第一章 お笑いなんて、大嫌いっ!! ⑶
さて、この即席コンビが即席漫才をしている頃、瑠伊と奈々子の二人がいた控え室の左側の部屋にも人はいた。
但し、部屋は真っ暗で明かりといえば、この人が持っているトランジスターラジオらしき物が発している光だけだ。
当然、男か女かの性別も、この情況では分からない。
しかし、ドアには控え室のはり紙もしていない、要するに今回は使わない部屋である。
ザザザ、ガァーーー、、、ガガ。
ジジジ、ザザザザ、、、。
ドアの向こう側では、こんな雑音に混じってこんな声も聞こえる。
『あー。申し訳ございません、えー、こちらと致しましては』
ザザ、ザザ、ザザザ。
『えー、やだぁー。ヒロシ、変な悪戯しないでよぉー』
ガガァーーー、ザザザ。
『ねぇー、御宅。いつになったら払ってくれるの? このままじゃ、ドンドンと借金、増えてもいいの!? 』
という具合に、親指一つでチャンネルを変えていく。
チャンネルか? 本当に。
つい、突っ込みたくなるのもいいだろう。 それでは、聞いてみよう。
今、チャンネルを変えた。
『あたい、これでもボランティアをよくするんよ。嘘! そんな人には見えへんな〜。なんでよ、月一回は必ず献血してるよ』
二人の女性の声だ。
一人は言い慣れていない関西弁。
もう一人は、ハスキーボイスだ。
操作している人物は、前者の声に覚えがあるらしい。
無造作に動かすのを止めた。
「たまには、聞くのもいいな。こんな盗聴なら、賛成してくれるだろう」
まさに自己満足したニュアンスで言い放った。
何を言い放ったかといえば、ここでは一つしかない。
『盗聴』。
辞書で引けば丁寧に書いてある。
とうちょう【盗聴】。
こっそりと聞くこと。
盗み聞きすること。
普通、どんな国で住んでも、誰にも聞くこともない、御立派な犯罪行為である。
だが、この人の言う事にも一理ある。
「人間、欲求の固まりさ。満たしたい時に満たさないとな」
だから、誰も言えないのだ。
この人の住んでいるアパートの住人は、特に経歴から変わった人達が多いから、
「いいんじゃないの」
一言で片付く。
怖い世の中になったものだ。
しかし、この行為を毛嫌いしている人もいた。
バァン!
勢い良くドアが開けられ、真っ暗な部屋が一瞬に明るくなった。
と同時に、
「コラァー! やっぱり、ここね」
言い寄ってきた時には、トランジスターラジオを隠す隙も与えさせないように、しっかりと腕を掴んでいた。
「み、美歌!? 」
もちろん、持ち主の姿も明らかになった。 眼鏡に不精髭、髪も切っていないから一つに束ねて紐で結うている男だ。
もちろんのこと、服装もTシャツにジーズンとラフすぎる格好である。
これでも赤鉛筆を耳に挟んでいたら、競馬場で予想している人のようだ。
正直にいって、ダサイ。
死語が当て嵌まる男だ。
仮にも段ボールで家を作っている人なら頷けるが、職についてこれである。
その職業は、
「ビクついて、どーすんのよ。次の仕事、何処に行けばいいのよ。マネージャー」
「あー、はいはい。次はですねぇー、凸凹スタジオでレコーディングですね」
一応、芸能マネージャーである。
美歌と呼ばれる女の子は、
「まったく。雑誌の取材が終わったから振り向けば、忽然と姿を晦ますんだもん。まさかと思って、このビルで使っていない部屋を一階から探したんだよ」
世話のかかる人だと呆れ返っていた。
しかし、彼女はこれでもまだ十五歳だ。
普通は逆だろうと思うが、
「、、、そしたら、予想通りの行動だったのね。やっぱり。最初の頃は誤魔化され続けたけど、今はもう誤魔化しきれないわよ。角田さん」
美歌は角田に問い詰めた。
三十半ばの角田は、笑うしかなかった。
美歌はセミロングにブラウンのメッシュが疎らに染まっている髪を掻き分けた。
そして、角田の腕を握っている手の力を更に強め、角田の手首を捻った。
「私、こーゆーこと嫌いなの。特に盗聴だなんて、大嫌いなの」
表情は笑っているが、角田のもがき苦しんでいる惨めな姿が全てを物語っていた。
それでもトランジスターラジオを放さないのは、
「俺の数少ない一時、たかが十五のガキに取られてたまるか」
角田の価値少ないプライドが言わせる。
「ふん! その十五のガキに迷惑がかかっているのは、何処の誰よ! 」
捻っている手首が紫に変わりかけた寸前で美歌は手を放したが、角田の手首にはくっきりと跡が残る格好となった。
「それに、マネージャーのくせに自分の担当のタレントのスケジュールさえも覚えてないじゃない!! この後は、ここでやっているお笑いライブで新曲発表を兼ねたキャンペーンライブをするんでしょう! 」
美歌に睨まれた角田は、まさに蛇に睨まれた蛙であった。
その蛇に徹底的に言われてしまった蛙のプライドの存在は無くなっていた。
角田は一度は頭を傾げたが、常時持ち歩いている美歌のスケジュールで埋まっている手帳を捲り、
「そうでした」
「ほーら。しっかりしてよ、もう! 」
その事実にマネージャーの自信まで失ってしまった。
更に追い打ちをかけるかのように、美歌は畳み掛ける。
「それと角田さん、このトランジスターラジオ、しばらくの間は没収ね」
素早く、取り上げた。
角田は己の最大の楽しみを取られ、親に玩具を取り上げられた子供のように嘆願を試みたが、美歌はそんなに甘くはない。
先程も言ったように美歌は、
「盗聴なんて暗くてやらしい趣味、しばらく出来ないようにしておくわね」
盗聴という行為が大嫌いなのだ。
美歌はトランジスターラジオを、そのまま通路の壁に叩きつけた。
ガシャン!
壁のコンクリートの粉も落ちたが、トランジスターラジオも見事に壊れた。
「ああ! せっかく、改造したのに」
角田は、これまでの努力が水の泡となるのを見るしかなかった。
まさに心境は、ムンクの叫びのような悲痛な思いがあるのだろうが、美歌は更に足で踏み付けてごみ箱に残骸に成り果てたトランジスターラジオを捨てた。
「これで、よし」
「ああああっ!! 」
何かが壊れた角田の衿を掴み、
「さっ! 行くわよ、マネージャー」
そのまま、二人は部屋を後にした。