7(泣)く子が微笑む兵士長
あの後のロイリーヌとポーラのやり取りは壮絶だったとか凄絶だったとか一悶着あったのだが、結果ポーラの熱い要望が収まる気配がまるで見えなかったらしくロイリーヌが折れることで決着になったそうな。
「私が腐る寸前だったのを救ってもらったからにはお師匠と仰がないと私の気が済みませんので!」
と、感情も視力も取り戻したはずの彼女は閉眼で無表情のままロイリーヌへの愛を語ることに余念がない。
これについてポーラは「人生の大半こうだったので自然とこうなっちゃいます」と話していたので、慣れるまで時間はかかりそうだし、何ならロイリーヌ愛を周囲に悟られない手段としてこのまま過ごす可能性が非常に高いだろう。
それに拠点に戻ってから、ちゃんと視力も目尻の傷も癒えていること、慣れない今ではかなり堅いだろうが表情を作れることを共に確認しているのでご安心、ということらしい。
(そもそも俺は一人であれこれのんびりやるのが性に合ってるんだけど…)
何をやったところで彼女の意思は覆ることはないと悟ったのもわからなくもない。
まさか自分が施したものが思わぬ心酔を同時に施すことになろうとは思いもしていなかったのだ。
「ところでお師匠!お野菜やら何やら背負ってるようですが、荷物持ちなら私がやりますよ!」
「やめておけ、お主はまだ力不足じゃ」(いや、多分無理だと思うぞ)
「何と!確かに私はまだ若輩者ですが、これしきの荷物持てないはずが…」
ロイリーヌが自分の身の丈の六倍ほどの荷物篭をいったん地に降ろし、ポーラの要望を一応叶えさせてみる。
荷物篭の肩掛けを自身の両肩に据え置き、いざ持ち上げようと体を立たせようとした。
「んにににににに……!!」
一向に荷物篭が地を離れる気配を見せない。
ポーラ本人は他者から見れば見目麗しいミステリアスな女性に見えるのだが、今この時に限ってはその顔作りが台無しだと言っても過言ではないほど力んだ表情をしていて、なおかつ顔色が紅潮しているのが見て取れる。
師匠と仰ぐ傍の幼女が飄々とした表情で軽々と背負っていた荷物篭が、ポーラには持ち上げられない。
ちょっと持ち上げよう程度の感覚だったためか、背負おうとする行動を中断すると同時に息を切らした様子で疑問を投げかける。
「ど、どれくら…い、詰め込、んでるんですか……ま、まった、く、背負えな…ぇほっ」
「お主よ…力不足じゃと言うたろうに…」(だから無理だって言ったのに…)
ロイリーヌは荷物篭にちょっとした秘密を練ってはいるものの、要領を押さえられれば同様に背負うことができると説明する。
「これは盗人が手を付けれぬよう細工しとるのじゃ。お主も魔力あるじゃろ?ちょいとそれをこう…」
(いいか?こいつはちょっとした盗難防止の方陣を入れてある。だから魔力を少し込めれば…)
彼女曰く、肩掛けに触れる肩付近から魔力を微弱程度放出することで、方陣が魔力に反応して制限を解除してくれるという代物である。
もちろん誰もが魔力を込めれば使えるというものでは盗難防止の意味がほとんどなくなってしまう。
「お主の魔力も細工しておいたのじゃ。今度はここに魔力を意識して背負ってみるとよい」
(持ち主記憶ってやつだな。君の魔力も一応記憶しておいたから、やってみりゃあいい)
「お、お師匠がそういうなら、もう一度お役に…」
ポーラはもう一度先ほどと同じように自身の両肩に肩掛けを通し、持ち上げる前に指摘された部分から少しばかりの魔力を流しながら今度はゆっくりと体を立たせ上げてみた。
先ほど顔を紅く染めさせ力みを込めても持ち上がらなかった荷物篭が、今度は呆気なくすっと、あるいはひょいっと軽々しさを感じる。
岩山を一座持ち上げているんじゃないかと錯覚するほどに重みを感じた荷物篭が、今は何も入っていないんじゃないかと錯覚するほどに軽さを感じている。
「おおぉぉぉ……これがお師匠の御業……!!」
ポーラはロイリーヌの腕前に感嘆と思いを馳せるが、当の本人は若干呆れたような表情を見せる。
(御業て。魔力込めるって言うたやんけ)
