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千早ノイズ  作者: 桜花 山水
1章 【 精神没入 ‐ サイコダイブ 】
6/51

5話

 それから時は経って、放課後のこと。

 上から見ると『(アイ)の字型』のみなみ廊下中央、下駄箱の蔭で、サイドアップの(くせ)()がピコピコと揺れた。

たのみの先生は腰が引けてるし、春風はるかぜさんはあの調子だもん。此処(ここ)はいっちょ、私が一肌脱いであげないと!」

 決意を固めて(りき)んだ拍子に、昼休憩に買っておいた唐揚げのパックが、バリバリと耳障りな音を立てた。

「うわっとと……」

 ミッション開始を前にして、いきなり突発事故(アクシデント)発生だ。

 彼方はあわてて左右を見回して、昇降口の様子を確認する。

――幸いにも、周囲に異常は見当たらない。

 道行く生徒が、こちらに奇異な眼差しを向けているだけだ。

 気を取り直した彼方は、下駄箱のかどから監視対象を発見して声を弾ませる。

「あっ、()()た♪」

 目当ての人物は、中央廊下の階段を軽快けいかいな足取りで降りてきた。

 足踏みのリズムに合わせて、白いTシャツに(おお)われた豊かな膨らみが瑞々(みずみず)しく跳ねる。

「それにしても、あのスタイルで生徒指導なんて、実に()しからん……。アタシが男子だったら、どうしてくれよう」

 彼方かなたは思わず本来の計画を忘れて、相手の容姿を盗み見る。

 細く締まった下肢(かし)に絡み付く紺色のジャージ。

 時折、シャツの(すそ)から見える、白く肌理(きめ)(こま)やかで()()()()とした腹部のさらに上、ハリのある双丘が、シャツの布地を紡錘形(ぼうすいけい)に押し返す。

 薄い唇、小高い鼻筋、愛嬌のあるくりっとした瞳。

 同性の彼方かなたの目から見ても、そこには健康的な色気と慈悲じひの精神が見事に同居している。

「あれで生徒の悩みを聞こうだなんて、()()()無理な話だよ。ぜったい、男子の隠れファンが多いって……。教師と生徒とのアンバランスな恋を楽しむには、打って付けの()(かつ)な相手…………って、そうじゃなかった」

