【第5部:私だけがいない世界】第36話「脳漿の雨」
アウフヘーベンは道すがら殺した化物を指折り数える。
「えぇっと。名前聞き忘れたのが3体で、霧散ノード、キリエ・エレイソン、オールド・ルドルフ、徘徊街界、あとは……忘れました。いっぱいいますね、三毒もどき。あと一人の三毒は果たしてどこにいるのでしょうか」
アウフヘーベンの後ろから誰かが叫ぶ。
「待てそこの白い髪の奴ぅ! お前強そうだからわっしが殺す!!」
アウフヘーベンは振り向く。そこには子どものようにあどけない顔をした化物がいた。淡い緑色の瞳は翡翠のように輝き、同じく淡い緑色をした髪は首下あたりの長さで整えられている。
「待ってほしいなら強引に足止めすれば良いのでは?」
「たしかにそうだなぁ! お前頭いいなぁ〜!!!」
化物は「よーし!」と元気よく言ってパチンパチンと二回手を鳴らす。
「電光影裏斬春風。能力発動。ティータイム、ピカレスクレコード、マイナスデータベース、閃輝暗点ネットワーク、雪月花幽霊、諸々泥々、虚構ボストン、架空脳、月死美人、他私、動望彩零」
アウフヘーベンは目を見開く。所有する能力の多さ、そしてその効果。人の持つ感覚を全て潰して偽の感覚へと書きかえる。常人ならこの時点で死んでいるか、ゾンビになっている。
この化物こそ私が探し求めていた三毒だ。それも、おそらくは彼女を作りだした者以外、彼女が三毒であることを知らない。非存在、不在の三毒、もしくは現存在化した三毒。規格外……いやそれはまだ分からない。分からないが、現存在であるならば、あの化物は底なしだ。
化物は指パッチンをしてニヒッと笑う。
「耐えろよ白蛇、わっしの臨毒は骨に響くで!」
「大丈夫、あなたの期待に応えてあげます。全部呑み込んであげますよ」
「へへっ、腹が爆発しても知らねぇぞ!!」
化物は臨毒──ギフテッドが有する奥義──を発動する。
「臨毒、全て私のお茶!!」
化物名、茶々丸。お茶の代理。
「チャチャッと行くでぇ!!!」
茶々丸がアウフヘーベンの目の前まで移動する。アウフヘーベンは斬閾を放つが、茶々丸は難なく避け、生成した剣でアウフヘーベンを斬る。アウフヘーベンは斬閾で茶々丸の腕を斬り落とすが、実際斬り落としたのは自分の腕であった。幻覚か傷の贈与か、分析をする間もなく、というより、分析を妨げるように毒が体内を蝕む。
アウフヘーベンは茶々丸を蹴り飛ばす。茶々丸は飛ばされるさなか、ニヒッと笑った。
アウフヘーベンは気づいた。茶葉が身体に付着している。それに気づいた瞬間、茶葉が爆発し、アウフヘーベンの四肢は吹き飛び、身体が溶けた。
「まだまだこっからだよなぁ!!!」
茶々丸は軽やかに身体を起こし、ポケットから茶葉を取り出し「それ〜!」と言って宙にばらまく。茶葉が風に乗って飛ばされ、建物に付着して次々と爆破する。
アウフヘーベンは身体を再生させる。
「あぁしんど。なんでクソガキはどいつもこいつも強いんでしょうかね」
アウフヘーベンは斬閾で茶々丸を袈裟斬りにする。茶々丸の胴体はばたりと後ろに倒れた。
「まだまだこっからですよね?」
とアウフヘーベンが言う。
茶々丸は下半身を再生させ、身体を起こし、斬られた下半身のショートパンツと下着を脱がしてそれを履く。
「よぉし!!」
茶々丸はポケットから茶葉を取り出し、それを自分の口に放り込んでもぐもぐと食べた。
「うわぁ茶葉食べてる」
とアウフヘーベンがドン引きする。
「さぁ次ぃ!!」
わっしは全てが欲しい、とは思わん。全知全能とかも興味ないし、神になりたいとも思わん。そりゃ強い方が良いとは思うよ。強いと何かと得があるし、弱っちくてすぐ死ぬよりは自分の身を守れるくらいの強さはあった方が良い。それに、この力は魔魅の兄貴から与えられたものだけど、それを使いこなすのは自分なのだから、技術を磨くとか、できないことができるようになるっちゅうことは楽しいよ、ほんまに。
