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大江戸不思議番帳  作者: 夜之 四兎
2/8


 狭い番所で、一は頭に出来たコブを撫でながらため息を吐いて濡れた手ぬぐいを頭に乗せる。


「全く…こう何度も頭を殴られていたら、いつかこぶが天井に着いちまうんじゃねぇか心配だ」


「旦那が悪ふざけをするからですよ」


 コブを冷やす一に、八はため息を吐きながら冷たい水の入った桶を一の隣に置いた。「半分は本音なんだがなァ」と、言いながら腫れの収まった頭から手ぬぐいを外して八を見下ろす。


「八、ちょいと頼まれてくれ」


「はい、海和尚様をお呼びすりゃいいんですね?」


 八の答えに一は「何だわかっちまってんのか」と苦笑した。そんな一に頭を下げ、八は戸を開け外に出ようとしたが、「出向く必要はねぇ」と、首根っこをつかまれ、軽く上に持ち上げられた。


「海和尚様」


 八を軽く片手で持ち上げた笠を被る大男、海は笠を脱ぐ。傘の下から出てきた顔の半分は黒い火のような刺物が覆っていて、鋭い漆黒の瞳が一を射抜く…そこいらの子供が見たら一発で泣きそうな怖面だ。笠と錫杖(しゃくじょう)を壁にかけ、海は一の前にドカリと座った。いつの間にか、降ろされた八は茶を急ぎ用意し、二人に出す。茶を一口すすり、海は口を開いた。


「仏のことは人づてに聞いた。ついでに今、朝比奈の旦那に呼ばれて経を唱えてきた」


「そうでしたかい」


 一も茶をすすり、相槌を打つ。海は一つため息を吐いて、懐から巻物を出した。


「おめぇが睨んでいる通り、ありゃあこちらの客だ」


「そいつは、おっかない…六文銭(ろくもんせん)は握りたくないもんですよ」


 おどけて言う一を前に海は巻物を解いて床に転がす。紙一面は白ではなく、文字がひしめき合い黒い。その字列の中、赤に変わっていく文字を豆だらけの一の指がなぞる。


「血に、狂っちまいやしたか」


「あぁ」


 ぐいっと酒を飲むようなしぐさでお茶を咽に流し込む海、すかさず横から出る丸盆に湯飲みが載せられる。


「かぐわしい花に誘われたのかねぇ」


 男の悲しい性さね、と苦笑する一に海は掌を突き出した。「そいつァ、とんだ誤解だな」と、すっかり冷めたお茶をすすりながら言う。


「あの死んだ男の名は清八、この江戸一番のお人よしだ。ましてや恋慕の女がいるのに他の女に現を抜かすような玉じゃねぇよ」


「海殿、良くそんなこと存じていましたな」


「あの清八は昔から寺に来ていたからな」


 八に出された羊羹を切り、口に放り込んでため息を吐いて「もうすぐ祝言だったてのにな」と苦々しく顔

をしかめて一に私、置かれたお茶で口を洗う。「甘すぎる…よくおめぇは食えるな」と、空になった湯飲みを八に渡してお茶の催促をした。一は渡された羊羹を嬉しそうに頬張る。


「すると、女房になるはずだった女は今どうしてんですかい?」


「今は俺の寺に身を寄せている」


 海の言葉に、一は口に運ぼうとしていた羊羹がぼとり、と落ちて、八はぽかんとした表情をする。一と八の信じられないものを見たという顔に気付かない海は落とされた羊羹に目を移した。「おい、もったいないんじゃねぇか?」と、落ちた羊羹を懐紙に包んだ。今だ固まる八を後ろに、一は引きつる口端を何とか動かした。


