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ゲキドク!  作者: 解剖タルト
第1章〈私はそれを識っている〉
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【第1部:世界がひっくり返ってもあなたのもとへ】第7話「雪」

「せんぱーい、ってあれ?」

 ──第7話「雪」

 一課を見てまわる四人。ダンボが得意げに解説する。

「ここは訓練所! 平時は常に技を磨き、能力と閾の底上げを図る。様々な能力・属性を持つ相手と試合をすることによって、能力の解釈を拡大する狙いもあるんだけど……。書籍姫が消息不明になって名を貰えなくなった世代が増えたから、あまり無茶なことは出来なくなったらしいぞ」

 西羅が訓練所をのぞき込む。

「戦闘を想定した訓練で死んでたら元も子もないってことかな。ということは、姉ちゃんがいた頃って相当厳しい訓練をやってたんだね」

 薫が西羅を二度見する。

「姉ちゃん、って誰?」

「もちろん私の姉ちゃん、書籍姫だよ」

「ぶぇっ」

 思わず変な声が出た。


「地下に大聖堂があるんだけど見に行く?」

「ちょっと待ってダンボさん! 大事な話流さないで、トイレじゃあるまいし!」

「私の姉ちゃんうんちって言いたいのか!」

「ちがーう! ものの例えだけど今のは俺が悪い! ごめんなさい許してくれないと血便になっちゃう」

 ダンボがフォローに入る。

「西羅、最近のトイレは高性能なんだ。タンクレスっていうやつだとコンパクトだから俺みたいなやつでもトイレが広々使えるし、昔からあるウォシュレットも年々進化してんだ。でもよ薫が血便になるのはかわいそうだから許してあげてくれ」

 西羅の険しい顔。

「むむ、ダンボがそこまで言うなら許してあげる。デコポン、お詫びになんかちょうだい!」西羅が小さい手を差し出す。

「えぇ……っと、あっじゃあ俺の花あげる! 髪どめのゴムとかある?」

 西羅はポケットに手を突っ込み、干からびたヘアゴムを見つけ出す。薫がヘアゴムに小さな花を咲かせた。

「どう? 髪か手首につけるとオシャレだよ!」

 西羅はヘアゴムをしばらく見つめ、にまっと笑い、左手首につけた。

「デコポンいいセンスしてるね! うん、完全に許した! まあ私姉ちゃんのこと苦手だったから、うんちって呼んでも別によかったんだけどさ」

「えぇ……」

「あ、そうだ。このうさばくちゃんにもお花つけてあげて」

 そう言って西羅が後ろのポケットから取り出したのは、白いうさぎに首輪がついた手のひらサイズのくたびれたぬいぐるみ。薫はぬいぐるみを手に取りまじまじと見る。

「うさぎ……ばくって?」

「お腹の色が違うでしょ。この部分だけバクらしいよ。妖怪のバク」 

「微妙なキメラ……」

「このぬいぐるみ姉ちゃんから貰ったものなんだ。東蓋も持ってるよね」

「はい、黒いうさばくさんを書籍姫さんからいただきました。私は部屋に飾っています」

 巨体のダンボがずいと近づいてくる。

「俺も、俺も持ってるぞ! 茶色いやつ!」

「いいなー俺も欲しいなー」

 ダンボが得意げに胸を張る。「ならば書籍姫に直接貰うといい! 書籍姫の所在を確かめるため、俺は一課に来たのだからな!」

「おおダンボさんすげー!」パチパチ、拍手。

「別にそんなことしなくても良かったのに」

「おい西羅、珍しく大人しいじゃねえか! 俺頑張ったんだぜ。もちろんこれからもっと頑張ってお前の姉ちゃん見つけ出してやるからよ!」

「まあダンボの初恋相手だもんね」

「えっ嘘でしょ! ダンボさんって書籍姫さん好きだったんですか?」東蓋がすかさずダンボにつっこむ。

「うんまあな。というか西羅、いつから気づいてた? 俺なんか変なことしてた?」

「うん変なこといっぱいしてた! それより高性能トイレ堪能してきていい?」

「ちょっトイレ行く前に教えろって!」

「漏れちゃう! おしっこ!」


 トイレに行った西羅を待つ三人。

「西羅さんうんちかな」

「せんぱいはうんちなんかしません!」

「えぇ……」

 東蓋が真剣な眼差しでダンボを見上げる。

「それでダンボさん、あやしい人は見つかりましたか?」

「今のところ、あそこにいたメンバーのうち、三分の一くらいまでは絞り込めた感じかな」

 東蓋はポケットからメモ帳を取り出してページをめくる。

「私、あそこにいた人たちについてメモしたんです。誰があやしいですか?」

「おお、東蓋さん有能!」

「薫さんがだらしないだけです」

 素直な言葉が薫を傷つけた。

「そうだね、まず一番あやしいのはファーレンハイト。異例の早さで組織のNo.2に昇りつめている点、一課に来る以前は王族騎士団にいた点、ファーレンハイトが来て半年ほどで書籍姫が行方不明になっている点、そして──」


「ファーレンハイトを日本語に訳すと華氏。姉ちゃんは本が大好きだったからね。華氏という言葉でまず思い浮かぶ本は『華氏451度』。華氏451度っていうのは紙が自然発火する温度で──」

「つまり俺が殺したって言いたいんだろ」

「正解! お前、あたまいいね! ホントに一課の人間?」

 地下大聖堂。

 トイレを済ませた後、迷子になった西羅。気がつくと地下大聖堂に迷い込んでおり──化物の能力で地下大聖堂まで導かれたと考えるのが自然だろう──、そこには祭壇の机に座るファーレンハイトの姿があった。

