2話
卯月は四階にある小会議室に通され、指定された椅子に座り、机に向かってうなだれていた。
小会議室には長机が並び、幅が均等になるよう椅子はきちんと整えられ、机椅子の目線の先のホワイトボードはまるで新品のようにピカピカで消し残しが見当たらない。
なるほど、この部屋を管理している人はとても几帳面な性格なのだろう。
現在、卯月が座るの一番前の席、その真ん中だ。
あの後卯月は、宇喜多が呼んだ医者により適切な薬の投与と治療を受けた。しかし、能力を使った反動は大きく体調が優れないでいた。
現在、主な症状は倦怠感のみだが、身体が重く何をするにしても億劫である。
「本来、能力とは先ほど卯月が行ったように、短期間で濫用するものではない。身体に負担がかかりすぎるからな。相応の実戦経験がないのなら尚更だ。
何事も対価無しで行えるほど世界は優しく出来てはいない、能力使用の代償だ、甘んじて受けろ」
宇喜多が卯月の頭に手を乗せた。
「そして起きろ」
卯月がむっくりと顔をあげると、そこには宇喜多の仏頂面があり、彼は卯月の頭を軽く撫でながら書類に目を通していた。
宇喜多が読んでいる書類は先程の騒動の発端となったもの。実働部隊の仕事に関するものだ。
あの書類を読んでデバイスに記録した卯月は、半ば脅迫じみた言葉で宇喜多を脅し、こうして実働部隊のブリーフィングに参加している。
やっと待ち焦がれていた実働部隊の仕事ができる……もっと役に立てる。
そう思うと身体の倦怠感が少し和らいだ気がした。
「宇喜多さん、ブリーフィングとか移動しながらでも大丈夫ですから、早速現場へ……」
「何を言っている。まだ、メンバーが揃っていないぞ」
「メンバー?」
卯月は不思議そうに小首をかしげるが、しかし宇喜多はその様子に気付いていない様子で、当然のように続ける。
「言っていなかったか?
実働部隊は最低でも2人以上のチームが原則だ。当然、卯月にも従ってもらう」
卯月はあまりの事に目を見開いた。
チーム……宇喜多さん、私にチームを組めと? 人と働けと?
「待ってください、待ってください!!……言いませんでしたか?
私は一人で十分仕事できますし、仲間もチームもいりません。わかります?」
卯月はガタッと音を立てて立ち上がって抗議する。
宇喜多は持っていた書類を置き、彼女をじっと見つめた。
「卯月の能力は私が一番わかっているつもりだ。
しかし、実働部隊のルールには従ってもらう。
万が一、卯月になにかあった時、自分ひとりで対処できることなど知れているからな。だからこそ信頼できる仲間は必要不可欠だ」
その淡々とした口調に、卯月の心中は穏やかではなかった。
そんなことは卯月だって解っている、内心では最初から一人で完璧に仕事をこなせるとは思っていない、しかし見ず知らずの他人と共に働くことへの抵抗感が彼女を素直ではなくしていた。
沸々とこみ上げるものに任せて捲し立てる。
「何度も言わせないでください。
私の能力があれば万一なんて有り得ませんし、仲間なんて要りません」
宇喜多はやれやれと首を横に振って答えた。
「卯月、お前はまだ能力者を相手取るといったことの危険性を理解できていない。
普通ではありえないことが起こり得るのが実戦なのだ。
私も気を抜けば足元を掬われる可能性だってある」
「さっき私にしてやられたようにですか?」
宇喜多の右の眉がピクッと動く。
卯月はそれを確認すると少しだけ心中の溜飲が下がるのを感じた。
宇喜多は一つ咳払いをした。
「言っておくがな。あの程度のことで勝ち誇られては……」
「はいはい、わかりました……それで、私の仲間?というのはいつ来るんです?
どういう能力者かは知りませんが、ブリーフィングにも遅刻。やはり置いて行ってしまっても良いのでは?」
宇喜多は何か喋ろうとしたが、その口を閉ざし、会議室の入り口へと視線を向けた。
「……噂をしていたら来たぞ、そのメンバーがな」
卯月は肩をすくめると、やれやれといった様子で入り口へ振り向いた。
そして、そこに立っていた人物を見て、目を大きく開く。
「おやおや、もしかして会議の方はすでに始まっていたご様子?
