5話
実はシークレット改稿してたりします。
今後はそういう情報もtwitterとかで言わねば……(twitterあんまりしてないのよなぁ)
視界が歪み脳を揺さぶられる様な不快感に襲われる。
両の瞳と脳が焼き切れるように熱くなり、現実の光景は背景と成り果て、はじめは蜃気楼のように次第に実体を伴った光景を直視させる。
(来る……!!)
卯月は身構え、吐きそうになる程の不快感を必死に堪える。
この後の光景を記憶に焼き付けるために。
(ここは……廊下か?
視界の隅に扉がある。扉の奥は……くそ、ぼやけていて見えない。はっきりしてよ!!)
自分の操作が利かない、リアリティのある映像。
卯月はこの映像から読み取れる情報をできるだけ記憶しようとしていた。
『きゃあああーーー』
響き渡る悲鳴に、ざわめく人の声、卯月は咄嗟に振り返りそして後悔した。
顔をあげるとそこには……大量の血液を垂れ流した人の姿をした何か。
それは、口角を釣り上げ鋭利な牙を覗かせた。
ドクドクドクドクドク……
普段よりも激しく、壊れてしまいそうな間隔で心臓が鼓動を刻む。
口内は乾き、呼吸は荒くなり、足は硬直して動けない。全ての身体機関が危険信号を発する。
おそらく、人間の生存本能がこの場から逃げろと警告する中で視線だけは目の前の化け物に囚われている。
(なんなのこいつ……)
恐怖で押しつぶされそうになる心とは裏腹に卯月はどこか冷静でいられた。
なぜなら、卯月はこの光景が自身の能力の強制発動であると知っていたからだ。
能力者の能力は、必ずしも使用者の制御下で機能するわけではない。
能力使用が不得手な未熟な者が使えば予想不能の結果を生むだろうし、能力者が精神的に不安定な状況下では暴走してしまう、そして能力者が生命の危機に直面している場合、能力は強制発動することがある。
こんなことが……卯月には今までにも何度かあった。
そして、そんな時には碌なことが起こった試しがない。
化け物が大きく手をあげた。
卯月は右手に握られた特殊警棒を構える。
どうやら未来の自分は戦うことを決めたようだ。
殴りかかる卯月に、化け物は思いの外早い速度で腕を振り下ろす。
左肩に走る激痛。
床に転げるように倒れ、目の前に化け物の足が見えた。
左腕の感覚はなく、動かない。体を生暖かい液体が伝い、錆びた鉄の臭いが鼻を突く。
横目で左腕を見ると、卯月の肩は捥げたように捻れ赤黒いドクドクした血液が大量に流れていた。
(……)
他の部位はどうにか動く、卯月は立ち上がろうと右手をついた。
瞬間、自身の身体が宙を舞い数メートル先の廊下に叩きつけられた。
何事が起こったのか……
『ゲフッ!!……』
口から何かが飛び出る……血だ。
咳き込むように何度も何度も吐血する。
少し間を置いてからピトピトと血の水滴が降って来た。
どうやら蹴り飛ばされたようだ、そう理解し自身の身体に意識を向ける。
腹部が痛い、肺が痛い、背中が痛い、左肩が痛い、頭が痛い、左手が動かない、首が動かない、立てそうにない、意識が飛びそうだ……
足音が聞こえ、何かが卯月の髪を無理やり引っ張り、彼女をどこかに引き摺っていく。
(なんで、なんで、どうして? なんなのこれ?……)
『■■殿、■■殿!!』
どこかで誰かを呼び声が聞こえた。
卯月の視界はそこで電源を抜いたテレビのように途切れた。
◆◆◆
右側頭部に硬いものが当たる。
クラクラと揺れるようにボヤける視界が、まるでピントを合わせるよう徐々に鮮明になっていく。
壁のひんやりとした感触、何事かと自分を虹羽の顔、ここに来て卯月はやっと自身が壁にもたれ掛かっていることに気づく。
サッと体勢を立て直し、まるで何事も無かったかのように歩を進める。
「卯月殿? いきなり倒れてどu……」
「なんでもない。少しよろめいただけ、大丈夫。
立ちくらみってやつ、よくあるでしょう?
何も問題ない先に行く」
虹羽が心配そうに聞いてくる。
「で、でも、卯月殿顔色がわるいようna……」
「悪くない。オタの目が悪いんじゃない?
今から引き返して眼科にでも行って来たら?
……ともかく、私は大丈夫」
卯月は先ほど見たモノを意識から遠ざけるように、自身を落ち着かせるように、他者に心配されるなどいったことが無いように言葉を紡ぐ。
気を抜いたら鮮明に化物の姿を思い出してしまいそうになる……こんなところで誰かに頼るようでは、こんなところで躓くようでは駄目だ。
あんなモノを見たくらいで心を乱していては、宇喜多さんに認めてもらえない。
(こんなことじゃ、駄目だ!!)
