【第3部:代理戦争】第15話「死にたまえ、大将!」
大将を全力で守りなさい
──第15話「死にたまえ、大将!」
天気予報、8月1日。
午後、晴れ。最高気温38度。
薫は台所で冷やし中華をつくっている。
「飯だぞ、がぶちゃん」
「はいよ」
普段鳥の姿をしているファーレンハイト──鳥の姿はエネルギーの消費が抑えられて意外と過ごしやすいらしい──は、食事の時になると元の姿に戻る。
ちゃぶ台に二人分の冷やし中華が並べられる。
「おい、トマトいらんぞ」
「好き嫌いするなって。優香さんがくれたやつだから美味しいと思うよ」
「優香、あぁ閾巫女に操られてたアイツか。閾巫女の毒素は抜けたのか?」
「どうだろ、でも目は視えるようになってるみたいだし、薄まってはいるんじゃない?」
「一度会って確認してみないといかんな」とファーレンハイトは言い、トマトを口にほおばり、酸っぱそうな顔をした。「すっぺえじゃねえか! 会って文句言ってやるか」
「たまたまじゃない? こっちのトマトは美味しいよ。食うか?」
「要らねえよ、燃やすぞ」
「そうか、ざんねん」
薫はマヨネーズを冷やし中華にかける。「がぶちゃんは冷やし中華にマヨネーズかける派?」
「なんだよその派閥。はじめて知ったんだが」
「そっか、ならがぶちゃんは今日から冷やし中華にマヨネーズかける派だね!」
「勝手に派閥に入れんな、名前なげえしダセェしよ……って何マヨネーズかけてんだよ! やめろっ!」
「食ってみなって、飛ぶぞ」
「んだよもう……」ファーレンハイトはそう言いながら、マヨネーズのかかった冷やし中華を食べる。「……悪くはないな」
「でしょ!」
二人は冷やし中華を食べ終わった。ファーレンハイトが、皿を洗う薫の背中に向かって話しかける。
「お前と西羅が反転させたバベルズだが、そろそろ化物側が解析を終えるはずだ」
「化物が動き出すってこと?」
「そうだ。はじまるぞ、代理戦争」
「準備はしてきた。あとはあっちがどう動いてくるか」
「初手ぶちかましてくるだろうな。バベルズを利用しようとして逆に行動を制限される羽目になったんだ、かなりイライラしてるんじゃねえか?」
「総力戦だね」
「あぁそうだな。もしかして怖いか?」
薫は皿を洗う手を止めて答える。「怖いよ、そりゃあ」
「そうか」ファーレンハイトは窓の外で立ち昇る入道雲を眺めた。「大丈夫だろ、こちとら百年だぞ」とぽつりとつぶやいた。
薫はファーレンハイトの言葉には応えず、ぼんやりと考え事をしていた──ファーレンハイトのことについてである。「ファーレンハイトは代理戦争で何をするの?」
「俺か? 俺は大将の首をとる」
「どっちの?」
「へっ、どっちもだ」
「順番を教えてよ」
「安心しろ、お前は後にしてやる」
「そんなこと言ってるけど、小鳥なんて握り潰して終わりだよ」
「おいおい言ってくれるな。これでも数分間は全盛期の動きができるくらい回復したんだぜ」
「数分間で大将の首がとれるの?」
「少なくともお前の首はとれるだろうな」とファーレンハイトは笑った。「ところでよ、俺やお前は良いとして、他の奴らは準備してるのか?」
「いつでも動けるようになってるはずだよ。もちろん第二課も」
「二課って言ったら軍隊連中か。厄介だろうな」
「二課ってやっぱり強いんだ」
「もともと俺が閾巫女を引き入れたのは二課に対抗するためだ。俺一人だけでアレを相手するのは骨が折れる」
「へぇ」
薫は皿を洗い終え、腰を下ろす。そのとき、チャイムがピンポンと軽く弾んだ音で客人の到来を知らせた。「はいはい」と薫が立ち上がる。
「誰だ?」ファーレンハイトが不審な顔をする。
プルルルル、プルルルル……、スマホの電話が鳴る。
「もしもし」