何はともあれ、ポーラは荷物持ちを役として出来るようになっただけのことでも弟子としての悦びと覚え、表情には出ないが嬉しそうな心持ちでロイリーヌに同行した。
二人が次に到着したのは、ポーラがよく知る場所であった。
「あれ?ここ私が以前隊長やってた辺境警備門じゃ…」
ぽかんとしていると、奥から一兵卒のような鎧姿をしている兵士が二人、姿を現す。
「おや、これはロベルド様。今日は向こうの国へ荷卸しですかな」
「うむ、先のとこの在庫が無くなる頃合いでの。大事ないか兵士長?」
(おう、兵士長さん。そろそろ納品の時期なんでな)
「儂はまだ現役一直線ですぞ!しかしもう三十年ぶりですか、ここを通るのは」
「ほお、刻の進みは早いのぅ…三十年にもなるか」(もうそんななるのか、時が過ぎるの早いな)
そのうちの一人はどうやら兵士長と名乗る壮年の男性のようだ。
傍にいるのは彼の部下に当たるのか、構えを崩さずロイリーヌらの方に体を向けている。
「ん、ベルハルト嬢も一緒か!いやああン時は参った参った、急に『私は隊長の座をアナタに譲るので引き継ぎをお願いします!!』なーんていうモンだから急に出世して仕事増えちまったぜ」
「あっ、そ、その節はすみませんでした…」
「いや、その様子だと本当にやりたいこと…っつーか、夢を見つけたんだろうなって儂ァ思ったからなあ。若ェモンのケツ叩いて送ってやるのも年寄りの仕事だかァな」
「もー!乙女の前で、け、けつ…なんて言わないでください!」
どうやら兵士長とポーラは元々は同士だったようで、その時のことを思い返してニコニコしている彼と、それを受けてぷりぷり怒ってる(ような)雰囲気を見せる彼女とを見て、いい関係だったんだなとロイリーヌは密かに感じた。
「つーわけで、今の儂は辺境警備隊長。こっちの若ェのは倅でな、年の割にと言っちゃあ何だが、今やベルハルト嬢の補佐的な副隊長の座まで昇ってきやがった」
「ふむ、お主に次ぐ実力者ということかの」(てことは、今は兵士長さんの次に偉いのか?)
「儂に似ず堅物なんだが、裏を返せば堅実家でな。副隊長にしておくには勿体ねえのよ」
「ならばお主の後釜として育てておるのだの」(いずれ後を継ぐのか、副隊長くんは)
「正直、儂が副隊長でもいいくれェだな!」
豪快に笑ってくれる兵士長―――いや、現警備隊長からはそんな息子の自慢話を繰り広げ、その成長ぶりにかなり舌を巻いている様子が窺える。
当の本人も満更ではなさそうに少し頬を紅く染めて照れているように見えた。
「以前ほど若くないじゃろ、程々にした方がよいぞ」(無茶すんじゃねえぞ、年食ってんだから)
「なにおう。と言いたいとこだが、隊長任期が満たされる頃にはコイツに引き継ぐ予定だ」
「ふふ…では、わらわは行くぞ。戻る時にまた顔を見せい」(ははは。じゃ、また帰りで会おうな)
久々の再開であったためか言葉数は多く、そして今も変わらず平和な毎日を送っているようだとロイリーヌは安堵し、警備門を潜り抜けて街道を再び歩き出した。
「お師匠、現隊長さんと昔馴染みだったのです?」
「おお、あやつは今も昔も変わらんでの、戦えば敵味方空に舞うほどの実力者なのじゃ。うら若いお主は知らぬじゃろうがの」
(あー、君は今24だったっけ。あの人は当時から豪快で、戦場に出れば嵐が舞ったとかよく聞いたよ)
「あの剽軽で有名な方が、そんな実力をお持ちとは…」
この話を聞いたポーラはぽかんとする。
その後に現隊長である彼について、自身が隊長だった時の彼の職務態度は勤勉とは言い難いどころか、隙さえ見つければ仕事を放り出して酒を飲みに街に繰り出すほどの怠惰な人物だったと印象づいていることを話す。
「あやつは立ち振る舞いこそ飄々としておるが、仕事は放り出すどころか益々気合いが入っておったぞ。お主の経験が浅いが故の意見なのは察するがの」
(君は内面をよく見る癖がまだついてないんだろうが、あの人はああ見えて仕事はしてるんだぜ)
「えっ」
「あやつはよく『あそこが静かでも王都が騒がしいと仕事が絶えん』と、ずっと言っておったよ」