でもな、強いやつと戦わなあかんのはしんどいし、疲れる。目の前のアウフヘーベンなんか、どうやって倒すん? 死なへんやん。死なへんやつ倒すってどないすりゃええねん。動き止めるか。いやいや毒効かへんかったやん。思考を混乱させるのが精一杯やで。困ったなぁ。チャチャッとやれる相手じゃないのは分かりきってたけど、このまま持久戦になったら、わっし死んでまう。死ぬのは痛そうだから嫌やなぁ。
死んだら地獄かな。天国には行けるわけないし、そもそも天国なんてあるんけ? 良いことしたら天国行けるんやろ。だったらみんな地獄行きや。天国スッカスカやろ。誰もおらんから神のあんちゃん寂しがっとるやろなぁ。独りぼっちは寂しいもんな、なんて、あれはええ言葉やね。わっしも一回言ってみたい。
でもそもそもわっし、ひとりぼっちやったわ。かなしいなぁ。周りは敵だらけやし、代理者のやつらも何考えとるかわかったもんじゃない。例えばあれ。魔魅の兄貴の妹やったか、あれが裏切りもんだった、とかね。あの時は裏切りもん成敗できてせいせいしたけど、他のやつは何か色んなこと企んどったみたいやし、まぁわっしも話は聞いとったからその企み自体は知っていたわけで、それでもなんか引っかかる部分があるというか。裏切りもん成敗できて良かったね、でいいじゃん。代理だの始原だの、そっちが目的だったわけで、裏切りもんのことはついでに殺しとくかって感じで腹立つ。組織への忠誠はないんか、悔しくないんか。いや、よう考えたらわっしも忠誠心ないわ。あんなやつらとおんなじか、嫌や。それに今思うと魔魅の兄貴の妹のこと全然知らんわけで、そりゃ裏切ったのは悪いことやしムカつくけど、わっしが直接裏切られたわけやないしよう考えたらムカつき度合い弱めやな。裏切りもんの成敗って祭りみたいでええけど、終わったら孤独や。
寂しさ紛らすためにでっかい声出すと、なんかどっと疲れるわ。でも弱気だと、弱気に呑み込まれそうになる。めんどくさいね。あぁ疲れたらお腹すいたわ。さっきアドリブで茶葉食ってみたけど1ミリも腹の足しにならんし、別に能力が強化されるわけでもなさそうや。あぁオムスパ食べたい。
「オムスパですか?」
とアウフヘーベンが首を傾げる。
あぁしまった、心の声が出ちゃった。
「オムスパっちゅうのはオムライスとスパゲティを組み合わせた最強の食べ物やで。だってよう考えてみぃ。オムライスも美味いし、スパゲティも美味い。あぁでもライスはないからオムライスじゃのうてオムや。オム。まぁそんなことどうでもええけど、オムとスパが同時に食えるっちゅうことは、臨毒を二個同時に使うくらい凄いことやんか。いや、臨毒二個使うんはわっしもできるからそんなすごないか。良い例えが思い浮かばれへんけど、とにかくすごいんや。それが鉄板の上に乗ってジュージューいいながらトマトケチャップのにおいをただよわせてテーブルの上に置かれるの想像してみぃ。思わずおほほと声が出てまうわ。あぁ腹減った。てかわっし何ぺらぺら喋っとんね。喋ったら余計お腹すいてきた」
わっしなんでこんなこと喋ってるんやろか。口調も心の中の口調やし。腹減ってるせいで頭ん中の糖分が不足しとるんやろなぁ。
それにしても困った。オムスパ食いたいけどアウフヘーベン倒せる気せぇへんし、なんならいっそのこと逃げてみるか。でも殺すって宣言してしまったし、ここで逃げるとカッコ悪いよな。いやいや誰にカッコつけてんねん。アウフヘーベンにカッコつけてどうするん。それに逃げたところで、逃げたことに対する罪悪感のせいでオムスパ美味しく食べられなかったら意味ないし。しゃあない、あんまやりたくないけど臨毒二個使ってアウフヘーベンぶっ殺すか。二個と言わず三個でもいいな。よし決めた、オムスパのために戦うぜ!