 彼方は、頭をすばやく振って正気に戻る。

 いま大事なのは、女の品定めじゃない。

 どれだけ上手に、清掃中のはやをアピール出来るかだ。

 沢野が、南北に走る中央廊下をみなみに進んで、下駄箱前へと近付いてくる。

――今がチャンスだ。

 下駄箱の蔭から()()()()盗人(ぬすっと)歩きで離れると、曲がり角の手前に位置を変えた。

 やがて、南廊下の連結地点で、彼方の()()()()()()演技が始まる。

「ねっこ、ねこ、ねっこ♪ ねっこさんや~♪ い~ます~ぐ、お肉をあっげましょう~」

 沢野の前へとスキップを踏んで躍り出ると、曲がり角の()()(なか)、嫌な予感に首を動かし、沢野に気付いて『ピシッ!』と石化硬直した()()をする。

 対するさわは、目の前でネコの餌付けを(ほの)めかされて、感情を失った殺戮(さつりく)マシーンのように、無表情に口を開いた。

「……ねえ、かたさん。今の歌、どういう意味かしら?」

 彼方かなたは苦手意識を()()()顔に表し、片手を上下に振って、フレンドリーに誤魔化す。

「アハハ……。先生ってば、やだなぁ。単なる(ひと)(ごと)だって……。本気で校舎裏の猫になんか、エサを上げるわけないじゃん」

「そう、()()()ね……」

 両者、空々(そらぞら)しい応酬をやり終えて、互いに短い沈黙を交わす。

 ややあって、彼方が先手を打って、見事なスタートダッシュを切った。

「ダ~ッシュ!!」

「待~ちなさ~い!」

 遅れて沢野がうしろを追い駆けるが、校舎内での遠慮から全力を出せない。

 いっぽうの彼方は、上履きのまま昇降口を出ると、左に曲がって正門近くの購買裏へと疾走。

 捕まった(さい)の恐怖心から、幻覚性げんかくせい衝動に(とら)われる。

「ふは~!! 男に乾いた女に犯される~。たすけて~。おかーさーん!!」

 周囲の注意を呼び込んで相手を牽制(けんせい)する狙いもあったが、まったくの逆効果だった。

 彼方の思惑とは反対に、沢野は般若(はんにゃ)のような形相でスピードを上げる。

他人(ひと)()きの悪いことを言って逃げるなぁぁぁぁあ!」

「ふはー!!!!!」

 彼方は涙目で猛ダッシュを続けるが、沢野との距離は縮まるばかりだ。

 焦る気持ちで後ろを振り返った拍子に、脚がもつれて前方にダイブ。

 校舎裏の(しば)()で盛大にクラッシュした。

「さあ、かたさん……。どういうことか、キッチリ説明してもらうわよ!」

 身を(よじ)って顔を上げると、目の前には、怒気どきを背負った沢野が()(おう)()ちに構えていた。

 彼方は()()()()と首を振って、周囲の様子を確認する。

 千早の清掃地区から少し遠いが、なんとか視線が届く距離だ。

 状況的には悪くない。

 ただ、いつも通りに『春風はるかぜさん』の呼び方だと、演技だとバレる恐れがある。

 とっさにうまい愛称を閃いた彼方は、体育館裏へと腕を伸ばして大袈裟に嘆く。

「ああ……。ちーちゃん、()(メン)よぅ……。私、先生に捕まっちゃったぁ」

 さわ教諭は、彼方の見つめる先を目で追って、呼び名の意味を理解する。

「どうやら猫の餌付けには、春風さんも(かか)わってるみたいね」

「最近、ちーちゃんと『()わりばんこ』でエサをあげるのが、私達の密かなブームなんです」

 言い終えてすぐ、彼方は、最後の一言が余計な誤解を与えることに気付いた。

「あっ! ゴミはちゃんと持って帰ってますよ?」

「そんなことは分かってます!」

 彼女も今では、千早が裏庭荒らしの犯人だとは思ってない。

 むしろ、被害者側であるとすら考えている。

 仕事熱心のいじめられっ子。

 さらには、動物愛護に()んだ精神。

 その根本(こんぽん)に、人としての優しさがあると踏んだ沢野は、千早に対する方針を小さく漏らす。

「もとより、気に掛けてあげなきゃいけないとは思ってたけど、これでいよいよ

春風さんのまわりには、注意しておかなきゃいけなくなったわね……」

 ワンテンポ遅れて、沢野は、芝生の上を()(つくば)って逃げようとする彼方かなたに注意を戻した。

「……と、その前に!!」

 沢野に(うし)(えり)を無造作に(つか)まれて、彼方は、恐怖に怯えた仔猫のように()を竦ませる。

「うえっ!? 先生、いきなり何する気? もしかして体罰!?」

「体罰じゃなくて、生活指導よ。猫の餌付けに加えて、公衆の面前(めんぜん)で私が枯れてるとか不名誉なことを言った罪、()()()()生徒指導室で反省してもらうから、覚悟しなさい!」

 手足を伸ばしたまま、さわにズルズルと引きずられる彼方。

 今度は正真正銘、涙ながらの心境で親友に助けを求める。


「い~や~! たすけて~、ちーちゃ~~~~ん!!」


 同時刻、体育館裏で軽い異常を察知したはやが、ふと顔を上げて不思議そうに

呟く。

「うん? 今、誰かに変な(あだ)()で呼ばれたような気が……」

 はやは動きを止めて思案するが、どうせ空耳(そらみみ)だろうと考えて、再び作業に専念した。

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