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大江戸不思議番帳  作者: 夜之 四兎
6/8

 お屋敷の一室…先程まで眠っていた屋敷の部屋ではない。なぜ自分がここにいるか分からず、首をかしげたが、その理由はすぐに解明し、「何でオイラまで?」と、畳に座り口をひきつらせた。

 かこん、と竹が岩にあたる涼し気な音は、まだ春先には早いような気もするが美しい音色だ。しかし、今はししおどしの音が風流だと楽しむ余裕もなければ、庭の素晴らしさに見とれることもできない。

自分の前で寛いでいる主人を、八は恨みがましそうに見る。


「俺の行くとこにはお前がついてくるのがさだめだ」


 そう言って、出されたほうじ茶をすする一は一息ついた。八がいなかったこの部屋は常に緊張を要されたが、八が近くにいることでしっくりしたのだろう。詰所に居る時のように、すっかり寛いでいる。八にとってはよい迷惑だったのではないだろうか。

寛いだ一を見て、「そもそも、オイラがいない間に一体なにがあったって言うんで?」と、顔をしかめる八に一は顔を反らした。


「…色々あったんだよ、色々。」


「顔を反らして言わんで下さい」


一のその様子に八は呆れたように言いながら、「御前で失礼しました」と、身なりを軽く整え、一の前へ座る。そのしゃんとした八のいつもの立ち振る舞いに、一は小さく苦笑をこぼした。


「まぁ、ここにいる間は、お前は少し気を抜け」


 ここは自分のワガママでついてきてもらったようなものだ…と、言う意味も込めて、一はゆのみを床に置き、あぐらをかいた。


「それに、ここならアレも暴れんだろう?」と言った一に、八も頷いた。


「それが気になったんです。人を切る集団なのに、アイツが全く暴れないんですよ」


 心底不思議そうな顔をする八に、部屋の真ん中に鎮座した黒い柱を指差した。


「あれがあるからだ」


 柱を見て、何かを感じ取った八は驚きで目を丸くした。


「あれは、俺の刀と同じらしい」


「一体、親分さんってのはどんなお方なんです」と、八が言う。


 一は深くため息を吐いて、「食えない男さね」と、冷めたお茶に口をつけた。


「おぅ、来てたのか」


「そりゃあ、屋敷の前であんな怖面に待ち構えられちゃあ、籠るのもできんさね」と、憎まれ口を叩く一に笑い、龍之介は座り、八を見た。


 見られた八は、大きな傷跡のある怖面に身構えるが、「お前さんが、八かい?」と、存外、優しげな顔で笑うので、毒気が抜かれたようにぽかんと口を開いたまま頷いた。


 そんな八のきょとん、とした顔を見て、「何だ、俺の顔に何かついてるか?」と、龍之介は笑った。


 居心地悪そうに座る八に、龍之介は「ありがとうよ」と、突然頭を下げた。


「え?」


「この兄さんに聞いたが、お前さんが刃を弔ってくれたと」


「ありがとう」、もう一度そう言って龍之介は頭を下げた。八は、龍之介を見て首を横に振った。


「オイラが、そうしたいと思ったんで…お礼言われるようなことはしていません」


 きっぱりと、そう言い切った八に、龍之介は心の中で舌を巻いた。人づてに聞いたが、血の抜かれた死体は細切れで、大人でも見ていて泣きそうになるくらい恐ろしい物。それを、目の前の十くらいの少年が顔も変えず、それに触れ、集め、弔ったと言う。


「…惜しいな、お前さんがそこの兄さんの付き人じゃなけりゃあ、俺が下に置きたいくらいの気風だ」


 からり、と笑い立ち上がった龍之介は八の頭をぐしゃぐしゃと撫でて部屋を出ていった。


「…たしかに、食えない人ですね」


「だろう?」


 八に笑った一は小さく息を吐いた。「今夜、もう一度あの土手へ行こうと思う」


「それなら、オイラ一人でも…」


 八がそう言って今にも走って行きそうな勢いに、一は首と手を横に振り、「いや、お前が言っていたにおいが途切れる場を切ってみようと思うのだ」と、白い鞘を撫でた。


「おそらく、あの男も着いてくるだろうな」


「あの方は何者なんです?」


「…妖にくわしいヤクザの親分さんだろうよ」


 望んだ返答ではなく、見たままの感想を言ってその場に寝転んだ一を見て、これ以上何を聞いても意味がないと悟り、八は小さくため息を吐き「そうですか」と、言って、一にならうよう庭を眺めた。