そうだとしたら、失敬。遅れて来て悪かったですな。
虹羽正義、只今、小会議室に俺参上!!」
そこに立っていたのは、身長は宇喜多と卯月の間くらいの、身体全体に脂肪のついた丸々とした……ぽっちゃりとした体型の男性だった。
髪は無造作にボサボサしており、前髪の辺りに寝癖がピョンっと跳ねている。顔立ちは無駄に幼めであり年齢を判断するのは難しい、頰にはでっぷりと脂肪がついており多量の汗を垂れ流していた。
安っぽいケミカルウォッシュのジーンズは、サイズを間違えているのでは無いかと思うほど今にも張り裂けそうで、でっぷりとしたお腹がそのベルトの上に鎮座している。そしてそのTシャツが極め付けである。胸部分には、大人気女児アニメのキャラクターがデカデカとプリントされており、彼の豊満な肉体により、哀れ横伸ばしにされていた。
卯月の第一印象は『あー、こういう人種ってリアルにいるんだぁ……』である。
彼女は、すこし引きつった表情で虹羽を見ていたが、ふと我に返り驚いた様子で宇喜多に振り向くと。
「……冗談ですよね、宇喜多さん?私にコレと組めと?本気ですか?……」
と、虹羽の方を指差しながら聞く。
宇喜多が何も答えず、無言でゆっくりと頷くのを確認し、卯月はヘナヘナと机に伏せった。
◆◆◆
宇喜多が咳払いし『ブリーフィングを開始する』と告げると、卯月は恨めしそうな視線を宇喜多に向けつつ、身体を起こしホワイトボードに向き直る。
「拙者の席は……うぉっと、なんですかなこの美少女。二次元クオリティキタコレ!!
金髪赤目のゴスロリ美少女とか、宇喜多殿、まさか本当に二次元から拾ってきたんでゴザルか?
ワロス、二次元から出てくる程度の能力者、ブフォ、そういえば金髪赤目ゴスロリの三拍子と言えばやはり~」
先程、虹羽と名乗った男が卯月の隣の席に着こうすると彼女の顔を覗き込むなり、その期待を裏切らない特有の早口を披露しはじめ、卯月はワザと大きな音が出るように椅子を引き彼との距離をとる。
(やばいやつだ、こいつやばいやつだ)
宇喜多の咳払いがまた一つ響き、虹羽の口が瞬時に止まる。
「宇喜多殿?風邪ですかな?」
虹羽が呑気に聞くと宇喜多は『いいから座れ』と着席を指示する。
卯月は虹羽が座ると、また少しだけ彼との距離を離した。
虹羽はそんな卯月の様子を見つつも、彼女に向き直り、そっと右手を差し出した。
「小生、虹羽正義と申す武士でゴザル。
末長く宜しくお願いしますですぞい」
「卯月。
…よろしくするつもりもないし、今後会う機会が無いことを祈るわ」
差し出された手を無視して卯月がそっぽを向くと、虹羽は『おっと、ツンですな』と呟き大人しくホワイトボードの方に向き直った。
卯月は虹羽が来たことにより正直居心地が悪かった。
彼自身から感じる印象とは別に、宇喜多以外の人間が隣に座っていると言うストレスが、彼女の神経をじわじわと逆撫でる。
しかし、卯月はそれが表にでないよう平静を装った。
宇喜多はそんな彼女を書類越しに視界に収めると、ホワイトボードに何事かを描きながら、今回の仕事に関する説明を始める。
「今回の仕事も、能力者のいる可能性のある場所に潜入し、対象が存在するかどうかの確認、そして存在した場合の可能ならば保護、不可能であった場合は始末するという基本のプロセスは変わらない」
始末……その言葉が卯月の心に沈んでいった。
宇喜多は卯月を一瞥し、ホワイトボードに建物の見取り図が几帳面に書いていく。
「定規も使ってないのにすごいですなぁ」
隣から聞こえる呑気な声は無視する。
そして出来上がった見取り図に虹羽は『ほほう……』と声をあげた。
事前に資料に目を通し、デバイスに保存した卯月にとっては何の驚きもない情報だった。
描かれたのは二階建ての大きな建物の見取り図。
