【第4部:頭蓋と天蓋のバラッド】第24話「ニーチェタイム」
彼女はアルカイックに微笑んだ。
──第24話「ニーチェタイム」
─1─
戦場の煙と土埃、崩壊した建物、灰色の空。その全てが命を拒絶する。鳴り響く銃声が隊士たちに命の自覚を強制し、無機質で空虚と化した意識は仲間の死を置き去りにする。
屍の上に築き上げられた文明と生活は、いまや屍の下に覆い隠されており、屍と文明の地層が形成されつつあった。人々は再び屍の上に文明を築き上げるため、戦争をする──地盤は強固であった方が良い。
戦況は芳しくない、それは彼女が少佐に就任し、第弎式空閾大隊を率いて戦場を奔走する以前の話である。彼女率いる空閾大隊の活躍により化物に占領されていた地域が次々と解放され、化物側の戦力は低減。また集団戦だけでなく圧倒的な個、すなわち王族毒物との戦いにおいても彼女の戦術と戦略、そして彼女が育て上げた空閾大隊は優位であった。王族毒物を次々と屠り、彼女は〈戦場のアカデメイア〉や〈黒曜のアテナ〉の二つ名で広く知れ渡ることになる。
彼女は左目に片眼鏡をしていた。彼女の瞳に関する噂は後を絶たず、「左目で過去を追想し、右目で未来を予測している」だとか、「左目は本物の黒曜石であり、それを悟られないように片眼鏡をしている」など様々な憶測が飛び交っていた。
「本日は天候も良く絶好のピクニック日和であるが化物たちは弁当を忘れてしまったらしい。だが残念なことに我々は超神話的=超人的リアリストに弁当を用意する慈善集団ではない。弁当を忘れた馬鹿どもにも聞こえるよう、『バナナはおやつに含まれますか』と大声で叫び、ポテトチップスの袋を見せつけて笑い転げることが我々の使命である。さて諸君、おやつはひとり300円までである。いくら馬鹿な敵とてその首を売り払えば300円くらいにはなるだろう。おやつを買うお金を稼ぎたまえ」
少佐は軍帽を被り直し、話を続ける。
「第一部隊、第二部隊は2時の方向から接近中の毒物ならびに劇物を始末、第三部隊は11時の方向の劇物を始末しろ。2時方向の敵、毒物の数は5、劇物の数はざっと500、毒物の能力はそれぞれ火炎、黒影、鵺、茨、多重弾である。敵正面に戦略的デコイを配置してある。化物の動きを注視しつつ、正面衝突を避け、第一部隊は左から、第二部隊は右から回り込み、左右から挟み撃て。厄介なのは黒影と鵺だ。黒影による攻撃無効化は第一部隊ハーベル軍曹の〈光焔〉で対処、鵺は第二部隊マーガレット伍長の〈真珠〉で封じる。その他の敵はハーベル軍曹とマーガレット伍長の邪魔にならぬよう早急に殲滅しろ。次に11時方向の敵だが、こちらは劇物300体ほどの雑兵だ。第三部隊ループレヒト伍長の指示のもと、一体残らず殲滅しろ。第四部隊はひとまず待機、戦況を注視しつつ、必要に応じて指示を出す。以上。戦闘態勢が整い次第、各隊長の指示のもと発進せよ」
「こちらハーベル、了解」
「こちらマーガレット、かしこまりました」
「こちらループレヒト、バッチグーであります!」
「こちらレンゲース、了解であります」
各隊からの応答を聞き、少佐はアルカイックに微笑む。
「第一部隊、発進」
「同じく第二部隊、発進します」
「第三部隊、いっきまーす!」
少佐は黒曜石のように黒く輝く瞳で戦況を眺める。大隊はそつなく化物を殲滅していく。
「今回も大丈夫そうですね」
少佐の隣に立ち、少佐と同じく戦況を眺める水色の長髪の彼女はベーレン少尉である。もともと下士官だったが試験に合格し少尉となった人物であり、現在では少佐の右腕として少佐を補佐している。
「あ」
「どうされました?」
少佐は通信で隊員らに指示を出す。
「第四部隊は2時方向の敵の殲滅に回れ。火炎、茨、多重弾の化物は中距離の攻撃ゆえに懐に潜り込めば容易に殲滅できるはずだ。それと、第三部隊の援護にベーレン少尉を向かわせる」
