2話
決定的な瞬間を目撃された千早は、緊張のあまり、全身の毛を逆立てる。
(マズイ……。ノイズを使ってる所をバッチリ見られた!)
とびきり都合の悪い表情に、額から流れ落ちる滝のような汗。
引き攣った笑みを浮かべて硬直する千早に、彼方は興味津々の顔を近付ける。
「ねえねえ、今の凄かったね! ブワ~ッと光って、パッと手を開いた瞬間、さっきまで怪我してた小鳥が、あんなに元気になるんだもん……。ねねっ、今のってどうやるの? もしかして魔法とか?」
両手を頭上に広げて、幼稚園児みたいに捲し立てる彼方。
その瞳は、汚れなき浪漫によって綺羅星のように輝いていた。
千早はあんぐりと間抜けに口を開け、自身の迂闊さに後悔の沈黙を重ねる。
何処まで見られてたのかと思ったら、なんと一部始終、ガッツリ観察されていた。
もうこんなんじゃ、全然、一個も誤魔化しようがない。
瞬間、千早の脳裡に、二つの選択肢が閃く。
そのうちの一つ、昔の偉い学者はこう言いました。
――世の中にある不思議な現象は、すべてプラズマに通じる……と。
千早は試しに、その言い訳を口にした状況を想定してみる。
『ウソ、プラズマ!? 掌からプラズマ出せるなんて凄いじゃん。超能力者みたい』
ハイ、超能力者確定!
むしろ超能力という単語からして、魔法よりも真実に近付いてしまったとも言える。
千早は眼鏡の位置をクイッと正して、残る一枚のカードを迷わず切った。
「無論、手品よ!!!!」
「そんな分かりやすい嘘つかないで! 私、こう見えても小学生じゃないんだからね!!」
やはり駄目だった……。
目の前の少女は、両手の拳を胸元でグッと固めて、泣き笑いの愉快な表情でナイスツッコミを返してくる。
しかも何気に、背が低いことを気にしてるみたいだ。
大騒ぎのすぐあと、両者のあいだに軽い沈黙が流れる。
千早の迷惑そうな空気を察したのか、彼方の瞳がわずかに曇った。
「えっと……。たしか、春風さん……だったよね? 私、同じ1年2組の片瀬彼方。席はちょこっと離れてるけど、憶えてるかな?」
「ええ。まぁ、なんとか……」
本当は、まったく憶えていなかった。
これまでの経験から、入学初日の自己紹介など一切、気に掛けてなかったのである。
千早が曖昧に返事をすると、彼方は千早の顔を覗き込んで、遠慮がちに切り出す。
「それで……。さっきの光って言うか、不思議な現象の事なんだけど……。もしかして、ほかの人に見られちゃいけなかったとか? なんか春風さん、今も凄っごく言い難そうにしてるし」
今度は、こちらの事情を加味したうえでの落ち着いた問い掛け。
どうしたものかと、千早の眉間に皺が寄る。
無邪気な仕種と、縋るようなこの態度。
なにも教えず黙っててくれと頼めば、素直に応じてくれるかも知れない。
千早は其処まで考えて、『でも……』、と後ろ向きな思考を覆す。
考えてみれば、そうまでして他者を遠ざける理由はない。
すべては、超能力の悪用を戒めるための自主判断なのだ。
なにより千早は、ノイズに目覚めてからの10年間、他人に対して不必要に距離を置くことに草臥れていた。
穏やかな陽溜まりの下、千早は覚悟を決めたように、鼻から深く息を吐く。
「分かった……。今のが何なのか教えてあげるから、もう少し落ち着いた場所に行きましょう」
素直に本音を明かしたことで、気持ちが楽になった。
ここ数年、誰にも見せた事のない安らかな微笑を向けると、彼方も極上の笑みを重ねる。
「ウン♪」
そうして二人は人目を避けて、校舎裏を西へと進み、第二体育館の裏手で立ち止まる。
左前方、体育館の敷地北西は、プールに面した細長い休憩場所となっていた。
千早は、其処にたった一脚だけ置かれたベンチに座って、幼児期の体験を語り終える。
「それ以来、私はノイズの暴走を抑えるために、ずっと人付き合いを避けてたの……って、私の話、聞いてるの?」
気になって隣りを見ると、彼方はベンチの上で上体を折り曲げ、足下の猫に唐揚げを千切って餌付けしていた。
千早は、一度に2つの突っ込み所を見付けて、彼方の側頭部を手刀で軽く打つ。
「ふはっ! もう、いきなり何すんのさ……」
文句を言うのは口だけで、本当は気になる相手に構ってもらえて、チョット嬉しそうな雰囲気である。
千早は、相手の長閑な空気に目を尖らせて、不機嫌な顔を近付ける。
「あのね……。私、いま結構マジメな話をしてたわよね? あと、校内ではネコの餌付けは禁止! 掲示板、見てなかったの?」
すると彼方は、愛想笑いで両手を前に翳し、待ったの姿勢で場を和ます。
「分かってるって……。ちゃんと聞いてたから」
彼方の足下で、餌を食べ終えた野良ネコが、「にゃあ」と可愛く一鳴きすると、プールの隣りの左前方、フェンス下の叢へと身を隠した。
奥に、金網の裂け目でもあるのかも知れない。
「おっ? 食べ物がないと分かるや否や、早々に立ち去るとは……。こちらとしては少し寂しいけど、野生動物としては、その心意気や良し」
彼方は、戦国武将みたいな台詞を口にすると、胸の前でガッシリと腕を組んで
思案する。
「ノイズ、ノイズ。ノイズかぁ……」
やがて何かを閃いたらしく、千早の方を向いて上機嫌に口遊んだ。
「春風千早にノイズだから、『千早ノイズ』だね♪」
「勝手に愉快な名前を付けないで」
千早は、相手の伸びやかな空気に感化されて、彼方のオデコを人差し指でプッシュ。
彼方独特の「ふはっ!」という、緩い驚きが漏れた。
「ノイズが暴走すると、周囲にどんな影響を与えるか分からないって言ったでしょ? それがマズイと思ったから、私はずっと人付き合いを避けてたんだから」
だから自分に関わるな、とでも言いたいのか?