卯月は深く深呼吸し、一度目をぎゅっと閉じ、頬をぺちぺちと叩いて気を取り直す。
そして、ゆっくりと周囲を見渡した。
洋館の内部は薄暗く、床には草が生え、壁には蔦が生い茂っている。
卯月たちが立つ玄関の正面には大きな階段があり、おそらく外装からも見て取れた二階へと続く階段だろう。視線をサッと左右に配る。
(右に二部屋、左に二部屋……計四部屋か、これも宇喜多さんの情報通りの配置。
……て、ことは二階も似た作りと考えていいか、二階も四部屋、あの見取り図は大体正しいのだろう)
ブリーフフィング時に宇喜多が描いた見取り図を思い返す。
宇喜多の情報では、一階には客間・洋室・キッチン……そして用途不明の部屋があった。
先に確認するとしたら用途不明の部屋。不確定要素は早めに潰したいが……ワタルからの指示もある、一般人に指図されるのも癪だが……
(例の化け物と一般人の接触の危険もあるが…幸い、ここは一般人の出入りもある心霊スポットらしい。何かのトリガーがなければあれに遭遇することはないのだろう。
そして、あのとき化け物に一番に接触したのは恐らく私だ。
私が、"トリガー"になりそうなものを先に見つけて対応しなければ……そうなると、邪魔されず二階を回れるのはメリットもあるのか?
……一般人の目を避けて探索するのを優先すべき、か)
卯月が歩き出そうとすると、ワタルが声を掛けてくる。
「おい……おい!!」
背後から声がする。
しかし卯月は気づかない、というより自分のことだと思いもしなかったのだ。
卯月は日常的に、人に呼ばれることなどない生活を送っている。
組織での生活において卯月を呼ぶとしたら宇喜多か、あとひとりいるくらいだ。
故に、卯月は自分が呼ばれていることに気づかなかった。
ワタルはそんな卯月の様子に痺れを切らしグッと卯月の腕を掴んだ。
「……!?」
「おい聞いてんのかちびっ子!!」
卯月は、直ぐにはなにをされているのか分からなかったが、腕を捕まれていることに気づき一瞬で思考が停止した。
卯月はゆっくりと捕まれている腕を視界に納めると、身体が強張り、嫌な汗が滲み出るのを感じた。
卯月が反射的に腕を振りほどかなかったのは、相手が”一般人”であるという事実と、”失敗できない仕事”をしているという使命感から理性が辛うじてブレーキとして機能したからだ。
数秒後、ここでやっと自分が呼ばれていたことに気づき、ぎこちない笑みを浮かべながらワタルの顔を見る。
ソコにはワタルの不機嫌そうな顔があった。
「え、あ……」
頭が真っ白になり、舌の上が乾く。
今日会ったばかりの一般人にいきなり接触され、何やら返答を求められている。
(ど、どうしたらいい、振りほどく、それは不振、アウト、でもこのままじゃ、そう、返事を、しなきゃ、何て、言えば……)
そう、現状は卯月の対人スキルでカバーできる範囲を優に超えていたのだ。
ここは組織のような安全圏でもなければ、卯月の"これ"を理解し庇ってくれる人間も居ない。
(う、宇喜多さん……)
理解者の居ない孤独感から思わず心の中で唯一心を許せる男性の名前を呼ぶ。
そして瞬時に我に帰る。
(いや、まてまて私!!
こんな、こんな所で泣き言いってどうする!!)
ぎゅっと両まぶたを一回瞑り、なけなしのコミュ力を総動員する。
ここは組織の外、たとえコミュ障でも自分の身は自分で守らなければならない。
「え、えと、なんですか?
とりあえず、離して、貰えますか?」
「お前さ、ビビってんだろ?」
「び、ビビってなんかいません!!」
即答し、腕を振り払った。
そんなわけない。
一般人に私の心の乱れが読み取れるわけ……
「どこからどう見てもビビってんだろうが?
顔色悪いし、キョドキョドしてるしよ、落ち着きねーよ」
「……か、かおいろ?きょどきょど?おちつき?」
そんなわけない、あるはずがない……卯月はそう思い虹羽の方に視線を向けると、奴は一般人に絡まれない安全圏から甘暖かい視線を送りながらゆっくりと頷いた。
卯月は咄嗟に顔を両手で覆い、両の手で自分の顔をプニプニする。
(嘘。そんな、ポーカーフェイスを心がけていたのにっ!?)