キッチンや風呂、寝室やダイニングなどが記載されており、いくつかの名称不明の部屋が存在している。
「今回、卯月と虹羽に潜入してもらうのは、人里離れた森の奥に建つ洋館だ。
この洋館には現在住人はいないものと思われ廃墟同然だと考えられる。
数日前、この建物付近から、微小ながら能力者のものと思われる反応が観測された。
その後の調査でも小さいながら反応が継続しており、付近に目星しい建造物はないことから、この観測結果と洋館との関係は濃厚だと考えられる」
宇喜多はいくつかの資料をめくり、話を続ける。
「また、建設に携わった業者を幾つか特定し、洋館内の見取り図を予想した。この通りだ」
「予想……ですか?正確な見取り図は無いんですか?」
卯月の問いに宇喜多は首を振る。
「残念だが、この洋館は増改築を繰り返していたらしくてな。
建設に携わった会社も全てを把握していた訳では無いそうだ」
「そうですか、そうなると現地調査は必っs……」
「なにそのホラーハウス、絶対ゾンビ化ウイルスとか蔓延してるじゃ無いですかー、ワロス」
あまりに不謹慎な言葉に遮られた卯月は咄嗟に虹羽を睨む。
その視線は鋭いものだったが、しかし虹羽は意に介して無い様子で、益体のない様子で資料をペラペラと捲っていた。
卯月が堪らず声をあげようとした時……自分の目前に恐ろしい殺気を放つ者がいるのを感じ取る。
恐る恐るそちらに向くと案の定、宇喜多が虹羽に向け、まるで射殺してしまいそうな視線を放っていた。
宇喜多の眼光からは決して殺意のようなものは感じない。感じるとしたら本当に冷たい、自分に向けられたものでなくとも背筋の凍るような生物的な死の感覚だ。
卯月も思わず息がつまる。呼吸困難に陥りそうな程に濃厚な死の感覚。背中に嫌な汗がすっと伝う。
「虹羽、貴様余裕だな?……ブリーフィングくらい真面目に受けたらどうだ?」
呼ばれた虹羽がのっそり顔を上げると、哀れその顔色は真っ青なものとなり、黒目がキョロキョロと動きだした。傍目からでも焦っているのが丸わかりである。
「言うまでもないとは思うが、仕事の失敗は組織から貴様達への信頼が池に落ちることを意味する。
私をあまり失望させてくれるなよ?……貴様らは組織に保護されてはいるが、もし組織に仇なすのなら、私が直々に手を下すことになるのだからな。肝に銘じろ、いいな?」
「わ、わるかったでゴザル」
「……はい」
宇喜多が有無を言わせず、淡々と卯月達の立場を冷酷とも取れる口調で口にする。
彼が口にするその当たり前に、隣の卯月も背筋が伸びた。
そう、組織の実働で仕事をすると言うことは即ち、裏切りは勿論、ミスや逃亡も最悪の場合粛清の対象となりえる。
その場合、おそらく直ぐに現れる追跡者がこの宇喜多だ。
二年間……宇喜多のそばで過ごしていた卯月は知っている。この男から逃れる術など無いのだと。
虹羽は気圧されたように顔が固まらせている。
宇喜多は卯月と虹羽の反応に納得した様子で、そっと息をつく張り詰めていた空気がほんの少し和らいだ気がした。
彼は続けて言う。
「貴様らがミスをして危険に晒されるのは何も自分たちの命だけではない。
貴様らの選択ひとつで救える命もあれば、簡単に飴細工のように脆く失われる命もある。しかし、拾いに行って自らの命も落としたのでは割に合わん。だからこれから言うのは上司としてでもあり、私個人としての貴様らへの命令だ」
宇喜多はそっと瞳を閉じ、薄く開いた。
「拾えるものはできるだけ拾ってこい。以上だ」
彼はそう一言呟いた。
いつもの彼とは違う様子で発せられたその言葉が卯月の頭の中に反響する。
言葉だけではない、宇喜多はじっと何か言いたげに卯月を見ており、彼女の脳裏にはその悲しげで鋭く優しい視線が焼きついた。
◆◆◆
宇喜多はホワイトボードに向き直り人名を記載する。
【夜野幸造】
(……よるのこうぞう?)
