第一章 お笑いなんて、大嫌いっ!! ⑸
時間を遡らせる。
ほんの十分前ぐらいだ。
ちょうど、瑠伊と奈々子が即席の漫才をして、佳境に入った頃だ。
漫才の舞台は、いつものことだが照明のライトが少し暗い。今日は、幾分かお客さんが多く見に来ているから企画としては格好がついたであろう。
しかし、瑠伊は苦しかった。
胸でもないし、体に不調があるとも思えない。
だが、苦しいのである。
瑠伊は、この舞台で実感した。
『笑いがない、、、』
横で必死にやっている奈々子には悪いと思うのだが。
観客は来ている。
観客は見てくれている。
しかし、そこまで。
お笑いで重要視となる、観客が笑ってもくれないのだ。
半分ぐらいは、聞き飽きているのが丸分かりなのである。
今まで瑠伊は、何人かの芸人と一太郎の半ば強制のピンチヒッターとして舞台に立っている。どれもこれも共通点がある。
それは、ウケが無いことだ。
観客の笑う声が聞こえない状態だ。まさにこれでは、二人で必死に騒いでいるだけで終わってしまう。
しかし、瑠伊は戸惑っていた。舞台に立つ前に奈々子に、
「今日は、台本通りにいくからね」
と断言していたからである。
奈々子の性格は、一言で言えば真面目である。悪く言えば、要領が悪いとも言えるが。
瑠伊はそれとなく、アドリブに持っていこうと次の台詞を変えた。
本来の台詞は、
『ナナちゃん。どっか、具合悪いの!? 』
だった。
実際に出した台詞は、
「ナナちゃん。近頃、善人らしくなったんちゃうん? 」
次に奈々子が言う台詞を変えさせない台詞を思い付きで選んだ。
奈々子は一瞬驚いた顔付きをしてたが、それがあまり変わらないと思ったのか、安心して台詞を喋った。
「あたい、これでもボランティアをよくするんよ」
「嘘! そんな人には見えへんな〜」
「なんでよ、月一回は必ず献血してるよ」
奈々子は自分の胸を叩く。
前フリだから笑いはないのだが、こんなに人がいても聞き入れてくれてる人がいるのだろうかと瑠伊は思う。
瑠伊は急いで、目を皿の様にして観客の反応を見た。
一人いた。
ほぼ、中央になる三列目の真ん中の席に座っている観客だ。
青系統の色のタータンチェックの模様のYシャツを着て、今では珍しいし床屋さんでも難しいとされるスポーツ刈りをしている男性だ。
顔をまともに見れば、今は危なそうに見えるが、普段はおそらく好青年に見える。年も瑠伊と変わらないと思う。
瑠伊は、少し安心していた。
『一人でも見てくれたら、いいか』
という、都合の良さと、
『ナナちゃんにも、これ以上に辛くなることないし、、、ね』
奈々子への気持ちも察していた。
ふぅと息を吸うと、大声でこの漫才では結構ハードな台詞を言い始めた。
「それ位のボランティアなら、私だってしてるよ」
「へぇ〜。で、どんな? 」
「どんなって、言われても、う〜ん。スケールが大きいからなぁー。この間、街まで買物にいったとき、二十四時間テレビやってたやろ!? 」
ここからが、実にハードになる。
奈々子が、
「やってたなぁ〜、確かに」
腕を組んで、相槌を打つ。
瑠伊は己の記憶力を信じて、一歩前に踏み出し、早口言葉で言うた。
「そんとき、偶然に見付けたんよ! 今時の芸能人にもいない、メチャクチャにハンサムな男が!! でも私、気にしないように過ぎ去ろうとしたら、不意にその人から声かけられてしもうたんよ。でさぁー、どのぐらいの格好ええ男かて!? そう、慌てんときなナナちゃん」
奈々子を宥める素振りをする。
奈々子も間髪入れずに、
「勝手に話、進めんときな。おい! 」
突っ込む。
これでも、観客は一向にも笑わない。相変わらず、見ている人は一人だ。
瑠伊は、既にサジを投げた感じで次の台詞を口走った。
「それでさぁー、振り向いたら、ホンマにメチャクチャハンサム!! 」
「ハ、、、ハンサムって、どのくらいなんなの!? 」
奈々子は、諦めてない視線を瑠伊に向けるから、瑠伊はやり通すしかなかった。
瑠伊は声のトーンも落とせずに、手も抜けずにやるしか道が残っていなかった。
「スマップとミッキー・ロークと足して、二つにわってジャキー・チェン半分混ぜたところに織田裕二かけて小室哲哉でまとめた感じかな! 」
「なんやそれはっ!? さっぱり、分からんやないのっ!! 」
本当に想像が出来ない。
言っている瑠伊も分からない。
瑠伊、曰く。
だって、台本に書いてあったんだもん!
今にも泣きそうだ。
それでも言わないといけないのが、瑠伊の役目でもあるのだ。
「ハンサムやったらえーねんっ!! そんでもって芸がポール牧なら、もう最高っ! 」
「なんちゅう、男や! 」
本当になんという台本なんだろうと、瑠伊も心の中で相槌を打っていた。
「そしてな。その彼の言われるままにな、私」
「ままま、まさか」
「そっと、ごく自然に百円を入れてやったんよ」
と、しおらしく言った。
まぁー、ここまでは多少クサイ演技もあるから、多少は見てられるし耐えられる。
だが、瑠伊の緊張の糸が切れた。
プツンと。
次の奈々子の台詞で。
「そらぁー、ナンパやのーて、カンパやがなっ!! 」
サァー。
更に空気が重くなった。
見てくれているたった一人の観客の男性もぽかーんと絶句していた。
思いっきり、絶句していた。
ハンマーで頭を叩かれても、痛いとは決して言わないだろう。
瑠伊は、もちろん確信していた。
一言しか脳裏に浮かばない言葉が、日本語にはちゃんと出来上がっていた。
だが、今の情況で瑠伊がしっかりと言ってしまえたら、どれだけ瑠伊は救われたことだろうか。
瑠伊は、苦笑いも様にならなかった。
見ている男性は、相変わらず絶句していたが、心の中では瑠伊と同意見であろう。
『面白くないっ!! 』
一言で言えるほど、物語っていた。
こうして、終わっていったのである。