギョプ:わあああああああああ。
867:ばんちは。
眠民:ばんちはー。
御朱印:始まった。
ガガガーリン:待ってた。
辛気郎:いあいあアオイたんふぁたぐん。
AAA:人生唯一の楽しみ。
桃:アオイたん。
蘭たん麺:正座待機一時間は辛かったぜ。
にわかに活気づいて滝のように流れていくコメント欄。
俺同様にリアタイでのラジオ放送を楽しみに待っていたリスナーたちである。
ただ正確にいうと地球から火星までは2億キロメートル離れている為に惑星間通信システムを使ったところでラグはあるのでリアルタイムではないのだが細かいことは気にしない。
推しが画面を隔てた遥か彼方ーー地球にいて呼吸をして喋って笑っている。それだけで十分に尊いのである。
「今日はねー何とぉオーディションでスタジオまで行ってきましたよー」
マネマネ:おおオーディションってことはアニメかな。
えるににょ:マジ受かって欲しい。有名になってほしい。
ままれもん:端役が多かったもんな。
唐変木:有名になって欲しいけど同時にならないで欲しい。
蘭たん麺:気持ちは分かるぞ。
リスナーたちからアオイたんの愛称で親しまれている彼女はそこそこの苦労人で現役声優でありながら鳴かず飛ばずの時間が長かったらしい。
まあ声優のように夢のある仕事はそれだけ競争の激しい業界なのだろう。夢破れ諦めて離れていく同輩たちがいるなかで彼女も苦悩したそうだ。
だが最近はvtuberとしての活動も軌道に乗り始め同時接続数をめきめき増やし、声優業でも名前のある役を獲得し始めていた。ここが正念場なので無理せずしかし頑張って欲しいところだ。
「まあ何のオーディションかはまだ言えませんけどぉ手応えはありましたね。これはいけたはず。へへ。確実にっ。きっと。多分。恐らく。五割方。いや三割くらいかな。……うう落ちたらどうしよう」
ポトフ軍曹:どっちだアオイたんwww
ゆーか:強気からの弱音wwww
はいふん:テンションの乱高下激し過ぎだろwww
ロン2:受験シーズンだから気持ちわかるわ。
grgr:今のアオイたんならいける!
イエロー:マジ期待してます!
「あははありがとう。頑張るね。ってもオーディション終わったからどうしようもないけども。
それにしても京浜東北線久しぶりに使ったなあ。まだ全線開通したわけじゃないですし使えない駅とかもあるんですよね。でも電車ってすごく便利だなって実感しました」
弥勒ぼさっつ:在来線もだいぶ復旧したよね
867:仕事で利用してますwww
¥町:浦和駅復活はよ。
やこ:マーズアタックから十年か(遠い目)
久し振りに耳にした移動手段。
通学や都内出るのに散々利用していた地球に住んでいた頃の思い出が甦り、懐かしい気持ちになった。
火星コロニーにはリニアがあるけどあれ電車とは違うんだよな。全然音しないし揺れないから乗ってる実感というかそもそも移動している感覚がないんだよ。窓眺めても景色といえるものが殆どないしさ。
「ぼーっと音楽聴きながら眺めていたら車窓の向こうで梅の木が咲かせていましたね。
息が白く無くなったしマフラーをしなくても良くなったよなって気づいて春マジ最高」
雪の子:でも春は花粉がなあ。
モール:俺も寒いの苦手だから助かるわ。
ナムギョプ:同意。
「何より暖房代が馬鹿にならないですからねー。エアコンつけなくていいだけでどれだけ食費に回せるか。一体ポテチ何袋分になると思ってるんだこの野郎」
暦の上ではもう三月か。
火星にも季節は存在したけれど日本の四季の様に鮮やかな景観の変化はない為、長くいるとそういう感覚が麻痺してくるのだ。
兵装コクピットやコロニー内部は寒いのも暑いのも関係ないから衣替えなんか必要ないのは楽でいいけど。
「あ、梅の木といえばちょっと思い出があってですね」
アオイたんが何かくすくすと思い出し笑いをしている。