「やあ薫ちゃん、やっほー」
「社長、なんでしょう」
「さっき東蓋ちゃんがそっちに向かったからね」
「今ちょうどチャイムが鳴りましたよ。あけますね」
薫がドアの方へ向かう。
「待て!」とファーレンハイトが叫ぶ。「何かがおかしい」
「えっ、何が?」薫の手は既に鍵をあけていた。「あっ、今日社長と東蓋さんって出張じゃん」
電話は既に切れており、ギギギと軋む音を立ててゆっくりとドアが開かれ、ピンポンピンポンとチャイムが繰り返し鳴り響く。ドアの前に誰がいるというのか。自身をおびやかす不気味な何かがすぐそこにいる。薫は急いでドアを閉めようと思ったが身体が思うように動かなかった。ドアが開かれるごくわずかな時間、それが永遠に感じられるほどに時が重く、緊迫した空気で背筋に冷や汗が垂れ、空間が冷たく張り詰めた。
ドアの前、立っていたのは銀髪で蒼い瞳、水色のセーラー服を着た若い女性。にこやかに挨拶をする。「こんにちは、そして──」
女性は薫の手首を持ち、引っ張った。右手に鉈が持っているのが見えた。
「──さようなら」
薫は首を斬られた。
「あぁ愚かしい」と女性は言い、部屋の中を覗き込んでファーレンハイトを見る。「次はあなたです。こちらへいらっしゃい」
「水色」
「えっ」女性が下を見ると薫の生首と目が合った。なぜ、死なない。女性は思った。斬られた首を瞬時に閾で繋げたのか、いや、そもそもコイツ首から血が出ていない。もしや頭と首を閾で繋げていたのか。ということは、事前に首を斬って閾で貼り付けていたことになる。死なずにそんなことができるのか。方法は分からないが、どちらにせよ、私はこの人間を見くびっていたようだ。
「驚いた?」と薫が聞く。
「えぇ、とても」
女性は薫を殺す方法を既に見つけていた。恍惚な表情を浮かべ、こう言う。「縦に割れるあなたの頭、見てみたいわ」
すると突如として女性の右半分が炎に包まれた。そして薫の後ろの方から炎の矢が飛んできたかと思うと、矢から腕が生えて薫をがっしりと抱え空高くまで飛んでいった。
「大丈夫か、薫」
矢だと思ったものは不死鳥の姿をしたファーレンハイトであった。
「いいアングルだった。水色だった」
「何の話だ」ファーレンハイトは呆れた様子で薫を見、それから速度をさらに上げて飛行を続けた。
「あの人誰?」と薫が聞く。
「アレはアウフヘーベンだ。代理者でもないし、もちろんゲキドクでもない」
「どことなく西羅さんに似てた気がする」
「そうか? なるほどそうかもしれんな」
「なんで俺たち殺されそうになったんだろ?」
「知らん」
「化物だよね? 王族毒物?」
「王族毒物だ」
「へぇ、代理者以外に王族毒物っているんだ」
「まあほとんど代理者だからな」
「それでアウフヘーベンは死んだ?」
「いや、アレは死なない」とファーレンハイトは不満そうに言う。
「不死身ってこと?」
「死を捨てただけだ」
「へぇ。ファーレンハイトとは違うの?」
「違う」
「ふぅん」薫は行く先を眺めた。「どこ行くの?」
「敵の本丸を潰す」
「神樹のところに行くってこと? うそ、もう?」
「プランCだ」
「プランC、げっまさか」
薫が後ろを振り返ると二人の後を追って風を切って飛ぶアウフヘーベンの姿が見えた。アウフヘーベンが連続の斬閾を発してファーレンハイトが華麗に避ける。「当然のように連続斬閾かよ」とファーレンハイトがため息をつく。
「応戦するなよ、このまま引きつけ、誘導する。お前は蓮の花を咲かせて地獄の底でも覗いてろ」とファーレンハイトが叫ぶ。
「了解!」と薫が言い、目をつぶる。「電光影裏斬春風。能力発動、華脳天蓋蓮々之髄」
空を覆うように巨大な蓮の花が逆さに咲く。花の中心には大きな目がひとつ、地上をくまなく見渡しており、花の周りには蜜に集まる虫のように地獄から湧き出した形なき鬼たちが飛び交っている。