「一課の地下にこんな広い大聖堂があるとはね」

「ここで祈ったやつはみんな死ぬんだ。お前も祈ってみるか?」

「姉ちゃんもそうなんだろ」

「正解。頭いいな、お前。ホントに中学生か? おっとすまねぇ、お酒も飲める年齢だったな」

「で、どうやって私を殺すの? こんなところで戦ったら騒ぎになって多くの人が駆けつけてくるよ」

「ここは特別な場所でな。光風霽月の能力で外と隔離されてんだ。お祈りに集中するためらしいけどよ」ファーレンハイトはニヤリと笑う。「神の前で殺し合いをするのも悪くねえだろ」

「御前試合とは光栄だね!」西羅がファーレンハイトに向かって斬閾を放つ。

「閾巫女!」

 ファーレンハイトの目の前に閾巫女が現れ、西羅の斬閾で四分五裂する。

「閾巫女の閾でも防ぎきれねえか」

「やっぱり仲間がいたか」

「あぁ気づいてるだろうが、俺もこいつも、そしてアリアヒロインも〈代理者〉だ。代理者って知ってるか?」

「神樹様っていうやつから生まれる化物の総称。つまり極論を言えば、お前らみんな神樹様の代理として動いているってことだろ」

「その通り」ファーレンハイトは話を続ける。「神樹様は神樹一族の末裔を抹消したいらしい」

 西羅は眉間にしわを寄せる。「樹神デコポン……」

「お前を殺した後で樹神薫をここに呼び込む」

 ファーレンハイトは内陣に立ち、西羅の方を向いて手を合わせる。ファーレンハイトの背面で十字架が微笑む。

「解釈拡大。光風霽月の能力:群青世界によって隔離された地下大聖堂を拡張する」

 どうやら〈代理者〉は空間に強いらしい。前戦った女医サンキューって代理者も天地をひっくり返していたっけ。神樹一族の末裔であるデコポンの能力も空間に関係しているし、まず間違いないだろう。それにしても空間拡張は厄介だ。こいつを討伐しなければここから出ることはできない。助けを呼ぶこともできないとすれば、ひとりでやるしかない。

 空間拡張が完了したファーレンハイトが静かに西羅に話しかける。「閾巫女の良いところはとにかく数が多いこと。書籍姫はこいつの正体も知ってたんだろうな」

已己巳己いこみき、アナグラムか。姉ちゃんらしいや」

 天井から閾巫女が次々と登場し、椅子が破壊される。三十秒もしないうちに空間いっぱいに閾巫女が並ぶ。天井からは首を吊った閾巫女が数百体ぶら下がっている。

 閾巫女らが囁く。「毒を、毒を、我らに、毒を」

「神樹様が毒をばらまいたっていうけど、なんで?」西羅はファーレンハイトに聞く。

「さあな。本来の目的は人類滅亡らしいが、毒に耐性を持つやつらが出てきてからも毒の性質をかえていないということは、目的が変わったと考えるべきだろうな。俺ら代理者が生み出されるようになったのはそのあとからだ」

「なるほど、というかお前、私にいろいろ教えてくれるね」

「頭のいいやつは嫌いじゃないんだ。お前の姉もな」ファーレンハイトは虚空を眺め、ため息をつく。「おしゃべりに付き合ってくれてありがとよ。久々に楽しかったぜ」

「あぁ、ちゃんと墓参りに行ってやるよ」

「さらばだ」

 全ての閾巫女から高威力の閾が西羅に向かって一斉に放出される。ファーレンハイトも何やら能力を発動しようとしている。避けることは不可能。西羅は纏閾もしくは斬閾による相殺ではなく能力の使用を選択した。

「能力発動、くうろ──」

 突如下方に吸い込まれる。先ほどの空間とは別の場所。気がつくと目の前に薫がいた。

「うさばくちゃんにお花つけたよ! 西羅さん」


 西羅はにこっと笑う「それはデコポンが預かっといて!」

「えっそれは別に構わないけど……」

「三日後に返してね!」

「三日後……! なるほど、おっけー!」

 西羅は暖かい光に包まれた空間を見回す。「この空間から地下大聖堂の外に出ることは不可能、だよね」

「やってみたけど出来なかった」

「じゃああれを倒すしかないね!」

「マジか、俺たちにできるかな……」不安そうな薫。西羅は薫の顔を両手でぺしぺしと叩く。

「大丈夫! 私たちには世界をひっくり返せる力がある」西羅は薫を励ます。「やってみようよ、思いっきり!」

「そうだね、めちゃくちゃ暴れ回ってやる!」

 西羅が優しく微笑む。その表情はどこか寂しげであったが、薫がその真意をくみとるためにはまだもう少し時間が必要であった。

「デコポンにはこの前、閾を意識する方法を教えたよね!」

「うん、バッチグー!」

 一課に見学に来る二、三日に薫は東蓋と西羅から閾を意識する方法を教えてもらっていた。

 以下、その内容の抜粋。

「ある日、神樹一族によってこの世界に毒がばら撒かれました。人々は次々と死んでしまいましたが、あるとき毒に耐性を持つ者たちが現れました。その人たちを調べてみると、身体の内部に毒から身を守る防御反応があることが判明しました。それが閾のはじまりです。薫さん、眠そうな顔しないでください」

「内部の防御反応を身体の外側に纏う、それが閾。つまりデコポン、身体の内部に意識を向ければ、自ずと閾を意識できるようになるんだ」

「なるほど全知!」

「閾を意識するところからゲキドクは始まる。頑張ろうね、デコポン」


「閾の総量は私よりも少ないけど、質は良い。このまま意識し続けてね」

「なかなかしんどい……」

 西羅はニヤリと笑い、「それじゃあ」とつぶやく。「最後にひとつだけお勉強しよっか」

「よし!」

「能力は解釈によって形を変える!」

「おお!ってどういうこと?」

「例えば私の能力、〈机〉。最初は頭の中で戦略を考えたり、戦況を理解したりするのに便利だなぁくらいの能力だった。でもあるとき〈ちゃぶ台返し〉を思いつく。これで不利な戦況をひっくり返すことができるようになった。そして今、〈机上の空論〉を実現するための能力に昇華しようとしている。どう、わかる?」

