12話
そして夜の7時、階下でインターホンが鳴る。
きっと彼方だ。
千早は足早に階段を降りて、玄関の扉を開けた瞬間、目が点になった。
彼方が肩から提げてるスポーツバッグが、なぜか遠足に行くみたいにパンパンなのだ。
「えっと……。ソレ、なに?」
出迎えの挨拶もなしに尋ねると、彼方は愛嬌タップリの笑みで口を開く。
「エッヘヘ~♪ もちろん、勉強道具とかに決まってるじゃん。なんたって、折角のお泊まり会なんだもん。おっ邪魔っしま~す♪」
勉強会を、さり気なく『お泊まり会』にすり替えてきた。
千早は嫌な予感を感じつつも、彼方を家の中へと招き入れる。
「…………どうぞ、いらっしゃい」
千早の心配事は他にもあった。
彼方の元気一杯な声が、母親の好奇心を刺激したかも知れない。
千早の予想は見事に的中し、彼方が靴を脱いだ直後、喜色満面の春風菜奈が、
リビングの扉を勢いよく開けて廊下に飛び出した。
しかも、こんな夜遅くなのに、なぜか余所行き用のオシャレな服装である。
玄関に、癖のある髪をサイドアップにまとめた小動物を発見すると、千早の母は、彼方の両手を素早く取ってマシンガントークをぶっ放す。
「貴方が、千早ちゃんの言ってたお友達? 初めまして~。私は千早ちゃんのママの、春風菜奈って言うの。これからも、千早ちゃんのことを宜しくね☆
あっ! ついさっき、クッキー焼いたばかりだから、好かったら食べてく?」
DOSアタックにも似た矢継ぎ早の台詞に、弾丸娘の彼方が処理落ちしている。
千早は、横から母親の身体をグイグイと押しやり、強引にリビングへと追い返す。
「夜食べると、太るから好い!」
バターンと扉を閉めて、魔神の封印を完了する。
一方的に話し掛けられた彼方は、呆気に取られたままだ。
「えっと、今のは……?」
出来れば、アレの存在は知られたくなかった。
千早は慚愧に堪えない表情で吐き捨てる。
「近所に住んでる女の人よ」
抑揚に乏しい親友の答えに、彼方も事情をいくらか察して、苦笑いで相槌を打つ。
「ずいぶん近くに住んでるんだね」
「まぁね……」
まったく不毛な時間であった。
あまり1階をウロウロしてると碌な事がないので、すぐに2階の自室へと向かう。
二人が階段を上がり切った所で、階下から、またしても母親の呼び掛けが押し寄せる。
「千早ちゃ~ん。お風呂、たいとくからね~♪」
恥ずかしさのあまり、千早は階段下に向かってキレた!
「炊くのはゴハンで、お風呂は沸かす!!」
「なんと……。普段は大人しいあのちーちゃんが、家の中では絶え間ないツッコミ役だ」
感心する彼方を連れて、千早はすごすごと自室へ移動する。
中に入ると早速、彼方は室内をソワソワと見回した。
「へえぇ……。此処が、ちーちゃんのお部屋かぁ」
千早は頬を紅潮させて、羞恥心から目を閉じた。
「あんまり他人の部屋をジロジロ見ない」
別に、部屋の装飾に自信がない訳じゃないが、なんだか自分の裸を見られているようで恥ずかしい。
部屋の色調は、全体的にピンク色。
室内中央、カーペットの上にあるのは、木目の見える丸テーブル。
その周囲を飾るのは、滑らかな手触りのビーズクッションだ。
冷たい印象の人当たりは単なる超能力対策で、中身は至って普通の女の子である。
部屋の右側には、学習机とベッド。
左は、本棚・テレビ・クローゼットが配置されている。
千早がパッと目を開けると、彼方はすでに、部屋の隅っこへと移動していた。
「ねえねえ、ちーちゃん。此処、なにが入ってんの? クローゼット、開けて良い?」
「勉強はっ!!」
勉強前の悪ふざけが1セット終わったと思ったら、またまた千早の母が、ノックも無しに扉を開けて現れた。
しかも今度は、髪にパーマが掛けてある。
「千早ちゃん、折角お友達が来たのに、カーテン、ちょっと汚れちゃってるでしょ? 今の内に、新しいのに付け替え…………」
千早は終いには涙目になって、母親へ一生懸命に懇願する。
「ああ!! もう好いから! お母さんは部屋から出てってば!!」
「イヤン♪ 千早ちゃんったら、恥ずかしがっちゃって」
母親を廊下に押し出して扉を閉めると、千早は、その場にペタンと座り込んだ。
――もう嫌だ。こんな展開……。
千早が途方もない疲労感に古ぼけていると、彼方が目の前で冷静に批評する。
「ちーちゃんは自分の母親のこと、『おかーさん』って言うんだね」
千早は瞬時に、顔色を青から赤へと染め替える。
