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大江戸不思議番帳  作者: 夜之 四兎
5/8


「さて…此処等だったはずだ」


 先程のおちゃらけた雰囲気はどこにいったのか…一の顔は真剣である。

 中からは煙草の煙や、男達の「丁!」や「半!」と言う声も聞こえてくる。


「はぁ…生きて太陽拝めるといいな」と、一は苦笑し、懐から薄い白桃色の布を取り出した。


 布をほどけば、昨日預かったあの白磁器の盃がある。

 一は覚悟を決め、「…邪魔するぜ」と、引き戸を開けた。あれだけざわめき、熱気が籠った場は、まるで打ち水をしたかのように一気に冷えて静まり返り、中にいた男達は(中には数人の女もいたが)目を見開き、石像のように固まった。


「テメェッ!」


 だが、すぐに着崩れた着物を纏う衆達が立ち上がる。

 若く、目が鋭い男達は、それぞれの腰に携えたドスを一に向けた。


「…八を連れて来るべきだったな」と、一は一人で来たことを後悔し、乾いた笑みがでた。


「何を笑っていやがる!」


「いやァ、お兄さん方がずいぶん物騒な物振り回すんでね」


 へらり、と作った人形のような笑い顔に、ドスをつきつけていた男が怯んだ。

 そこで、静かに用件を言えばいいものを…「そんなもん振り回してると※髪切りになっちまうぜ?」と、余計な一言を言う。


※髪切り:夜に女性が辻を歩いているとあらわれ、美しく長い髪だと切ってしまう妖怪。


「テメェッ…!」


 キレてしまった男達の後ろ、豪快に笑う声が聞こえた。


「その兄さんの言う通りだ!」


「兄貴!」


「いくら、腰にぶら下げてたって、刀の柄どころか鍔にも触ってねぇのにこっちが抜くなんて情けねぇぞ」


 奥の床の間。「義」と書かれた掛軸の前に男は居た。あぐらをかいて、猪口を傾ける男の顔には大きな傷がある。右の額から顎までつたる刀傷が目立つにも関わらず、そのあっけらかんとした表情に毒気を抜かれてしまう。


「同心の兄さんが、何か用かい?」


「それとも、コレかい?」とサイコロを振り、肩を竦める男に一はふぅ、と息を吐いた。


「…頼まれ事があってな」


「何を?」と、おおらかに笑う男だが、その瞳は鋭く一を射っている。その目の鋭いこと…まるで剥き出しの刀身を首に突きつけられているような緊迫感さえある。この男がタダ者ではないことに気付いた一は、作った笑い顔をやめた。


「これだ」


 そう、一言申したと同時、懐から出した物に、はじめを取り囲んだ人間達は訝しげに眉を寄せた。

布に包まれた白磁器の盃が、掌に乗った時、周囲人間の目の色、顔の色が変わった。


「…兄ぃ!」


「ありゃァ…!」


「…「兄ぃに、盃を返さねば」と、その男から預かった」


「…その男の名は?」


 おおらかに笑っていた男は、もう笑っていなかった。鋭さのある瞳が一を射抜き、持っていた猪口を、静かに畳に置いた。一は、その瞳をまっすぐに受け止め、一言一言、漏らすことのないようにはっきりと声に出した。


「その男は、大江戸一家、立川龍之介の右腕…若頭、狛犬の刃」


 目の前の男…龍之介は、その言葉に静かに目を伏せた。ざわめく部屋の中で、一は盃を床に置いた。


「昨日、川原の土手で、バラバラにされた男がいる。」その一の言葉に、龍之介は伏せていた目を開け、また一をまっすぐに射抜くが、その瞳には、先程までの刀身を向けられたような緊迫さはなかった。


