7話
それからややあって、5限目開始からおよそ2時間後。
千早と彼方は、作り置きのLANケーブルを、2階北西のコンピューター室へと運び込む。
本来1人でやる仕事も、2人で分担するとあっと言う間だ。
作業開始からたったの30分で、全マシンのLANケーブルを差し替え終わった。
「なんか悪かったわね。私に付き合わせちゃって」
千早が申し訳なさそうに言うと、彼方は気さくに掌を翻す。
「良いって良いって♪ あの3人の事と言い、今度の頼まれ事と言い、この状況で放っとけるほど、アタシも薄情じゃないから」
そう言って彼方は、教室内をざっと見回してから、両手を腰に当てて意見を求める。
「で、新しい線に全部繋ぎ終わったのは良いけど、確認作業って、どうやるんだろ?」
千早は教卓前で短く悩むと、思い付くままに手段を挙げた。
「教室内のパソコンを全部動かすのも大変だし、試しにどれか一台、インターネットに繋いでみれば良いんじゃないかしら?」
「じゃあ適当に、目の前のコレで良っか」
千早と彼方は、隣り同士の席に座って、正面のコンピューターを立ち上げる。
OSの起動画面のすぐあと、マウスを操作してアイコンをクリック。
問題なくネットに繋がった。
試しに、自分達の通う学園名を入力すると、索引の先頭に、目的の項目が表示される。
「オッケ~。どうやら上手く行ってるみたい」
「それなら、あとはパソコンの電源を切って、先生に報告に行くだけね」
「そうしよっか♪」
彼方は上機嫌に呟いてすぐ、急に胸元で腕を組み、不機嫌そうに口を尖らせる。
「あっ! でも、あの3人が近くにいたら、絶対、アタシ達の邪魔をして来るよ」
難儀な表情でモニターを睨むこと数秒、千早に提案する。
「ねえ、春風さん。あの3人が何処に居るのか、探知ノイズって奴で探してみない?」
コンピューター室にある機材は、どれも数万円はする高価な代物ばかりだ。
もしも誰かが無断でマシンを持ち出せば、軽いイタズラでは済まされない。
もちろんそれは、監督教師や居残り整備をしていた自分達にも被害が及ぶ。
特に、この私立鏡守学園の校長は、生徒達のあいだで『守銭奴』などと揶揄されるほど、お金のことには口うるさい。
そのうえ若干のヒステリー持ちなので、問題が起こると、すぐに独裁的な事を言い出すため始末に負えないのだ。
千早はややこしい未来を予感して、迷わず同意した。
「ええ、そうね……。やってみる」
目を閉じて、自分を中心に光の輪が広がり、『ピコン……』と高い音波が走る
光景を想像する。
やがて、瞼の裏の真っ暗な空間に、3階『Iの字型』の校舎が緑のワイヤーフレームで構成され、その中に警戒型のオレンジの点が3つ浮かぶ。
一つは、同階廊下の曲がり角。
残る二つは、途中にある女子トイレから反応があった。
「…………見付けた。片瀬さんの言った通り、近くの廊下の曲がり角に一つ。この反応からして、相手は多分、木嶋さんね。あとの2人は、分かれ道手前の女子トイレからだわ」
「やっぱりそうだ! 見張り役の1人が電話とかで合図して、私達が教室を出た隙に、3人で悪さする気なんだよ」
相手のやり口を鼻息荒く解説してると、パソコン画面へ自動的に何かが表示された。
「アレ? なんか、勝手に地図が出てきたよ?」
不思議に思って画面をクリックすると、表示内容が全画面に拡大表示されて、
枠内の図形が回転を始める。
緑の骨組みで描画された三層構造。
よく見るとソレは、上空視点ではI字型をしていた。
黒地を背景に表示された立体画像を凝視して、千早が驚きの声を上げる。
「ウソ!? これ、私が探知ノイズで見てるものと、まったく一緒の光景よ」
「ええっ!? コレ、春風さんのノイズとおんなじなの?」
彼方の瞳が、立体映像に釘付けとなる。
驚くべきはその画像。静止画などではない。
3つの点が入れ替わりに、トイレと曲がり角を行き来している反応からして、リアルタイムの監視映像なのだ。
「春風さんのノイズが、どうして……」
「おそらく電波干渉ね。ノイズの振動波が電子波動に似てたから、コンピューターが誤作動を起こして、探知ノイズを発信し続けてるんだわ」
つまり、千早の探知ノイズが精密機器に伝染したのだ。
千早ノイズと電子情報は、ほぼ等価。
この奇妙な性質から、彼方が妙案を持ちかける。
「そうだ! 春風さんのノイズを使って、3人が悪さしてる所を、先生に見てもらおうよ」
「私のノイズで、どうやって?」
「学園のパソコン、校長がお金にがめついだけに、チャット機能が付いた最新型だからね。3人が教室に入って来たとき、相手に分からないようにマシンを起動させて、イタズラしてる姿を隠し撮りするのはどうかな?」