「え、私ですか?!」
「どうした少尉、つい最近まで前線で敵をなぎ倒していた貴官であればあの程度の敵、御茶の子さいさいであろう?」
「え、えぇまぁ……」
「まさか少尉に昇任して、身体だけでなく闘争心も凝り固まってしまったわけではあるまいな」
「いえ、そんなことはありません!」
「では少尉、戦争を楽しんできたまえ」
「はっ!」
劇物300体ほどの雑兵。違う。あれの“正体”は従者の斬首をトリガーとして顕現する王族毒物である。
「やけに面のいい魔王ではないか。貴様、顔採用か?」
「中枢を壊せば天空の城は瓦解する。そうだろう? 黒曜のアテナさんよ」少佐の前に悪魔の角を生やした黒髪の王族毒物が現れた。
「今までの敵と格が違う……」レンゲース曹長が絶望の表情でつぶやく。少佐の眼前の敵は王族毒物の中でも上澄みに思われた。
「少佐殿!」ベーレン少尉が叫ぶ。隊員らは少佐のもとに全速力で向かうが距離が離れておりすぐにはたどり着かない。
「間に合いません! 何とかならんのですか、ハーベル軍曹!」マーガレット伍長がハーベル軍曹に叫ぶ。
「この距離では援護もできん」ハーベル軍曹はマーガレット伍長とは対照的に冷静に状況を分析し、その上で「たとえ我々が援護できたとしても足手まといにしかなるまい」と答えた。
「歴戦の猛者なんじゃねえのかよ、ハーベル軍曹!」隊員が叫ぶ。
「少佐を信じることだ」ハーベル軍曹はそう答えた。
少佐は通信で隊員らに命令を下す。
「諸君らはおやつ代を稼いだだろうが、私も諸君らと共におやつを嗜みたいと思っていたところだ。引率者はいろいろと頭を使うから特別に1,000円まで認めることにして、コイツの首は私ひとりで貰い受けることにする」
「しかし……!」ループレヒト伍長が曖昧に返事をする。
「横取りする気か?」
「い、いえ!」
両者動き出す。
魔王は杖を駆使して大魔道砲を連発する。紫黒雷と青炎が少佐に襲いかかる。
「凄まじい衝撃です……!」ベーレン少尉が衝撃波によろめきながら少佐の方を見る。
少佐は苛立っていた。
「その魔道砲はもしやブラフのつもりか? 貴様は暇かもしれんが私は非常に忙しいのだ」
「これをブラフと見破るか……バレちゃしょうがねぇ」
魔王は手のひらから火の玉を召喚した。
マーガレット伍長は気づいた。「あれは……太陽!」
「太陽?! バカ言っちゃいけないよ!」ループレヒト伍長は驚いてマーガレット伍長の方を見る。
「バカなのは化物の能力の方です! それより本当に見ているだけで良いのですか?! 何か、少佐を手助けする方法を……」
「ない」ハーベル軍曹が答える。「少佐が望んだことだ。待つより他はない」
魔王は火の玉を解き放つ。「わかっちゃいるだろうが、これもブラフだ」
魔王は大魔道砲の精度を上げて連発しつつ、さらなる技を繰り出す。それは、黒紫雷と青炎と太陽を融合させて作り上げた〈新たなる世界〉である。空間を捻じ曲げ、新世界を創造し、理論上は現世界の全ての人間を消し去ることができる。
ベーレン少尉が少佐に代わり権限を行使する。「大隊諸君、戦略的撤退です!」
隊員らが無力感と焦燥を感じる反面、少佐は平生と変わらず冷静であった。
「驚いた、まさか私と同じ能力を使える者がいるとは」
「何?」
魔王の頭上に空を覆い隠すほどの巨大な蓮の花が咲く。
「華脳天蓋蓮々之髄。もちろんブラフだ」
「花の奥から懐かしい匂いがするが、まさか地獄に繋がってるんじゃねえだろうな」
「あれは扉だ。次はエクステリアでもいかがかな」
「その前に庭がねえだろ」
「あるだろ、この世界だ」少佐は手をめいっぱい広げる。
「なるほど」
「上には上がいるということを、死をもって実感したまえ」
「あぁ、投了だ」
魔王は少佐の手で屠られた。