可愛い。癒される。
「高校時代の話なんですけど、一年生の頃はなかなか友達ができなくて休み時間は教室の窓をよく眺めてたんですよ。
窓の外には校庭があってそこに立派な梅の木があってそれを見るのが日課になってました。
その木くらいしか見るものがなくて毎日が憂鬱でした。退屈だなあとかもう学校辞めちゃおうかなあとか何か楽しいことないかなあとかろくでもないことばっかり考えてましたね。あの頃は若かったなー」
867:あー…。
大規模工事:わかるわかる。
パープル式部:アオイたんにもそんな時代が。
ニコる:あがががが封印していた記憶が。
モール:ボッチの皆さんSAN値チェックどうぞ。
神無月:梅の木から黒歴史に繋がるとはwww
はいふん:食えないながらもこうして立派になってよかったよ。
コメント欄にも心当たりのある方々がいるらしい。
そういえば以前の放送でも触れていたことがあった。
彼女は特徴のある声質がコンプレックスで人との会話が苦手になり、友達ができない暗い中学生時代を過ごしたそうだ。
そんな思い出を話の種にできるのは、自らの声を生活の糧にできるくらいに成長できたからこそなのだろう。
だがしかし思い出し笑いする話ではないのではーーそう思ったが話にはまだ続きがあるようだ。
「ある日、クラスメイトに声をかけられたんです。同じクラスの口を聞いたこともないやつでした。ちょっと怖い感じで素行に問題があるって噂があって。まあ兎に角近寄りたくないって思ってた人でした。
そいつがーー
『なあアンタさあ、梅の木ばっか見てるけどそんなに好きなわけ?』」
アオイは少しだけ声色を低くしてそのクラスメイトの真似をする。おそらくは男子なのだろう。その声色だけで相手のドスがきいたかなり厳つい様子が伺えるのはさすが声優だが、話の流れにすこし不安を覚える。
ポテチ大好き:おや雲行きが……。
桃:すわ喧嘩か?
ガガガーリン:ナンパ??
パープル式部:なれなれしい奴だな
金剛力氏:玉砕しろ
「はあ? そんなわけないじゃんって思いましたね。こっちがどんな気持ちで眺めてると思ってるんだよって。あの時は思わずそう言いそうになりましたよ。
でもそこで否定したら負けじゃないですか。じゃあなんで見てるんだよって言われたら何も言えないですし。
だから私、『そうですけど何か御用ですか?』って睨み返してやったんです。
そしたらそいつなんて言ってきたと思います?」
自称我輩:煽られたのか?
神無月:よし斬ろう
海苔腹巻き:ちょっとハラハラする
風邪の子:怒っていいやつ。
古参兵:そいつ無神経すぎでは?
帝国晩餐会:なんて言ったの?
「『じゃあさ盆栽部に入らね?』」
メルカトル鱒:……は???
蘭たん麺:えっ?
談話室:……うん?
リトマス氏:???
calling:ちょっwww
パープル式部:予想外の展開きたwww
ペーぺー:wwww
「私面食らってしばらく固まってました。ボンサイブ。え〜とボンサイブって何ですかね。その時ちっともカタカナから漢字に意味を変換できなくて。
つまりその人、私が梅の木に興味があると思って親切心で勧誘してくれたんですね。
ていうかその人、滔々と語り始めるわけですよ。梅の木は桜なんかよりも可愛いよねとか。盆栽にして愛でると最高だとか。
意味がようやく理解できた時、私、そのいけないんだけど、ツボに入っちゃってあんまりにおかしくてそれまで高校生活でそんなこと一度もしなかったのに笑ってました。おかしくって。
だってその時まで我が高校に盆栽部なるものがあるなんて知らなかったんです」
ガガガーリンそんな部活あるんだなwww
867:あるだろ
えるににょ:インターハイとかあるんですか?
ミーニャ:あるよ。
雪の子:さすがにそれはねえだろ。
イエロー:入部したの???
