SS ―家庭の端で
久しぶりに文章書きました。
時たま文章を綴りたくなる。
〝思い〟が感情を表に出したい時、いや違う。
正しく感情を振りかざしたくなる時、だと思う。
私は他人に比べて感情表現が苦手だと、一応は自負している。
別段それ自体、気にも留めていないのだが、どうしても自覚する瞬間がある。
それが、他人に感情を振りかざされた時である。
喜怒哀楽、特に〝怒〟の部分。
怒りは一番野性的な感情の一つだと思うが故、素の部分が明らかに露呈する。当人が何を思うか、どうして欲しいかという率直な感情。
普段、野性から離れて生きている私達にとって反対に位置する情動は、相手を畏怖させ抑制させる作用があれば、逆も然り存在する。
私にとって、他人の怒りとは逆に位置する感情が発露するのだと思う。
だから今、こうして文章を綴っているのだとも思えてしまう。
思うだけ?
そう、思うだけ。
抑圧され続けた感情に、無理矢理作った情の仮面が対応し切れる訳もなく、人として抱く感想が遅れてくる私にとって、咄嗟に向けられる情動はあまりにも奔流なのだから。
だから〝思う〟のだ。
そして、綴るのだ。
〝思った〟感情を文章にして、後から見直す為に。
「はぁ」
溜め息が零れる。
言い返すことはしない自分にもそうであるし、当事者は言い返すと反論だけは得意であるから、反意を見せる気もしない。
今もそうだ、空気は悪い。
もうじき梅雨の時期だと言うのに、その数倍は湿っぽい空気は滞留を続け、誰も圧政者に放つ言の葉は見つからない。
見つけたとして、では何になるのであろう?
免罪符が欲しいのか、そうではない。
円滑なコミュニケーションが行えるようになるのか、それも違う。
どれも違うが故に、ある意味全てが正解でもあるのだが、今回は……。
「そっとしておくが吉」
少女は嗤った。
自室の扉を隔てて向こう側。
薄っぺらな隔絶の先、一人紙にこれを綴る。
鬼が住むか蛇が住むか、人間は心底これに尽きる。
――とある夏柑の戯言
これと言ったあとがきもないのですが、
一つ言いたいのは…。
感情は人を振り回すなぁと改めて感じました。