─2─
魔王戦より数日後。この日大隊は少数の劇物を殲滅しており、各隊長の指示のもと連携をとりながら手際よく任務をこなしていた。
ベーレン少尉が少佐のもとに駆けつける。
「少佐殿、報告であります」
「どした」
「玊虁市彁々町にて化物の出現情報でございます」
「またか」少佐は頭を抱える。「あそこは何だ、化物の巣窟なのか?」
「その件に関しましては、調査は継続中との事ですが、いまだ詳細な調査報告は受けておりません」
「様々な利権が絡んでいるのだとすれば、その黒幕については何となく予想はできるが……。触らぬ神に祟りなしということだな」
「はぁ……」
「それで、街の被害についてはどうだ。どうせ大したことはないのだろう? 下の連中か民間にでも任せておけば良い」
「それが、現時点で被害は確認されておらず、その、普通の化物ではないと言いますか……」
「なんだベーレン少尉、奥歯に物が挟まったような言い方だな」
「えぇそれが……、この件が果たして公ゲキ一課の受け持つべき案件なのかどうか疑問に思うところがございまして」
「と言うと?」
「人間の父と結婚をした化物の母がいる、とのことでして。その化物の特徴や所在などに関しては不明です」
「それで、その母を殺せと」
「そうでございます」
第一部隊ハーベル軍曹より通信。
「こちらハーベル、劇物の殲滅完了しました」
「ご苦労であった。撤収の準備をすすめよ」
「了解」
通信終了。
少佐はベーレン少尉に視線を向ける。
「子どもは?」
「子ども、ですか?」
「人間と化物の間に万が一子どもがいたとすれば、その子どもは厳重な監視下のもとで保護をする必要がある」
「確かに法律ではそう決まっておりますが……、人間と化物の間に子どもができるというのは……」
「生物学的にはほぼありえない、というのが現在の定説だな」
「はい……、血の繋がりのない子どもがいる可能性はありますので、そちらの方向で調査をすすめます。化物はどのように対処しましょう?」
「我々の関与を疑われない形で処理を進める。化物の特徴、所在、能力等に関して毒物データベースも参照しつつ、ここ数年観測が途絶えている化物を中心に探りをいれろ。くれぐれも隠密にな」
「かしこまりました」
「それと、化物の正体が判明したとしても、我々の手で殺すことはしない」
「……ではどのように」
「追って指示を出す。まずはその化物について調べ、わかったことがあれば報告してくれ」
「かしこまりました」
ベーレン少尉がその場を離れ、少佐はひとり戦場を見つめる。彼女は齢20歳に満たない年齢でありながら、端正な顔立ちと黒く艶のある長い髪、戦場をくまなく見渡す長身と黒い瞳が彼女を大人びた印象にさせている。
─3─
少佐は席につき書類の整理をしている。
ベーレン少尉が扉をノックして「失礼します」と言い、部屋に入ってくる。
「少佐殿、王族毒物と思われる化物の出現情報です」ベーレン少尉が言う。
「どうせまたあの街なのだろう?」
「そうです」
「市街戦は面倒なのだが仕方ない」
少佐は席を立つ。「緊急部隊は配置済みか?」
「はい。ですがまるで歯が立たないようです。被害を最小限に抑えるのが精一杯との事です」
少佐は出動の準備をする。
「王族毒物のくせに、なぜ王族騎士団ではなく私の方に依頼がくるのか。王族毒物を殲滅しない王族騎士団など税金の無駄ではないか。さっさと解体されれば良いのだが……。そうだ! 次の参謀会議で王族騎士団の撤廃について提案してみることにしよう! うん、それが良い。余った税金の一部は我らが大隊に回してもらうのだ。なぁ少尉、我らが大隊があるのだから王族騎士団はもはや不要だと、そう思わないか?」
「少佐殿のおっしゃる通りだと思います」
少佐は通信で大隊に通告する。