辛気郎:そこ気になる。
AAA:いや普通入らないだろ
calling:するわけwwww
「えっもちろん入部しましたよ、当然じゃないですか。私、高校時代三年間盆栽部でした。ちなみにそいつの素行不良の件も後から聞いたら単なる噂でした」
楽しそうな笑い声と共に明かされた推しの意外なプロフィールにコメント欄にはアルファベットの二十三番目の小文字が勢いよく流れていく。
そして放送はどうやらアオイたんの部活トークへと移行しそうな流れになっていたがーー
『御主人様、お楽しみのところ申し訳ありません』
ここまでのようだ。コクピット画面の中央に緊急事態を告げるマークが浮かび、それまで沈黙を続けていたAIニルギリが言葉を発した。
楽しげな声が容赦なく途切れるとーーあちこちに散らかっていた爪切りやらコオロギバーやら書類の束やらが格納されてコクピットは視界が広がったシンプルな空間へと変容していく。
『緊急の強制業務が発令されました』
「……うへえ」
緊急の強制業務。
プラットフォーマーであるzodiacを介する形で仕事を受ける独立業務請負傭兵でしかない僕らだが、こうして拒否権のない業務を請け負う機会もあったりするのだ。
眼前に表示されるびっしりとちいさな文字で埋められた指示書。それによればコロニーの南東約一km先で昆虫型兵器の死骸が発見されたそうだ。
特徴を見る限り兵隊蟻スコッパー。だとすればどこかに潜伏している可能性が高く、最悪すでに巣を構築し始めている場合もある。
まあ地球の台所にいるゴキブリと一緒で一匹いれば百匹ってやつだ。
十中八九これからそこそこの規模の戦闘が待っているだろう。
「まだ冒頭のフリートークが始まったばかりなのになあ」
『後でアーカイブで観ればいいのでは?』
「ニルギリはAIだからわかんないよね。ライブ配信にしか味わえない空気があるんだよ」
まったくAIも侵略者どももどうしてこう空気を読んではくれないのだろう。久しぶりのライブ配信だと言うのになあ。
己の不遇さを呪いながら先程からブザー音を発し続ける合流すべき隊からのコールサインをタップする。
『さっさと出ろよ新人』
「ねえハンチョウ。ワンチャン見間違いの可能性とかないっすか?」
『あるわけねえな、なんでかって言えば見つけたのがホロスコープのエースキャンサーだからだよ』
「糞、僕のこのやるせない気持ちを一体どこに向ければいいんだ」
『憎き昆虫型兵器どもに決まってるだろう。無駄口叩いてねえでさっさと合流ポイントへ急げ』
「うぃっす」
それにしてもーー
「まさか推しと同じ部活だったとはなあ」
唯一コクピットに残したままの私物ーー長寿梅の盆栽を横目ににやける。
実に奇遇な話だ。我が母校にも盆栽部なるものがあり、かつてはそこに所属していたのだ。懐かしい思い出だ。
「推しと同じ部活。これは最早運命なのではないだろうか。だとしたら彼女のいる地球を守る為にも、これからも応援し続ける為にもより一層お仕事に精を出さなくてはならないだろうな」
『御主人様早口でぶつぶつ喋るのはキモイので禁止です』
ニルギリがこれ見よがしに送ってきた半眼の顔文字をデコピンスワイプで消す。
このAIはなんというかパイロットに対する敬意というものが感じられない。一度プログラムメカニックに再教育させた方が良いんじゃないだろうか。
「ニルギリ、兵装強化だ」
『同期の調整を開始ーー警戒レベルに移行します。兵装強化、深紅の射手座』
火星の砂よりも尚、深く赤い外殻との同期が始まり、左腕部のアームが通常形態から近接戦闘用射撃形態へと移行していくのを肌で感覚しながら初速時速二百kmで兵装ドレスの駆動を開始する。
ーー蟻どもが跋扈する戦場に向けて。
追伸:勿論この後、無茶苦茶戦果スコア出してやった。