 皆がとうに部屋に帰り、眠る亥の刻。目的の部屋から見える行灯の光を見つけ、部屋のぬしが起きていることに安心をしつつも、男は戸惑いながらその部屋の主へと呼び掛ける。


「親分、夜分申し訳ありやせん」


 奥の間の障子の隙間から、行灯の光が木漏れ日のように縁側へと溢れる。その部屋の前に、綺麗な顔をした男が片膝をついていた。その顔は女形のようにとけるように白い肌に、涼やかな目元。キリリと鼻筋の通った面立ちで、男にしておくのはもったいないという器量だ。


「かまわねぇ、入れ」


 そう返事が返ってきたことに、障子越しに頭を下げて男、京介はそっと障子を開けた。開ければ、龍の掛け軸の前で、酒を飲む龍之介の姿がある。


「失礼しやす」


「おぉ、どうした?」


 大して気にした様子もなく、首をかしげる龍之介に京介は困ったように眉を寄せて、顔を上げたまま頭を下げた。


「へぇ、それが、なんでもあの風変わりな同心。あのワッパを連れて出掛けるそうで…」


「出掛ける?今からか?」


 酒を飲んでいた龍之介の手は止まり、不審気に首を捻る。伝えにきていた京介は亀のように首を縮めた。


「へい、あの同心が今の刻が丁度よいと言うらしく…」と、言った京介に、龍之介は何かを考えているように顎に手を添えた。


「そうか」


 持っていた猪口を置き、立ち上がった龍之介に「親分、どちらへ?」と、京介が驚いたような声で呼ぶが、振り返った龍之介はいつものカラッとした笑顔で手を振り「散歩だ、散歩」と言う。


「あ、部屋の行灯消しといてくれや」


 そう言って、龍之介は戸を閉めた。京介は、ぽかん、と気が抜けたような顔でしばらくその閉じられた障子戸を眺めていたが、やがて頼まれた行灯へと手を伸ばし、ふと、龍之介が置いていった猪口に目がいき、その切れ長の瞳を丸くした。


