第一章 お笑いなんて、大嫌いっ!! ⑵
同時刻。
『第五回 新人漫才コンテスト』の会場。
瑠伊の父、一太郎は静かに電話の受話器を置いた。
ピピ、ピィーーーー。
電話から出てきたテレホンカードを財布にしまう。
一太郎の後には一人の背丈の低い女の子がいたが、存在すら無視した状態で、
「やはり、我が娘。父の危機には、必ず助けてくれる」
感無量という言葉を見事に表現仕切った顔で涙ぐんでいた。
だが、果たしてそうなのだろうか!?
女の子は首を傾げていた。
というのは、一太郎と瑠伊のトークが、それはそれはバッチリと女の子の耳にまで届いていたからだ。
「社長、いいんですか?」
女の子は、心配そうに聞いた。
そりゃあ、そうだろう。
彼女にしてみれば、素人でしかも自分が所属する会社の社長の娘と組む羽目になるのだから。
それも駄目になれば、彼女の今日の収入はゼロということなのだ。
まさに生命を賭けている。
一太郎は高笑い、彼女の肩を勢い良く叩きつけ、
「大丈夫、大丈夫! あと三十分もすれば来るよ」
大船に乗りたまえという口調で言った。でも、彼女にしてみれば、
「それじゃ、打ち合せも出来ません! 台本を読ませるだけじゃありませんかっ!」
芸人にしてみれば、真面目すぎていた。
一太郎は、そこが気に入らなかった。
一太郎曰く、
「君、台本だけが芸じゃないんだよ。時にはアドリブが必要さ」
これが一太郎のモットーであり、彼の所属している芸人やタレントに口癖の様に言っている台詞なのだ。
続けて、一太郎は言う。
「それに我が娘は、君の相方よりいいボケを言うよ」
自身有りげに胸を張る。
親馬鹿か、そうでないとすればかなりの自信家である。
女の子は止せばいいのに、
「それでも、やはりですねぇ…… 」
一太郎に口答えしかけたところで、いきなり女の子の顔の真横に刃渡り十五センチぐらいはあるバタフライナイフが、コンクリートの壁に突き刺さった。
刺したのは、一太郎だ。
「君、社長が大丈夫と言っているんだ。下手な芝居は打たないよ」
「は、はいっ!」
凄む一太郎に、泣きそうな女の子。
しかし、女の子の表情が救世主が現われたかのように一変した。
バン!!
手の平が、コンクリートの壁に叩きつけられた。
先程、一太郎が突き刺したバタフライナイフの真横に立ち、ポニーテールのした女の子がそれはそれは物凄い形相で一太郎を睨み付けていた。その睨み付け方は、怖いお兄さんでも素早く道を譲るほどの威力はある。とても救世主には見えないが、一太郎に凄まれている女の子にしてみれば救世主なのだろう。
「瑠伊さん!」
女の子は涙ぐんだ顔で瑠伊に寄り添った。
「あら、欠けてるコンビって、ナナちゃんだったの」
「よろしくお願いします、瑠伊さん!」
『ナナちゃん』こと、後藤奈々子は頭を下げた。
実は瑠伊の幼なじみである。
奈々子の夢の為に、瑠伊がある意味での説得をして一太郎の事務所に入れてやった芸人でもある。
その夢は、実に普通。
『メジャーになって、家を建てる』
売れてきた芸能人が一番最初にやる、親孝行のトップを飾る、お決まり行事だ。
でも、確率は低い。
宝くじで一等を当てるようなものだ。
言い方のニュアンスを変えれば、奈々子のようになれるのだ。
瑠伊は流石に断れなく、
「分かったわ」
奈々子の頼みを聞き入れた。
奈々子は落ち着いたかのように胸を撫で下ろした。
そんな健気な奈々子に、瑠伊も微笑ましく見ていたが、その反対に瑠伊の表情が一変する。
その矛先はもちろん、
「い、いつもより早かったじゃないか」
少し怯えている一太郎である。
「携帯は壊さなかったの、瑠伊ちゃん」
声も震えている。
「携帯なら壊れたわよ、誰かさんが受験勉強の邪魔をしてくれたお陰で」