卯月はそんな訳あるはずが、と呟く。
彼女はこれまでの組織での生活において、ずっと宇喜多と行動を共にしてきた。
彼の側で仕事を学び、彼の元で成長し、彼の技術を学んで来た。
そしてそれは一重に、宇喜多の役に立てるようになる為のものだ。
『ポーカーフェイスを忘れるな。
相手に動揺を悟らせるな、心の隙を見せるな、常に自分はスマートなのだと心掛けろ』
仕事を教えてくれているとき宇喜多に言われたセリフが脳内再生され、卯月は叫びそうになるのをこめかみを抑えて堪えた。
卯月は数秒ふるふると震え、そして不敵に笑い出す。
自身の目の前にいる少女の変化にワタルは正直不安になった。
もしかして、本当に怖くなって情緒がオカシクなったのではないか?……純度100%の心配の視線を卯月に向ける。
「おい、本当に大丈b……」
「大丈夫です。お構いなく。私は大丈夫です。
虹羽さん、なにしてるんです、行きますよ?」
スッと顔を上げ、キリッとした表情の卯月が早口で呟く。
そしてワタルなど気にしていないかのようにクルッと踵を返すと階段に向けスタスタと歩を進める。
虹羽も呆気に取られていたらしく、数秒遅れて卯月について行く。
「ま、まってほしいのですぞ!!」
「オタ遅い、置いて行くよ?」
そんな二人の様子を見てワタルはポカンと口を開ける。
そしてポッチャリ体型の女性がクスクスと笑いながら呟いた。
「仲のいい兄妹なんですねぇ」
「きょ、兄妹ぃ!!?
そんな訳ない、こんなキモオタと兄妹とかありえない!!
虫酸が走るわ!!」
卯月のポーカフェイスはものの数秒で崩れ落ちた。
「……キモオタはひでぇですぞ」
◆◆◆
壁に手を付きながら、一歩一歩踏み確かめるように階段を上がる。
踏み面に足をつけるたびギィギィと嫌な音がなった。
空き家になってからまともに整備もされていないのだろう……後ろから続く虹羽など、先ほどから踏み抜いてしまうのでは無いかと思えるほど、階段は悲鳴のような音を発している。
しかし、いま卯月はそんな音など微塵も気にしていない。
現状卯月の頭の中は、玄関で見たあの未来視で見えたものを虹羽に伝えるか否かの思案でいっぱいだったのだ。
(伝える……のが、ベストか。
でも、どう伝えれば良い?
あれは結局何だったんだろう……
能力者なのか?分からない…中途半端な情報を伝えて混乱を招かないか?
何より、私のあの情けない末路を話さなきゃいけないことになる……)
卯月が唸る最中、後ろからは呑気な声が聞こえて来る。
「いやはやぁ、ここの床ぶち抜けたりしねーですかな?
拙者の体重ですとメッチャふあーん。
卯月殿レベル美少女や、美少年なら良いのですが……拙者のようなグラマラス体型男性が突然空から降って来ても誰得、というより圧死案件でゴザるですな。
……いや、むしろ拙者の体重を支えることの出来るパワー系幼女との運命的出会いの予感!?
拙者、お姫様抱っこ願望とか少しばかりあったりして……胸が高まりますな!!デゥフフデゥフフ……」
「……オタ、うるさい!!
仕事で来てるんだけど分かってる?肝試し気分なら足手まといになるから帰ってくれない?」
卯月は虹羽のあまりにあまりな危機感のなさに声を荒げる。
本当になんでこんな人と一緒に仕事をしなければならないのか?
たとえ、百歩譲って誰かとペアで仕事しなきゃいけないとしても、もっとこう……人選とかあったと思う。
実働で動ける能力者の数が少ないのは知っているけれど、これではあんまりだ。
せめてもっと経験のある者と組ませて貰えればやりようもあっただろう。
初仕事で、訓練も行き届いていない人間を上手く利用しつつ、尚且つ守らなければならない……まるでお守りや介護じゃないか?
ふつふつと怒りの感情が沸き起こる卯月に対し虹羽は火に油を注ぐ。
「いやぁ、でも卯月殿? 拙者が帰って車を運転とかできるのですかな?」
「あぁー……そう、そうね、そうだった!
分かった、じゃあこうする!」
卯月は二階につくとピタッと立ち止まり、下段の虹羽を見下しながら(この状態で虹羽の視線の少し上だが)右手の人差し指を右側廊下に向けた。
「ここからは二手に別れて行動する。ええ、ええ、そうしましょう!
その方が私も真面目に誰にも邪魔をされず動けますし?
私が左側廊下、オタは右側廊下!見終わったらここに合流!何かあったら声を上げる!それじゃぁ!!」
「え、ちょ、まっ……えー、まじですかな!?」
虹羽が卯月を引き止めるよりも早く彼女は歩を進めた。
あえて虹羽から距離をとるように奥の部屋から見ることにする。
(なんなのあの緊張感の無さ。
私の気もしらないで、お守りするこっちの身にもなって。
でも、オタの所に先に化け物が出たら……あぁああ、もうっ!!)