「あの、寺にですかい?」


「あぁ」


 あっさりと返事をして、包んだ懐紙を八の持っている盆にのせて、出されたお茶を飲み干す。


「坊主が、一つ屋根の下で女人と暮らしていいんですかい?」


「俺は女に興はない、問題はないだろう」


 首をガリガリと書きながら「それに掃除をするから、俺の仕事が減る」とのんきに言う海に一は口をヘの字にし、恨みがましく海を見た。


「海殿が羨ましいですよ、俺ァ全く縁がないんですからね」


「俗世の考えはわからねぇな」


 一の言葉にため息を一つ吐き、海は胡坐を崩して立ち上がる。


「おかえりに?」


「あぁ、用は済んだ」


 笠を被り、錫杖を手に持ち、海は障子の引き戸を開ける。とおりの賑わいの音が狭い番所の中に聞こえてくる。海は引き戸を開けたまま、つい、と顔を一に向け「今回、刀を使うことになるだろうよ」と一言申し、静かに戸は閉められた。番所の囲炉裏の側、一と八が座る。一の口元には小さく笑みが浮かべられている。


「六文銭の用意が必要だぜ、八」


「はい」


 ぱちり、ぱちり、と囲炉裏の中で真っ赤に燃える炭の飛び音だけが静かに番所の中で音を奏でていた。

ガラリと勢いよく開いた引き戸から朝比奈は疲れた顔で深くため息を吐きながら入ってきた。後ろに控えていた丁稚は首を引っ込め、おどおどした表情で吐いてきていた。八は静かに席を立ち、きゅうすに湯をくべた。


「やっと、仏さんの身元がわかったぞ」


「お疲れ様です、朝比奈さん」


 団子の乗った皿を朝比奈に差し出す一に「おう」といって朝比奈は悴んだ手を囲炉裏にかざした。


「仏さん、清八って男だったんでしょう?」


 一がそういうと、何故わかった?と言うような顔をしたが「あぁ、海和尚様か」と納得したような顔をして頷いた。


「そうだ、薬問屋の丁稚の清八。昨日もきちんと店にいたんだよ。可笑しなもんだ。一晩で干物みたいになっちまってよ」


 八に出されたお茶をすすり「お初も気の毒なこった」と、一つため息を吐いた。団子を頬張る一が聞かぬ名に首をかしげた。


「お初?」


「お初ってのは、清八のかみさんになるはずだった女さ」


「あぁ、海殿の寺に身を寄せてるてぇ…」


 朝比奈の言葉に納得して頷く一に朝比奈も頷いてお茶をすする。熱いほうじ茶が冷えていた身体を温め、ほっと一息つく。一が食べ終えた串を囲炉裏に投げ入れ「竹串じゃねぇだろうな?」とじろりと睨む朝比奈に一は笑う。


「今日のは違いますよ」


 前に竹串を囲炉裏に投げ入れて、爆ぜた竹が朝比奈に当たったときは大騒ぎになったものだ、と思い出して一は笑いをかみ殺す。


「本当だろうな…」


「朝比奈の旦那、どうぞ」


 囲炉裏から遠ざかっていた朝比奈に、八は切り分けた羊羹を出す。「お、すまねぇな八!」嬉しそうに羊羹に手をつける朝比奈に「俺と八じゃ大分扱いが違いますねぇ」と、一は苦笑した。


「お前と八じゃ、大分違うんだから当たり前だ。サボらねぇし、気は聞くし、一で十わかる。お前とは真逆だろうが」


「ひでぇや、朝比奈さん」


 暫く談笑をしたが、巡回の時刻になり、一は八を連れて番所を出た。


 にぎわう市通り…新鮮な野菜や魚が並び、中には女子が喜びそうな簪に櫛が色とりどりに並ぶ。客を寄せるために上げられる声は耳に心地よいものである。土を踏み市の人ごみを抜ける一の顔には小さく笑みが浮かんでいるのを八は知っていた。