「総員、出動準備。総員、出動準備。場所は玊虁市彁々町、殲滅対象は王族毒物と思われる。地点はベーレン少尉より連絡、詳細は道中に通達することにする」
現場に到着。
「おや、既に戦闘は終わっているようだ」少佐は慈悲深い微笑みで眼前の者たちを見渡す。
ベーレン少尉が少佐に耳打ちをする。
「少佐殿、あれは無宗教団体、〈林檎の心臓〉でございます」
「あぁ知っている。化物退治をしてくれたのだ。礼を言わなければ」
「少佐殿、あれに関わらない方が……」
「大丈夫だ」
少佐は〈林檎の心臓〉に近づく。
長い赤髪の若い女性が口を開く。どうやら彼女が〈林檎の心臓〉のトップらしい。
「遅いではないか公ゲキ諸君。化物はとうの昔に討伐してしまったよ」
彼女は後ろを指さす。そこには体長4~5メートルほどある化物が倒れていた。
「あぁそのようだな」
少佐は周りを見回す。
「礼を言おう」
「当然のことをしたまでだ」
「あなたは、E・バートリーだな」
「いかにも! 私も有名人になったものだな」
「バートリー、ひとつ聞いても良いか?」
「なんだ」
「人間を化物にする方法を知っているか?」
「知らないな。ははっ、面白いことを考えるお方だ。人間を化物に変えてどうするというのだ」
「気に障ったのであれば申し訳ない」
「気にしてないさ。もし私が“その方法”を知っていた場合、あなたはどうするつもりだったのだ?」
「いや、何も」少佐は微笑む。「誰にも気づかれないように化物を生み出し、それを公の舞台で討伐をする。お金が貰える。良いビジネスだと思わないか?」
「公ゲキの人間とは思えない発言だな」バートリーは怪訝な顔をする。
「失敬、今のは私が最近書いた拙い短編小説のお話だ。聞きたいか? 聞かせてやろう。このお話の登場人物は無宗教団体〈林檎の心臓〉所属のE・バート────」
「あぁわかったわかった、公ゲキ諸君が暇なことはよくわかったよ」
「平和を維持するための機関は暇であった方が良いだろう」
「はやく公ゲキ三課の人間を連れてきてくれ」
「そうしよう」
少佐はベーレン少尉らの元に戻る。
「大隊諸君、化物退治は既に終わっていたようだ。ここからは公ゲキ三課の仕事となる。来て早々悪いが撤収の準備をしてくれ」
「はっ!」
ベーレン少尉が少佐に話しかける。
「大丈夫でしたか、少佐殿?」
「〈林檎の心臓〉について調査してくれ。“例の件”とも少なからず関わりがあるかもしれない」
「例の件……あの件に関して〈林檎の心臓〉が裏で糸を引いているということでしょうか?」
「わからん。ただ、〈代理者〉と〈林檎の心臓〉が繋がっている可能性がある」
「なるほど」
「〈林檎の心臓〉が討伐した化物について調べてみれば面白いことがわかるかもしれない」
「かしこまりました!」
ベーレン少尉は敬礼をし、撤収と調査の準備のためにその場を離れる。
「全く……、面倒事ばかりが増えていく」
─4─
「少佐殿、報告であります」
「何だ」
「〈林檎の心臓〉に関する調査報告でございます」
「おぉ、どうだった?」
「まず、代理者と〈林檎の心臓〉との繋がりですが、こちらは両者の繋がりを示す証拠は出てきませんでした」
「そうか」
「ですが、〈林檎の心臓〉が討伐した化物に関して面白いことが判明しました」
「E・バートリーの血液か?」
「あ、そうです。さすが少佐殿。化物の体内からバートリーの血液が検出されたのですが、どうやら彼女は人間の体内に自身の血液を注入し、造りかえ、操っていたようです」
「やはりそうか。忠告しておいて正解だったな」
「忠告、ですか?」
「そうだ。誰にどんな忠告したかはいずれわかるだろう。それより少尉、ひとつ思い出したことがある。聞いてくれるか?」
「はい、何でしょうか」
「昨日、〈林檎の心臓〉の下っ端に銃を突きつけられたのだが、そのときに──」
