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転生令嬢はかませ役の弟を最大限溺愛する

作者: 山中

 子爵家令嬢エレオノーレ五歳の春、その日少女は姉になった。



 転生。その語彙がエレオノーレの脳裏に浮かんだのは、弟リーンハルトの顔を覗いた瞬間だった。電流が走るごときの衝撃に、つま先立ちで弟の顔を見ていた子爵令嬢は、ぺたんと床に崩れ落ちてしばしの間呆ける。部屋にいた大人たちは少女の異変に駆け寄ったが、エレオノーレにそれを気にかける余裕はない。


 リーンハルト・エーリヒ・フォン・ライフアイゼンは、乙女ゲームの登場キャラクターである。

 ……と、聞こえはいいが、その実態はヒロインと攻略相手が結ばれるためのかませ役にすぎない。

 前世のエレオノーレは当該ゲームをやってこそはいないが、熱心な友人のすすめでアニメは履修済みだったため、弟の素性をよく知っている。

 リーンハルトは正統派王子の下位互換であり、天才のヒーローに対してリーンハルトは秀才どまりであった。それでいて同年生まれということもあり、本来集まるはずの人々の注目と称賛は持って行かれた形になる。


 彼はけして無能ではない。平均より高い容姿と見識、そして運とを持ち合わせている。……のだが、作中のいくつかのやらかしと、持って生まれた傲岸さと燃える野心とが、リーンハルト・エーリヒ・フォン・ライフアイゼンは無能ないしは残念キャラの地位を引き寄せたのだった。

 また、以上の経緯からニッチな人気が根強いキャラではある。アニメ化の際にデザインがリファインされた彼は、ホビーアニメが好きだった前世エレオノーレにもしっかりと刺さっていた。生意気はかわいいのだ……。


 弟についての情報を頭に並べたところで、エレオノーレはふと考えた。リーンハルトの姉として生まれた意味があるのだろうか? 人は目の前の事象になんでも理由や意義を見いだしたくなる生き物である。また、エレオノーレには異世界で生きるうえの指針を欲していた。

 立ち上がって、小さなベッドに寝かされた弟の顔をもう一度見る。天使のごとき、否、天使そのものであるように見えた。


 リーンハルト・エーリヒ・フォン・ライフアイゼンは無能でも残念でもない。規格外の人物の威光に埋もれてしまっているだけで、彼だってすごいのだ。

 だからせめて、姉としての自分は、弟を愛そうと思った。うんとかわいがって、将来の功績をよく褒めてあげよう。エレオノーレは決心をする。


「お父様、お母様。わたし、リーンハルトの姉として、弟を守っていきたいです」


 その夜、エレオノーレはライフアイゼン子爵夫妻にそう宣言してみせた。まだ幼い娘の決意を、子爵夫妻はたいそう喜んだ。姉としての自覚が芽生えたことで、五歳の令嬢は急激な成長を遂げたように見えたのである。



 弟の誕生から二〇年間、エレオノーレは弟のことをとにかくかわいがった。エレオノーレの無条件な愛は、リーンハルトのすべてを肯定し、甘やかしとも呼べるかもしれない。

 小さな生き物は「姉上、姉上」と、エレオノーレの後ろをついてまわり、彼がエレオノーレの身長を越してからも、なにかと姉のもとを訪れては姉弟のじゃれあいを続けていた。


 リーンハルトは見事、秀才に育った。慧眼を持ち合わせ、国に起こった政治的混乱のなか、誰につくかを的確に見極めて、ライフアイゼン家は没落の道を回避することができた。

 そんな事件もあって、エレオノーレは弟と顔を合わせるたびに、弟のことを褒めた。自慢の弟、ライフアイゼン家の至宝、今世紀最高の天才! ときには抱擁も交えて……。


 エレオノーレ二五歳の夏、休日の軍人リーンハルトは姉のもとを訪ねてきた。いつもどおり子爵邸の庭で、二人だけの茶会を行う。


「リーンハルト、あなたは聡い子です。誰よりも的確に状況を見極め、家の危機を救って……。わたしの結婚話も、事前に相手方の闇を暴いてくれたおかげで、わたしは極悪非道な男のもとに嫁がずに済んだのです」

「そんな。どれも、運が味方してくれたのですよ。侯爵閣下と伝手を得たのは、偶然のことでしたから」


 エレオノーレの結婚話の解消は、相手がたと対立する某侯爵の取りなしもあったすえに、実現できたことであった。ライフアイゼン子爵家のみの力では決定的な証拠は掴めず、摘発はかなわなかっただろう。そんな一件もあって、エレオノーレは独身のままでいた。