「…親分が、飲みかけの酒をそのまま置いてくたぁ…一体なにがあるってんだ?」と、龍之介の置いていった酒が残った猪口を見て、首をかしげた。


「よう」


「やっぱり来るか、親分さんよ…」


 門の前に、柱に寄りかかる一は、ちょうちんを持っている。なんだかんだ言って置いていかず、わざわざ待っている律儀な同心に、龍之介はカラカラと笑う。


「くどいぜ、この立川龍之介、一度口から出した言葉は引っ込めねぇよ」


龍之介のその表情に何かを読み取ったのか、一は「もう、勝手にしてくれ…」と、半ば投げやりになりながら、ちょうちんを持っていない手で頭を押さえた。


「ただ、死なんでくれよ。俺ァ、あんな奴等に恨まれちゃおちおち団子も楽しめなくなる」


 一の言ったあいつら、の言葉に「はは、俺ァいい子分達に恵まれたなァ」と、笑った。


「勘弁してくれ…」


「旦那、そろそろ…」


 項垂れる一の後ろで控えていた八は、空を見上げて鼻をひくつかせた。「そろそろ、現れる刻ですぜ」


「そうか…親分さん」


「その親分さんってのはやめてくれ、アンタは俺の子分じゃねぇんだし」


肩を竦め、「龍さんとでも呼んでくれや」と、呑気に笑う龍之介に、一種の頭痛を覚えながら、一は頭を抑えたまま頷いた。


「あぁ、わかったわかった。んじゃ龍さんよ」


「何だ?」


「ちゃんとついてきてくれよ。途中ではぐれたらナニかがなくなってても文句は言えねぇぜ」


「おいおい、ずいぶん物騒だな。何だ物取りが出る道かい?」


 眉を寄せて首をかしげる龍之介。一瞬だが、一の瞳は細く剣呑な光を宿らせた。その餓えた獣のような目と気配に龍之介はわずかに目を細めた。


「あぁ、物取りだな。ただし奴等が取るのは金や着物じゃねぇ」


 すぐに、剣呑さをひっこめた瞳で頷いた一に、龍之介もおどけたような顔をし、「んじゃ、何を取るってんだ?」と、もう一度首をかしげた。


「血、手や足、目、臓物に…」


 どんどん紡がれていく恐ろしい一の言葉に、龍之介は口をひきつらせる。そして、その二人の前に立っていた八がぼそりと、まるでおまけ、と言うかのように口を開いた。


「心の臓」


 止めの一撃となった八の一言。何か言おうと口を開いた龍之介だが、すぐに首を横に振って肩を落とした。


「肝に命じとくぜ」


 ため息を吐いた龍之介に、一は肩を竦め、「そうしてくれるとありがたいさね」と言った。


「なに、八から離れなけりゃあ安全だ」


 前を歩く八の背を道しるべにして、一は歩き、龍之介もそれに習い歩き始めた。


 紫や赤の紗や靄が足をかする度に、ぞわりと何かが駆けていく。荒い呼吸の音、餓えるような唸り声、そして、血なまぐさく、獣のような臭いに龍之介はすんっ、と鼻を鳴らし、足元を見ようとした。


「見ない方が良い、目を取られちまうぜ」


 すぐに一の声に呼びひかれるように顔を上げると、一は横目でこちらを見ていた。「連中、餌に興奮しちまってるみてぇだ」と、足元を見ずに言い、導くように前を歩く八の背を見た。


「餌…ってぇのは、俺のことか」


 ため息混じりで言う龍之介に焦りは見られない。ただ、嫌そうな顔をしているだけだ。さすが、あの荒くれ共を纏め上に立つ人間だ。


「飲み込みが早ぇな。ついでに、餌には俺も含まれているさね」


「何だい、兄さんも餌なのか」


 龍之介は可笑しそうに笑うと、一は苦笑を浮かべた。


「龍さん、落ち着いてるね。俺が初めて来た時とは大違いだ」


「俺は、一人じゃいねぇからな」と、肩を竦めながら言った龍之介だが、決してそれだけではないだろう。見えないにしろ、あちらこちらで血の臭いやぐちゃぐちゃと肉を貪る音は聞こえている。


 改めて、龍之介の肝の座りように感嘆の息を吐いた。


「俺が初めてここに来た時は死ぬかと思ったけどなァ」と言った。


「死にかけた時に、ここに迷い込んでね。そしたら奴等が俺の身体を食おうとするはで大変だったぜ」


 その言葉に龍之介は眉を寄せ、「こんな中で、よく生きてたなァ」と、感心したように頷いた。自分は、少なくとも死にかけで入ってきたわけではない。それにあんな獰猛な獣が群れをなしている中で、血の臭いをぷんぷんとさせて入るなんて自殺にも等しい。

 龍之介の鋭い視線に気づき、一は懐かしそうに目を細め「恩人がいたのさ」と肩を竦めて、腰にさされた白い鞘をそっと撫でた。


「そして、この刀をくれた主さね」


 刀を見せた一に龍之介は納得したように笑った。


「雲海様か」


「何だい、知っていたのかい」


 龍之介が知っているとは思わず、一は意外そうに目を丸めたが、龍之介はそれに気にせず、懐からあのドスを取り出した。


「ドスに仕込まれてるモノ、雲海様から頂戴したんでな」と、笑った。


「旦那、つきやした」


「お、今日は早かったな。」


 ぴたり、と止まった八の目の前には、古びた茶屋のように小さな建物。暖簾には、甘味などと書いてはおらず、"怪"と言う字が赤く光る。


「あの狸。一々店の場所を変えるのをやめてくれないのかねェ」と、ため息を吐いた一。


「店だァ?やけに古い店だなァ…」と、龍之介は茶屋をまじまじと眺める。


「古いさ、何せ齢五百の古狸がやっている」


「そらァ、年季が入ってる訳だぜ。一体何を売ってるって言うんだ?」と首を捻る龍之介。


「何でも、望むモノは何でもさ」


 そう言った一は、顔を反らし、暖簾をくぐった。龍之介も、それにならいくぐると…


「うぉ…」


 血生臭く、獣臭かった外と変わり、伽羅の香りが充満した店の中に龍之介は鼻を摘まんだ。


「何だ、まるで遊郭の中だな」


 薄暗い店の中で、りりん、と涼しげな音がなる。


 音に上を振り向けば、ソレに火が灯り、天井一面が一斉にきらきらと光った。


「こいつァ…」


 硝子だ。南蛮からの珍品…透明かつ、脆く儚いソレは、大名やよっぽどの店にしかない。きらきらとロウソクの明かりを吸い込むようにして光るソレは風が入ってるわけでもないのにちりんちりんと音を立てながら揺れる。