超能力で丸く収まらないなら、機械の補助で証拠を突き付ければ良い。
彼方の云わんとする事を理解した千早は、椅子の背凭れを前後に揺らして頷いた。
「なるほど……。ノイズを使って、教室のコンピューターに『電子ハック』を仕掛ける訳ね」
「そういう事。あと、どうせだったら出入り口の電子ロックも♪ すぐに脱出できないように鍵をかけて、先生が来るまで閉じ込めちゃうとか!」
名案だが、千早は一瞬、決断に迷う。
今まで自分のためにノイズの行使を控えていたのは、超能力の悪用を避けるためだ。
日常的に超能力に頼ることで、常識人から外れる孤独を恐れたからでもある。
千早が、視線を机上に落として答えを探っていると、彼方がおずおずと声を掛ける。
「その……。そういうの、やっぱりダメかな?」
相手を心配するような眼差しに、千早の迷いが吹っ切れた。
自分はもう一人じゃない。
特別な力を使えるとか、そういったことも関係ない。
本当に大切なのは、自分がどんな風に生きていたいかだ。
――私は、変われるかも知れない……。
千早の胸に、新たな人生へと踏み出す勇気が生まれる。
「ううん、やろう! 私だって、皆のように、普通の高校生活がしたいもの!」
ありのままの気持ちを叫ぶと、彼方の瞳が感激に潤んだ。
「ウン♪ ちーちゃんなら、きっと出来るよ!」
期待に肩を弾ませて返すと、彼方はすぐに指示を求める。
「それで……。私はこれから、何をすれば良いの?」
「まずは、出入り口の扉を閉めて。ノイズを使うところを外から見られるとマズイから」
「分かった、ちょっと待ってて。…………よし、出来た。で、次は?」
彼方が隣りの席に戻ると、千早は、一番大事な役目を伝える。
「これからノイズを使って、コンピューターの中から機械に直接アクセスするけど、その間、片瀬さんには、私の身体の世話をしてほしいの」
「コンピューターの中から直接? それって文字通り、機械の中に入るってこと?」
「意識だけね。気絶した拍子に机にぶつかって、機械が誤作動するといけないから」
言ってる意味はよく分からないが、信頼できるのは確かだ。
彼方は、少しだけ真面目な雰囲気で固まると、机の上で両手をキュッと軽く結んだ。
「…………うん、分かった。あとは任せて」
「それじゃあ、始めるわね」
今の自分なら、なんだって出来そうな気がする。
千早は深く息を吸い込み、片手をキーボードの上に翳して鋭い声を放つ。
『精神突入!!!』
千早の掌から青白い電流が走り、彼女の意識はキーボードから通信線を抜けて、ハードディスク内へと向かう。
やがて辿り着いたのは、電子の海に生じた小宇宙。
赤・青・黄色。
広大無辺の闇に明滅する電子雑音の三原色。
その中心に、オレンジ色のワイヤーフレームで縁取りされた球体が浮かんでいた。
「これが、この機械の制御システムね……」
透明な球体内部の空間を、アルファベットの情報命令がひっきりなしに乱舞する。
千早は球体に触れて、マシン内部の情報を引き出し、カメラ機能と音声モジュールを有効にした。
『うわっ! ちょっとちーちゃん、大丈夫?』
不意に生じた声に驚き、千早が後ろを振り返る。
瞬間、斜め上に巨大なスクリーンが出現し、モニター上部のレンズを通して、
現実世界の光景が映し出された。
スクリーンの中には、意識を失って前のめりに倒れる自分の姿と、それを支える彼方の様子が中継されている。
「片瀬さん、そっちは大丈夫?」
『へっ? ち~ちゃん? なに、どっから声出してんの?』
「こっち。画面画面……」
最初に彼方は、視線を左右に空振りさせると、千早の指示で、すぐにモニターを注視する。
『うわっ!! ど~なってんの? ち~ちゃんが2人も居る』
「さっきも言った通り、意識だけを電脳空間に移植したの。説明が足りなくて御免なさい……。実は私も、こういった使い方は初めてだったから」
彼方は事情を理解すると、気の抜けた様子で、画面内の映像を眺める。
『へえぇぇぇ……。これが、ちーちゃんが今見てる光景なんだぁ……。それで、これからどうやって、このコンピューターを操るワケ?』
千早は肩越しに親指を向けて、背後に浮かぶオレンジ色の制御ユニットを指差す。
「今からあの球体にアクセスして、コンピューターの情報に直接、命令を書き込……」
言葉の途中、無意識状態の千早の身体が、突然、ズバッと起き上がる。
『うえっ!! 急に何ぃぃ?』
いきなりの起立に戸惑う彼方の横で、千早の気絶体が、勝手に頭を上下に振って、キワドイ単語を高速で口走る。