「団子が食いたくなったな、お梅ちゃんのトコに行くか」


「朝比奈の旦那に大目玉食らったばかりじゃなかったんですか?朝比奈さんに見つかってもオイラ知りませんよ」


 と、八が言うと、一は嫌そうに顔をゆがめた。「よしとくれ、あの人は本当にぬうりひょんのように現れるから洒落にならないよ」と、深くため息を吐いて腫れの治まった後頭部を痛そうに撫でた。


「旦那がサボらなければいいだけの話じゃないですか」


 呆れた八の言葉を聞こえない振りをして、一は大通りをひとり進んでいく。その後姿の嬉しそうな姿ったらありゃしない。甘味のこととなると子どもの自分よりも子どもみたいなのだ。


「仕方のないお人だな」


「八、早く来い」


 八のこぼした言葉は聞こえていなかったのか、はたまた聞こえない振りをしたのかわからないが、春屋と書かれた赤暖簾の前で立つ一が八を呼ぶ。「へい、旦那」そう言って八は一の元へ足を進めた。


「よう、お梅ちゃん」


「あら、いらっしゃい!柳川様にはっちゃん!」


 薄明るい木作りの店の奥から出てきた小梅はタンポポのように明るい笑顔を浮かべて一と八を席に促す。


「お、今日は俺達が一番のりか」


 一は嬉しそうにいながら壁の札を楽しそうに眺め「みたらし三本に茶をおくれ」と、小梅に言う。小梅の二重の細い瞳が愛らしく細められ「はいよ!はっちゃんは?」と、八を見る。八は眉を寄せて口をへの字に結んだ。


「いい加減”はっちゃん”って呼ぶなよ、オイラもう十六だぞ」


「あら、はっちゃんははっちゃんよ。それで、何にする?」


 小梅にそう言われてふくれっつらになり、そっぽを向いて「…イソベ」と小さく言った。小梅は愛想よく笑って店の奥に入って言った。小梅と八のやり取りを眺めていた一は「一本取られたな、八」と、可笑しそうに笑った。後ろの席に座る八はバツが悪そうに顔をしかめて「そんなんじゃありやせんよ」と、不満げに呟いた。


「お待ちどうさま!はい、柳川様、みたらし団子にお茶。一本おまけです。はっちゃんはイソベね!」


「お、ありがたいね、いただくよお梅ちゃん」


 ふわりと鼻をくすぐる甘辛いしょうゆ餡が琥珀色に輝き、何ともよだれを誘う。一は嬉しそうに笑い、団子に手を伸ばす。頬張り、租借すれば適度に跳ね返る弾力が何とも心地よい。


「相変わらず、春屋の団子は美味い。江戸一番だ」


「柳川様ったら、褒めてもなにもでませんよ?」


 くすくすと笑う小梅。八は出されたイソベを頬張るのに夢中で二人の話はまったく聞いていないどころか気にも留めていない。そんな八の様子をちらりと横目で見て小さくため息を吐いた小梅に気付いて一は微笑ましげに笑った。


「八、急いで食うと咽に詰まらせちまうぞ」


 と、言った。八は聞こえたのか、返事はないが食べる手をゆっくりにした。一は隣に立つ小梅を見上げ「お梅ちゃん、八が咽に詰まらせないよう見張っといてくれや」と言った。小梅は嬉しそうに笑って八の隣に立った。「はっちゃん、美味しい?」と、聞く小梅に、いつもの憎まれ口はどこに言ったか、八は無言で頷いてイソベを頬張っていた。幸せそうな二人を見て、一は一人「春屋の看板娘に春か…」と、呟き、一人寂しく団子を堪能した。


 ひとしきり団子を堪能した一は「ご馳走さん、また来るぜ」と言い。土産に草もちを買い、春屋を後にした。一の持つ二つの包みに八は果て?と首をかしげ「旦那、何で包みを二つに?」と言った。一は包みを持ち上げて口角を上げた。


