一小節目
いつまで経っても、薄れない記憶がある。
少し癖のある弾きかた。
今にも泣きだしそうなピアノの音。
その記憶には、鮮やかな色などなくて。むしろそれは、白と黒――。
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ふいに、ピアノの音が聴こえた。
今思い返せばそれは、前兆だったのだと思う。
九条美琴は、バーでお酒を飲んでいた。そのバーは入り組んだ路地にあり、洒落ている癖あまり繁盛はしていなかった。しかし、それがいい雰囲気を醸し出していて、特別な場所にいるような気分にさせてくれた。そんな場所を見つけたのは、新入社員になりたての頃に道に迷った矢先に見つけただけなのだが。それも運命ということなのだろうか。
「マスター、申し訳ないんだけどこの曲、止めてくれない?」
何故だか分からないけれど、ピアノの音を聴いたとき、やめてくれと狂いそうになったのだ。マスターは少しも訝しむ顔をせず、すぐに次の曲に回してくれた。
「みこちゃん、ピアノ嫌いなのかい?」
そう問われたが、答えられなかった。理由がない。しかし、聞いていられなかった。それを言えばよかったのかもしれないが、もしマスターや他の客が、ピアノの曲に想いを馳せていたとすれば、それは失礼に当たると思った。
「ただ気分じゃなかっただけよ。ごめんなさい、曲変えさせてしまって。」
いいよ。そういってマスターはグラスを拭きはじめた。これからは私が来る度に、ピアノの曲は流さなくなるだろうなと感じた。そういう気持ちを隠しても、マスターは感じ取ってしまう人だった。
「ここ座ってもいいですか」
少し高めの、男性の声が聞こえた。涼やかな、通り過ぎていってしまうような声。驚いた反動で振り返ると、綺麗すぎるというに相応しい顔をした青年がいた。私より幾分か年下だろうか。私が思わず、ええと返事するのを合図に、その人は隣に座った。
「いつも見かけていたんですが、ずっと気になっていて。思い切って声をかけてみたんです。」
こんな人いたかな。そう思いつつも相槌をして、なんとなくその場をやり過ごした。
2作目の投稿です
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