 思わずぽかん、と見上げている龍之介の後ろから、キィ、と、何かが回る音と近づく音が聞こえた。


「ひっひ…遊郭たァ、餓鬼が行くものなんかぇ?」


 椅子に回し車をつけたようなそれには、小さな翁が乗っていた。金色に輝く満月みたいな目は、幼子のように好奇心に満ち溢れている。


 龍之介は、その翁が突然現れたことに驚きもせず、「ハハッ、アンタ等から見りゃあ、俺ァガキか!」と、子ども扱いされたことさえも気にせず笑い飛ばした。

 龍之介のその態度に、翁は三日月の口を更につり上げ、満月だった目を半月にして、椅子の上でその小さな身を捩った。


「ひ、ひひっ、ひひひひっ!」


 さも可笑しそうに、カン高いキンキンとした声で笑う翁に、龍之介はカカカッ、と笑う。


 一は口端をひきつらせ、「やっぱり、アイツァ普通じゃねぇんだな」と、呟いた言葉に八は静かに頷いた。


 ようやっと、笑いの落ち着いた翁は椅子に深く腰掛け、八を見た。


「面白い奴を連れてきたのぅ、犬の子」


「オイラじゃねぇ。旦那の客だ」と、八が言う。


 ギョロリ、と目を動かした。


「ひっひ…まだ修羅の道にいたのかぇ?」


「余計な世話だ」


「雲海も報われんのぅ」と、翁は目をにいぃと三日月にした。


「用件は分かってるんだろう、さっさと言ってくれないかい」


 どん、と、荒く一升瓶を翁の前に置けば、翁は長く骨張った指で瓶を手繰り寄せ、嬉しそうにその瓶を抱えた。


「ひひっ、花か。花は水がなけりゃあ枯れちまうのさ」


「水ってのは分かる、だが、どこの水なんだ」


「水は止まらない、常に溢れ、常に清い。しかし、留まる場所はある」


 翁が長く伸びた黄色い爪の先で宙に大きな丸を描く。よく見れば、宙は丸の通りくり貫かれ、宵闇の世界が見える。


「紅湖にいけ、ひひっ、紅湖には鍵があるぞ。大きな大きな紅湖だ。寄ってくる、色んなモノが寄ってくるぞ」


 歌うように繰り返す翁に、一はため息を吐き、向こうを見つめた。


「世話になったな」と、背を向けた一の後ろで、キィと音がする。


「小僧」


「何だい」


「これじゃあ、ツリがでちまうからな。もう一つやろう」と、何かを投げる。


 受け取ったソレは赤い氷のような透明な粒だ。


「北の国の城で、空の手がソレを落としていった」


「……そうかい」赤い粒を握りしめ、ソレを飲んだ。


 今度こそ、何も言わず一は向こうへと入り、八も後に続き、龍之介も足をいれようとした。


「待て、わっぱ」


「ん?俺か?」


「そう、お前だ」


 龍之介を呼び止めた翁は、ズイッ、と布に包まれた刀を押し付けてきた。


「何だいこりゃァ?」


「ひひっ、笑わせてもらった礼だ。持っていけ」


「貰えるなら、ありがたくもらってくぜ?」


 布に包まれたまま、ソレを肩に担ぐように持つ龍之介に翁は楽しそうに笑う。


「ひっひ、構わん。ソレはわっぱくらいしか扱えんだろう」


「へぇ?お!置いてかれちまうと不味いな!」


 店に龍之介しか残っていないことに気づき、龍之介は足を踏み込み、振り返った。


「じゃあな、じいさん!酒が好きなら、今度、上等な酒でも飲もうや!」と、笑って龍之介は向こうへと消えた。


 りりん、と硝子が鳴り、向こうへの道は消えた。店の中で翁は椅子の上で、消えた道をまん丸い目を更にまぁるい満月のようにして見送っていた。


「ひっ…妖相手に、酒を飲もうとは…ひっ、ひひっ!」


 そして、心底楽しそうに笑った。


「ひひっ、待っているぞ。わっぱ」一升瓶を抱え、椅子をキィと鳴らし、翁は店の奥へと消えていった。




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