【第2部:過去と今と未来の私】第13話「世界がひっくり返ってもあなたのもとへ」
私は一足先に旅に出る。あなたはしばらくゆっくりしていくといい。
──第13話「世界がひっくり返ってもあなたのもとへ」
現世に戻ってきた薫。黄昏時、太陽が沈みはじめ、街は電気を灯して夜を彩る。だが周りの様子がおかしい。生きた人の気配は全くせずあまりにも静かで、時折彼らの前を通り過ぎる風が、生物が焼けたにおいと生臭いにおいを伴い焼け焦げた地面を優しく撫でる。
「あれ、元の場所に戻ってきたんだよね……。バベルズも壊れているし、それに、何もないじゃないか」
歩く度に黒く焦げたアスファルトが靴裏にへばりつきねちゃねちゃと音を立てる。
「西羅さんどこー? 西羅さーん」
西羅の姿がない。西羅を探してふらふらと歩いていると、足に何かが当たった。頭だった。西羅の、頭だった。胴体がない。
「ひぃ!」尻もちをついた。
「誰だ人の頭を蹴るやつは。あっ、デコポン。良かった、デコポンは生きてるね」
「えっ……えっ?」
「ウチ一回死んでるから、現世に戻ってきたら当然こうなるわけ。怖いよね、ごめんね。ウチのことは忘れて東蓋たちと合流してあげて。もう少しで帰ってくるはずだから」
「いや、大丈夫。少し慣れた。でも……まだ心臓がバクバクいってる。……うん、大丈夫、落ち着いてきた。隣座っていい?」
「おけ!」
薫は尻もちをついた体勢から身体を起こして、西羅の隣に腰を下ろした。
「西羅さん、頭持ち上げていい?」
「いいよ、何するの?」
薫は右手と左手首で西羅の頭を持ち上げ膝の上に乗せた。「地面の上よりは痛くないでしょ」
「ありがと」
薫は膝の上の西羅を左手首で支えて転がり落ちないように注意しながら、右ポケットからハンカチを取り出し、西羅の顔についた汚れを拭いとった。
「そんなことしなくてももうすぐ消えるから」
「死なせない、絶対に死なせない」
薫の目には大粒の涙がたまり、ポタポタと西羅の頬に落ちる。西羅は哀しく微笑んだ。
「あっ」と西羅が声を出した。「デコポン見て、月が綺麗だよ」
東の空に月が浮かぶ。薫は涙を拭って月を見た。これからは月を見る度に西羅のことを思い出すのだ、そう思うとまた涙が止まらなくなった。西羅は人生最後の月を目に焼き付けている。月光に照らされる西羅は幽玄で美しいと思った。
「そういえば今日はスーツなんだね。ウチの葬式?」
「やめてよ笑えないって」
「大丈夫、似合ってないよ」
「えぇ、結構いい感じだと思ったんだけどなぁ。そういう西羅さんだってスーツ似合わなさそうじゃん」
「ウチは何でも似合うよ! 可愛いから」
「自分で言うなし」
薫はボサボサになった西羅の髪を手で軽く整える。
「適当でいいよ」
「あっ、この花」ヘアクリップに白く可憐な花がついていた。
「その花覚えてる? デコポンがくれたやつ」
「覚えてる。覚えてるよ」
「良かった」西羅は笑った。
「そういえば、寿司食べなきゃね」と薫が言う。
「うん、約束だもんね」
「シャリは残しちゃダメだよ」
「気分次第かな」
「そんなぁ」
「えへへ、あっそうだ、あの時の本読んだ?」
「本? あぁナン食べた時に買った本ね。読んだよ」
「デコポンは何の本買ったんだっけ」
「『ドグラ・マグラ』だよ」
「へぇ、やばい本買ったんだね」
「西羅さんがすすめてくれたんじゃなかった?」
「そうだったかしらん」
「西羅さんは何買ったんだっけ」
「ウチはあれ、ドストエフスキーの『罪と罰』」
「そうだったね、思い出した。それであれだ、罪のアントニムは?」
「ナン!」
「正解!」二人は笑った。
西羅は月を見て目を細める。「良かったよ、デコポンがこうやってウチのこと思い出してくれて」
「ナンのおかげだよ」
「何のおかげって?」
「ナン」
「なん?」
「ナーン!」
「ナンはもういいって」
「えぇ」
「うそ、またインドカレーも食べに行きたかったな」
「……そうだね」
「今度は事務所の近くのインドカレーのお店に行きたい」
「事務所の近くにもあるの?」
「潰れてなければあるはずだよ」
「探してみるよ」
「うん」
