1話
ソレは怯えた表情で、自分の身に起こっている異常に、ただただ怯え狼狽していた。
私は、その姿を酷いとしか思わなかったし、ソレがあげる悲鳴も懇願も嗚咽も、微塵も心に響くことはなかった。そう、
私はただ傍観しているのだ。コトが終わるのをただ見ていたし、その声に応えようとは思わなかったし、コレ以外の方法は無いのだから仕方ないとさえ思えた。
昔からそうだった、私は人には成れはしないと、心のあり方がオカシイのだ。私は、目の前のアレに心を揺さぶられることはない、そんな怪物が人であっていい筈がないのだと。
だから私は怪物なのだと……心の中で、何度繰り返したか知れない問答を繰り返す。
どれくらいたっただろうか?
残された人だったモノを見下ろし、私は思う。
「……なんなんだろうな」
あの人間はなんで、こう成らねばならなかったのか?
それはきっと運が悪かったのだ。
これは私にとってなんら特別なことではない。
……そう、こうなったのも、こんなことをしているのも全て自分のせいなのだ。
私はそう思いながら心が騒つくのを抑えられず、口元を歪めた。
◆◆◆
色白の小柄な少女が、人通りの多い歩道を、迷うことなくスタスタと歩く。
白金色の髪をツインテールに纏めゴスロリ風の服を身にまとい、赤味がかった瞳をキョロキョロと動かし周囲を見る様は、まるで動く人形のようである。
少女はある場所に差し掛かり歩みを止めた。
視線の先にあるのは、鉄筋コンクリートで作られた四階建てのオフィスビルだ。
壁面は綺麗に清掃され清潔感があり、窓ガラスの向こうでは社員とおぼしき人間がせわしなく働いている、
何処にでもありそうな有り触れたビルディングだなと……それを見上げる少女・卯月は思った。
「……はぁ、こんな適当なカモフラージュにお金使う余裕があるのなら、もっと使うべき場所があるでしょうに」
カモフラージュ……そうこの外観は、組織がその存在を世間から隠すためのものだ。
組織とは、合法非合法問わない方法で主に日本で暗躍する、詳細不明の秘密結社である。また、その団体には正式な名称はなく、ただ組織と呼ばれていた。
そしてこのビルこそが、その組織の施設なのだと卯月は知っている。
卯月がビルの前まで歩みを進めると、その正面玄関前の人影に気づいた、彼女はその人物を視界に収めると一瞬目を見開いた。
「なんで、あなたがいるんですか……待ってなくっていいって言ったのに」
思わず口を出たが彼は気づいていない様子であった。
立っていたのは、クラシカルなラインの黒いスリーピーススーツに身を包んだ壮年の男性だ。
彼の顔立ちは美しく整ってはいるが、その眼光はまるで猛禽類のように鋭く、身体はスーツの上からでも判別できるほど引き締まり鍛えられている。髪はオールバックに整えられ、服装に乱れはなく腕時計などの装飾品にも不備はなく、彼のその几帳面な性格が窺えた。
全体的に、他者を寄せ付けない雰囲気を纏いつつも、どこか人を惹きつける魅力のある人物……そう自分が評価したこともあるなと、卯月は思い出し苦笑した。
彼は卯月を見つけるとスタスタ歩いてきた。
「卯月、遅いぞ。なにをしているさっさと入れ」
彼の……宇喜多さんの重く低いけれど通る声が私に向けられた。
そっと見上げると、どことなく不機嫌そうな顔で私を見下ろしている。
宇喜多さんの身長は180くらい、対して私は140くらい、身長差40センチ……あ、やばい、なんか腹が立ってきた。
「遅くないですよ、時間通りです。人を遅刻してきたみたいに言わないでください」
この日、卯月は宇喜多と待ち合わせをしていたが、予定の時刻にはまだまだ余裕があるはずだ。
それを遅いと言われた卯月が不機嫌そうに顔を逸らすと、宇喜多は「わかったからさっさと入れ」と、扉を大きく開き彼女を招き入れた。卯月は、口をついて出そうになった言葉を飲み込んで、宇喜多の前を通り建物の中へと入る。
