5算(誤算)
元の世界的に言えば四世紀強の時を過ごしてきたロイリーヌだったが、人と会ったことがないという趣旨の言葉を発した途端、フラグは回収された。
「……あ、貴女は…!?」
その人物は白銀の鎧を身にまとっており、腰には細部まで精密に刻印が成されている紋章を誂えた刃渡りが長そうな刀剣を下げ、如何にも自分は騎士ですという風貌で姿を現した。
肝心の顔立ちについては残念ながら兜を装着しているため、現時点では詳細を知ることができない。しかし、声のトーンから察するに女性であることは間違いはなさそうだ。
「な、何じゃ?何者じゃお主!」
(な、何だ?なんなんだアンタ!)
突然現れた眼前の人物に思わず身構えるロイリーヌだったが、当の本人は敵対する意思はなさそうで、腰の刀剣に手をやる素振りはまったく見せない。
むしろ彼女に向けて双方の掌を見せるようにして、逆に敵対心を煽らないよう言葉を選ぶ。
「ま、待ってください。怪しいものではありません」
「そのような言の葉を発する者は多くの場合訝しいと思うが定石なのじゃ!」
(そうやって言うやつは大体怪しいって相場が決まってんだよ!)
警戒心を払いたい女性と、その警戒心を手放さないロイリーヌ。
せめて信用されたいと思ったのか、彼女は兜に手をかけ、上に力を入れることで頭から外して顔を見せた。
凛とした顔立ち、というのが総合的に見て一番合う表現なのだろう。
鎧に包まれた身体だけを見てもわからなかったが、輪郭はスラっとしており、薄い紅色に染まる唇に、過去自分が知る“日本人”には持ち得ないような高い鼻が特徴的で、肌はやや褐色に近い色をしている。
何より気にかかるのは、開いていないように見える眼と、かなり尖った形をした耳である。
「私は人間ではありません。ご覧いただいている通りのエルフです。」
「何用があってお主のような林人が斯様に寂れた木々生い茂る地の奥底にまで訪れるのじゃ」
(そのエルフがこんな辺鄙な森の奥の奥まで来て何の用だよ)
この世界ではエルフ族のことを『林人』と呼称しているらしい。
それはともかく、騎士姿の女性はこのような状況にあっておきながら表情一つ変えようとしない。
この違和感から、ロイリーヌは警戒心を解こうという選択肢は今のところ無いようである。
「まさかとは思うが、『ハイエルフ』とある種族がただの林人というわけではなかろ?」
(それに、ただのエルフではないだろ? 種族欄に『ハイエルフ』って書いてるぜ)
「!! ……まさか、命属性の中でも稀少な『鑑別』所有者ですか、貴女!?」
『鑑別』は、通常『鑑定』と呼ばれる技能よりもはるかに精密に対象を調べることのできる上位能力のこと。
ロイリーヌはこの四〇〇年強、自身の周辺を整えるだけではなく、独学で魔力操作や技能習得も併せて行っており、今まで蔑ろにせず研鑽を続けてきた。
その成果のうちの一つが、この『鑑別』である。
「ともすればわらわを精査するか?それとも解剖にでも回すかの?」
(知ったからにはどうする?研究対象か?それとも実験動物扱いにでもするか?)
と、半ば挑発するように言葉にしたロイリーヌだったが、意外な反応が返ってくる。
「そんな非道なことしません!このようにあどけなくも麗しい外見をされている貴女を?実験に使ったり?研究材料にしたり?人を人とも思わない扱いをしようと??私からしたらそちらの方が粛清対象です!たかが稀少だ危惧種だと価値にしか目を遣れない愚鈍な輩と同列に置かれることは騎士として以上に種族として最も恥辱極まりない行いです!奴らと同じ目線で見られるくらいならオークやゴブリン辺りに犯されて『くっ、殺せ!』って言って無慚で非業なる死を迎える方がよっっっっっっっっっっっぽどマシです!!!」
長いってば。
ロイリーヌも目を点にして驚愕の表情を隠せないでいる。
しかも当の本人はこれほど熱弁しておきながら、一貫して無表情だというのだから指摘する場所に困らない。
ただ、謎の力強さだけは、彼女も犇々と感じ取ったようで―――
「(あ、そう…)」
ばつが悪そうに言葉を濁し、先ほどまで鋭く立っていた警戒心の糸が切れたようである。
時は少し経ち、ログハウス―――もとい、ロイリーヌ宅の一階。
騎士姿のハイエルフ女性は椅子に腰掛け、ロイリーヌからお茶を持て成される。
「申し訳ありませんでした…つい売り言葉に買い言葉で…」
「(はは…)」
苦笑いをするくらいには、女性に対する思いは多少軟化した様子。
先ほどの熱弁に羞恥心を感じながら、やはり無表情のままである。
「お主、喜怒哀楽を見せぬのには訳があるのかの?」
(ところで、表情が変わらないのは何か理由でも?)
