『私』が愛した彼、「私」が愛する彼
3つの場面それぞれの起承転結を急ピッチで書いた為、結構内容ざっくりしてます
あと6分。待ち合わせの時間までの猶予はそう残されていなかった。
足早に改札を抜け、人混みの間を縫うようにして確実に前へと進む。
天気は晴れ。日差しの割に気温は低く、力を弱めた雪解けの季節の北風は、小走りで火照った体を冷ますには丁度いい。
待ち合わせまであと2分というところで、その待ち合わせ場所を視界の奥に捉えた。
休日の午後1時半。駅前のシンボルとして知名度の高い、円状の石畳の空間、その中央にいる1匹の鯉。
身体を捻らせ、台の下からは水を噴射することにより、まるで本当に生きているかのような躍動感を演出している。
そのシンボルの周りにはいくつかのベンチが配置されているのだが、驚いたことに、それに座る人々は全て例外なくカップルであった。
そんな光景に根源の不明な気まずさを覚えるが、踵を返すことなど選択肢にない。
俺は周りのカップルに倣うようにベンチに座り、所在なさを誤魔化すためにスマホを弄る。
そして自然に、瞳は画面端に映る時間表示を捉える。無機質な直方体は1:29を映したまま静止し、俺は1人、それ以外の機能が停止しているような錯覚を覚える。
「………」
そして、直方体は音もなく1:30へと表示を変えた。
と、同時だった。
上げた視線の奥に小走りで駆けてくる姿を捉えたのは。
そしてお互いの距離が15メートル程になったところで足を止め、その人物は肩を上下させながら誰かを探すように視線を右へ左へと巡らす。
「風見さん、こっちこっち」
本音を言うならばもう少しこの微笑ましい光景を眺めていたかったのだが、彼女の反感を買う恐れもある。そう考え、俺は声をかけた。
「あ…」
名前を呼ばれた彼女はこちらに振り向き、すぐさま駆け寄ってくる。
「すいません! 待たせちゃいましたよね?」
「何言ってるの? まだ1時半。時間通りだよ。それに俺もさっき来たばかりだし」
そう言って俺はスマホを見せた。液晶にはまだ1:30の表示が残っている。と思うや否や、その直方体は1:31へと表示を変えた。
俺と彼女、顔を見合わせる。3秒の静止。
次に来たのは笑いだった。くすくすと肩を揺らす程度の笑い。
「それじゃあ、行きますか。慎也さん」
笑いが収まったところで、そう彼女に言われて思い出した。デートはこれからなのだと。
まだ待ち合わせが終わった段階だと言うのに、こうも幸せを感じられるものかと、感嘆を抱く。
「うん」
北風はいつのまにか吹き止んでいた。
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……。
……………。
…………………。
そのデートから1ヶ月が経った。
「風見さん、これ。頼まれてたタオルだけど」
そう言いながら俺は入室する。
「あ、梶木さん。……ええと、こんにちは…、じゃなくて、ありがとうございます」
「こんにちは。それと、どういたしまして。体調は?どう?」
「今日も問題ないって、看護師さんが」
「そう。それはなにより」
「………」
「………」
逆行性健忘。いわゆる記憶喪失。
"あのデートの日“、彼女は数年分の記憶を失った。
原因は交通事故による頭部への強い衝撃。
「あの……」
「ん?どうしたの?」
医師の診断や、彼女自身の記憶する範囲から考えるに、失った記憶は5年分。今の彼女の記憶は高校で止まっている。
「いえ、なにか顔が暗いような気がして…」
「そう、かな? はは、ちょっと疲れてるのかも…」
_____ 。
あの時、もしも…。
正直に言えば、あの事故を起こした運転手を今でも恨んでいる。当然と言えば当然だ。大切な人を間接的に失ったのだ。
しかし、俺にはその恨みを晴らす先が無い。
だからこそ、このように毎日彼女の元に行っている。せめてもの償いとして。
「悔やんでいるんですか?」
「え…」
「……すいませんっ! なんでもありません」
「………」
「………」
「…悔やんでるよ。毎日毎日。あの時救えればって。俺が事故に遭ってればって…」
彼女の質問は、的確に俺の心の深いところを射抜いた。
悔しい。自分が情けない。
震える体と心をどうにか抑えて質問に答えようとする。……しかし、あの日の話をすると彼女の顔が思い浮かぶ。
忘れるはずがない笑顔が記憶の中にある。だがそれは記憶の中で突然砕け散った。まるで、あの日のように。
それを自覚した瞬間、感情の波が溢れ出た。
「でも! もう灯の記憶は戻ってこない!どうして!どうして灯だったんだ!俺が代わりに事故に遭ってれば……! 俺が……」
静かな室内に俺の心の叫びが響く。それは怒号にも、悲痛な想いにも取れる。
「そんなこと、言わないでください!」
頭の中は真っ白だった。思考回路は停止している。今更な喪失感だけが遺っている。
だが、その声だけは唯一脳に響いて…。
声が聞こえた瞬間、視界が揺れた。
同時に熱も感じる。何処からと、手で探る。それは左頬からだった。