「真剣に分析しないで!」
「アハハハハ! ゴメン、ゴメン……」
笑い疲れた彼方はテーブル前で胡座をかくと、両手を踝の上に添えて胸を反らした。
「にしても……。ちーちゃんのママさん、会うたび会うたびに綺麗度が増してるけど、こんな時間に余所行きの服って、ホント、私が来たからってハシャいでるね」
カラカラと楽しそうな彼方に反して、千早は扉に背中を預けて、投げやりな言葉を返す。
「さあね……。彼氏の所にでも会いに行くんじゃない?」
「ちーちゃん。今、とんでもない事をサラッと言ったよ!? ちーちゃんの両親って、きっとまだ離婚してないし、どっちも生きてるよね?」
「どうでも好いわよ、そんなこと……。それより、テスト勉強始めるからっ!」
「母親の浮気の心配より、テスト勉強の方が大事なの!?」
千早は、抗議混じりの疑問を黙殺して、問題集と学習ノートを卓上に広げる。
そうしてテスト勉強を始めてから15分、テーブルの向かい側に座る彼方が、
主人の帰りを玄関先で待つ犬のようにソワソワし始めた。
千早もこの頃になって、つばさと瑞樹が、勉強会を断った理由がよく分かった。
彼方は基本、注意力欠陥児童で、誘惑の多い環境にいると集中できないのだ。
つまりは、これっぽっちも勉強する気がないのである。
さらに15分後、彼方が徐ろに口を開いた。
「ねえ、ちーちゃん。少し眠くなって来ちゃった……。ちょっと寝て良い?」
「ダメ」
にべもなく撥ね付けると、今度は名案でも閃いたように、テーブル上に身を乗り出す。
「じゃあさ、じゃあさ、今から買い物に行こうよ。私、お菓子食べたくなって来ちゃった」
『勉強はっ!!!』
本日、同じ台詞で二度目のツッコミを入れると、彼方が床の上に手足を投げ出した。
「ええぇ!! やだやだやだぁ~。お出かけしなきゃ、勉強しないぃぃぃ!」
幼稚園児みたいに駄々を捏ねる彼方に、千早は痺れを切らしてシャーペンを放り出した。
「あ~、も~う! 分かったから、子供みたいにジタバタしない! 言っとくけど、帰ったらちゃんと勉強してもらうし、途中で出掛けるのは、今日だけだからね!」
すると彼方は、急に澄んだ空気を取り戻して立ち上がる。
「えっ、ホント? 良ぅし、行こ行こぅ♪」
交換条件だと、本当に分かってるのだろうか?
千早は気乗りしない表情で髪を解き、コンタクトへと付け替えて帽子を被る。
さらには服の上からパーカーを着込んで、軽い変装を整えた。
結局、クローゼットの中身を大公開して、彼方にも服を着替えてもらう。
フリルの付いたブラウスに、白糸で縫製された膝丈のコットンパンツを下に合わせ、最後に、黒と灰色のチェック柄の帽子を被せて、彼方専用のお忍びスタイルが完成した。
「エヘヘ……。なんか、ちょっとドキドキするね」
千早はそれに答えず、部屋の扉を開けて事務的に返す。
「黙って出るのも悪いし、最低限、お母さん達には言っとくからね」
すると彼方は、先生の言い付けを聞く保育児童みたいに、爪先立ちで元気一杯に片手を上げる。
「ハ~イ♪」
階段を降りてリビングに入ると、なんかもう、母親はドレス姿だった……。
食卓には、ティーセットとクッキー。
全体的に西欧風だが、反対側に座る父親が甚平姿で夕刊を読んでるのが、その場の雰囲気と最高に似合ってない。
千早の両親を前にすると、流石の彼方も霞んで見えた。
個性的すぎるその空気に、千早の後ろから『おおぅ……』と、彼方の気後れが
聞こえる。
千早が夜間外出の旨を伝えると、母親の春風菜奈は呑気に告げる。
「千早ちゃん、コンビニじゃなくて、24時間営業のスーパーに行くの? だったらついでに、ウチで食べそうな半額商品でも買ってきて」
こんな時に限って放任主義を貫くあたり、年頃の娘に対する配慮が欠けている。
不用心な要請に続いて、父親の春風健太郎が、役に立たないアドバイスを伝授した。
「警察官に見付かっても、捕まるんじゃないぞ~」
千早は、両親から無表情で軍資金を受け取り、彼方を連れて玄関へと向かう。
外に出ると渋い表情で、今どき珍しい2千円札を、ポケットの中へと捻じ込んだ。
そんな親友に、彼方は遠回しな表現を使って形容する。
「ちーちゃんの両親って、もしかして『アレ』かね……」
アレという隠語で、表現を暈かす彼方。
千早も、両親の緩さを直視するのが辛くて、彼方の台詞を引用した。
「ええ、『アレ』よ!!」