「全知! 能力は解釈次第、使い方次第で形とか性質が変わるんだね」

「そ! もちろん強い能力を使えばその分代償は大きくなるから、扱いには注意だよ!」

「西羅さんの能力の代償は?」

「クソガキじゃなくなること!」

「何それ代償なの?」

「アイデンティティが失われるんだからクソ重い代償でしょ! クソガキにもクソガキなりのプライドがあるんだから」

「アイデンティティね、そりゃ大変だ!」

「わかってくれれば結構」西羅はケラケラと笑った。


「時間はどれくらい経った?」

「どうだろ。でも化物からは、俺たちが一瞬で出てきたようにみえると思う」

「おっけー。なら、ここから出る前に私の能力を発動しておくね」

 薫が西羅に尋ねる。

「机上の空論を実現する能力ってどういうの?」

「まず本が出てきて、というか、実際にやってみた方がはやいね」

 西羅は目をつぶり「電光影裏斬春風でんこうえいりにしゅんぷうをきる」とつぶやく。「能力に命を持っていかれないようにするためのおまじない! カッコいいでしょ!」西羅は子どものように笑う。

「能力発動、空論創造」

 握りこぶしほどの大きさの光。左手を添えると本があらわれた。

「この本が破壊されない限り自分の想像したことを実現できる」

 西羅の周りを二体の妖精が飛び交う。

「おお、すげー!」

 西羅は「吸花内の空間に置いておく方が安全だからね」と本を床に置く。

「でも残念ながら相手を思い通りに操ることはできない」

「相手に「死ね」とか「腕取れろ」みたいな命令はできないってことか」

「そういうこと。解釈を広げすぎると能力者自身が命を落とすおそれもあるから注意ね」

「おっけー! じゃあ俺は西羅さんが存分に能力を使えるように立ち回るね」

「あ、デコポンは書籍姫から名をもらってないから前には出すぎないで。私が盾になる」

「そんな……じゃあ俺は何をすれば……」

「閾巫女をお願い! 閾を意識している今のデコポンならいけるはず!」

「わかった! 俺が閾巫女を全滅させるよ」

「ありがとう、ファーレンハイトに集中できて助かるよ」


 決戦の時。

「東蓋さんとかダンボさんのことは聞かないの?」

「アリアヒロインと戦っているんでしょ。あの二人なら大丈夫っしょ」

「そうだね!」薫が頷く。「あっ代償軽減のお祈り!」

「神の御前だからよく効くよ」

 薫と西羅が手を合わせ祈る。「よーし、あ、最後の最後!」

「?」薫が首を傾げる。

「お寿司食べたい!」

「またー? 今度はシャリも食べてよー」

「それはムリ」西羅が笑う。

「じゃあ手を叩いたら一斉に放花発動してね!」

「わかった!」

「いちにの──」

 パチン。

 戦闘、開始。


 西羅が吸い込まれた刹那、たくさんの花とそこから出てくる西羅と薫の分身。九頭龍、青龍、白虎、朱雀、玄武、麒麟、その他もろもろの神話生物。西羅のちゃぶ台返しにより宙に浮く閾巫女とファーレンハイト。

「鳥籠」西羅が能力を発動する。

 約千体(半数)の閾巫女がそれぞれ鳥籠に入れられる。このままでは閾巫女の攻撃を防ぐことはできないが──

「能力発動、水紋吸放花」薫が能力を発動。

 鳥籠の閾巫女をそれぞれ吸花で吸収し、残り千体の胃の中で放花を咲かせる。

「串刺」

 西羅の能力により、床からファーレンハイトを串刺にして固定。そして──

「氷塊、斬閾」

 だがファーレンハイトは自身を炎化させることでこれを回避。「全て燃やしてやる」

 地下大聖堂に広がる炎。ファーレンハイトが能力を発動させる。「電光影裏斬春風。能力発動、ファーレンハイト」

 西羅の能力によって設置されたスプリンクラーが作動、だが炎の勢いはとどまるところを知らない。分身が消滅。薫は自身の閾と西羅の閾によって保護されている。

「南極」

 空間はたちまち氷漬けになる。西羅が高密度の斬閾を放つ。だが──

「閾巫女!」ファーレンハイトの叫びに呼応して、たちまち二千体の閾巫女が現れこれを相殺。「水紋吸放──」

 全ての花が燃やされた。「樹神が面倒だな、お前から先にやるか」

 瞬時に薫の前に移動するファーレンハイト。剣を抜き、薫を斬る。「ちっ偽物かよ」

 神話生物の影。薫、能力発動。

「水紋吸放花」閾巫女が先ほどと同様の手段で無効化される。ファーレンハイトが薫めがけて瞬時に移動。神話生物を次々と斬り倒して間合いを詰める。だがそこに薫はいない。

「はぁ……埒が明かねえな」ファーレンハイトがため息をつく。

「あーあ、神話生物の無駄遣いだよ!」と西羅が嘆く。

「でもご加護はあったよ! 少し身体が軽くなった気がする!」

「それは何より」西羅がにまっと笑う。「よーし、第2ラウンドスタート!」


「仕方ねぇ」ファーレンハイトが閾巫女を呼び出す。首を吊った約二千体の閾巫女。ファーレンハイトが手を叩くと縄が切れ、閾巫女が地面に落ちる。

 ぐったりしている閾巫女。グサリ。閾巫女の頭を貫き地面から十字架がのびる。

 十字架が消え、床が閾巫女の血で満たされる。「エリザベート・バートリーがこの場にいたらさぞ大喜びしただろうよ」

 一体の閾巫女が片手で顔を覆いながら立ち上がる。閾巫女β、二千体の閾巫女を集めてつくられた最高傑作。閾巫女βが低く震えた声でつぶやく。「舞台之幕明」


 西羅と薫、一旦吸花内の空間へ。

 身体能力向上、閾向上、身体変化、紫電×2……。

 薫が西羅をのぞき込む。「すごいバフかけてんじゃん」

「敵側が訳わからんことしてる今がチャンス。はい紫電ひとつあげる!」西羅は薫に刀を手渡す。

「おお、カッケー!」

「じゃ、情報共有ね。おそらくファーレンハイトの能力は──」


 バサッ。

 鳥が羽ばたく音。

 ここは……、どこだ?