薫は吸花を咲かせようとするが上手くいかない。
「ダメだ。吸花内の空間ならもっと長く話せるかと思ったけど、上手く咲かせられない」
「デコポンは生きているとはいえ、一度地獄に堕ちたんだ。正確には地獄の門の前だったかな。どちらにせよ数日の間は能力が使用できないと思った方がいい」
「そっか残念。……あ、地獄って言葉で思い出した」
「うん?」
「さっきも言ったけど西羅さんに妹いたんだね」
「そう、小学生の時に死んで、それから化物になって、それでファーレンハイト戦のちょっと後で再会した感じ」
「西羅さんから逢いに行ったの?」
「いや、アッチからだね。ウチは妹がいたこと自体忘れかけてたくらいだし。長庚は何故かウチのこと覚えてたっぽいけど」
「へぇ、というか俺たちが西羅さんのこと忘れてたのって、能力の副作用というか反動みたいなものなんでしょ」
「そう、だから長庚がウチのこと忘れてないのって不思議なんだよね」
「姉妹の絆ってやつ?」
「それはそれでキモいけど」
「やめなよ可愛い妹なんでしょ」
「うんまあ可愛いけどさ。まぁそんな感じでデコポンもまたウチに逢えるかもだからせいぜい頑張ってちょうだい」
「まとめ方雑だなぁ」
「そういうデコポンはどうなの? 親とか兄弟は? そういやお兄ちゃんはいたよね。あと瞬足ババア」
「そうだね、雪やら氷を操る兄と、足の速いババアがいる、って誰がババアやねん!」
「やめなよ自分のおばあちゃんをババア呼びするの」
「えぇ……」
「親は? ウチの母ちゃんは確かウチらを守るために化物と戦って相打ちで死んだ。父ちゃんは知らん。ちなみにおっさんは父ちゃんの弟」
「おっさんってまさか社長?」
「そう、キモいよね」
「キモい新事実だなぁ。そんなことより、西羅さんのお母さんは立派な人なんだね」
「おっぱいも立派だったよ」
「似てないね」
「クソガキだもん」
「自分で言うんだ」
「ちなみにメスガキではないから」
「拘りがあるんだね。でも最初俺を助けてくれた時の戦いで『ざーこざーこ』って言ってなかった?」
「気のせいでしょ」
「そうだったっけ。あぁそうだ、親についてだったね。えっと、墓場まで持っていこうと思ったけど、まあ西羅さんには話してもいいや」
「ここ墓場だし」
「そういう意味じゃないって」
「ウチ、もうすぐ死ぬっていいながらめっちゃしぶといやん」
「いいことだよ」
「あっ死にそう!」
「うそ、急に……!」
「嘘でーす、ベロベロバー」
「このクソガキめ」
「ねぇはやく話してよ」
「えぇ……。えっとね、母さんは俺が殺した」
「ダウト!」西羅はニヒヒと笑った。
「いや本当──」
「兄だな」
「……うん」
「ち!」
「うんち好きだね」
「クソガキだもん」
「……なんで分かったの」薫は困惑した表情で西羅を見る。
「そりゃあ天才だもの」
「西羅さん、そういうとこ社長に似てるよね」
「我ながらキモいねぇ」
西羅が焦土を眺め、それから崩壊しているバベルズを見る。
薫も同じように変わり果てた景色を眺める。「ここで何があったんだろう」
「大規模な闘争と大量殺戮。デコポンたちが地獄に来た後、化物側はヤベー奴らを投入した。知らんけど」
「ヤベー奴らって?」
「身毒、オベリスクB、兎喰天、アリアヒロイン、英雄譚……この中のどれかは来てるんじゃないかな。あと大事な話をしておくと、近い未来に戦争が始まるはず」
「戦争……」薫の顔が緊張でこわばる。
「〈代理戦争〉だ。今回の出来事もその一因となるはずだよ。化物側はこちらの戦力を水面下で研究・分析しつつ、毒物や王族毒物を逐次投入してシミュレーションをしている。また一般市民を劇物化させて操ることで、この文明社会を機能不全に陥らせて再起不能にすることを目論んでいる。ま、今言ったのはあくまでウチの想像に過ぎないし、化物側がまず狙うのは市民ではなくインフラの方だろうけどね。でも油断は禁物、先ほどウチが言った王族毒物たちも手強い奴らばかりだ。と言っても、ファーレンハイトよりは弱いはずだからデコポンは死なない。安心して」
「いや今の話聞いて『安心して』は無理があるのよ」
