第三章 酔っても、グチっても.... .... ⑸
ピシャ... ...
どちらも襖を見ようとしなかった。
「やっぱりね。元々、ギャグは嫌いやないんや」
確信したのか、高熱でハンマーで叩かれた鉄よりも硬くて強い自信で満ちていた。
拳を握り締めて
「僕には分かる!!いくら口では嫌がっても、先輩の身体にはコメディアンの熱い血が流れてるんやっ!!」
涙を流して感動している。
瑠伊は、まだ絶句していた。
反応が遅かった手で口を塞いだまま硬直していた。
「その証拠にアドリブに応えてくれたんじゃないですか」
「と、と、と、突然なんなのっ!?」
やっと我に返った。
全身に滲んでくる冷汗を感じて。
相沢は間を置かなかった。
『ジュンでーす!!チョーサクでーすっ!!』
『ミナミハルオでございますっ!!』
ガアァァァァァァァァン!!!
稲妻の衝撃が襲った。
外は快晴なのに瑠伊の部屋は雨霰の状態である。
「か、身体が勝手に!?」
自分でも気が付かなかった反応に狼狽えるしかなかった。
これが芸人であれば見事な反応だと感心もするが、あくまでも瑠伊は普通の高校三年生で東大を志望大学としている受験生なのである。
大きく首を振り、
『こんな無駄な時間を費やす暇なんてないのよ』
相沢に聞こえないように呟くので精一杯である。
瑠伊の右手は今にも繰り出しそうになっている拳が握り締められている。
ある意味で堪えていた。
それでも相沢の不敵な笑みが消えることはない。反対に快感になっているようだ。
「やはり、僕の推測通りですね」
「す、す、推測って何よ」
狼狽える瑠伊は真っ青になりながら襖へ近付いていた。
相沢も瑠伊から視線を外さなかった。
「突っ込まれたらボケずにはいられない、まさにボケるために生まれてきた人間!!一億人に一人しかいないと言われる究極のボケ体質!!」
「そ、そ、そんな体質、あるわけないでしょう!!」
思わず突っ込んでしまった。
その突っ込みにも相沢は異常な快感として味わっていた。
ぞぞぉ〜と、寒さを感じる程に。
「そう。天然とされる人種なんですよ、篠原先輩はっ!!」
「あなた、何者なの!?いったい」
と、聞かれた相沢は、涙を流していた。
「僕は天然のツッコミなんです。なんでやねんと相方にフリたくて、フリたくて堪えられない程に、長い間、篠原先輩のような人を捜してました」
今頃、相沢の頭には走馬灯のごとく、いろんな思い出が次々と克明に映し出されているだろう。
その顔はまさしく、いっちゃっていた。
感無量という奴だろうか、瑠伊から見れば程遠い違いがある表情であった。
正面に話すのやめて部屋からも出ようかと襖へ一歩だけ踏み出した。
たいした音も振動さえ感じない。
麻薬中毒者よりも酷くいっちゃっていた相沢の首がカクンと瑠伊を捕らえた。
「う、うそ!?」
恐怖の怪談張りの相沢の反応に現実に戻そうとした結果、この一言しか浮かばなかった。
再び笑う。
あのぉ〜、何がおかしいんですかぁーとでも言いたい瑠伊であったが、
「し、篠原先輩こそ僕とコンビを組み、腐りかかっているお笑いの世界に強烈で斬新な一ページを築くんです!!」
思わず耳を塞いでしまう叫びが部屋中に響き渡った。
同時に今まで狼狽えるしかなかった瑠伊だが、この一言で憤りに変わった。
顔を真っ赤にさせて、
「じょ、冗談言わないでっ!!私はお笑いの無い世界で人としての人生を生きたいのよっ!!お笑いなんて低俗で下品なことなんか... ...、やりたくてやってんじゃないんだから!!」
この世とでも見ない形相で、相沢を睨み付けた。
「じゃ、なんで舞台では余計な思考まで働いてでもやろうとするんですかっ!?やりたくない、恥ずかしいのは舞台ではなくてウケないからでしょう!!」
「か、勝手に決め付けないで!舞台、漫才なんて真っ平だわっ!」
「僕やったら思い存分、篠原先輩の力を引き出せます!もう篠原先輩以外の人と組むつもりはありません。その気になるまで、何年でも待ちますよ」
「どーも、おあいにくさま!そんなの無駄な浪費だわっ!!」
二人揃って息が乱れていた。
呼吸するにも首にくる苦しさが伴う程の酸欠状態である。
回復が早いのは、やはり若さである。
「そうですかぁー?」
相沢が実ににやけた笑みを見せた。
何かが来る!!
瑠伊の本能が本人の意志とは無関係に働いた。
その読みは、素晴らしいぐらいに当たっていた。
『あー、キミタチがいて』
『ボクがいるっ!!』
暗闇の押し入れで独りぼっちにされた、それはそれは物凄い静寂の時が訪れた。
にやける相沢。
針のむしろにいる瑠伊。
顔面の表情対決であれば相沢の完全勝利だが、瑠伊の右の強烈なパンチが相沢の脇腹にめり込んでいた。
ドオォォォン!!!
見事に吹き飛ばし襖も突き破った。
「不愉快だわっ!!」
そんな捨て台詞を吐いて瑠伊は部屋を出た。
慌てて飛び出してきたしのぶは襖を布団にしている相沢に視線を落とした。
完全に白目を向けていた。
器用にも笑ったままで。
はぁーと息を吐き、コメカミを押さえた。
「救いようが無いって... ...、こういうことを言うのかな」
こういうことを言うのである。