「お前が殺したんだろう!」


「武家は、平気で人を切る!」


「お上の犬が!」


 汚い罵倒と野次は、一の耳に入っていない。ただひたすらに、目の前にいる男に真実を伝えるがために目を反らさず、その鋭い瞳をまっすぐに見た。


「その男は、全身の血が抜かれ、干物のようになっていた」


「…血を?」


 今まで黙って聞いていた龍之介は、ぐっと眉を潜め、「そいつァ、先日あった事件と同じじゃねぇか」と、口を開いた。


 龍之介の言葉に、つい、と片眉を上げて「そいつァ箝口令が出された筈なんだけどなァ」とため息を吐いた一を面白そうに口端を上げて「人の口に戸は立てられねぇってこった」と肩を竦めてみせた。

 降参だ、と言うように軽くため息を吐いた。


「そうさね、同じ奴がやった事だ」


「その口振りだと、犯人を知っているみてぇだな」


 ぎらり、と、凄みをきかせる瞳に、一は「やりにくい相手だ…」と、内心ごちる。


「知ってはいる。だが、場所は知らない」


 一は目をそらさずにそう、返すがそれを鼻で笑う声、「そいつと仲間なんじゃないのか、お武家様よォ?」と、回りにいた下っぱは嘲笑う。


「…仲間?」


 一の回りの空気が震えた。龍之介は、その瞬間に一の雰囲気が変わったことに気づいた。今までの罵倒も野次も気にしなかった一の琴線に、その一言は触れた。静かに、静かに底冷えするような冷たさと鋭さを含んだ声音に、取り囲んでいた男達は息をのんだ。


「俺ァ、アイツ等を殺す為にこの恥を抱えて生きて(ここに)いるんだよ」


 ゆるり、と上げた瞳の剣呑さに傍にいた男は「ひっ…」と漏らした。睨まれた瞬間、ぞくり…と、真冬の池に全身浸かったような寒気が襲った。

 誰かが唾を飲む音が響くほど静かになったその部屋で…


「くっく…くはっはぁっはっ!」


 掛軸の前に座っていた龍之介は大きく口を開いて、まるで、幼子がこれほど面白いものはない、と、言うかのように笑った。


「いやぁ、兄さんの肝の座りようには驚いた!」


龍之介の素直すぎるその言葉と態度に「あ、兄貴…」と、男の隣にいた怖面の男は口をひきつらせた。


「気に入った」


 龍之介はその大きな口を三日月に描き、ドカドカと掛軸の前から一の目の前に移動し、ドカリと座る。


「改めて…俺は立川龍之介(たちかわりゅうのすけ)。この大江戸一家の頭をやってる」


「じゃあ、この盃を返す相手はアンタか」


「あぁそうだ。こいつァ、俺が刃にやった物だ」


 龍之介と一の間に鎮座する盃を、龍之介は掴み持ち上げた。


「アイツの最期を見届けてくれたのは、兄さんかい?」と、龍之介は盃を見たまま言う。


「あぁ、あともう一人いる」


「そうか…ありがとうよ」と、笑った龍之介に一は目を伏せた。


「用が済んだし、俺ぁかえ…」


「ちょいと待ちな。」


 立ち上がろうとした一を制し、龍之介は盃を置いた。


「兄さんに聞きたい事がある。」


「おい」、と近くの男に顎で戸をさし、開けさせた。


「誰も近づけるな」


「親分!」咎めるような子分に、反論を許さぬような瞳を向けた。


「いいな」


「…へい」


 渋々と頷いた子分を見て、龍之介は扉を閉めた。


「座りな」


 そう顎で示された場所は、柱の前…そのひんやりとする黒い木の柱に、一は不思議なモノを感じた。一はその不思議な感覚を知っている。故に、益々分からずにその柱を見続けた。

 その様子に、「その柱は、兄さんが持ったその刀と同じように魔を祓う力がある」と、龍之介は笑った。


 その言葉に、一は目を見開き、龍之介を有り得ない…というかのように見た。一のその表情を見て、龍之介は笑いを消し、真剣な表情になった。


「刃が死んだのは、妖が関係してんのか?」


「アンタ…妖を知ってたのかい?」


 まさか、ヤクザ者から、“妖”、という言葉が出るとは思わなんだ。一は目を丸くし、目の前であぐらをかいている龍之介を見た。


龍之介は己の目の傷をなぞりながら、「まぁ…昔にちょっとな。だからこそ、この柱、それと…」と、困ったように笑い、自分の懐から黒い鞘のドスを取り出した。そのドスは、一の腰にさしてある白い鞘の刀とよく似ていた。