自らの分のお茶を持ち、女性に対して対面になる場所の椅子に腰掛け、唐突に質問を投げかけてみる。
確かに、表情が変わらないのに言葉が代わる代わる出てくるのは事情を知らないものが見れば不気味にも捉えられかねない。
余程の事情があるのならその先に踏み込むのはよそう、と思う彼女を前に、女性はゆっくりと口を開く。
「性分です」
(「はいぃ?」)
自分の耳を疑ったのか、ロイリーヌは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
しかし、直後の女性の表情に微かな違和感を感じ取り、誤魔化すほどの理由があるのかと再度問おうとしたが、今ではないとしてタイミングを計り直すべく一先ず話題を切り替える。
「まぁよい…斯様な場所に訪れた訳の方を聞かせてたもれ」
(話を変えよう。今度はここに来た理由を聞きたい)
「ああ―――私はここから西に遠く離れた王国の命で東に少し歩いたところにある、辺境警備隊の隊長を務めている『ポーラ・エニス・ベルハルト』と申します」
西部の遠方にある王国、やや東部に属する辺境警備隊。
彼女がこの世界に来て初めての、明確な地理情報である。
王国があることは概ね察しはついていたが、近距離に辺境警備隊の拠点があることは予想外だった。
「ここに訪れた理由なんですが、凶暴化する魔質生態が多く存在していた過去に比べて、近年特に生態が安定しているのが気にかかり、私の独断で調査を進めていたところでした」
彼女の表情がやや怪しく曇り出す。が、女性はその様子について気付いた素振りはない。
「隊員に話を進めても『アナタは仏頂面なんですから万が一人と出くわして警戒されでもしたらどうするんです』と執拗に言うものですから、そんなことはありませんよとぷりぷり怒って出てきてしまったんですが…さすがに反省です」
(…なんかその隊員さん、苦労してそうな気がするなぁ)
それはともかく、近年特に生態が安定しているのは、他でもない彼女の日々の努力の賜物である。
何だかんだで、彼女の持つ技能が、女性の来訪のきっかけにもなっていたのだ。
「そして貴女と出会うまでの間、ここに近付くにつれて生態どころか農場も出来ていて、しかもすべての生態がその農場を荒らすわけでもなく、皆が皆好物を分かち合う光景に、実は心打たれていました」
「ははは、よきことじゃの」
(そ、それはどうも)
そうまでして気に入られるのは嬉しいはずなのだが、どことなく釈然としない思いがあるのも確か。
お互い一口ずつ啜りながら、女性は話を続ける。
「神秘的な感覚を覚えました。血みどろな生存競争を繰り広げられることが恒常化しているこの世界の中で、全生態があのように協力するという、血を見ることのない平和な共存共栄の道があることを。人間や下位エルフなんかは今でも醜く対立してばかりだというのに、野生であるはずのあの子たちは手と手を取り合っているなんて、これ以上に素晴らしい光景があるでしょうか?!」
(言ってることは理解できるし、そうなるようにずっと努力してきたから共感してくれて嬉しいんだけど…この人は無表情のまま淡々と話すから、神妙なのか珍妙なのか判断が付きづらいな)
何はともあれ、女性が見た風景はこの世の中でも余程理想的な光景で感動したようである。
女性が言葉にした通りの醜い対立は、元の世界でも絶え間なく日常的に行われているといっても過言ではないほど存在しており、現に彼女はその世界を知っているが故に女性の言葉は芯に響き渡る。
が、女性の無表情語りが気になるのか、率直に受け止めていても微妙に違和感を覚えている。
「愚かな種族よな。お互いが起こす騒ぎが何を起こすかも考えぬとはの」
(確かに、対立一つで色々傾くものも多いだろうからなぁ)
「そうなんですよぉ!わかってくださいますかこの思いが」
色々感じるところはあるようだが、ロイリーヌはいっそのことと思い―――
「それは好しとして、お主に再度尋ねたいことがあるのじゃ」
(…思い云々はさておき、もう一度聞きたいんだけど、いいか?)
疑問を抱いた先ほどの質問を、今度は真剣な眼差しを以て投げかけた。
「顔つきから感情を察せられぬのだが、何故かの?」
(表情が変わらないのはどうしてなんだ?)
一度は聞いたその質問に、女性はかすかに眉を寄せて神妙な雰囲気を漂わせ始める。
「実はですね――――」