「お気づきになられましたか」

 声のする方をみると、そこにはくりっとした黒い瞳が特徴的な金髪ギャルがいた。細身で黒いスーツを着ており、微かに柑橘系の香りがする。耳元で光るピアスは控えめだが彼女を大人びた印象にしている。

 周りを見回すが右に立つ彼女以外誰もいない。またこの空間にはベッドと天井の照明、彼女の近くに置かれた椅子一脚以外は何もない。

 窓もドアもない。それにしてもこの空間は白すぎる。照明のせいか、いや、これは、この眩しさは太陽の光だ。

「不思議な空間ですよね」そう言うと彼女は椅子に腰掛ける。

「えぇっと……」頭の整理が必要だ。まず……あれ、俺の名前は……。

「あなたの名前は薫、樹神薫です」まるで俺の頭の中を見透かしているようである。彼女はにこっと笑った。

「そうか、薫。そんな名前だった気がする。薫、ね」

 まだ思い出せていない。だが名前を呟いていないとまた忘れてしまうのではないか。そう思って何度も薫、薫と言い続ける。

「大丈夫です。少しずつ思い出していくはずです」彼女の声は優しかった。

「……そういえば、俺、夢を見ていたんだ。大人になってて、花を咲かせて、小さい銀髪の子がいて……って、あれ?」

 何かがおかしい。

「それは夢ではありませんよ。それにあなたは、今でこそ八歳の姿に戻っていますが、本来は十九歳です」

 八歳? 十九歳? 自分の手をみると確かに小さい。

「そうか、そうだ、俺十九歳だった。そうだよ、西羅さんや東蓋さんたちと一緒にいて……、全知!」

 薫は全てを思い出した。

「さすがです。はやいですね」と彼女が微笑む。

「こっから出るにはどうすればいい? 俺行かなきゃいけないところがあるんです」

 彼女は頷いて薫の眼をみた。「大丈夫です、じきに出られます。安心してください。あなたの能力と同じように、ここでの時間は、あちらでは一瞬ですから」

「ならひとまず安心。うわぁ、ホッとしたら急に手足が痺れてきた」

 能力の代償。能力とは毒である。

「毒を以て毒を制す。敵にとって毒となるものは、自分にとっても毒である場合が多いのです。能力の過剰使用にはご注意ください」

「気をつけます!」

「では手足の痺れが治まるまで、少しお話しましょうか」

「はい! あ、そうだ。あなたの名前は?」

「私はローゼンといいます」

 薫とローゼンは昔の話をした。

「薫さんは昔のことを覚えていますか?」

「俺、記憶力悪いから全然覚えてないんですよ。両親のことも全く覚えてないし」

「そうでしたか」

「ローゼンさんはどうですか? 八歳の頃とか」

「八歳、何していたんでしょうね。友達や幼なじみと走り回っていたことは覚えているんですけど」

「あ、そういえば俺、幼なじみがいたっけ。あーダメだ、全然思い出せないや」薫は両手で顔をおさえて「ぐわー」と叫ぶ。

「ふふっ、大丈夫です。いつか思い出せる日が来ますよ、きっと」

「そうですかね、そうだといいな」薫は伸びをする。「ローゼンさんと話していたらだいぶ楽になりました」

「それは良かったです」

 ローゼンが頷くと正面の壁に扉が現れた。

「ここから出られます。お気をつけて」

「ありがとうございました」薫の身体は十九歳に戻っていた。薫はお礼を言って扉の前まで歩く。

 扉の前で佇む薫。

「どうされましたか?」

 薫は泣いていた。

「なんでだろう、涙が……」

 微笑むローゼン。「大丈夫ですよ薫さん」ローゼンは薫に駆け寄って薫の背中をさする。「安心してください。大丈夫、大丈夫! 薫さんは強いです! 西羅さんと薫さん自身を守ってあげてください。薫さんの活躍、私にも見せてください!」

 薫が自分の頬をぺしぺしと叩く。「うん、ありがとう、ローゼンさん!」

 ドアノブに手をかける。「俺、今ひとつ思い出したことがあるんです」

「なんでしょう?」ローゼンが首を傾げる。

「俺の母さん、俺が泣いてるとよく『大丈夫、大丈夫!』って背中をさすってくれたんです」

 ローゼンはくりっとした目を大きく見開いたあと、ゆっくりと微笑んで頷いた。

「ローゼンさん、行ってきます!」

「行ってらっしゃい。気をつけてね!」

 ガチャン。


「ちょっと聞いてますかデコポンさーん!」

 西羅が薫の顔をベシベシと叩く。

「あぁごめん。聞いてなかった」

「能力の使いすぎか? 一回休む?」

「いや、大丈夫、大丈夫!」

 西羅はニコッと笑う。「おーけー!」

「じゃあ話の続きね。ファーレンハイトの能力はおそらく虚構。最強の騎士オリーブに並ぶとされるファーレンハイトだから、その実力は底知れない」

「えっ、あの化物ってオリーブ並なの?」

「王族騎士団のオリーブ、一課のファーレンハイトって言われてる」

「そんなぁ……って弱音を吐いてる場合じゃあないよね!」薫は強くなった。「それで虚構ってどんな能力?」

「簡単に言えば、そうだな、ウチらの能力をメタってくるというか、超えてくるというか」

「俺らの能力の対処法を知っているってこと?」

「そんな感じかな。だから本来ちょっとやそっとじゃ死なない神話生物も一瞬でお陀仏」

「マジか、じゃあどうやって倒そう……」

「おそらく弱点があるはず」

「……あっ」薫がなにかに気づいたようだった。

「こんな時にうんち? まさか、漏れた……?」

「ファーレンハイトってどうやって閾巫女を操ってるんだろ? そもそもアレ、閾巫女に自我はないよね?」

「間違いなく操られてる。そうか確かに……、ファーレンハイトの能力ではなさそうだし」

「能力を使わずに操ることって可能なの?」

「ちょっと待って、そんな話どっかで聞いたことある……」腕を組み目をつぶって唸る西羅。チラッと片目を開けると、薫のズボンのポケットから顔を出すうさばくと目が合った。「あ、あ!!」