「このドスに仕込んだんだよ」と、龍之介は笑った。


「妖のことを知るなら、話しは早いさね」一は小さくため息を吐き、作った顔をやめ、自然体に戻った。


「おそらく妖の正体は"花"。花鬼だ」


「鬼たァ…大層なもんだな」


「そうさ、花だからなどと甘い事は言えねぇ。花は花でも鬼の花さね」


 一の言葉に、龍之介は「なるほどなァ…だから、正体は知ってても、場所は知らねぇって言ったのか」と、苦笑を浮かべながら顎をさすった。


「まぁ、今においを探しているところさね」


「におい?」


「さっき、見届けたのはもう一人いるっつったな」


「そいつが、妖憑きの生まれなのさ」と、一は言う。


「妖憑き…においを追えるつーんなら、そいつァ狼…いや、犬か?」


「よく、知ってんな」


「ヤクザにしとくのは勿体無ぇな」と、一が笑うと、「兄さんも、同心にしとくにゃ勿体無ぇな」と、龍之介も笑った。


「とにかく、俺ァは妖を切る。話はそれで終りだ」


「いいや、終わりじゃねぇ」


 立ち上がろうとすると、龍之介はその腕を掴んだ。「何だ、まだあんのかい?」一は眉を寄せたが、龍之介は笑った。


「その鬼退治、俺も混ぜてもらうぜ」


「おいおい、正気とは思えないぜ?龍之介親分さんよ。人を切るのと妖を切るのじゃ、訳が違う。そんな簡単に言わないでくれないか?」


「冗談はよしてくれ」と、肩を竦める一に、龍之介は首を横に振る。


「いいや、俺ァは正気だ」


 龍之介は譲らない。妖を切ることを了承しない限り、おそらく帰れないのでは…と思った一の予感は当たった。


 部屋の真ん中で、龍之介と一の「切る」、「切らせん」の問答は続く。いつのまにか空の真ん中にあったはずのおてんとう様は、山に隠れて、空は赤い着物へと着替えた。


「…わかった、もうわかった……止めやしねぇよ」と、いささかぐったりとした一とはうってかわり…


「そうか!いやぁ、頼んでみるもんだ!」と、意気揚々とする龍之介。


 頼んだのではなく、ごり押ししたと言うのだ。

 どうやら来度の軍配は龍之介が上がった。ぐったりとしている一の背中をバンバンと叩きながらカラカラと笑った。


「そうと決まれば、兄さん」


「何だい…」


「アンタにゃ、しばらく俺の屋敷に住んでもらうぜ」


「…何だって?」


 あっさりと、さも当然のように言われた言葉に一は耳を疑い、貧血になった時のような目眩を感じる頭を押さえた。


「俺が武家屋敷まで、行く訳には行かんだろう?」


「顔が知られているからなァ」と、笑う龍之介に、一は顔をひきつらせ、首を横に振って「冗談はよしてくれ、そしたら俺ァ、どうやって奉行所に行くんだい?」と、抗議するが、「何、屋敷の裏道を通ればいい」と、あっけらかんと言う龍之介に、本格的に一は頭を抱えた。


「わかったわかった…妖退治が済むまで、アンタの所で厄介になる」


 これ以上、龍之介に何を言っても、無駄なのだ…と、悟り、一は項垂れながら深く息を吐いた。一の前にいる龍之介は、悪戯が成功した子どものような笑みを浮かべて、「そうこなくちゃな」と、うんうんと頷いた。その龍之介の表情を見て、閃いた一は、俯けていた顔を上げる。


「ただ…俺だけじゃなく…」


 そう言って、笑顔を浮かべた一の表情は悪どい。





こわい、こわい。

怒る顔、怒る声、

いたーい、いたーい。

笑う顔、怒る顔、いつーも泣いてる。

こわぁい、こわぁい、

ほんとうに怖いのは、なぁんにもない顔。


一の本性、これ如何に。

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