卯月は口の中でその名前を復唱する。
少なくとも資料に記載のない名前であった。
宇喜多はその名前に赤いペンで線を引く。
「夜野幸造。我々組織が行方を追っている重要人物だ
夜野は、今回潜入する洋館の持ち主であることが解っている。
卯月と虹羽には能力者の捜索と、この重要人物、夜野幸造の捜索を並行して行ってもらう。
異論はあるか?」
「その、重要人物……と、いうからには、詳細を教えてほしいんですけど」
卯月がすかさず発言する。
彼女にとってそれは至極当然の必要情報だ、開示されてしかるべきものだ、だから宇喜多も教えてくれるだろう……そう思って彼を見ると、しかし苦々しそうな顔をしていた。
「……これ以上、貴様らに伝える情報はない。
ブリーフィングは以上だ。各自仕事の準備を整え、今晩21時に出発しろ。
廃墟とはいえ人目につく行動は慎め。民間人に能力の詳細が露呈することは避けねばならないし、もしそうなった場合は懲戒対象だ。支給品は1時間後までに用意する。以上、解散だ」
半ば強引にブリーフィングを切り上げた宇喜多は直ぐに会議室を後にしようとする。
「え、ちょ、まってください!!」
卯月が立ち上がり直ぐに追いかけるが、宇喜多は会議室の扉をガタンと締め退出し、彼女もすかさず扉を開ける。
しかし、今しがた確かに扉から退出したはずの宇喜多の姿は廊下のどこにも見当たらなかった。
(え、なんで……まさか、転移!?)
宇喜多の持つ能力の詳細については、ずっと一緒に過ごしてきた卯月ですら全く知らない。
卯月が何度尋ねても決して教えてくれず、披露することがなかったその異能を、こんな応えたく無い質問から逃げる為だけに用いるなど彼女には信じられなかった。
転移能力者を待機させていた可能性もあるが、どちらにせよそこまでするのか……
その事実に釈然としないものはあったが、しかし、自分の与えられた(もぎ取った)仕事はこなさなくてはならない。
なんにしろ、そこまで知られたくないことなのだろうが、重要と言われた以上、相応の調査が必要だ。卯月は胸に残るモヤモヤを嚙み殺し、そして、これから挑まなくてはならない仕事に集中することとした。
(捜索及び調査で手がかりを手に入れれば何か分かるかもしれない。そうなったら宇喜多さんも話さざるを得ないだろう)
会議室に戻り資料を整理する。
隣でただただ困惑している虹羽はとりあえず無視することとし、卯月はあまり意識しないよう、先ほどまでとは違う、虹羽から遠い席についた。
他人が隣に座っているというだけでもストレスなのだ。それが、ひとつの空間にふたりきりとなれば……
まず、卯月がしたのは夜野幸造に関する情報の取集だ。
たとえ宇喜多が教えてくれなくても、実在した人物でしかも日本人なら、ハッキングで戸籍等は簡単に入手できるはずだ。
自身のデバイスを操作しまず名前検索をする。こんなものダメ元だ、組織の重要人物がそう簡単に検索に引っかかるわけがない。しかし、卯月の予想とは裏腹に思いがけない検索結果が出てきた。
『夜野幸造- Wiki』
(wiki載ってるんかい!!)