 薫はポケットからうさばくを取り出す。「うさばくちゃん可愛いよね!」

「可愛いけど今はそこじゃない!」

「えぇ……」

「うさばくちゃんにはある設定があってね。ばくくんっていう友達がいるんだけど、うさばくちゃんは時々ばくくんを操って悪いやつを懲らしめるんだ」

「自分の手を汚さず敵を屠る合理的で冷酷なやり口。可愛いくせになんて奴、なんて世界観……!」

「それで、なぜ操れるかといえば……」

 薫はうさばくを見る。「あ!! キメラ!」

「その通り! そしてうさばくの弱点はまさにそのキメラの部分」

「ばくの細胞の部分が弱い……!」

「おそらくファーレンハイトも閾巫女の細胞部分だけは炎化できない」

 薫の目が輝く。「……光が見えた!」

「だがその弱点、ファーレンハイト自身が一番よく知っている。簡単にはいかない」

「連携だね」

「うん!」


「まず、放花発動直後に私がファーレンハイトに向かって斬閾を打ち込む。閾巫女が反応してくるはずだから、デコポンは閾巫女の無効化よろしく!」

「おっけ!」

「ファーレンハイトは斬閾の相殺をするか避けて反撃するか、どちらかの行動をとる。相殺をするなら、閾の出どころから閾巫女の細胞部分がわかる。反撃する素振りを見せてきても炎化させて閾巫女の細胞部分を見つけ出せばいい。ここまではバッチグー?」

 薫はとびきりの笑顔で「バッチグー」とこたえた。

「どちらにせよ私をファーレンハイトの背後までワープしてほしい。ファーレンハイトは先ほどみたいに身体を炎化させるはずだけどそこが狙い目。炎化していない部分を透明化させた紫電で斬る」

「西羅さんの斬閾じゃダメなの?」

「斬るのは閾巫女の細胞だからね。閾でガチガチに固められているはず。だから紫電に私の閾を纏わせて、閾を相殺した上で確実に斬る」

「西羅さん自身を透明化させるのは? 俺の隣には西羅さんの分身を置いておけばいいし、炎化で閾巫女の細胞部分を見つけ出すのも分身に任せればいい!」

「いいね、採用!」


 決戦の時。

「デコポンも透明化させられたら良かったんだけど、紫電にバフをかけてそれを譲渡するのが精一杯だった。ごめんよ」

「大丈夫だって! 俺案外動けるし、西羅さんが一発で決めてくれるから」

「うん、そだね」

「あ、そうだ。もしダメそうなら俺飛んでいくから。一回限りの解釈拡大ってやつ!」右手をにぎにぎしながら、薫が笑う。

「お、何かいい能力考えたな! それをお披露目せずに終わることを祈ろう!」

 ふたりがふぅと息を吐く。「お寿司、覚えてる?」

「もちのろん!」

「じゃあさっきと同様、手を叩いたら放花発動で!」

「おーけー!」

「じゃあいちにの──」

 パチン。


 油断?

 否、絶望。

 この展開を想定できるものは誰ひとりとしていなかった。西羅でさえ、この考えに至るまであと一歩及ばなかった。


 西羅がファーレンハイトに向かって斬閾を放つ。案の定、閾巫女βが反応しようとするが、その前に薫の吸放花で無効化。透明化させた西羅をワープさせ、ファーレンハイトは炎化。予想通り、腹部に炎化しない箇所がある。あとは斬るだけ──

「さすがだな、ベストタイミングだ──」

 突如闇から迫る何者かの気配。薫に向かって剣を振るう。薫は間一髪紫電で凌いだが、その正体。

「──オリーブ」


「デコポン!!」西羅の叫びは薫へ届かない。

 ファーレンハイトが炎化した手で西羅をつかむ。西羅は氷塊を発動させるが炎の威力はおさまらない。

 閾巫女βの無効化解除、西羅の斬閾を相殺。ファーレンハイトはさらに炎の威力をあげる。

「神の前で死ねるんだ。光栄だろう?」

 ザシュッ。

 西羅は自らの腹を斬り、上半身だけで宙に浮く。

 指パッチン。

 ファーレンハイトめがけて大量の水が降りそそぐ。薫が鳥麟狩戦で使用した必殺技、滝行スプラッシュの模倣である。このとき既に西羅の身体は完全に治癒していた。

「あぶね、空論創造なかったらすっぽんぽんだったわ」


「デコポン大丈夫!?」薫のもとに着いた西羅。その先の光景。

 グシャリ。

 薫がオリーブの剣で右腕を斬られるまさにその瞬間である。

 落ちる腕、飛び散る血液、喚く薫。そして、はやくも剣を振るうオリーブ。

 目の前が暗くなる。

 動かなければ、動かなければ。治癒したばかりの下半身が言うことを聞かない……それがどうした、身体を動かせ、頭を動かせ。創造するか、いやそれでは間に合わない。今一番速く動けるのは自分自身のはずだ。今動かなければ、デコポンは死ぬ。

