第52話 完敗の後の一幕
キラキラとした髪、本当に金で出来ているのではないかと思う。
だけど、触るととても柔らかくて、心まで吸い込まれそうになる。
「くすぐったいよ、レプト」
「あ、ゴメン。ってか、いつも綺麗にしてるよな」
「うん。アシュリーがそうしてたから」
「そうしてた?そう言われた、じゃなくて?」
勇者アークは触られた髪を気にして、汚れてないと知るとホッと胸を撫で下ろした。
人間同士ならキレてもおかしくない場面だけれど、彼の前世が特別なスライムだったことは知っている。
「うん。僕が言葉を話せるようになったのは、もっと後のことだから」
「ん?でも、いつもアシュリーから聞いた、みたいな言い方じゃなかったか?」
「アレはアシュリーが勝手に話しかけてて、僕のスライムが音波を記憶してたって感じ…かな」
「それであんなに覚えてるなんて、ある意味凄いな」
「情報の記録だからね。今の方が忘れちゃうくらい。それに僕が動けるようになると、もっともっと話してくれて」
アシュリーはエルフであり魔法使いであり錬金術師だった。
混沌の世界は可能性の塊で、彼女が想像するものは全て作れたという。
ただ、あの世界で生きられるのは強者のみ。弱者は一年と生きられない世界だったらしい。
「良く分からないけど、アシュリーのお陰で俺たちの世界はもっと変われるな」
「うん。全部、レプトのお陰」
「いやいや。俺は何もしてないだろ」
「それがそうでもないんだよ?」
あどけなく笑う少年。
ふとすると、少女かと空目するくらい中性的な容貌。
少年はいやいや、と首を振ってそうでもある!と否定をする。
「マリアが道案内して、ギルガメットとフレデリカも一緒に戦って、イザベルは何でも知ってて、ダーマンも今は犬として役に立とうとしてるし」
今度は彼が首を横に振る。さらさらとした髪が揺れる。
そして、そういうことじゃないと頬を膨らませる。
「僕が一番最初に憧れた勇者は君だよ。それに僕の前世を一番最初に信じたのもレプト。魔物との共生を決めた時に一番最初に賛成してくれたのもレプト。だから、僕は最初からいつもレプトの背中を見ている」
「いやいや。俺は教えてもらってるからであって」
「それでも、レプトがいなかったら何処かで諦めてたと思う」
その心当たりは確かにあった。
最後に仲間に加わったイザベルはさておき。
皆、それぞれが何かのしがらみに囚われて、勇者と旅を共にしていた。
何故か船に乗れない。何をしても、どんな功績を上げても船に乗れない。
レプトがツェペル・マラドーナ邸に忍び込んで、サラドーム大公国からの手紙を盗み見て、漸く原因が分かった。
ギルに王国から帰還命令が下る、そんなこともあった。
それから、アリス教国に忍び込んで──
「それにね。レプトは──」
□■□
薄っすらと鳶色髪の少年の視界が広がる。
光がまつ毛で乱反射して、少しだけ眩しい。
二周目じゃなかったら、知らない天上だと思ったかもしれないけれど、知っている天井。
便利な便利な魔法使いの家の物置き。
扉は開け放たれており、中央の部屋の明かりがそこから差し込んでいる。
「さしてヒントって訳でもないか。都合よく夢で教えてくれるのかと思ったけど…」
残念ながら、その世界の記憶は失われている。
そして、大事な大事なアークの前世の記憶も大部分が奪われ、一部は封印されている。
レプトは身を起こし、絶望的な存在を再び頭に思い浮かべていた。
「…ってか。あれ?ここに担ぎ込まれたってことは」
オズに叩きつけられた。そこまでは覚えている。仲間が来たって分かったから、意識を手放したのもなんとなく覚えている。
だけど、それって…
慌てて飛び出した先で、レプトは目を剥いていた。
「マリアー。レプトがやっと起きたみたいよー。マリアが体を拭いてあげるんでしょ」
「へ?えっと、はい…」
「な…、なんで?」
レプトの口がそう紡いだところで、マリアの手が強引に先ほどの部屋に戻していく。
その時、マリアの手はドアノブにかかっていたらしく、バタンと扉まで閉められた。
「マリア、さっきのって」
「しー‼…その前にレプトの体の傷がちゃんと治ったかどうか、見せてください」