アウフヘーベンは空を見上げ、〈裁きの蓮の目〉を睨みつける。「……この花は意志を持つらしい。太陽にでもなったつもりでしょうか。あぁ忌々しい」
薫はファーレンハイトに言う。「この辺一帯をコピーして保険はかけといたから、いつでもいいよ」
「んじゃまあ地下大聖堂までワープよろしく」
薫がファーレンハイトと薫、そしてアウフヘーベンを対象に吸花を咲かせ、神樹がいる所までワープさせる。
「ねぇがぶちゃん」
「なんだ」
「神樹ってどんな姿してるの? 西羅さんは気持ち悪いって言ってたけどさ」
「確かにアイツにとってはこの上なく気持ち悪いだろうな。まあ、見ればわかるさ」
地下大聖堂に降り立つ三人。
アウフヘーベンが不敵な笑みを浮かべ、静かに言う。「あれが今の神樹ですか。意志を持たず、依代なしでは生きられないのですね。落ちるところまで落ちてしまって、あぁ愚かしい」
神樹はそこにあった。古の巨樹の幹や枝にはシャリやジンが目立ち、葉は薄い緑色で若々しさは無い。だが、地面をがっしりと掴む根、荒々しく波打つ樹皮とどっしりと重く太い幹が大自然を生き抜く生命力と力強さを感じさせ、四方八方に広がる枝が壮大な空間と無限に広がる時間をつくり出しており、薫はその圧巻たる光景を前にして、それが衰えているようには到底思えなかった。
「そろそろ姿を現すぞ」とファーレンハイトが言う。
巨樹の幹がミシミシと大きな音を立てて裂け、そこから巨大で真っ白な腕がぐわんと這い出てきた。数本の腕が裂け目を広げ、そこから顔、そして上半身を突き出す。それは女性であった。髪も身体も、瞳でさえも白い女性、涙は透き通っているが雪解け水のようにかたく冷たい。
ファーレンハイトが巨樹に注意を払いながら薫に向かって静かに話す。「西羅が気持ち悪いと言っていたのはアレだ。お前は知らないと思うが、アレは西羅の姉だ」
「西羅さんのお姉さん、ということは……書籍姫」
「そうだ、俺が書籍姫を殺した後、魔魅反魂香がその魂を神樹にぶち込んだ」
「……西羅さんが神樹を斬れなかった理由がわかった気がする」
アウフヘーベンが二人に向かって叫ぶ。「仲良くお話し中悪いのですが、何人か来客があるようですよ。対応してあげてくださいませ」
「わざわざどうも。ご一緒にいかがですか、きっと楽しいですよ」とファーレンハイトが応対する。
「そうですね。ならば、わたくしは後ろからやってくる緑髪のお姉様のお相手をいたしましょう」
背後からアウフヘーベンに斬りかかる者、薫はその姿に見覚えがあった。
「オリーブ!」薫が叫ぶ。
「お前も知ってるだろうが、あの時のオリーブは残穢だ。いや、何と言うか、あの時のアイツも一応本物ではあるんだ」
「なんとなく言いたいことは分かるよ。最強の敵がリポップするってことでしょ?」
「リポップだけならいいんだがな。オリーブが強すぎるせいで、オリーブがいなくなった空間には歪みが出来るが、その歪みを埋めようとする作用でオリーブが湧き出てくることもある。要はアイツが力をふるった空間においてはどこでも残穢のオリーブが発生する可能性がある」
「この世界には複数のオリーブが存在する可能性があるってこと?」
「そうだ。本来はそういうことが起こらないように、似ているヤツはいずれどちらかが消されるようになってるんだがな。オリーブの場合はむしろぽこぽこと湧き出てきやがる」
「似てるヤツが消される? 閾巫女は?」
「アレは一時的だからさほど問題はない。だが恒常的に存在し続けようとすれば、いずれ複製体は消滅する」
「ふぅん」
「似たヤツのどっちかが消滅するってのは案外知られてない話ではあるが、この世界においては重要なことだ」