 いやよく考えるんだ、そもそもデコポンはなぜ能力を使わない? オリーブの攻撃をかわすのに手一杯で能力を発動する余裕がないのか? もちろんそれもあるだろう。だが、あえて使わないという選択肢。オリーブに能力をみせないという作戦。全てをひっくり返す準備をしていたというわけだ。そう、あの時言っていた、一回限りの解釈拡大のために。

「ナン!」

 薫が叫ぶ。西羅の瞳孔が開き、瞬時にオリーブの間合いに入る。

「貴様ら、私が誰だか知っているだろう?」オリーブ、最強の騎士であり、正義の代理。

 薫がこたえる。

「ああ知ってるよ! ほうれん草のカレーだろ!」

 薫の左手には先ほど斬られた右腕が握られていた──西羅が手渡したのである。

 西羅が鎖でオリーブを固定、薫は瞬時にオリーブの背後に移動。オリーブはすぐに鎖を破壊し、間合いにいた西羅に剣を振るうが既に西羅はいない。

 オリーブ、背後の薫に向かって斬閾発動。そこには──ファーレンハイト。

「なぜそこにファーレンハイト、貴様がいるのだ!?」

「オリーブ、お前は強すぎる。強すぎるが故に戦う相手を知ろうとしない。だから私はお前のことが嫌いだったのだ」

 オリーブの背後、右腕を持つ薫。

「人のカレーにナンをつける時の流儀をお前に教える!」

 オリーブは斬閾を発動したため、しばらく閾が乱れており、纏閾も斬閾も使えない。

 グシャリ、巨大な十字架がオリーブの腹部を貫く。身動きが取れない。「くそっ!」

「ナン!!」

 右手をオリーブの背中につける。するとそこから植物が生えてきて、花が咲く。生命を吸い取る吸花である。

 能力の代償として薫はしばらく動けなくなる。薫は力尽きて地面に横たわる。

「オリーブも閾巫女も役に立たない。閾巫女、戻ってこい。没収だ」

 オリーブの斬閾で大きな傷を負ったファーレンハイトがようやく立ち上がる。

「おい、閾巫女。聞いているのか!」

「そんな大きな声出さなくても聞こえてないから安心しろ」と西羅が言う。

 ファーレンハイトの足もとに転がる閾巫女の首。

 西羅は薫を安全な場所へ避難させる。「お疲れさま、カッコよかったよ」

「俺疲れてるのかな。西羅さんが俺のことカッコいいって言った気がするんだけど」

「悪い夢でもみてるんじゃない?」

「いや、良い夢だよ」

 西羅の左腕は大きく抉れ、右手はちぎれていたが、書籍姫の能力によって徐々に再生していく。

「おいおいあの短い時間でコレを倒したのかよ」ファーレンハイトが閾巫女の首を踏みつけ、潰す。

「合体した閾巫女の能力は悪夢。どこまでもうさばくちゃんだな、お前らは」

「なんだようさばくってよ」ファーレンハイトが不機嫌に叫ぶ。

「お前らの敗因はうさばくちゃんを知らなかったこと」西羅がにやりと笑う。「そして──」

 斬閾。ファーレンハイトの腹へ直撃。

「デコポンの力を見誤ったこと。この戦い、ぜーんぶ、ぜーんぶデコポンの手柄だ!」

 目の前、先ほどまでいた西羅がいない。お腹に違和感。まさか──

「人にはやるなって言ったのに、自分はめちゃくちゃ楽しそうにやるじゃん」薫が横たわりながら、ファーレンハイトの方を見て笑う。

「上には上がいるんだ。謙虚に死んで悔い改めろ」


「やっぱすげーや。西羅さん」

 ファーレンハイトの身体を突き破って現れた西羅。内側から紫電で斬り裂いたのであった。「どっこいしょ」とその場を離れるとすぐさま氷漬けにする。

「デコポンお花貸して!」

 薫から吸花を借りると、氷を粉々に砕いてそれを花で吸い取った。

「またデザートができた」西羅がニコッと笑う。「まあ実際、この方法が処理としては一番確実でいいんだよね」

「ありがとう、西羅さん。俺、強くなれた気がするよ」

「次はウチがいなくても勝てるくらい、もっともっと強くならなきゃね!」

「きびしいなぁ」と薫が力なく笑う。

 空間はもとに戻り、扉から猫を抱えた狐の子とヤンキーが駆けてきた。


 一方、東蓋とダンボ。

「あらあら、光風さんがいらっしゃったわ」

 アリアヒロインが上を向いて不敵な笑みを浮かべる。すると、上から光風霽月が降ってくる。

「アッハッハ! ダンボ、それと東蓋とやら、大丈夫か!? うん大丈夫そうだな、アッハッハ!」

「ダンボさん、あの人すごい笑いますね」

「ああ見えてめちゃめちゃ強いんだ。まあ抜けてるところもあるから困るんだがな」

「おや東蓋とやら、怪我をしているではないか! こちらへ」光風霽月が東蓋を呼び寄せる。怪我の箇所に触れると、たちまち傷が癒える。

「すごい! ありがとうございます!」

「ここは私の世界だからな! こういうことは容易いぞ! アッハッハ!」

 アリアヒロインが手を振る。

「ごきげんよう皆様、また会いましょう。うふふ」

「待て!」ダンボが追いかけるがすっと消えてしまった。「くそっ、逃げられた!」

 光風霽月が周りを見回す。

「ここにファーレンハイトと閾巫女がいないとなると、あちらの方か。どれどれ」

 光風が目を閉じ、手を合わせる。

「やはり大聖堂の方か。ほうほうオリーブもいたようだな。だが安心しろ、お前らの仲間は生きている!」

「良かった……それにしてもオリーブ……なんで」東蓋とダンボが目を合わせる。

「お前らの仲間の薫と言ったか、あいつはすごい腕前だな! 王族毒物三体を相手にして勝ってしまうとは。なかなかいないぞそんな奴! アッハッハ!」