パチンという音で、物置にも火が灯る。便利な家。目に付く調度品はないが、西の貴族の邸宅よりもずっと価値のある建築物であろう。
「えっと。俺は戦って…」
「レプトが一番重症でしたよ。…っていうより、二人は殆ど無傷でした」
水色髪の少女の言葉で、レプトは漸く自分の体を見ることになった。
服のあちこちが破れている。その奥にはうっすらと新しい皮膚も見える。
そして、あの戦いの記憶が蘇ってくるのだが
「…確かに。あの二人は戦いを途中で止め…ってか‼フレデリカがギャスターの体拭いてなかった?」
「声が大きいですって。何があったか知りませんが、なんで意識を失ってるんですか。重傷者のレプトの治癒をしてたら、みんながアークとギャスターを運んで行っちゃったんです」
そういえば。今回もレプトという人狼のせいで、大聖堂に各国の要人は来ていなかった。
だから、人狼が連れてきたという怪人のイメージが独り歩きしている。
聖都の僧兵をあっという間に殺した怪人と、リュックを背負った子供が結びつくとは思えない。
「…成程。そういえばそうだった。でも、アークなら」
「口を塞いだままです。彼は彼で相当な精神的な疲労を負っていて、少し前にやっと一言か二言話せるようになったみたいですけど、それまではイザベル様とノノがつきっきりで」
「それで…、当人は?」
「知りませんよ。アレはアレで落ち込んでいるというか、今は子供にしか見えません」
黙っていれば、確かに子供にしか見えない。
とは言え、今は。
「…そっか。えっと…、マリア。ありがと」
「ふぇ…?そ、そんなの当たり前じゃないですか。私の仕事ですし…。って、ちょっ…、どうしたんですか」
ドンと圧し掛かる重み。女神の恩寵がなければ、マリアは押し倒されていただろう。
前の世界では在り得なかった関係。
彼女もこんな場でなければ、受け止めずに押し倒されていたかもしれない。
「マリアの顔を見たら、一気に疲れが戻って来た」
「は?それってどういう…」
とは言え、ものすごい失礼な発言。でも、そんなことを言う彼ではない。
それにあの禍々しいオーラは流石に全員が気付いている。
家の中に居ても動けないほどのオーラ。防衛反応だったのか、アレに会わなくて済んだのだが。
「魔物が居ない場所。…神樹の下ならって思ったけど。まさか、オズワルドが現れるとは」
マリアの肩が跳ね、レプトは危うく舌を噛みそうになった。
「…やはり」
「そか。マリアには分かったのか。ってことは」
「恐らくノノも。酷く怯えていました。でも、他の皆はアレが四天王の力だろうと考えていたらしく、その四天王を運んでしまった、ということでしょうね。そして…、一人で突っ込んでしまったのですね。ほんと、アナタは…」
「悪ぃ…。でも、かつてアークが話したオズのイメージと全然違ってて、体が勝手に反応した。コイツはダメなヤツだって。っていうか、ゴメン。教会としてはどうしようって感じだよな」
すると、シスターは戸惑うどころか、ぐぇぇぇええっと声が出るほど、少年の体を自らの腕と体で引き絞った。
「何を言っているのですか。その教会が崇めているのが私、そう言ったのはレプトでしょ」
「そ、それはアークに確かめるまでは…って」
「もう、そんなことは言っていられません。だけど…」
いやいや。どうやら夢の意味はあったらしい。
だって、夢の中のアークも今のアークも、今の彼女と同じことを考えている。
「私にはどうしていいか分かりません。どうやらアシュリー様はとても変わった方だったみたいで」
「ん。そうなのか?」
「そうです。だから、私はレプトについていくことにしました。アナタが信じるハッピーエンドを私も信じてみようと思います。その為にもちゃんと治っているか、チェックさせてくださいね」
以前のマリアなら、絶対に自分には見せなかった顔。
親友を想っていた彼女をかすめ取ってしまったような感覚はある。
但し、今回の世界は──
「そもそも、勇者様にはエリスがいますし」
「それはそう…だな。ってか、俺はもう大丈夫。どうにも心配だから、あっちに戻ろう」
「もう…。直ぐにそうやって。でも、それは流石にそう。あの怪人の相手が出来そうなのはレプトだけですよ。変なことにならない内に戻りましょう。その前に、レプトは服を着替えてください。あの二人のように私が着替えをしましょうか?」
