3話
翌日一限目の学活。
1年2組では、今日まで棚上げになっていた委員会決めが遂に決行されたが、
日本の中高生の誰もがそうであるように、こんな時、役員決めの立候補率はすこぶる悪い。
鏡守学園の制度上、生徒は一年に一度、必ず何処かの委員会に所属する規定があるのだが、この場合、春風千早が立候補しないのは、何に措いても、ノイズの暴走を懸念しての事である。
彼女としては前期の今ではなく、学校生活に馴れてきた後半の10月から、至極穏当な委員会に入りたいのだ。
担任教師の山岸赳夫が、教卓の前で飽き飽きとした声を上げる。
「おぉい……。このままじゃ、いつまで経っても話し合いは終わらんぞぅ。誰か、やりたい委員に立候補する者はおらんのか?」
ウンザリとした空気なのは声だけではない。
メガネにスーツ姿の似合う純サラリーマンと言った風貌から、中年男性の世知辛い心情がありありと感じられる。
担任教師の心からの願いに、教室中央の席で、一人の女子生徒が手を挙げた。
「先せーい。推薦なんですけど、前の学校で美化委員をやってたし、美化委員は、春風さんが良いと思いまーす」
ただ一度聞いただけで、素行の悪さを連想させる気怠い声。
千早はその声の正体に、不快そうに顔を歪める。
細くしなやかな体型で、モデルみたいな顔立ちが特徴の増谷梓。
千早と同じ中学校出身で、平たく言うと、虐めグループのリーダーである。
彼女以外にも、千早に『嫌がらせ』をするメンバーが二人いる。
口から覗く八重歯と、他人を羨むような垂れ目が印象的な安本恵。
増谷と同様、千早と同じ中学校出身である。
彼女の場合、正面切って悪さをしてくる事はないが、そのぶん他人の背中に隠れて責任逃れをしようとする辺り、増谷よりも質の悪い性格をしている。
他にも、この二人に引きずられるように、別の学校出身の木嶋里美が同グループに合流している。
色白餅肌で、下膨れした瓜実顔。手足は短く、運動は苦手な方だが、三人の中では一番、勉強が出来るタイプだ。
増谷梓の無責任な発言に、担任教師の山岸は、教卓の上に両手をついて、前のめりの姿勢となる。
「おっ、本当か? もしそうなら春風、こんな状態だし、済まんが引き受けてはくれないだろうか」
千早は一瞬、返事に困った。
あの増谷が自分にして来るのは、いつもいつも余計なことばかりだ。
きっと今度も、なにか善からぬ事を企んでるに違いない。
かと言って、此処でみんなの期待を裏切って、これ以上、クラスメイトからの
反感を買うのも得策ではなかった。
千早は山岸担任の懇願へ、いくらか吃りがちに承諾する。
「あっ……。ハイ、分かりました。美化委員なら、何度か経験があるので大丈夫です」
「おお、そうかそうか……。それじゃあ済まないが、美化委員は春風にお願いしよう。誰か、ほかに意見はないか?」
いったん推薦が通ってしまうと、いつ誰に、大変な仕事を押し付けられるか分かったものじゃない。
千早の承諾を皮切りに役員決めは一挙に進み、一番大変な学級委員は、眼鏡を掛けた大人しい性格の下井絵美が推薦で選ばれた。
そして、その日の放課後。
美化委員の会議に出席した千早は、自分の担当地区である第二体育館裏で、お菓子の空き箱や、ポイ捨てされたペットボトルを拾っていた。
「あの三人、見た感じ、な~んか柄が悪そうだったけどさぁ……。本当にこの
仕事、引き受けちゃって良かったの?」
作業中に浴びせられたその問いに、千早は、足下のゴミを拾いながらウンザリと返す。
「そんなのいちいち気にしてられないし、どうせいずれは、何処かの委員に入らなくちゃいけないんだから、結局は同じことよ」
平然と返した上で、千早は、ベンチの上で胡座をかいた少女に目を細める。
「それで……。なんでこんな時間なのに、片瀬さんは此処に居るの? なんの部活にも入ってないのに」
千早がぶっきらぼうに尋ねると、彼方はニヤニヤと頬を緩めた。
「エッヘヘ~♪ また、春風さんの超能力が見られるかなぁ、なんて……」
「否……。アレって別に、見せ物とか、そう言うのじゃないから」
脱力から解けた千早は、再び作業の手を動かして、ノイズの特性を淡々と付け加える。
「あの力は暴走状態なら何ともないけど、意図的に使うと、精神力と体力を異常に消耗するのよ。だから昨日の発想みたいに、普段から、ガス抜き代わりに使うのは賛成できないわ」
「へえぇぇ……。あのノイズって力に、そんな制約があったんだぁ」
納得して暫く、彼方はベンチの上で上半身を揺らして話を引き戻す。
「じゃなくて、今はあの三人のことだよ! 増谷さんだっけ? あの娘とツルんでる感じの二人。休み時間中にも、春風さんを陰険な目付きで見てたし、絶対に油断ならないって」
彼方が力説するまでもなく、千早は、例の三人組の性格をハッキリと心得ている。
千早が昨日、彼女らに靴を隠された事情を説明すると、彼方は相変わらずのみっともない姿勢で警告する。
「だったら尚更ダメだって。はやく先生に相談しなきゃ!」
すると千早は、顔を伏せたまま身を起こして、寂しげに呟いた。
「そんなのムダよ……。証拠がなければ、教師だって取り合ってくれない。……ううん。そもそも、こんな事に関わりたくなんか無いのよ。一人の被害者生徒が居て、複数の加害者生徒が居る。教師にとって都合が良い方って、どっちだと思う?」
「そんなの! そんなの……」
答えなど決まっている。
力強く反撥したいが、そう断言できない事実が世の中にあることを、楽天的な彼方だって知っていた。
二人のあいだに、重たく伸し掛かる沈黙。
肯定すれば冷酷な現実主義者で、否定すれば、道理に疎い只の夢想家。
どっちに転んだ所で救われない結果だ。
――こんな質問、間違っている。
千早は自分の卑屈さを後悔すると、黙々と作業を再開する。
やがて、目に付くゴミを拾い終えると、それまでの空気を打ち消すように明るく振る舞った。
「さっ! 掃除は終わったし、もう帰るよ」
気楽に誘ってみるが、彼方はしょぼくれた顔を地面に落として、ベンチから動かない。
自分への気遣いを重ねる友人に、千早は、ホロ苦い笑みで感謝を告げた。
「ありがとうね、心配してくれて」
「……うん」
千早の不憫な境遇を思うと、彼方は、何も出来ない自分が情けなく感じて、か細い声で返事をするのが精一杯だった。
そうしてしょんぼりと踵を返す二人の姿を、校舎裏に面した窓からコッソリと窺う集団があった。
増谷梓、木嶋里美、安本恵の三人組である。
最初に2人を発見して口火を切ったのは、リーダー格の増谷であった。
「おっ、春風に片瀬? あの二人、いま帰るみたいだね」
単なる響きに陰気さが増してゆく様子から、木嶋が意図を察して目を細めた。
「ってことは、もう掃除、終わってるよね?」
二人の空気に触発されて、安本恵が、ユラリと肩を近付ける。
「じゃあ、行っとく?」
やがて三人は、千早達が校門を出るのを見届けると、妖しい笑みを浮かべて体育館裏へと足を向けた。