「あれ……?」


 地下大聖堂。

「やぁ狐ちゃん、それとミステリーサークル。遅かったじゃん」早速西羅が絡みに行く。

「るせぇ! 空間が閉じられてて入れなかったんだよ!」画狂老人卍が想定通りの反応をする。「それよりどうなんだよ怪我とかは」

「ふたりとも無事だよ。デコポンの手当てをしてあげて」

「おいおい手ちぎれてんじゃん、大丈夫かよ。……これを無事って言わねぇだろ普通」

「ファーレンハイトと閾巫女、そしてオリーブを相手にこの怪我ですんでいるのは奇跡だ」

「オ、オリーブだと!」画狂老人卍が頭をかきむしる。「ファーレンハイトの野郎はあやしいと思ってたんだが、オリーブもかよ……、あぁもうわっけわからん! とにかくもうすぐ救護班が来るはずだから大人しくしてろ! 俺と鬼は残党が潜んでないか大聖堂をぐるっと見て回るからよ。お前も怪我ひどいんだから大人しくしてろよ、いいな!」

 ヤンキーと狐の子は奥の方へ見回りに行く。

 その様子を見ながら西羅は舌を出して「べーッだ」と言った。

「ねぇ西羅さん」

「うん、どした?」

「俺さっき思い出したことがあるんだ」薫はそう言いながら身体を起こす。

「大丈夫? 無理は良くないよ」西羅は心配そうに薫を見るが、薫の顔色が良くなっていることに気がつき、安堵して薫の話を聞いた。

「俺、幼なじみがいたんだ。八歳だから、小学二年生の時。その子、すごく元気な子でさ、俺にすごく構ってくるわけ。俺、小さい頃身体弱くて学校も休みがちだったから、その子からいつも元気をもらってたんだ」

 西羅は薫の隣に座り、頷きながら話を聞く。

「その子、漢字が得意でいつも漢字クイズを出してくるんだけど、全然わかんないの。『この漢字はなんて読む? 神様がいるところだよ!』えっと……うん、わかんないや。『正解はじんじゃ! 薫くんもまだまだだねー!』みたいな感じ」

「でも三年生になってクラスがバラバラになっちゃって。それでその子突然学校に来なくなるんだ。引越し? 引きこもり? 誰にも分からない。でもね、今ひとつだけ分かったことがあるんだ。それは──」

「おいてめぇら。救護班が来たぜ!」いいところで画狂老人卍がふたりに声をかける。

「話の続きは後で聞くね!」西羅が立ち上がり、救護班の方へ「こっちだよー」と手を振る。

 扉の方に向かう西羅。「西羅さんはどこ行くの?」

「ちょっとトイレ! 行ってきます!」西羅が薫の方を見て元気に笑う。

 薫もつられて微笑む。「行ってらっしゃい」


 二ヶ月後。

「……」

「どうしたの薫ちゃん、外なんか見ちゃって」

「あぁ社長。なにか大事なことを忘れているような気がして……いや、なんでもないです」

「そうか……、そういえばもうすぐ桜が咲くみたいだよ。時間の流れってのははやいね」

「薫さん、郵便が届いてます」

「あ、東蓋さん。ありがと」

「受験結果でしょうか?」

「どれどれ……、やった! 東蓋さんみて! ゲキドク2級受かったよ!」

「おお」パチパチパチ。

「おめでたいねぇ! じゃあおじさんの奢りで、みんなでお寿司でも食べに行こうか!」

「今度はちゃんとシャリも食べてくださいよ!」

 そこに西羅の姿はない。


 話の続き、わかるよ。「みんなその子のことを何一つとして覚えていない」でしょ。なんで分かるかって? 

 今から私もそうなるから。

 能力、空論創造。代償は、自分が生きていた痕跡が消えること。簡単に言えば、みんなから忘れられる。その子もきっと同じ代償を払ったんだと思う。「命を落とす」以外の重い代償だと、身体が動かなくなるか、みんなから忘れられるか、それぐらいじゃないかな。

 書類から記憶に至るまで、私に関するあらゆるものが消える。世界を歪めるほどの強すぎる能力、それゆえの反動。空論創造のキーアイテム、本を閉じた瞬間から私は世界から忘れられる。

 みんなから忘れられても構わない。ひとりは好きなんだ。あまりにも長すぎる人生と大きすぎる世界から取り残されても、私は自分の道を歩いていける。

 思い出がみんなの記憶の中から消えてしまうのは少し寂しい。でも普通に生活しててもいつかは忘れるわけで、遅いか早いかそれだけの話。あの時、バカ話したよなー。そうだっけ。そんな反応されたら少し寂しいだろ。でも寂しいという思いもいつかきっと忘れてしまうんだ。

 これから何をしようかな。事務所には戻れないし、寮も今ごろ私の持ち物は消えて、東蓋のものだけになっているはず。お金は消えるのかな? 消えてたら面倒だな、どうやって生活していこう。

 今まで自分が積み上げてきたものが全部消える。やっぱりわかってても悲しいな。まあでも、いいや、そんなことは。

 それよりデコポンや東蓋にはちゃんと生きていてほしいな。ちゃーんと人生送って、みんなに感謝されて。「ちゃんと」って何だろ。ゲキドクとして生きることは「ちゃんと」なのかな。おっさんは、まあ死んでもらってもいいや。

 ホントは能力を使うのがこわかった、そのくせ、能力に命を吸い取られてもいいやと思っていた。矛盾だね。死にたくないのに死にたいと願う矛盾。心の弱さなのかもしれない。でもそういう矛盾とか心の弱さがないと、人は温もりを忘れてしまう。色んなことを忘れたって構わない、だけど温もりだけは忘れちゃいけない。