『ウコンウコンウコンウコンウコン!!』
『ちょっと、ち~ちゃん! いきなり、なんてこと言い出すのさ!!』
矢継ぎ早に放たれる即死魔法に、彼方は席から立ち上がって、口元をアワアワと揺らす。
その表情を文字にするなら、『わにゃ~!』とか『ぼにゃ~!』といった擬音がピッタリだ。
電子宇宙の中からその光景を見る千早は、現実世界の奇妙な現象を、冷静に考察する。
「きっと、私の自我が電脳世界に移った反動で暴走してるんだわ……。それにしても『ウコン』って、どうして漢方薬の名前なんか叫んでるのかしら?」
電子世界は気楽なものだが、此方はそれどころではない。
彼方は、千早の暴走体を押さえつつも、画面上の本体へと必死に訂正する。
『う、ウコン? ち~ちゃん、なに呑気なこと言ってんのさ。そっちにはそう聞こえるかも知れないけど、実際は全然違うって!! ウコンじゃなくて、『ン』と『コ』が逆なの!!』
「ンとコが逆?」
しばし考えて、千早の焦った顔が、画面一杯に拡大表示される。
「私、そんなこと言ってるの!?」
『言ってるよ! さっきからずっと連呼しまくってる!! あ~、も~う!!』
彼方は思い切って、千早の暴走体を足下へと押し倒すと、机の下で格闘戦を始めた。
「ちょっと片瀬さん。今、机の下でなにやってるの!? 此方からは何も見えないから、すっごく不安なんだけど!」
『今、ち~ちゃんの靴下を使って両手を縛ってる所だから、ちょっと黙ってて!』
ややあって、相手の身体を後ろ手に拘束することには成功したが、ヘッドバンキングをしながら、一心不乱に汚物発言を高速詠唱してるのは相変わらずだ。
『んで、お次は……っと』
彼方は自分の靴下を脱ぎ終えると、事も有ろうにそれを一本に結んで、千早の口に猿ぐつわを噛ませる。
なんと言うか、実際に千早が2人居るみたいだ。
両手を拘束された暴走体は、血走った瞳を彼方へ向けて『ン~、ン~!』と呻いている。
両手に続いて口も塞いだ。それでも、全身を揺する動きは止まらない。
こんな姿で廊下に出られたら、絶対に面倒なことになる。
万策尽きた彼方は大きく深呼吸すると、なにを思ったか、モニター上部のレンズへ向けて、申し訳なさそうに両手を合わせた。
『ち~ちゃん、ホントに御免……。こうする以外、もう他に手段が思い付かないや……』
「えっ、なに? 片瀬さん、いったい私に何をする気なの……」
千早が引き攣った笑みで尋ねると、彼方が慚愧に堪えない表情で利き足を振り抜く。
『えい! えい! えええぇぇい!!!』
「片瀬さん! 片瀬さん!! あなた、本当に今なにやってるの!?」
『ち~ちゃん、ちょっと黙ってて。私、いま『室内サッカー』してるだけなんだから!! そうに決まってるよ!』
「痛い痛い! 視覚的に痛いっ! 痛覚はカットされてるのに、何故だか、お腹と背中がすごく痛い気がするっ!!」
やがて、暴走体の抵抗が止んだ。
元々は、千早ノイズの副作用で生じた錯乱なので、外部から強いショックを与えることで、信号がリセットされるのだ。
なんとか騒ぎを収めた彼方だが、傍目からすると、まともに見られた光景ではない。
後ろ手に縛られ、猿ぐつわを噛まされて気絶する少女。
傍らには、なにかをやり遂げた感じの自分。
まんま、婦女暴行の犯罪現場だ。
彼方は、部屋の隅に置かれた段ボール箱を見付けると、千早の気絶体をスッポリと覆い隠して、何事も無かったかのように着席する。
『よし、封印完了♪ いやあ、ゴメンゴメン……。ち~ちゃん、もう大丈夫だよ。こっちの処理は終わったから』
スッキリとした表情で額の汗を拭う彼方の様子に、電脳世界の千早は、猜疑心を募らせる。
「片瀬さん……。私、ちょっとそっちが心配だから、少しの間だけ、戻っても良いかしら?」
『ええっ!! 戻るぅ?』
いま千早が元の身体に戻ったら、背中と腹部の激しい痛みに加え、口から漂う
靴下の臭気に、気が狂ってしまいかねない。
彼方は焦燥感に口角を震わせながら、前傾姿勢で千早を説得する。
『だ、ダメ! そんなのダメだよ……。だって、せっかくコンピューターの中に
入ったんだから、今の内にやる事やっとかないと、途中で集中力が切れちゃうかも知れないじゃん!』
「それはそうなんだけど……」
むうぅ……、と千早は不満そうに押し黙る。
これは絶対に、彼方は不都合なことを隠している。
自分の身体がどんな目に遭ったのか、容易に想像が付くほどだ。
こうなったら、なるべく早く作業を済ませて、現実世界に戻るしかない。
千早は逸る気持ちを抑えつつ、オレンジ色の制御コアへと手を伸ばした。