「えぇ、ちょっと待ってください! 銃を突きつけられたって平然とおっしゃいましたけど、大丈夫でしたか?!」
「大丈夫だからここにいるのだ。話を戻すと彼らは神がうんたらかんたらと言っていた。彼らは世にも珍しい無宗教団体だが、宗教団体と同じように神がいなければ生きていけないわけだ。彼らはこう言っていた。『神を信じろと言うが、神はなぜ人々に信じてもらわなければならないのだ? まるで人に信じてもらわなければ消えてしまうと言わんばかりではないか』といった具合だ。つまり、彼らにとって、神樹を主として崇める代理者連中は天敵なのだ。まぁ代理者がどれだけ神樹のことを慕っているのかはわからんが、私からすれば彼らは中央集権からの脱却を目論むリアリスト集団にしか見えん」
少佐は片眼鏡を手に取り、レンズについた汚れを布で綺麗に拭き取りながら話を続ける。
「そこで私は彼らにこう言ってやったのだ。『神は死んだ。だが、我々が神の死について語るとき、神は至上の輝きをもって我らが現前に復活するだろう』と」
「はぁ……」
「正確に言えば、神はまだ死んでいない。神が死ぬのはもう少しあとのことになるだろうが、何にせよ彼らが代理者を利用しつつも代理者を忌み嫌っている特異な集団であることはこの件で明らかとなった」
少佐は片眼鏡をはめる。
「あ、そうだった。今朝からスマホが見当たらなくてね。探してくるから部屋で待っていてくれ。この部屋を空にするわけにもいかんしな。もし誰かがここに来たら『少佐はまだ来ておりません』と言っておいてくれれば良い」
「わ、わかりました」
少佐が部屋から出て1分ほどたった時、ドアがノックされ、ガタイのいい男性が勢いよく部屋へ入ってきた。
「少佐! あぁベーレン少尉か。少佐は知らんか?!」
彼はエリック中佐と言い、少佐の直属の上司である。口髭が特徴的で皆から「御髭中佐」と揶揄されている。
「少佐殿はまだ来ておりません」
「まずいことになったぞ……!」
「どうされたのでしょう、エリック中佐」
「どうもこうもない、少佐と連絡が取れんのだ! それでスマホの位置情報を調べてみたらなんと〈林檎の心臓〉のアジトにいることになっているではないか! 先日〈林檎の心臓〉の者たちと戦場でかち合い、口論があったのは少佐から聞いている。ここにいないとなると少佐はきっと攫われたに違いない! それにだ! 彼らはどうやら儲けのために化物を生み出していた可能性があるらしい。少佐が危険だ!」
「はぁ……」
「少佐の救助に向かう。〈林檎の心臓〉は只今より特定犯罪集団として撲滅の対象となる」
エリック中佐は通信器を取り出す。
「あ、あ、聞こえるかね公ゲキ諸君。非常事態だ。少佐が攫われた! 犯人は〈林檎の心臓〉の人間である可能性が高い。今から〈林檎の心臓〉にカチコミに行くぞ!」
通信終了。
「おいベーレン少尉、何を突っ立っているのだ! お前も行くのだぞ。さっさと準備をしろ!」
エリック中佐は急いで部屋から出ていく。ベーレン少尉はぽかんと口を開けてその様子を眺めていた。
「な、なるほど……」
─5─
少佐がスマホを持って戻ってきた。
「ただいま」
「少佐殿、報告であります」
「エリック中佐が死んだか?」
「ご存知でしたか?!」
「飛んで火に入る夏の虫というやつだ」
「は、はぁ……」
「ベーレン少尉は〈林檎の心臓〉に向かったのか?」
「い、いえ。その……」
「待機するように指示を出したのは私だったな。中佐ではなく私の方を選んだのは賢明な判断だ。おめでとう、ベーレン“中尉”」
「ち、中尉……?」ベーレン少尉改めベーレン中尉は困惑の表情を浮かべる。
「参謀本部の決定だ。先ほど決めてきたところだ」
「本日参謀会議があるとは聞いておりませんでしたが……」