 最後に、たぶん私には妹がいたんだと思う。その妹は覚醒した能力を使って死んで、その上みんなから忘れられてしまった。能力が暴発したと言うべきかな。それはいつの話か。

 私が自分の誕生日を忘れてしまったのは小学生の時。私の母が化物に襲われて相打ちで死んだのもそのくらいの時期。これも憶測に過ぎないけれど、何故かそんな気がするんだ。母が強い能力を使えば、その代償はその子どもたちにも及ぶ。血の繋がりというのはおそろしいね。私が自分の誕生日を忘れてしまったのはそのため。今は自分で決めた誕生日を言うことにしてる。

 今言ったように私たちの母は死んだ。そのショックで妹は能力が暴発したんだろう、私はそんなふうに考えている。

 覚えてない話をするのはあまり好きじゃない。変な人みたいに思われたら嫌だから。でもデコポンなら信じてくれたかもしれない。結局話すことはできなかったけど、次会ったら話してみたいな。あのときの続きの話を、って言いながら、またくだらないことをして、昼ご飯食べて、買い物して。

 妹がデコポンの幼なじみだといいなぁなんて、話を聞きながら思ってたんだ。だって自分のことを覚えてくれている人が、自分の好きな人だったら嬉しいよね。ま、妹がデコポンを好きだったのかは分からないけど。

 楽しかった、じゃあね。って誰に話しているんだか。


 ファーレンハイト戦の三日後、西羅の誕生日。その日の夕方、あのお寿司屋さんで、銀髪の少女がひとり黙々とお寿司を食べていた。シャリをのけてネタだけを食べ、その後お皿に盛られたシャリを食べる。

 雪──別名、不香の花。

 ヘアゴムについている一輪の花が透き通るほどに白い。花びらが一枚ひらりと落ちる、花が泣く。

 お会計を済ませ、静かに店から出る彼女を照らすのは、あの時と同じネオンライトである。日はもう既に沈んでいた。


 ──第1部「世界がひっくり返ってもあなたのもとへ」【完】


 第2部「過去と今と未来の私(仮)」へ続く。

 西羅はファーレンハイト戦から約2カ月後、神樹様と戦い、敗れ、死んだ。彼女が死んだことを知っているのは私とこれを読んでいるあなたくらいのものである。また、この時以降、神樹様の姿を見たものはいない。


 神樹様とは、厳格で壮大な父(神様)と心優しい母(人間)が溶けて混ざりあった生物または概念である。魔魅反魂香は神樹様の子どもであり、神樹様が創り出した唯一の「代理者」である。大地に根を張ることでしか生きられなくなった神樹様の代わりに、世界の安寧を守る役割を与えられた。

 魔魅反魂香(神樹様の代理)が最初に創った代理者は瓏仙(代理の代理)という女性である。その後、ほかの代理者を創り出していく魔魅反魂香(ちなみに、瓏仙は生涯でただ一度だけ代理者を創造しかけたことがある。その方法は神樹様や魔魅反魂香と全く異なり、お腹に子を授かるという方法、それも処女懐胎であったが、死産であった)。だが、その中に裏切り者がいることを見抜くことができなかった。

 裏切り者とその子孫を神樹一族と呼ぶ。裏切り者の名は魔魅反魂香が没収したため、毒の代理という通称が用いられることが多い。毒の代理とその一族は毒を放出して自在に操ることで神樹様を殺そうとした──なぜ殺そうとしたのか、それは異質なものの排除という、生物が持つ本能、或いは合理的思考の産物のためである。だがあと一歩のところで神樹様は毒に対する耐性を獲得し、毒の代理を取り込んでしまう。毒の形質を変化させて操ることで、裏切り者の一族を抹殺しようと企んだ。

 神樹一族は次々と死んでいった。毒の範囲があまりにも広大であったため、被害は神樹一族ではない人々にも及んだ。このまま神樹一族が全滅するのかと思われた矢先、彼らの中からあらゆる毒に耐性を持つ者たちが現れる。彼らは特殊な防御本能で毒から身体を守っていたのである。現在、人々はこの防御本能を〈閾〉と呼ぶ。

 閾を持つ第一世代は皆に閾を与えた。一度閾が与えられた者はそれを意識的もしくは無意識的に理解した。閾の情報は遺伝子に刻み込まれ、次の世代にも受け継がれた。

 閾によって毒に耐性を持った人類。だが毒による身体への負荷を完全に消し去ることができたわけではない。その負荷は〈能力〉発現という突然変異をもたらす──能力は全ての人間が発現するわけではないが、あらゆる人間は能力を発現する可能性を有している。

 この頃から人類は神樹様とそれが生みだした者たちを化物と呼ぶようになった。そして能力は化物を討伐する決定打としての役割を担うようになる。


 魔魅反魂香は毒の代理との戦いで一度死んだ。瓏仙も、魔魅反魂香がそれまで創造した代理者も皆死んだ。

 だが魔魅反魂香だけは生き返った。それが奇跡なのか必然なのかはもはや誰にも分からない。彼の眼には毒を放出する神樹様と次々と倒れる人々の姿が映っていた。神樹様は自我を失い、ただひたすらに毒を放出する機械と成り果てていた。

 生き返った魔魅反魂香は毒に対する耐性を獲得していた。また彼は透明化に近い能力を発現しており、それが幸いして、誰にも狙われずに代理者を再度創造し始めた。しかしどれだけ代理者を創ってもそれら全てが毒に身体を蝕まれて長くは持たない。

 神樹様を切り倒そうとも考えたが、ある時、閾という防御本能を持つ者の存在を知る。魔魅反魂香はそのうちのひとりを生け捕りにし、解剖、分析することで、創造した代理者に閾を与えることに成功。それまでの鬱憤を晴らすように次々と代理者を創造していく。この頃から、先ほども言ったように「化物」という名称が用いられるようになり、化物(神樹様側)と人類(神樹一族側)の対立が激化するようになる。


つづく

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