(『駐屯地が平和でも本拠地がそうじゃないことの方が多い』ってのがあの人の考えなんだよ)
人の本質は外見だけでは判別できない、というのがロイリーヌの自論である。
警備門付近での騒ぎの時はもちろん、そこが平和であっても元の王都で騒ぎがないとは限らない。
兵士長だった時代からずっと、彼は表向きはだらしないオジサンとしてふらふらしてるように見せておきながら、裏では騒ぎや不始末不祥事も何のそのといったように多くの物事を解決してきていた。
一応ロイリーヌが当初彼に「なぜ表からそうせんのじゃ?」と問いかけたところ、彼はこう返したという。
『俺がだせぇ姿でいればいるほど、下の奴らはみんな自分がしっかりしないとって意識を持って仕事してくれんだ。上がカチカチの規律野郎じゃあ不満も募るし、だからと言って心身ともにだせぇ野郎でいりゃあ今度は上の奴らが痺れを切らす。でも俺がこんな感じでいるくれェで、上の面目も保ちつつ下の奴らをシャキッとさす、ってのが丁度いいのよ』
「……あんな不真面目そうに見えた背中が、急に大きく感じ始めてきました」
「人の経験は存外、莫迦には出来ぬものよ」(人間の経験則は案外馬鹿に出来ないもんよ)
ポーラがいつも先立って叱りつけてくるおかげで下位の人物らの意識をしっかり仕事に向けるという思惑も成功している、と先ほどの会話から察したロイリーヌは後付けで答えておいた。
長い距離を徒歩で歩いてきた二人が次に目にしたのは、あちこちに立ち並ぶ家らしき建物たちを一望できる場所。
自分たちが立っている場所がかなり高いこともそうだが、一望できるだけでも範囲が劇的に広く、下手をすれば王都の比ではないかもしれないと思うくらいには大きい国がそこにあった。
王都と違うのは、明確に『ここが居城である』と判別できる建設物が存在していないこと。
厳密に言うと似たようなものはあるにはあるのだが、王城と言うには敷地がかなり小さいため居城として判定するには乏しい。
「今見えておるのが『レイレスティオ共和国』の一部じゃ」(あれが『レイレスティオ共和国』だな)
「ここが、あの広大な敷地を有すると言われる共和制の国…」
ポーラは辺境警備職を全うしており、今まで王都の逆側の国について実際に目にすることは出来ずにいた。
なので彼女からすると、この『レイレスティオ共和国』を一目見ることも足を踏み入れることも初となる。
「お師匠!この共和国は色々といい香りがします!」
エルフ族は通常、その長い耳が特徴と言われていることから聴覚が特に鋭いとどの世界でも言われがちではあるが、意外なことにこの世界のエルフ族は食が豊富ということもあって嗅覚も尋常ではないほど高い。
さらに意外なことに、この世界のエルフ族の聴覚は実は嗅覚ほど優れているとは言い難く、何なら一般的な人間の聴覚程度しか持たないと言っても過言ではない。
ポーラも例外に漏れず聴覚は一般レベルで嗅覚はウルフ族に次ぐか、あるいはほぼ同格であるほどである。
ただ、以前にポーラが話したように、エルフ族は人間以上に優位性を重視する上、全属性に適性を持つことが当たり前である種族。
故にウルフ族の嗅覚と同等にレベルを引き上げるだけではなく、自身の技能によって聴覚を一時的に超強化することでエルフ族は聴覚も同様に優れていると誇示してきた。
それも要所要所で確実に発揮し、あたかも元々聴覚が鋭敏であると他種族に錯覚させ続けてきたための評価であるともいえる。
(清純な印象があった元の世界のエルフと比べりゃ、悪い意味も含めて人間味をよーく感じる種族だこって)
ロイリーヌは先のポーラの件に色々ひっかかりを感じたままではあったが、とりあえず彼女が幸せそうにしているならと今は一先ず考えを打ち切る。
「篭を背負うコツはわかりましたが、何分これに集中していたので私はお腹が空きました!」
「あーよいよい、わらわが勘定してやるから腹を満たせい」(わかったわかった、先に何か食べよう)
言葉を交わした二人は、目先に見えるレイレスティオ共和国を目指して、高低差のある今の場所からあと少しの距離を一歩ずつ歩んでいく。