「海殿に土産だ」


 その言葉に八は「いつもは酒を買っていくのに?」と不思議そうに首をかしげた。一は鼻歌を歌いながら寺への道へのんびり歩を進めた。


「朝比奈さんの目玉食らってもオイラ知りやせんよ……」


 と、八がため息交じりに呟いた言葉は、機嫌がよく聞く気もない一の耳に届くわけがなく、大きな寺の門前で、嫌そうな顔をして立っている海に気付き、一は人良さそうな顔をしてあいた手をひらひらと振った。


「何の用だ」


「茶飲みに…」


「帰れ」


 一の言葉を遮り、竹を割るようにすっぱり言う海に苦笑しながら、持って来た草もちを持ち上げて海に見せた。


「そんなこと言わないで、()で食べましょうよ」


 一の”皆”に含まれた言葉を読み取り、海は面倒くさそうにため息を吐いて、一と八に背を向けた。一と海の会話がよくわからないが、八は黙って機嫌の良い一の後ろをついて行った。前を進む海の歩きは荒く見えるが、音をたてずに歩いていて綺麗だ。海は本堂の大きな扉の前で立ち止まり、その戸をあけた。


「お初、客だ」


「お初…あ、死んだ男の……」


 八のこぼした呟きを竦めるように苦笑した一に小さく「すみません」と呟く八。本堂の奥、大仏の後ろから顔を上げた女子の年は小梅よりも少し上で、女としての美しさがにじみ出ていた。


「客…?」


 下で結われた髪がちらりちらりと項を見せ隠れさせていて色っぽい。ぽかんと口を開けっ放しでお初を見ていたが、ハッとして横にいる一を見上げると「可憐だ…」と、八と同じようにぽかんと口を開けっぱなしにし、顔を赤らめていた。八は小さくため息を吐いて額を押さえた。「旦那…またですかい」嘆くように言う八に会は眉間に皺を寄せて首をかしげた。


「またってぇと…」


 八は頷いて、もう一度今度は深くため息を吐くと「儚げ、色っぽい、項の三拍子が揃うと必ずコレですよ…」と、思い出すように遠くなる八の目に、海は納得して頷き「おめぇも苦労するな」と、言う。八はただ一言「はい」と言うだけだ。二人の呆れた視線も何のその、一は構わず初の手を握っている。


「お初殿…なんて美しい御名か」


 「は、はぁ…」と、一の勢いに押される初は目を白黒させた。その初の手を持ち上げて更に強く握り顔を近づける。


「名乗り遅れまして申し訳ござらん。某、柳川 一と…」


「口調まで変わってます…」と、ため息を吐いて、嘆くように頭を抑える八と呆れたようにため息を吐いた海。


「寺に身を寄せている女を口説くな、阿呆が」


 一の後ろに立っていた海は、初の手を未だ握る一の頭をはたいた。「何するんです、海殿…」恨めしそうに海を見る一を無視し「お初、掃除はいい」といい、頭を抑える一を横目で見た。


「こいつは同心でな、おめぇの力になると思って会わせることにした」


「同心…」


 初は呟くように言って、今度は初の方から一の手を握った。それに驚いた一、八をよそに初は泣きそうな顔で叫んだ。


「清八はっ…清八は人に恨まれるような人じゃなかった…!清八は、いつも人を助けとったのに、何で清八は死んでしまったの、何で殺されてしまったの!?」


 初は感情が爆発したようだった、それもそのはず、清八が死んだのは今日なのだ。普通なら亡骸にすがり泣きついているか、放心しているか、あるいは後追いなんてしてしまう女だっているのに、初は働いていた。まるで泣く暇はないと、泣いている自分を振り切ったかのように、それがまるで悪いことだというかのように…泣く気持ちを押し込めた。


「お願い、お願いしますっ…何で清八が死んだのか…何で死なねばならなかったのか…私はっ…」


 そう言った初の肩は震えていた…それは、自分の心を押し込めて、泣くのを堪える子どもの姿に重なって見えた。




恋多き一…それは、恋破れ多き一であったりする。

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