すると少年は目を泳がせて、苦笑いしながらこう言った。
「あ…。いや、今はちょっと、…良くないかも」
「ですね。私は先に戻ってますから、しっかりと着替えてくださいね」
聖職者であるシスター、彼女がやるには危険過ぎる悪戯な笑み。
あれだけ体を密着させていたのだから、レプトの血圧や脈拍、身体の状態まで彼女には間違いなく伝わっている。
やっぱり自分は賢者にはなれないらしいと、改めて思い知らされながら、少年はいそいそとエルフの国で取られた綿花製の、手先の器用なドワーフお手製の、とても心地良い生地に足を通した。
そして
「フレデリカ!!お前、一体どういうつもりだ」
と、何事もなかったように顔を見せるが、そこで今一度目を剥いた。
何故か、ギャスターがフレデリカの膝の上に座っている。
「どういうつもりって、別にいいじゃない。この子は巻き込まれたのよ。可愛そうに…」
彼女はギャスターを完全に人間の子供と勘違いしている。
そのギャスターも大人しく膝の上で、王国産と思われるパンを齧っている。
綺麗に洗われて、薄い紫色髪の毛もサラサラ。
目鼻立ちも整っていて、とても行儀が良い。
あまりの清潔感とチャームポイントのリュックを下ろしているのとで、あのギャスターには見えない。
しかも、その姿はまるで…
「きっと逃げ遅れた貴族の子よ。逃げてきた人間は、私達が保護しないと駄目じゃない」
「い、いや。それはそうなんだけど…」
半眼で子供を睨むが、パンに夢中か夢中のフリか、完全無視の悪魔。
そして、この女。
「何?羨ましいの?でも、駄目ー。私ねー、こんな可愛い弟が欲しかったの!」
四天王の一人を後ろからギューっと抱きしめている。
まるでさっきの部屋の様子を見ていたかのように、いやいや嗅覚で絶対に分かった上で同じことをしている。
そこで、彼女の兄もやはり気付かずにこんなことを言ってしまう。
「フレデリカ。その子はお前の嫌いなサラドームの貴族の子かもしれないんだぞ」
一応、彼は止めている。だけど、止め方を間違っている。
そして妹は頬を膨らませ、兄に半眼を向けた。
「年下で、こんな美少年だったら、私は喜んで嫁に行ってるわよ」
「お、お前。なんてことを…」
これには苦笑いするしかない。彼の年齢は四千歳。
とは言え、二千年に一度目を覚ますタイプだから、実は精神年齢で言えば、年下かもしれない。
だが、ここで彼女が抱く美少年はパンをもぐもぐとさせながら、間違いなくこう言った。
「まおうさまにおこられた…。ボクはしてんの…なのに」
パンの欠片が口の中に入っているとはいえ、ハッキリとそう聞こえた。
普段は周りが見えていて、ちゃんと気配りも出来るお姫様。
だが、こんな時だけは都合よく、空耳をしてしまうらしい。
「王に怒られた?…お兄様。この子の父親はフォニア会社のそれなりの立場だったみたい。これはもしかすると、もしかするわね」
「成程。父上は良く思っていないからな…。だが」
「だがも何も、…もういいよ。どうせ、連れて行くつもりだったんだから。それでいいな、ギャス…」
「そっか。レプトは二周目だったわね。この子も知ってるんだ。なら、間違いないわね。…えっと、私はフレデリカ。ギャス君、これからよろしくね」
するとコクンと頷く子供。
魔王から否定されるということは、魔王の加護を受けられなくなる、という意味。
どうやら、ギャスターは本当に落ち込んでいるらしい。
「…で、レプト。あの場で何があった。四天王にかなりやられたらしいが、この先どうにかなりそうなのか?」
国を想うが妹も大切な兄まで、フレデリカの勘違いに呑まれている。
もはや、何を言えばいいか分からない状況で、結局レプトは何も説明できていない。
その状況にマリアは肩を竦めるが、本筋からは逸れていない。
だったら、どうにか嘘で取り繕って──
「これも前の世界通りって、さっきあちらで聞きました。ですので、殿下。何も心配ありません」
と、レプトではなくシスター・マリアが嘘の苦手な相棒の代わりに、どうにか王子を納得させた。
本当にどうにかなったかは、これからの物語で決まる話。
マリアはアシュリーの視線を感じながら、はぁと心の中で溜め息を吐くのだった。