「そうなんだ」
「まあ俺も最近知ったんだがな。もともとそうだったのか、それとも誰かが世界を作り替えたのか、それは分からん」
ファーレンハイトは伸びをする。「長話をしている間にお客様が来たぞ。来客応対よろしく」と言い、小鳥の姿に戻った。
「えっ、あっうそ。マジで。俺が応対するの?」
「大将のお出ましだ、最上級のおもてなしをしてやれ」
「うわっ、やっぱり大将が来るんだ」
「それとひとつ朗報がある。今回のオリーブは正真正銘の本物だ。西羅の粋な計らいってやつだ」
「どういうこと?」
「さっき、空間の歪みを埋めるためにオリーブの残穢が湧くと言っただろ。あの時の戦いでできた空間の歪みは神樹を投入することによって消えた。つまりこの空間でオリーブの残穢が湧くことはない」
「なるほど」
「神樹とアウフヘーベンの相手もしなきゃならんし、お前も大変だな!」
薫が絶望の表情でファーレンハイトを見る。「……何分、稼げばいい?」喉の渇きのせいで、声が掠れる。
「吸花内の空間で一日分だ」とファーレンハイトがにこやかに答える。
「何とかやってみるよ」と薫は言い、吸花を咲かせる。
「死なないことを祈るよ」とファーレンハイトは言い、吸花内の空間に移動した。
その直後、魔魅反魂香と瓏仙、それと数人の代理者が地下大聖堂に降り立った。
「奇妙な空間だな。時間の流れが澱んでいるようにも見える」
ウサギ頭でタキシードを着ている大柄な男は兎喰天。王族毒物、無限の代理。
「あらあらお久しぶりですわね、薫さん。お元気でしたか」
こちらに向かって手を振るのはアリアヒロイン。王族毒物、音楽の代理。
「キヒヒ、随分と元気がないねぇ、爺さんや」と神樹に向かって言うのは、帽ハツ。背は低く、黒く大きなシルクハットを深く被っているため顔は分からない。足を引きずっており、杖をつきながら歩いている。王族毒物、暴発の代理。
「おい魔魅、言われたとおりアウフヘーベンの首を取ったぞ」と魔魅反魂香に言うのはオリーブ。王族毒物、正義の代理。左手でアウフヘーベンの髪を持ち、魔魅反魂香に首を見せる。
魔魅反魂香は静かに煙草を吸っている。煙を吐き、「切り刻んで神樹に喰わせておけ」とオリーブに言う。
瓏仙が誰かを探すように周りを見回す。「あの、身毒さんはまだ来られていないのでしょうか」
「アイツは放っておいて構わない。どうせ街で暴れ回っているのだろう」と兎喰天が言う。
「キヒヒ、あの四本腕が暴れ回っているのか、あぁ恐ろしい恐ろしい。だがまだ足りぬまだ足りぬ。ワシがアレのリミッターを壊してしまえば、国がたちまち半壊するだろう」帽ハツが杖を地面に突き刺し、両手を広げて言った。
すると帽ハツの前に褐色で筋肉質な男性のものと思われる三本の腕が落ちてきた。帽ハツは深く被ったシルクハットの奥から鋭い眼光をのぞかせて、三本の腕と、オリーブが持っているアウフヘーベンの頭を睨みつけた。「貴様か、アウフヘーベン!」
「四本腕のバケモノは身毒と言ったのですね、あまりにも弱いので名前を聞く暇もありませんで──」
オリーブがアウフヘーベンの頭を切り刻む。血と骨と肉片と髪が辺り一帯に散らばり、肉片のひとつが兎喰天によって神樹の方へ投げられた。肉片は根元に落ち、神樹は腕を伸ばしてそれを掴み取り、手のひらにある口でそれを食べた。
「キヒヒ、爺さんも美味そうに喰う」と帽ハツは不気味に笑う。
「さて、厄介者を一人始末したところで」と兎喰天が薫に向かって話しかける。「次はお前の番といこう」
「あの、話し合いで何とかなりませんか」とヘニョヘニョになった薫が精一杯の声で叫ぶ。
「あはは、ダメよ薫さん。あなたはここで死ななきゃいけないの。神樹様のためにね」とアリアヒロインがにこやかに笑う。