「大丈夫、ウチが置き土産をあげるから。ウチが死んだら今から言う方法で世界をひっくり返してほしい」
「うん、分かった」
「まず──」
西羅は世界をひっくり返す方法について一通り話し終えた。
「ウチが死んだらグイッとやっちゃってちょうだい」
「うん、でも本当に西羅さん死ぬの?」
「いつかまた逢おうね」
月が人々の頭上を通り過ぎる時、西羅は死ぬ。そしてその時はすぐそこまで来ていた。
月明かりに照らされ、西羅の頭は砂丘の砂が風に乗って光をまといながら遠くまで運ばれるようにして、右耳のほうから少しずつ消えはじめていた。
薫は西羅の左頬を義手で優しく撫でた。
「デコポン、おでこ同士をくっつけて」
「こう?」薫は慎重に西羅の頭を持ち上げて自身の額と西羅の額をくっつけた。
「あったかい」
「西羅さんもあったかい」
「うそつき」
「うそじゃないよ。西羅さんは生きてるんだ。このあたたかさをもう二度と忘れない」
「ありがと」
「本当だよ」
「ふふ、じゃあひとつプレゼント! ウチの閾を全部デコポンにあげる。受け取って!」
薫の身体に西羅の閾が流れ込む。それは薫の閾の総量と比べて少なくとも五倍以上はあり、その膨大な閾は薫の細胞の隅々まで入り込み、薫の身体中を駆け巡った。
「デコポンはもともと閾の総量が多い方だし、ウチの閾を流し込んでも充分耐え切れると思うよ」
「何と言うか、身体中が熱を持ってる感じがする」
「よし、じゃあウチからの最後の宿題、纏閾を維持しながら斬閾を連発し、尚且つ識閾を駆使して相手の思考を読み取る! ウチがあげた膨大な閾を使いこなしてね」
「むっず! っていうか識閾って何?」
「えっ説明してなかったっけ。説明してる間に死んじゃう!」
「ちょっと待ってよ!」
「練習方法としてはおでことおでこをくっつける! 相手の頭の中を覗けるようになるよ!」
「今やったやつだ。なるほど。西羅さん、俺の頭の中を覗いて何が知りたかったの?」
「ないしょ!」
「今度逢ったら教えてね」
「うん、約束」
「……今までありがとう。すごく楽しかった」
「先に地獄に行くから! またね、デコポン。大好き」
「! 俺も西羅さんのこと大好き! また逢おうね」
西羅は幸せそうに微笑み、消えた。髪飾りの花が地面にひらひらと舞い落ちた。薫は一晩中泣き続け、夜明け前に涙が枯れた。薫はポケットからうさぎのぬいぐるみを取り出し、西羅の髪飾りの花をぬいぐるみの耳につけた。ぬいぐるみの耳にはファーレンハイト戦の直前につけたピンクの花と今つけた白い花のふたつが咲いている。薫はぬいぐるみを右手に持ったままふらふらと立ち上がり、西羅から教えてもらった「世界をひっくり返す方法」を実行に移す。
左手首と地獄の門にある自身の左手、それらを西羅が閾で繋げてくれていた。その閾を増幅させてひとつの頑丈な束にする。そしてそれを引っ張って左手首と左手をくっつける。
「地獄を上に持ってきた!」
「どうやって?」
「命をかけて!」
西羅はとある方法で地獄を天に、天国を地下に反転させていた──その方法はいずれ分かる。
「重いものを持ち上げるより、それを落とす方が簡単でしょ?」
世界をひっくり返す準備は既にできていたのである。薫は左の腕を挙げ、それを思い切り下に引っ張り、自身の左手とバベルズを引きずり下ろす。
左手はもとに戻り、崩れていたバベルズも綺麗に復元されていた。
左手の感触を確かめる。握りしめ、開く。ボロボロと涙がこぼれ、手のひらに落ちる。死にたいと思った。その思いは、朝日を背にこちらへ駆けてくる東蓋たちを見て何とか抑え込んだ。
──第13話「また逢う日まで」終
第二部「過去と今と未来の私」【完】
第三部「代理戦争」(仮)へ続く。
とある二賢者の会話。
〈この世界は唯一無二を尊ぶ。即ち、似たヤツが二人いれば、一人は生き、一人は死に至る〉
〈迷信かい?〉
〈そうだといいな〉
しばらく後で一人の賢者が死んだ。
それが「この世界」の真実である。この真実を知っていれば、薫が化物側から狙われる理由も、西羅の死も、代理者の存在も、そして毒の正体も、全て説明できる。