「そりゃ、エリック中佐が死ぬから緊急参謀会議を開きましょうとは口が裂けても言えないだろう」
「……まさか最初からこうなることがわかっていらっしゃったのですか?」
「無策で〈林檎の心臓〉のアジトに飛び込むからそうなるのだ。私は、大隊諸君は育てたが、エリック中佐を“育てた”覚えはない」
「な、なぜこのようなことを……?」ベーレン中尉が恐る恐るたずねる。
少佐は簡潔に答えた。
「面倒事を減らすためだ。戦争だからな」
少佐は何かを思い出したかのような素振りをし、話を続けた。
「それと、私は今日から中佐になったからよろしく頼む。どうやら“たまたま”中佐の階級に空きができたらしい」
書籍姫中佐はアルカイックに微笑んだ。
〈無宗教団体──林檎の心臓〉
禁断の木の実(林檎)を食べたことにより私たちは初めて「時間」というものを知った。私たちの体内に流れる時間、それは心臓の鼓動であり、呼吸であり、記憶の蓄積であり、成長であり、死である。それら全てを意識することが可能になったということ、換言すればそれら全て(=私たち)が留まることなく移り変わっていくものだという発見は、私たちに「時間」をもたらし、太陽と月を与え、「永遠の不変」という理想を抱かせた。
禁断の木の実を食べたことを罪とするならば、私たちの中で時間という概念が生まれたことこそ罰である。どういうことか。私たちは「永遠の不変」という理想を抱くが、時間というものを知ってしまった以上、私たちはその場に立ちつくすことはできないのである。理想に近づこうとすればするほどその理想は遠ざかる。理想を知らない原初において、私たちは理想にいた。だがそれに気づけなかった、否、禁断の木の実を食べ、楽園を追放されたことにより、私たちは楽園にいたのだと事後的に気づいてしまった、それこそが罰なのである。
私たちは既に罰を受けた。前述の通り時間を知ることこそ罰である。罰を受けたのだから、もう罪の意識に囚われる必要はない。罪は傷口から私たちの身体を流れ去って、傷口が塞がらないうちに罰が入り込んできた。私たちは罪人ではない、ならば罪と向き合う時間はもう終わりだ。むしろ時間という罰に対してどう向き合うか、人生をどう生きるか、そのことについて考えていかなければならない。だが、私たちは理想を夢みたところで、もはや理想にたどり着くことはできないのである。では何をして生きる、人生は長いぞ、さあ行き詰まった。
〈書籍姫〉
時間は既にそこにあった。だがそれを知覚するために我々は罪を犯さなければならなかった。それが罪の意識である。
我々はその内にある罪の意識を取り去ることはできない。いくら罰を受けようとも罪を犯した事実を消し去ることはできない。時間が罰なのは、時間が罪の意識を増幅させるからである。すなわち、我々の罰は時間が経つほど重くなり、罪を犯したという事実は我々が死ぬまで永遠に体内を蝕み続ける。
我々は救われないのだから本来は死ぬしかないのだが、擬似的な救済によってかろうじて延命されている。その擬似的な救済措置を宗教というのであって、神はいないが、我々が生きるためには神に縋るしかない。
つかみどころがない、曖昧な話だろうか。いない神に縋るなど、馬鹿らしいと思うか? 確かに神はいない、だが神を創り出すことはできる。実在ではなく空想の神、それは例えば、今風の言葉で言うならば「推し」となるだろうか。もちろん推しだけが神になるわけではなく、趣味や仲間、憧れの人物、時には好きな食べ物でさえ、神になりうる。神はいないと認めるのは簡単だが、神の解釈を拡大させていけば、我々は誰かに(もしくは何かに)救われてここにいるのだから、神は我々の中にある。
神がいないために創り出された「妥協の神」、良いではないか。妥協は美徳である。理想は「そこ」にある。さあ救われなさい。