卯月は少し立ち止まり階段へ向き直る。
懐中電灯で先ほどまで居たところを照らすが、しかし虹羽は丁度、近くの部屋のドアを開けて中に入る所だった。虹羽はライトの光で卯月の視線に気づいたらしく、卯月を見ると大きく手を上げた。
「おーい、やっぱ二人でまわ……」
虹羽が言い終わるよりも早く、卯月は無言で振り返り、スタスタとわざと靴音を大きく鳴らしながら奥の部屋へと歩く。
(人が、人が心配してあげてるのに……!!)
なにやら、反対側から『つらたにえん』とかふざけたセリフが聞こえたが、卯月はもう気にせずに部屋の前まで移動した。
左奥の部屋の扉は壊れているようで開け放たれており、廊下からその内部を知ることができた。
内装はタイル張りの床と壁で、壊れた両開き窓からは大きな木が枝を伸ばしている、入り口近くには割れた洗面台と壁際には浴槽、その横には洋式トイレ、トイレと浴槽を隔てるカーテンはボロボロに破れ風に揺れることで幽霊のようにも見える……見取り図通り、ここが浴室であることは間違いなさそうだ。
懐中電灯で外から照らし確認するが、内部の荒れ具合は人為的なものなのか、それとも自然の経年劣化なのか卯月には判別できなかった。そもそも、ここからでは詳しく中を観察することができそうにない。
(それにしても……)
身体をジメッとした空気が覆い、その次に異様な臭いが鼻腔を突く、この浴室の前に立っているだけで物理的に不快な気分になる……しかしそれとは別に異様な不気味さがあった。なんなのだろうか……玄関で見た未来視が原因なのだろうか……?
まぁ、あんな化け物を見たのなら警戒して然るべきだが。
卯月は疑問に思いつつ浴室へと一歩足を踏み入れる。
まず、卯月のそして極め付けは……
「なんなの、これ……」
浴槽に残った黒い液体だ。
そこにはハエが集り、ウネウネと小さい蟲が蠢いていた。
なんの臭いかはわからないが、この臭いもどうやらここから発生しているもののようだ。
卯月は途中で耐えきれなくなり、息を止め小走りで部屋の外へと戻る。
そして廊下で大きく深呼吸し、ハンカチを取り出し口と鼻を抑えた。
「泥……って訳ないよなぁ」
口と鼻を抑えながらもう一度浴室へと入る。
今度は浴槽以外の場所から探索する。
洗面台は、何かで壊されたように割れており蛇口も捻ってみたが茶色の水がチョロチョロと流れるだけ。
トイレも同様で中の水など乾いてしまっており、黒いカビで覆われていた。
窓から外も見て見たが、外には大きな木が育っており、その鬱蒼と生い茂る枝と葉のせいで外を見ることは困難だった。
卯月は窓の外に向かって一度大きなため息を吐く。
そして、ゆっくりと浴槽へ向き直った。
浴槽の周りをキョロキョロと探してみたが、どうにも栓がされている訳ではないようだ……ということは、何かが詰まっているのか?
「……オタに頼む……、いや、論外」
できることなら触れないでいたいが、明らかに不審なこの液体を気にせずにはいられない。
かといって、こんなことで、ましてあんなことがあった後に、虹羽を頼るのも嫌だ。
むしろ、早く自分の担当である二部屋を終わらせてしまって、こちらから虹羽に合流、探索の手伝いをしてやりたいくらいだ。
「やっぱり、調べなきゃ……だよなぁ、やるしかない、はぁ……
どうにかして詰まりを解消するなり、この液体の正体を突き詰めるなりしたいけど……、手で……は、無理、絶対無理……!」
一時触れるだけならまだしも、着替えられないのだから、触れてしまったが最後この仕事中ずっとこの液体が……と、想像をしただけで鳥肌が立つ。
その感覚を一刻も早く鎮めようと腕を擦ると、それの重みに気付いた。
……特殊警棒だ。
特殊警棒を伸ばし、ゆっくりと先端を中へ沈め、浴槽の底を探る。
液体は思ったよりもドロっとしており、中を探るのも一苦労だったが、なにかカラッと当たるものを見つける。卯月はすぐに特殊警棒を引き上げ、場所を見定めてから再度探るように警棒を挿す、そして壁つたいに器用にそれを拾い上げた。
そのとき、何か詰まっていたものを取り除いたようで液体がゴゴゴと音を流れ出た。
「私の、苦労……」
卯月は呟きながら、ボロボロのカーテンで特殊警棒と拾ったもの拭い確認する。
それはカード状の薄っぺらいもので、赤黒く汚れており、一部汚損があり判読することはできないが、卯月にも見覚えのあるカードであった。
(運転、免許書……)
卯月が拾い上げたものは、10代女性の写真が載った運転免許証であった。