6話
翌日の昼休憩。
千早と彼方は三人組のちょっかいを警戒して、職員室前の2階・中央廊下へと
避難していた。
ついでに、壁際の掲示板を確認……。
変更授業はナシだ。
一瞬にしてやることを失った千早は、廊下の窓枠へとだらしなく寄り掛かり、ウンザリとした口調で愚痴を零す。
「よくよく考えてみると、うまい方法だわ。これなら私がノイズを使った所で、
対処しようが無いんだもの」
今朝、千早が教室に入ると、三人組が昨日とよく似た主張を繰り返していた。
教師が見張っている間は作業を演じて、居なくなった途端に仕事をサボったというのだ。
だが、他人に推薦されるくらいなのだから、千早が清掃作業を怠けるとは思えない。
そもそも、推薦者と糾弾者が一緒なのはどういう訳だろう。
そうした疑問もあって、連日の騒ぎに戸惑うクラスメイト達も、なんとは無しに、この状況を理解しはじめていた。
おそらく千早は、増谷らに虐められて居るのだと。
背中で窓のアルミサッシに寄り掛かる彼方は、千早のボヤキを隣りで聞くなり、言葉の意味を理解する。
「……そっか。中学校時代、春風さんがあまりに上手く嫌がらせを躱すから、今度は、証拠が必要な意地悪に切り替えたんだね」
「それだけならまだしも、ホラッ……」
千早の視線をさりげなく追うと、三人組の中では妹分の安本が、用事もないのに、廊下と階段のあいだを不自然に行き来していた。
「アレ、絶対に此方を偵察してるよね」
「ああやって私達の動きを監視して、体育館裏で悪さをしてる時、仲間に連絡してるのよ」
首を伸ばして通路の先を窺っていた彼方は、両手を腰に当てて、残念そうに呟いた。
「それであの3人、今朝はあんなこと言って騒いでたんだ……」
千早が不思議そうに目を見開く。
「なんのこと?」
「昨日、春風さんがちゃんと掃除してる所を、沢ちゃん先生に目撃させてたことっ! これでやっと、春風さんの無実を証明できたと思ったのに、『先生が居なくなった途端、急に仕事をサボりました』とか言うんだもん。御蔭で私の苦労、ぜんぶ台無しだよ!」
監視の結果、彼方の妨害工作に気付いた三人組は、千早の怠慢をうまく説明できるよう、強引に話を切り替えたのである。
人差し指を立てて不満そうに解説する彼方の様子に、千早は窓枠から身を離すと、呆れ顔で口元を緩める。
「昨日の放課後、姿が見えないと思ったら、私の知らない所でそんな事してたのね」
千早の語気から、残念そうな空気を感じた彼方は、調子に乗ってしたり顔を近付ける。
「あっ! もしかしてその反応、昨日、私がそばに居なくてチョット寂しかった?」
すると千早は、突っ慳貪な口調で両手を突っぱり、彼方の肩をゆっくりと押し戻した。
「別に寂しくなんてない」
「またまたぁ~。強がり言っちゃって」
そうして二人が廊下で仲良くじゃれ合ってると、職員室のドアから、沢野教諭が出てきた。
頬に手を当てた憂い気な仕種は、快活が取り柄の彼女にしては、珍しい光景である。
普段は『沢ちゃん』呼ばわりの彼方は、本人の前ともあって、丁寧な言葉づかいで呼びかける。
「あっ、沢野先生だ。……どうしたの? なんか、すっごい悩んでるみたいだけど」
二人に気付いた沢野は、愁眉を解かずに、沈んだ口調で答える。
「それがね……。このまえ、美化委員の子がコンピューター室を整頓してた時、
LANケーブルを傷付けちゃったみたいなの」
彼方は機械系全般にあまり詳しくないので、千早の方を向いて確認する。
「LANケーブルって、確か、パソコンの後ろに付いてるヤツのことだよね?」
「ええ……。インターネットに接続する時に使う、電話線みたいなヤツね」
と曖昧に返す口調からして、千早もコンピューターの知識には疎い方である。
こうした二人のやりとりに繋げて、沢野が言外に相談を持ちかける。
「その線が途中で断線してるせいで、一部の機械が、インターネットに繋がらなく成っちゃったから、今日中に全部、新しいのに付け替えるよう、校長先生に頼まれたのよ」
なにかを期待する空気と、探るような眼差し。
これはマズイ。
間違いなく、話がややこしい方向に向かっている。
厄介事を避けるべく、千早は手足を伸ばしたぎこちない動作で、沢野の横を通り抜ける。
「あっ、そうなんですか。それは大変ですね……。それじゃあ私達、これから5限目の授業があるんで、これで失礼します」
「ちょっと待って!!」
「いいぃ!?」
千早は後ろからガッチリ肩を掴まれて、思わず奇妙な声を漏らした。
「こうなったら正直に言うわ! 放課後、私に代わってLANケーブルの差し替えをやってくれない?」
「ええぇぇぇ……。私がですかぁ?」
「だって、春風さんも美化委員なんでしょ? 同じ委員会の子をサポートすると思って……。ねっ?」
すると、沢野の後ろに取り残されていた彼方は、肩を怒らせて抗議する。
「でも、沢野先生だって知ってるでしょ? 最近、春風さんは仕事を頼まれ過ぎだって。だいたい、委員会の最中に起きた事故なんだから、そのとき作業してた人か、その場を監督してた先生に任せれば良いじゃないですか」
当然の反論に、沢野は両手を腰に当てて清々しく言い切った。
『だから私が頼まれたのよ!!!』
それを聞いた千早と彼方は、同時に顔を見合わせる。
絡み合った互いの視線には、『ああ、そりゃダメだ……』と、失望の色がありありと浮かんでいた。
沢野の服装は、額にゴムバンドを巻き、上はTシャツ、下はジャージの、気楽な体育教師といった格好だ。
また、そのしゃかりきな言動からして、お世辞にも、精密機器の扱いに長けてるとは言えない。
コンピューターの電源を切る時にすら、いきなり電源ボタンを押しかねない。
明らかな人選ミスである。
沢野は2人の前で両手を合わせて、真剣な空気で頼み込む。
「お願い! これ以上、機械をダメにすると、私のお給料へ直接に響くの!」
懸命な訴えとは裏腹に、彼方の語気が脱力感に崩れた。
「これ以上って……。沢ちゃん先生、アタシ達が入学する前に、何をやらかしたの」
5限目が近付くに連れて、職員室前の廊下を行き来する人が増えてきた。
これでは、周囲の評判が気になって断るに断れない。
千早は枯れ草のようにしおしおと頭を垂れて、巻き込まれ体質の自分を憐れんだ。
「分かりました。私が代わりにやっておきます……」
その直後、千早の敗北を告げるかのように、昼休憩終了のチャイムが鳴った。