だがアウフヘーベンの返答は意外なものだった。
「オムスパ私も好きですよ。そういえば、あっちの方に美味しいオムスパ食べられるカフェがありましたね」
それを聞いた茶々丸の目が輝く。
「それホンマかいな?!」
「えぇホンマです」
「どこ?」
「一緒に食べに行きます?」
「行く!!」
茶々丸は戦いのことなどすっかり忘れてアウフヘーベンとオムスパを食べに行った。アホである。
「美味いなぁ!!」
鉄板の上に乗った熱々のオムスパをはふはふ言いながら食べる。よっぽどお腹がすいていたらしい。とても美味しそうに食べる姿は化物ではなく一人の可愛らしい娘だった。
「私が奢ってあげるので、暴れ回るのはやめてくださいね」
「しゃあない。わかったで!!」
茶々丸はオムスパによって懐柔された。何やっとんねん。
だがこれは二人にとって最適解かも知れぬ。なぜなら二人戦ったところで決着がつかない可能性の方が高いからだ。
まず茶々丸はアウフヘーベンを倒すことができない。これは茶々丸が弱いからではなくアウフヘーベンが死なないからである。茶々丸がいくら暴れ回ったところでアウフヘーベンの性質が変わるわけではないのだから、正攻法でアウフヘーベンを葬り去ることは不可能である。
次にアウフヘーベンは茶々丸を倒すことができない。これは茶々丸が全てを手に入れる方法を知っているからである。アウフヘーベンは止揚すなわち純粋化、要は捨てることでその力を増していくわけだが、茶々丸がアウフヘーベンをも手に入れた場合、ジ・オール・マイティーとアウフヘーベンの悪魔の組み合わせにより、永久機関が完成する。拾い、捨てて、拾い、捨てて、拾い、捨てる……。その繰り返しにより茶々丸の力は膨張し続け、いずれ小宇宙になる。それを神という容易い言葉で表していいものか、むしろパラレルワールドとも呼ぶべき「世界」が創り出されるのではなかろうか。茶々丸は世界の座として、与え、奪う存在になる。問題となるのはその存在さえも捨てた時、彼女はそれをどう拾うのかという点である。その答えは推測の域を出ないが、その時、パラレルワールドが誕生する。捨てた存在を拾い上げるため、存在がいまだ存在しているパラレルワールドが無から突如として現れる。そのとき、拾ったものはズボンのポケットの中にしまうのだから、もとの世界は消え、パラレルワールドだったものが今や主軸となる。
と、ここでひとつ考えるべきは、存在を捨てるとはどういうことなのかということである。肉体を捨てたところで存在を捨てたことにはならない。存在を捨てるということは、その存在を捨てる存在があるということで、ではその存在はどのように捨てれば良いのか。困った。存在は底なしなのである。
ここで先ほどのパラレルワールドが再度登場する。存在を捨てるとは、「捨てる/捨てられる」ではなく、「自ら飛び込むこと」なのではないか。ではどこに飛び込むのかといえば、ここではないどこかと言うしかないが、ピューっと飛んで行ってたどり着く先は、大抵もといた世界である。存在は底なしなのだからぐるりと巡ってもといた所に戻ってくるのである。だとすれば、今までパラレルワールドだと思っていたものは実は世界の重ね合わせであり、飛び込んだことによってどこかに浮遊していた意識が戻ってくると、重なった世界の境界はみるみる溶けていっていよいよその区別がわからなくなる。そして存在を奪還した存在は、その存在をかけて再び存在を手放すのである。あっ、これは堂々巡りだぞ。
というような感じで堂々巡りに気づいた茶々丸はさらに、ドグラ・マグラがそうやって世界を更新し続けていることを看破して名探偵チャッチャーを名乗ろうかと思ったが、オムスパの美味さに気を取られて今の話をすっかりと忘れてしまったのである。
誰も知らぬこの仕組みだが、かつて西羅が命をかけて(存在をかけてと言っても良い)地獄を上を持っていき、薫がそれを引っ張って世界を落とし重ね合わせたのは、存在ではなく世界を飛び込ませているという点でそれの逆をやっていることになる。結果として世界は更新されたわけだが、堂々巡りが逆回転になった時、世界の動きもまた逆になる。代理者は始原へと歩き出し、死者は蘇り、脳漿の雨が降る。
血が混ざって薄いピンク色をした脳漿の雨が霧のように細かく降り注ぎ、止んだあとも空気と地面を淡いピンク色に染め上げる。誰も何も無い場所でただひとり、輪郭が不条理なほど曖昧になったその存在は、百年の月日を経て、はるか遠くの方に懐かしいあの人の面影を見る。
これはそう遠くない未来の話である。外では弱い雨が降りはじめ、傘を持っていない茶々丸はめんどいなぁと独り言をつぶやいた。
【アウフヘーベンちゃんのひとりごと】
仏教における煩悩、それの根本的なものとして、貪、瞋、癡がある。この三つを三毒というんだって。ふーんなるほどね。