薫は何とか時間稼ぎをしようと色々と考え喋った。「そこをなんとか。あの、美味しい焼き鳥があると言いますか、ええっとそうじゃなくって、あぁそうです、そこの神樹も肉ではなく果物を食べると健康になれるかもしれませんよ。ミカンとかデコポンとか、あとリンゴも良いですね。リンゴを食べると医者いらずみたいなことをよく言うじゃありませんか。そうですリンゴが良いです、リンゴを必ず用意しますので今日のところは何とかなりませんか。あとは薬です。弱った樹に投与する薬があると聞いたことがあります。おそらく肥料のようなものだろうとは思いますが私もよく分からないので、一旦調べて薬も必ず持ってきます。必ずです。今この場で用意することはできないので、帰らせてください。用意させてください、頼みます。樹に詳しい知り合いがいるのです。その人にお願いして診断してもらいましょう。そして薬と栄養のある果物を食べさせてあげましょう。これは名案だとは思いませんか? ええ良い案です。ですから今日はお開きにしましょうよ」
帽ハツはシルクハットの奥からギロリと薫を睨みつける。「キヒヒ、爺さんの〈鏡像者〉だと言うから来てみたら、こんなひょろひょろのガキがそうなのかね。来て損したぞ」
「まあ待て、こう見えて実は策士なのかもしれん。油断は禁物だ」と兎喰天が帽ハツに言う。
「キヒヒ、なら素早く終わらせてやる」と帽ハツは言い、地面に突き刺していた杖を引っこ抜いて、持ち手の部分で地面をトントンと叩いた。ブォーンと音がする。「暴発せい」
薫は思った。ブォーンという音と能力の暴発、どこかで聞いたことがある。思い出されるふたつの記憶。ひとつは冬のあの日、西羅さんと出逢うきっかけとなった、二羽のニワトリの劇物化・毒物化および暴走。ばあちゃんが言っていたブォーンという音はあの化物の仕業だったのだ。そしてもうひとつ、母さんが死んだ日。あの場にはアイツがいた。アイツの攻撃から俺を庇ったから兄さんの能力が暴発した。そうか、アイツが仇だったのだ。ならば今からアイツを討伐しなければ。だが身体が思うように動かない。ダメだ、今やらないと別のところで悲劇が生まれる、それなのに身体が動かない。意識が薄れていく中で瞳に映し出される母さんの姿、あれ、母さん?
「おかえり、薫」
「ただいま!」
いけない、このままでは戻ってこられなくなる。
瓏仙が魔魅反魂香に言う。「樹神薫の能力は暴発しているのでしょうか?」
薫はその場に立ったまま全く動かない。
魔魅反魂香は言う。「あくまで仮説だが、彼の能力の吸花と放花は副次的なものに過ぎないのかもしれない」
「と言いますと」
「彼の本当の能力は〈毒の花〉と〈全知〉。簡潔に言えば──」
突如、魔魅反魂香の首を狙って放たれる斬閾。魔魅はこれを間一髪で避けた。「眠ったままで斬閾を飛ばした。……やはり、能力は暴発していないようだ」
「あの、ひとつよろしいですか?」瓏仙が魔魅に話しかける。「神樹様に取り込まれている書籍姫の能力って何です?」
「〈編集〉だ。それがどうした?」
「いえ何でも」
「いずれにしろ、能力が暴発していないのであれば死ぬのに時間がかかりすぎる。コイツが死ぬまでのんびりと眺めているわけにもいかない」と魔魅は言い、斬閾を放つ。が、これを相殺する者がいた。
「はーい、生まれて飛び出てじゃんじゃかじゃーんっと」
放花から飛び出して魔魅の斬閾を相殺したのは全盛期の姿をしたファーレンハイトである。「コイツなにぼーっとしてんだ。まだ一日分たってねえぞ。夢の中か?」
魔魅反魂香がファーレンハイトを睨みつける。「裏切り者が何の用だ」
ファーレンハイトは魔魅に構わず薫の頬をぺしぺしと軽く叩く。「料理と閾以外ダメダメじゃねえか。全くしょうがねえやつだな」