といいつつ、購入したての真新しい携帯を見せびらかす。
瑠伊は一太郎に近付き、
「パパ。この不況の中、大事な芸人やタレントを脅すなって、私が何度言えば聞き入れてくれるのかしら?」
作り笑いで話すが、その声は既にこれから始まる大爆発の兆候である事を奈々子は知っている。証拠に叩きつけたコンクリートの壁に瑠伊の手の平が埋まっていた。
多分、この会場が壊されるまで、永遠と語り継がれるだろう。
「そのために、一体、何人の芸人やタレントが逃げ出したのでしょうね!?」
一太郎の襟元を締め付けていた。
締め付けられた瞬間、一太郎の顔は青くなっていた。
「瑠伊さん、瑠伊さん!」
慌てて奈々子が止めてなかったら、悲惨な殺人事件で三面記事を飾っていた。
気絶しかけの一太郎を尻目に、
「パパ。今回限りで、もう金輪際、私を呼ばないで頂戴!」
名台詞になりつつある台詞を履き捨て、瑠伊は奈々子と一緒に控え室に入った。
控え室に入るなり、奈々子は瑠伊に問い掛けた。
「瑠伊さんって、どうして東大に決めたんですか?」
「え、なんでって」
瑠伊は、奈々子から手渡された台本を読みながらメイクに取り掛かっていた。髪を結うている白のリボンをほどいたら腰まであるロングヘアーが姿を現す。そして、普段はコンプレックスを感じている眼鏡をつけ、メイクも嫌だけど厚化粧をする。
これで、メイクは終了である。
奈々子はその変貌ぶりにも驚くが、
「だって、将来はお笑い…… 」
言い掛けたところで、瑠伊は奈々子の口を押さえ込んだ。
瑠伊は微笑んだまま、
「ナナちゃん。今日の私は、ただのピンチヒッターよ」
と、言うだけ。
すぐに押さえてた手を放した。
奈々子にしてみれば、瑠伊も一太郎もやはり親子なんだなぁ〜と、怖いくらいに理解が出来たであろう。
台本を読み切った瑠伊が言う。
「私、お笑いなんて大嫌い。今度もその話したら、スゴイ事になるから」
「は、はい」
奈々子は、今度は自分の身の安全を最優先にした。
後藤奈々子の教訓。
ヘタに逆らわない方がいい。
これに尽きるのである。
奈々子は、慌てて話題を変えた。
「でも、東大はどうしてなんですか?」
「あー、東大ね」
瑠伊は真顔で聞く奈々子に、少し頬を赤く染めた。
奈々子は不思議そうに、そんな瑠伊を見ていた。
「簡単に言っちゃうと、将来の為かな」
「将来?」
殺伐とした答えに、奈々子は首を傾げた。「将来、何かあるんですか?」
突っ込んだ質問に変わる。
瑠伊は、見事に狼狽した。
何も考えてもいなかったからだ。
慌てて、
「ナナちゃん。例のこと、今日実行するけどイイ!?」
闇に葬り去るつもりで、話題を変えた。
それも一太郎が聞いたら凄い話だ。
「それは別にいいですよ」
間の悪い返事。
続けて、
「ただ、いろんな意味で難しいですよ」
と、後の責任は取らないような口調だ。
「いいの、いいの。とにかく、こんな生活から離れたいから。このまま家にいたら、お笑いタレントにされてしまうから」
瑠伊にとっては、情況なんて全く関係なかった。
奈々子は、呟いた。
「……東大生の芸人って、話題性あるのにな」
決して、瑠伊には言えない。
もし言ってしまえば、瑠伊の制裁が来ることが分かっていたからだ。
「どうしたの?」
「い、いいえ。楽しみだなぁ〜って」
笑って、誤魔化した。
その間にライブは中盤まで差し掛り、とうとう、この即席のコンビの順番になった。
瑠伊は始まる前に奈々子に言った。
「今日は、台本通りにいくからね」
奈々子は本当に覚えているのだろうかと半信半疑だが、
「何、不安がってるのよ。大丈夫、これでも記憶力に自信あるから」
「は、はい!」
瑠伊の一言で奈々子は、取りあえず信じることにした。
でないと、何をされるか分からないからである。