「『俺が事故に遭ってれば』なんて言わないでください。だって、そんなこと…、そんなこと……」
これは何だ。何故熱い。
そうだ。平手打ちだ。平手打ちをされたのだ。
誰に。
目の前の人物にだ。
その人物は何を言っている。俺に何を伝えている。何を……
「そんなこと、あなたの大切な人は聞きたくありません!」
「ぁ…」
心が締め付けられる。
「きっと、その人はあなたの幸せを願ってる。きっと、その人はあなたに生きていてほしいと想ってる」
「………」
違う。締め付けられているのではない。これは…
「私分かります。『私』はきっとそう想うって。だから、自分を責めないでください!自分だけで解決しようとしないでください!」
「………」
これは、抱き締められているのだ。
「『私』がいます。力不足かもしれませんが、私もいます。だから、泣かないでください。笑って、『私』が好きだったあなたでいてください」
雨だったその日。
曇っていたモノは、いつかの時のように晴れていった。
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「まだかな…」
そろそろ出てきていい頃合いだと思うのだが。
「これだったらまだ中に残ってればよかったな……、お、やっと来た」
10数分前の自分に意味のない苛立ちをぶつけていた時、自動ドアから3人の人物が出てくる。それらは真っ直ぐと、こちらへ歩いてくる。
「灯。おかえり」
「う、うん。ただいま」
「ごめんね慎也くん。結構待たせちゃったわよね」
「大丈夫ですよお義母さん。退院おめでとうございます」
今日は灯の退院日だ。
記憶に問題が見られること以外頭部に問題はなかったのだが、事故の際に骨折していたこともあり、思ったより退院まで長引いてしまった。
「………」
「ど、どうかしたの?梶木さん」
「お義父さん、お義母さん。少し、いいですか」
「………」
「…あなた」
「あぁ、わかってる。……灯、少し待っててくれ」
灯を残し、3人。少し離れたところに場所を移す。
俺が2人に言うことは決まっている。
「お義父さん、お義母さん、お二人が灯を連れて帰り、しばらく様子を見たいのは自分にも想像がつきます」
間髪なく続ける。
「その方がきっと灯にとってはいいだろうし、自分より長く一緒にいた二人といれば、記憶が戻るかもしれません」
「………」
「………」
「それは分かっています。分かっていますが、どうか、自分に灯を預けて…、いや、託してもらえないでしょうか」
言葉を紡ごうにも、途切れ途切れとなりうまく言葉が続かない。しかし、そんな困難は大したことではない。彼女が負うハンデと比べれば。
「彼女の人生を奪った自分が言えたことじゃないですが、それでも、自分に、チャンスを下さい!」
今俺に言えること、全てを言い切った。
「…母さん」
「ええ」
今の俺には、それだけの会話が重々しく聞こえる。
「慎也くん。私たちは灯の親だ。あいつが上京するまでずっと面倒を見てきた。だから、分かるんだ。表情のひとつひとつでどう考えているのか、どう想っているのか」
「………」
「だから、それを踏まえた上で私たちはあいつのこれからを決める」
そう言い終わると、「いこう、母さん」とだけ言って灯の方へ戻っていった。
ダメだった、ということだろうか。
スッと、心の中の何かが抜けていく。
「さん……」
悲しみはない。寂しさがある。
少し前まで、すぐそばに大切な人がいるという感覚を持っていたというのに、この1ヶ月で何もかもが変わってしまった。
「じきさん…!」
何かが抜けていったはずの心は重く沈み、やるせなさが強く、その存在を主張する。
「梶木さん!」
「え……」
「呼びかけながら来たのに、何で気が付かないんですか」
「なんで、ここに…。お義父さんたちと帰るんじゃ……」
「梶木さんと帰るからここに来たんですよ」
「!」
「あ、あと、言い忘れてたんですけど…」
「………」
「私、梶木さんの必死で真剣なところ、好きなんですからね…」
柔らかな言い方はずっと変わらないが、その言い方のどこかには恥じらいのようなものがある。
ただ、その言葉からも、表情からも俺に対する嫌悪や恨みは微塵も感じられない。
ここまで来てやっと理解した。
彼女は俺を他人とは思っていないし、お義父さんたちも言葉でこそ言わなかったが、灯を俺に託していたのだ。
俺は決意した。彼女を幸せにすると。
「ありがとう、灯。……帰ろう」
「…はい、一緒に」
散った桜がアスファルトの上に無造作に置かれ、数多くの自動車が停めてある、ありふれた駐車場の景色。
ただ、今の俺にはこの景色が、決して色褪せない愛と重なって見えた。
1ヶ月後には梅雨入りとなり、その1ヶ月後には全国各地で真夏日を超える夏となる。
世界は回り続ける。不変の愛を乗せて。
どうも、クロッカスです。
頑張って書きました。時間が本当に有りません。
お義父さん、お前ってやつは…ッ!
クロッカスでした。ありがとうございました