22 夢の中にある
古ぼけた石材の建物に転がり込んだ俺は、内部に魔物が住み着いていない事を確認してから、崩れるように地面に座り込んだ。
背負っていたハキリを少し乱暴に地面に下ろしてしまい、彼女の顔には俺の脇腹から流れた血がドバッと掛かった。これは申し訳ない。
「さて、どうしようか……血が、止まらない。この程度の傷、今まで何度だってあったのに……寒気がして来た、今度こそ死ぬかもな」
「冗談でもそんなこと言わないで欲しいッス」
刺すような視線と共にシィが声を低くして言う。少なくとも彼女がいる限り、俺が死ぬことは許されないだろう。
「はぁ……あの鳥、何か毒を持ってるな。血が全然固まらないし、身体の末端が痺れて動かなくなってきた、呼吸も苦しい……キュウは、よくそんな状態で生きてるな」
ただ腹を十センチほど抉られただけの俺が喘ぐようにゼヒゼヒと呼吸している横で、キュウは安らかに眠るように気絶している。脈があるのはむしろ不思議だった。
「シィ、しばらく見張りを頼む……もう起きてられない。少し、ほんの少し眠るだけだ。死なないから……」
「ほ、本当ッスか? こんな事で死んじゃ駄目ッスからね……そんなの絶対、許せない。まだセキニンが残ってるんだもん。私のこと守ってくれるんでしょ? 迷宮の外に出るまで死んじゃ駄目、そんなの許されないからね」
シィな声が遠くなっていく。脳が機能を止めてきた。何を言っているのか聞き取れても、頭で理解ができない──こいつは今、なにを喋ってるんだろう。
「あぁ、分かってる」
本当は何も分かってなどいなかったが、それでも俺の口からは自然にそんな言葉が出ていた。面倒なものだ。
意識が、冷たく沈んでいく感覚だけがある。
──────
……深い闇の中には浮かんでは消える景色があった。
これは、夢だろうか? 懐かしく、平凡で、大したことのない、日常の風景だ。
「──お前が、私のセンパイ?」
小柄で、身なりが綺麗で、なのに育ちが悪そうで、見ているだけでイラつくような態度の少女……一言で表すならとても生意気そうな青髪の少女が、俺に話しかけてきた。
先輩に向かって"お前"呼ばわりとは失礼な奴だと思った。敬語も使えていない。
この分だと彼女は長続きしないだろうと思った。低級の掃除屋にはまずチームワークが大切だからだ。
「はぁ? 敬語? 何言ってんの、敬ってる相手に使う口調を、なんでお前に? え? まさか私より偉いつもりでいるの?」
歯に衣を着せないとか、そんなレベルじゃない。まるで他人に興味が無く、最初から関係を作るつもりも無いような態度だった。
可愛がろうとも、助けようとも思えない奴だった。なのに何故だか放っておけない奴だった。
「キャリアが長いっていうのはね、長所じゃないの。それに伴って出世してなきゃ意味の無いコトなの。お前にわかる?」
彼女はいつも、知ったふうな口を聞いては俺をイラつかせる。顔を合わせる度に嫌味を言って、俺が些細な失敗をすればあげつらう。そのくせ自分のミスは他人のせいだ。上から目線で語る時は、俺に視線すら合わせてこない。
新人のくせに、剣も振れないくせに……俺以外の仲間から、もうとっくに嫌われているくせに。
「あんまり付き纏わないでくれる? 仕事の邪魔なんだけど……え? いや一人でも泥鼠くらい掃除できるって──はぁ!? 私が、お前と組む? ムリムリ、相性最悪だもん」
俺たちは性格は合わないし、戦法も違った。
「私の武器? クロスボウも見たことないの? 貧乏人って救いようがないよね、こんな素晴らしい物を知らないなんて」
大切に思うものがズレている奴だと思った。向こうも同じ事を思っていただろう。
「どう? この威力、いつも斧振ってるだけの馬鹿な掃除屋には真似できないでしょ! ……そう! そうでしょ! ちょっとはマシな頭脳を持ってるみたいね!」
偶に無邪気に笑う奴だった。今となっては、もう彼女の心からの笑みは見られない。
「ねぇセンパイ? 今日の私さ、ちょっといつもと違わない? ……っ、そう! そうなの! やっぱ分かってますね!」
彼女が実は普段から無理をしている事に、いつの頃からか気付くようになった。
「ちょっとちょっと! あの美人でクソ怖い先輩は何なんですか!? さっき急に因縁を……え、ニナ? 名前を聞いてるんじゃないんですよ!!」
本当は他人にも興味があったのだろう。それでも結局、ニナとはあれ以降、話していないらしいが。
「あのですねぇ、センパイ。泥鼠の生態も知らないんじゃ掃除に支障をきたすんですよ。教科書にも目を通してくださいよ、ただでさえセンパイは雑魚なのに……は? 他の先輩にも敬語を使えって? 急になに? 馬鹿なんですか?」
いつまで経っても人に懐かない奴だった。きっと俺にも、心を許している訳ではなかっただろう。
「はいはーい。皆さん、今日はよろしくお願いしまッス。あ? なんスかセンパイ、なんか文句あるんスか? ちゃんと全員平等に敬語で接してるでしょうが……あァ?」
思っていたよりも素直な奴だったが、それ以上に頑固で、ズレた拘りを持っていた。
……俺は夢を見ている。懐かしく、平凡で、大したことのない、しかし二度と同じようには過ごせない時間の夢だ。本当に短い時間だ。たった一年かそこらの、人生のほんの一部の時間だった。
くだらない。俺はどうして今更こんなものを見ているんだ?