彼方は、ピンと張られた額を摩りながら、強情な千早に不満をぶつける。
「それはさっきも聞いたって……。でも、暴走の原因やタイミングは、大体分かってるんでしょ?」
「それはまぁ……。ものすごく落ち込んだ時や怒ってる時とか、感情の抑えが利かない時に起きるのは確かだけれど……」
千早が不安げに答えると、彼方はベンチに引っ掛けた脚を揺らして、能天気に言ってのける。
「そんなの、普通に暮らしてればしょっちゅうだって……。それにさぁ、ずっと
一人で過ごしてるなんて、息が詰まって、しんどくなるだけだよ?」
これまで他人を気にするばかりで、その発想は思い付かなかった。
千早は、彼方の意見に心を惹かれて、片手を顎に添えて真剣に考え込む。
「無理に一人で居ようとすればストレスが溜まって、それが却って、ノイズ暴走の原因に繋がる……。言われてみると、一理あるかも知れないわね」
彼方自身、そこまで深い意味があったわけではないが、千早本人がうまいことを言ったので、図々しくも、それに乗っかることにした。
「そういうこと……。要は、暴走させなきゃ良いんでしょ? だったら感情が爆発する前に、制御できる範囲で、小出しに解消していけば良いんじゃないかな? たとえば、さっき春風さんが、小鳥を救けてあげた時みたいにねっ♪」
彼方は言い切りのタイミングに合わせて、両脚のスイングを利用してベンチを跳び離れた。
やがて千早の方へと振り返り、瞳を逸らした憂鬱な空気で想いを明かす。
「私ね、ときどき想うんだ……。たまに道路で、車に轢かれた動物の死体を見付けた時、『気持ち悪い……』とか言ったり、なんにもしない人のこと。私にもそう言った所があるけど、それって本当に、人として普通なのかなって……」
普通であっても、理想的ではないだろう。
彼方はそうした気持ちを引っ込めて、強引に無邪気な笑みを形作る。
「でも、春風さんは違ってた。傷付いた小鳥を見て、なんの躊躇いもなく救けてあげたんだもん……。いくら不思議な力を使えるからって、なかなかそういう事は出来ないと思うよ」
一拍置いて、『テヘッ……』と照れ臭そうにはにかむと、彼方は、人差し指で
笑窪をなぞった。
「なんかコレって、まるっきり友達みたいだね」
「友達?」
「ウン! だって今、大事な秘密を分かち合ってるじゃん」
彼方に言われて、千早は生まれて初めて、友達がどんな存在かを理解する。
――ああ、そっか……。これが、友達っていう感覚なんだ。
千早が淡い気分に浸っていると、校舎のスピーカーから部活開始のチャイムが流れた。
「うわっ、もうこんな時間! 私、帰りに寄ってく所があるから、もう帰んないと」
彼方は、左手首の腕時計で時刻を確認すると、ベンチ横のリュックに慌てて手を伸ばす。
「よっし!! それじゃあ春風さん、また明日、学校でね~」
「……ああ、うん。また、学校で」
千早は、彼方の勢いに飲まれて、肩の横で片手を無意識に振り返す。
やがて彼女は自分の動作に気付くと、嬉しさに綻ぶ口元を、掌でそっと覆い隠した。
――私、誰かが傍に居てくれることにホッとしてる……。
友達。
相手の方からそう言ってくれたのだから、間違いないだろう。
これが友達……。
初めての友達。
少し不安で、何処かくすぐったくて。
きっと自分の中で、何かが変わって行くに違いないけど……。
――なんて言うか、満更でもない気分……かな?
誰にでもなく心の中で強がって、千早は颯爽とベンチから立ち上がる。
その動きには何処かしら、さっきの片瀬彼方を思わせる雰囲気があった。