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06 外の世界

 

 ──血みどろの肉塊になった泥鼠の群れを見下ろして、俺は剣を鞘に収める。これで今日の掃除は終了した。

 俺は手斧を取り出して、殺した泥鼠の解体を始める。可食部位と尻尾を麻袋に詰めていると、背後から血溜まりの床をびちゃびちゃと歩いてくる音が聞こえた。


「泥鼠なんかバラしてどうする気? まさか食べるんじゃないでしょうね?」


「ニナか、最近よく会うな……。住んでる区画も変わったのになんで鉢合わせるんだ?」


「ただの偶然よ。それより、それ本当に食べる気?」


「俺の勝手だろ」


 俺は振り返ることもせずに、ただ泥鼠の死骸に斧を振り下ろす。


「……アンタ、上等な食生活を得るために戦ってたのよね?」


 ニナの言葉に驚いて、解体する手が一瞬止まった。彼女が俺なんかの事をそこまで理解しているとは思っていなかったからだ。


「よく知ってるな。たしかに俺は培養されてない本物の肉が食べたくて、毎日必死に働いてた。でも、もういいんだ」


「あぁそう……ところで私、五級の掃除屋になったのだけど、お肉なら少しくらいアンタに分けてあげても良いわよ。この場合どうするの?」


 ニナは冗談めかして言う。数日前までの俺ならば目の色を変えて飛び付く提案だった。しかし今の俺にとっては、やはりどうでも良い事だ。


「本当にもう必要無いんだ。下手に舌が肥えると外縁居住区(ドブの底)で生きるのが辛くなるからな。それに俺だけ良い物を食うとシィが文句を言う」


「そのアンタの足を引っ張ってる後輩、いつまで世話してやるつもり? さっさと捨てないと昇格にも影響するわよ。最近は仕事に来る頻度が減ってるし、相手してる魔物も雑魚ばっかり」


「あ、もう帰らないと。あんまり長くあいつを一人にすると凄く拗ねるんだよな」


 俺は立ち上がってニナとすれ違い、そのまま真っ直ぐ居住区に向かって歩いていった。迷宮の外に出るまで、俺は一度も振り返ることはなかった。


「……あの女が、そんなに大事なの?」


 ──暗い迷宮の奥から恨めしげな声が響いてきたような気がしたが、俺の耳には入らなかった。




 外縁居住区の一角に建てられたボロ屋に帰ると、家の中でゴソゴソと何かが蠢く気配を感じた。既に消灯時間を過ぎた居住区はとても暗く、貧乏な我が家にはランプすら置いていないので、その姿を捉える事はできない。

 ──俺が玄関に上がり込んだ途端、蠢いていた“何か”はドタバタと騒がしく接近して来て、俺の脚に絡み付いた。


「っ! た、ただいま?」


「……怖かった」


 大袈裟な出迎えをしてくれたのは、やはりシィだった。肘には激しく這いずって出来た汚れがあり、服から露出した素肌には新しい痣があった。

 目元にはくっきりと涙の跡が残っており、いつもの生意気な口調も鳴りを潜めていた。


「一日家を空けただけだろ」


「もう無理なの。限界なの。だからセンパイもう仕事に行くのやめよう? ね?」


「……お前、飯はちゃんと食べたのか? ずっと蹲ってたんじゃないだろうな? それにまた痣が増えてるぞ、自分でやったのか? そういうのは止めろって言ったのに」


「誤魔化さないで! そんなの、どうだっていい!」


 癇癪を起こしたシィの手が、俺の持っていた麻袋を払い落とす。泥鼠の肉と、掃除の報酬が詰まっていた袋だ。

 ぶちまけられた中身には目もくれず、シィは不自由な指で俺のズボンを掴んで必死に立ち上がろうとする。……しかし脚には全く力が入らず、派手に転んだシィは散らばった泥鼠の血肉に頭から突っ込んだ。


「おい無茶するな、お前の脚はもう」


「おかしい、こんなのおかしい! 本当なら、センパイはずっと家に居てくれるはずなのに! だってセンパイが悪いんだもん! 全部全部、センパイの責任なのに、なんで私だけこんな目に遭って! どうしてセンパイは私を放って何処かに行くの? 私をこんな体にしたセンパイが、どうして元気なの!?」


 血に濡れた髪をグシャグシャに掻き乱して涙を流すシィ。その紅い瞳には哀しみとも憎しみともつかない感情が宿り、ただ俺だけを縛り付けるように見詰めていた。


「俺に、どうしろって言うんだよ。何もしなかったら二人とも死ぬんだぞ。俺だって好きで掃除屋なんかやってるんじゃない」


「私だって、私だって好きでこんな風になった訳じゃない!!」


 そう叫ぶと、シィは痣だらけの自分の身体を見て、一瞬怯えた顔をする。そして正気を取り戻したように細い肩を抱えて蹲った。


「……センパイ。私のお願い、聞いてくれますか?」


「あぁ」


 顔を伏せたままのシィの背中に手を置いて、俺は肯定の意思を示す。どこまでも責任は取るつもりだ。


「私、迷宮の外(・・・・)に行きたい。本に書いてあった"外の世界"には、壁も天井も無くて、食べ物が沢山あって、魔物は居なくて、仕事で簡単に人が死ぬことも無いって……それが本当なら、素敵な事だから」


 ……また面倒なことを思い付いたな、こいつは。


 外の世界、それは確かに存在するらしい。人類の祖先は迷宮の外から“やってきた”と言われている。様々な本にも、外の世界の知識が書いてある。

 しかし行けるかどうかは別の話だ。迷宮の中でも重要な場所というのは貧乏人の立ち入りを禁止されている。

 何より、人類はまだ迷宮の構造を完全に把握していない。現状では出口を見付けることは不可能だろう。


「お前、それ本気で言ってるのか?」


「本気です。だから答えだけ教えてください」


「一応、何とかしてみる」


「嬉しいッス」


 本当に、心から嬉しそうにシィは目を細める。それを見て、俺は愚直にも彼女の願いを叶えてやろうと決心した。──その笑顔の裏に醜い束縛の感情があった事にも、気付いてはいたが。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 重症の探索者への強盗、事故の欠損と精神破壊、限界状態でのその介護… 現代日本で働きながら老人を介護するより遥かに厳しい仲間の介護。地獄で最高です。 他作品と比べるとキャラが少なく序盤の役割…
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