「運命の女神さまもあなたのことが好きなのよ」

「そうであればよいものです。姉上をお守りすることができますから」


 せっかくの好意を姉に捧げてしまって、それで運命の女神の機嫌を損なうことにならなければいいがと、エレオノーレは少し憂う。リーンハルトの運のよさはじきに尽きてしまうのかもしれないのだ。今はまだ、謙虚さを見せるが、その謙虚さを捨て、野心を露わにして功を焦ろうとすれば……。


 一度の失敗を弟は体験するはめになるのだが、さらにルートによっては、リーンハルトには断罪される道が用意されているらしい。ヒロインに惚れたものの、彼女と親しくする攻略相手が邪魔で、実力行使に出るのだ。というのは、前世エレオノーレがインターネットで情報を拾っているときに知ったことであり、プレイ済の友人はそれを肯定した。


「あなたはあなたのままでいい。わたしはそのままのリーンハルトが好きだから。けれど、どうか足元は掬われないようにしてね。驕りを表に出してはいずれ、運命の女神さまにも愛想を尽かされてしまうかもしれないもの」

「はい、姉上。リーンハルトの肝に銘じておきましょう」


 初めてと言っていいかもしれない姉の忠言を、弟は素直に聞き入れた。


「それと、好きな相手にはやさしくしてあげなさいね」

「もちろんです、姉上」

「……あなた、そんなに謙虚だった?」

「謙虚なリーンハルトはお嫌いですか?」


 丸い瞳がエレオノーレを向く。リーンハルトの顔立ちはかわいかった。姉はこのかわいい弟には弱いのだ。お嫌いですかなんて、あざといことまで言ってみせて!


 さて、弟を溺愛することのデメリットというものをエレオノーレは考えたことがない。可能性自体は思い描いたことはあるが、存分にかわいがったところで、本来の彼の性格とさほど変わりはしないだろうというのが、エレオノーレの出した結論だった。

 むしろ、描かれていないだけで、本来のリーンハルト・エーリヒ・フォン・ライフアイゼンにも姉がいて、溺愛されていたかもしれないのだ。彼の自尊心だとか傲岸さだとかが、そういった土壌で育まれたものだとすれば、納得がいく。


 姉として弟を矯正するという選択肢も、おそらくエレオノーレにはあったのだろう。だが、前世世界で触れたリーンハルト・エーリヒ・フォン・ライフアイゼンというキャラクターの性格を好きになってしまったので、甘んじることにしたのだ。


 ――もしも断罪ルートに進んでしまったら、姉たるわたしが弟を守ればいい……。


 生じた責任を果たすくらいの甲斐性はエレオノーレにもある。リーンハルトほど手札を多く持てるわけではないが、守るための手段はいくつか用意しておこう。エレオノーレは改めて決心をする。それは二〇年前、両親にも誓ってみせたことだった。



 エレオノーレの誓いから一年後の秋、早朝の子爵邸にリーンハルトは飛び込んできた。寝ぼけなまこの姉に向かい、弟は目をきらきらと輝かせながら、明朗快活な声で報告を行う。


「姉上。このリーンハルト・エーリヒ・フォン・ライフアイゼン、フェアデヘルデの戦いにて大勝を果たしました!」

「え……ええ!?」


 その報告はエレオノーレに残った眠気をよく飛ばしてくれた。

 わが国は他国との戦争状態にある。フェアデヘルデの戦いにて、リーンハルト・エーリヒ・フォン・ライフアイゼンは指揮官の一人に任ぜられ、そこでの失敗が失墜のきっかけとなる。それは全ルート共通のイベントであり、避けられない出来事である……はずだった。

 功を挙げたことを一番に告げてくれた弟と、本来のシナリオの差異にエレオノーレは困惑しながら、褒められ待ちの弟の髪を撫でる。国の命運を左右するほどの戦いではないが、取り巻く情勢は確実に変わるだろう。


「エレオノーレ姉上、わが最愛。栄光をあなたのために捧げたく、リーンハルトはがんばりました!」


 姉の溺愛が、弟の意識を、ないしは世界の歴史を少しだけ変えたらしい。


「あなたはがんばったわ、リーンハルト!」


 子供のような屈託のない笑顔で腕を広げるリーンハルトに、エレオノーレは応え、彼の胸に飛び込む。勝利の高揚に酔った弟は、エレオノーレを抱え上げ、くるくると回った。


 弟がかわいいからもうなんだっていい! そう思うことでエレオノーレは今の状況を受け入れた。乙女ゲームのシナリオは現在進行形で行われているはずだが、運命の女神をすっかりと自分のものにしてしまったリーンハルトはそこから外れ、シナリオの強制力から逃れおおせたのだろう。

 乙女ゲームの世界にて、ライフアイゼン姉弟は独自の道を進む……。

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