「樹神薫を庇うつもりか」と魔魅が問う。
ファーレンハイトが魔魅の方を向く。「裏切ったんじゃなく表返ったんだ。って水戸黄門で言ってたな。弱いやつをあえて庇おうとは思わない」
「ではなんだ」
「飯代だ」
「お前らしくない」
「そうか? 俺は昔も今も義理堅いぜ」
魔魅がファーレンハイトに斬閾を放ち、ファーレンハイトの身体は袈裟斬りにされる。
「この程度で死ぬ俺ではない。……おやおやこれは、切り口に特殊な纏閾がまとわりついているな」
「高次元の纏閾。反転バベルズの解析の賜物だ。しばらく動けまい」
魔魅反魂香が王族毒物らに指示する。「コイツらを殺せ」
兎喰天とオリーブがファーレンハイトめがけて走り出す。だが、ファーレンハイトは二体の炎の傀儡を召喚し、それらが炎の剣を振るった。兎喰天は避け、オリーブは相殺、黒いイナズマが走り、たちまち地面がマグマのようにどろどろに溶け、相殺の衝撃で地面が割れる。ファーレンハイトは既に「高次元の纏閾」の解析を終え、身体の癒合を完了させていた。
「んじゃまあ夏なので、どでかいのを一発。電光影裏斬春風、能力発動、錦神室」とファーレンハイトが言うと、ファーレンハイトの身体が突然光り出した。
兎喰天が強い光を手で遮る。「まさか……!」
自爆。その威力は凄まじく、地下大聖堂は現実界とは異質の、光風霽月の固有の空間でありながら、その爆発は現実界を揺らすほどであった。
「目覚めたか」とファーレンハイトが薫に言う。
薫は深く頷いた。「ごめん、全然役に立てなかった」
「次は頼むぞ」
「うん。戻れなくなるところだったよ。ありがとう」
神樹はボロボロと樹皮が剥がれ落ち、神樹の裂け目から上半身を突き出していた女性は肌の一部が焼け焦げており、動かない。だが、一本の腕に小さなできもののようなものがあり、熟れた実がはじけるように内側から裂け、血が出て、中から何かが出てきた。
「はーい、生まれて飛び出てじゃんじゃかじゃーんっと。あらら凄まじい光景ですね」と言うのは、アウフヘーベンである。
「おいコラ、俺のネタだぞ。真似すんな」とファーレンハイトが言う。
「ハクション大魔王のパクリでしょう? パクってはダメですよ」
「オマージュと言え」
「〈俺のネタ〉と豪語していた人が何をおっしゃいます。オホホホ」
「そんなことよりお前生きてたのか、心配したぞ」
「お肌が焼けるのは嫌でしたから、隠れさせていただきました。プランCは自爆により敵味方もろとも木っ端微塵に破壊する、でしょう?」
「正解」
「性格が悪いのね」
「お互い様だろ」
「ふふ、気に入りました。あなたがたに協力しましょう」
「キモいな」
「暇つぶしです。あなたもそうなのでしょう?」
「アッチにいるよりコッチについた方が面白いのは確かだ」
「でしょうね」とアウフヘーベンは納得した表情をする。「ということでよろしくね。薫さん」
「えっいやだ」と薫は言う。
「神に魅入られたと思って諦めろ」とファーレンハイトが同情する。
「リンゴが身体にいいんですってね」とアウフヘーベンがからかう。
「忘れてくれていいよ」と薫がしなしなになりながら言った。
「ところで」とアウフヘーベンが周りを見渡す。「他の方々は逃げたのですか?」
「そうだな、だが無傷では済まないだろう」
「そうですね、しばらく休戦ですかね」
「あぁだろうな」とファーレンハイトは言い、上を見る。「さて帰るか」
「スーパー寄らないと」と薫がファーレンハイトに言う。
「私のご飯は大丈夫です。お腹空かないので。それより今日は焼き鳥が良いと思いますよ」とアウフヘーベンがにこやかに笑った。
──第15話「死にたまえ、大将!」終