内心のツッコミが口元の引きつりに反映される。
検索結果の二番目以降は、なんかよく分からない書籍の販売サイトやレビューサイトだ。
卯月は決して本を読むほうではない、しかしレビューに書かれている『〜賞受賞作品』とかいう文字を見るに、どうやらこの人物がソコソコの有名人であることは理解した。
仕方なくウィキでも開いたが、なんと言うことでしょう、ただただ長い。読むのが億劫になっていると、隣から「まさかこんな所で夜野先生の名前を聞くとは思わなかったですな」という声を聞き即座に振り向く。
「に、虹羽さん、夜野幸造のこと知ってるの?」
卯月が食いつくと、虹羽はキョトンとした顔をしてから瞬きを二回し、そうしてようやく自分が話かけられたことを理解しニンマリと笑う。
卯月も咄嗟にしまったと思ったが、しかし言ってしまったものは仕方ない、この男から話を聞くこととする。その間も、戸籍情報などはハッキングで取得していくのは勿論忘れない。
先ほどまでの硬直具合はどこへやら、虹羽のテンションはまるで瞬間湯沸し器のごとく高くなる。
「デゥフフ、卯月殿は夜野先生について無知のご様子。
と、なれば拙者がご教授してしんぜましょう」
すこし気に障る態度だけど、まぁいいだろう。
卯月が聞く体制をとると、虹羽は思いのほか早い動きでホワイトボードまで移動し、そこに幾つかの文字を記載していく。
【Time・travel】
【羊の王国】
【慟哭】
【再会】
書き終えると虹羽は満足した様子でペンを置く。
「夜野先生は日本の小説家でゴザル。
ジャンルは主に、ホラーにSF、ファンタジーにミステリーなどですな。
作品全体を通して特殊な力を持つ人物と、それを取り巻く環境を主体とした構成でして、その豊かな感情表現と緻密に練られたプロットもあいまり、今までに数度某有名賞を受賞している有名作家様ですぞい。
かくいう拙者もファンでゴザって、幼子の頃から読んでいた我輩の青春のバイブルと行って過言ではない【Time・travel】は、なんといっても夜野先生の処女作なのですぞ。
処女作で、しかも初出版作品であるにも関わらず、今でも根強い人気を誇るこの作品は夜野先生を語る上で欠かせなく〜」
特殊な力を持つ人物、という部分が気になりはしたが、虹羽のマシンガントークが炸裂し彼女の精神力を摩耗させていく。
卯月は頬杖を付きながら虹羽を睨んだ。
「……簡潔に」
卯月の声に虹羽の口はピタリと止まる。
そして申し訳なさそうにこんなことを言い放った。
「あと五分ほどで語り終わるのでゴザルが……」
「そんなにいらない!!」
即答する。
こんな話し、もう1分たりとも聞きたくない。
卯月にとって重要なのは夜野幸造の情報であって、決して小説の情報ではない。虹羽の個人的な感想など聞いている暇はないのだ。
卯月がブスッとしていると、虹羽は慌てた様子でまとめ始める。
「夜野先生は日本の小説家でゴザって、作家になる以前の経歴はよく解ってないのですぞ。
しかも、十年ほど前から行方不明っていう……」
「まって、十年も前から行方不明ってどう言うこと……?」
卯月が聞くと虹羽が肩をすくめて答える。
「どういうことも何もそのままですぞ。
ある日突然、誰にも連絡せずにいなくなったそうな?
夜野先生はご結婚されていなかった独身貴族ですしな、行方不明が発覚するまで相当の時間が掛かったらしいのですが……そういえば夜野先生が行方不明になって今年で十年程、時の流れは残酷ですな、新刊ほちい」
卯月は、夜野構造が十年も前から行方が解らないといった情報に少し面食らった。
少なくとも夜野はそれまでの間、組織の捜索から逃れてきたこととなるのだ……十年も人間が生きていくためには、どうしても病院などを利用することを避けれない筈だ。
なのに、卯月が先ほどから行なっているサーチに、夜野がここ十年通院したといった記録はない。普通に考えて、正式な病院を使っていないか偽造した身分を使っているかだが……だとしても生きているとしたら十年間それで忍んできた相手だ手強いだろう。
虹羽がまた何か言っているのは無視し、取得した戸籍情報を確認したところで卯月は驚く。
情報上、虹羽の説明と相違点はない。しかし彼女は、巧妙に隠蔽されたデータ改竄の痕跡を見つけた。
本職がハッカーである卯月だからこそ気付けた痕跡……組織の重要人物なのだから、このくらいの工作は行われてもおかしくはないが、なんだかきな臭さを感じた。
組織が探している重要人物……夜野幸造。
おそらくは、失踪した頃合いで身を隠したか、何らかの事件に巻き込まれたかしたのだろう。
どちらにせよ、夜野幸造は要注意だ。
卯月は一人で何やら喋る虹羽を無視しそっと呟く。
(能力者も夜野幸造もちゃんと保護して宇喜多さんに認めてもらう)
彼女はそう決心した。