扉を抜けると、そこはシックな雰囲気のエントランスであった。
床はピカピカで汚れ一つ見つけることが出来ず、照明は明るく居心地の良い光量に調整され、受付には女の私から見ても綺麗な女性が立っている。壁には綺麗な花が飾られ、中央には黒色の高級そうなソファーが置かれソコで今、数人のスーツを着た職員が談笑しながら仕事の打ち合わせをしていた。
全体的に居心地の良い、きっとそういう場所なのだ。
毎回思う。この雰囲気はどこかむず痒い。
いつのまにか、宇喜多が卯月の前をスタスタと歩きエレベーターへと向かい、その後ろを彼女が二歩遅れで追いかける。
途中、宇喜多に気づいた職員が驚いたように立ち上がり会釈をする。彼は、それに片手をあげ応えると、すれ違いざまに労いの言葉をかけた。
ほとんどの職員が挨拶するのを見て、卯月は正直居心地が悪かった。
職員たちの視線が痛い。
そして宇喜多さんは『あぁ、本当に偉い人なんだ』と痛感し、言いようのない感情が沸き起こる。
宇喜多は、この組織と呼ばれる団体においてとても重要な人物だ。それは、もう、指導者といって差し支えない地位と言え、宇喜多の意向は組織全体の総意といっても過言ではない。
そのことはもちろん卯月も知っていた。
卯月は宇喜多との距離が、また一歩遠のいた気がした。
エレベータの前につきボタンを押すと、そっと宇喜多は職員の視線を遮るように卯月を壁と自分との間に隠す。
「大丈夫か?」
「大丈夫です問題ありません」
即答する。
こんなことで心配されるのは嫌だし、保護すべき子供のように扱われるのは心底不本意だ。
「こんなことで心配しないでください。子供じゃないんですから」
卯月が抗議すると宇喜多はやれやれと肩をすくめた。
そして、こんなことを言うのだからこの男は本当にデリカシーがない。
「何歳離れていると思っている?私からしたら十分子供だ」
「歳の差は関係ありません。もう私は17歳です大人です。それに、自分で言うのもあれですけど仕事もできます、子供とか言わないでください心底不本意です」
「そういうことは一人前になってから言うんだな、一人前でない以上子供と同じだ」
もう一言抗議しようと口を開いた瞬間、エレベータが到着し、二人でその中へと入った。
◆◆◆
エレベータの中には先客が乗っていた。
乗って居たのは、ピンクみがかった茶色の髪をおさげに結んだ高校生くらいの女の子と、色白で不健康そうな青いカーディガンを着た青年の二人組。青年の方は白衣を畳んで手にかけていた。
どうやらこの二人は地下から乗って来たらしい。
どちらも卯月の知らない顔であったが、宇喜多は知っているようで、『仕事は順調か?』と声をかけた。声をかけられた女の子の方は、少し怯えた様子で青年を盾にして隠れ、卯月も知らない人物が居たことでそぉっと宇喜多の影に隠れた。青年は少し困った顔をしつつ宇喜多の問いの応える。
「問題ないですよ。ただ、当分実働の仕事には出れないと思います」
卯月は『実働』といった言葉にすこし眉をひそめた。
このどう見ても学生くらいの二人が現場で仕事をしているのか……少しだけ違和感があった、しかし、自分の年齢を鑑みてもありえない話ではないのかもしれない。そう、納得することにした。
「何故だ?」
宇喜多が聞くと、青年はバツが悪そうに右手で首筋を撫で目を伏せた。
「別件で負傷した方がいるようで、僕はその人の面倒を見なければならないですから」
青年が答えると、宇喜多は少しの間を置いて納得した様子で頷いた。
負傷した人間の面倒をみる?
この青年は何を言っているのだろうか?
実働の人間が、負傷者の面倒…?
確かに負傷する人間も少なくはない筈だが、医者もそこまで足りてないわけではないだろうに………卯月は疑問を視線に乗せ青年を見る。
青年はよく見れば端正な顔立ちと言えるが、顔色がすこぶる悪いのと、色濃く残った目の周りのくまのせいでその全てが台無しになっている。
髪は、あまり解いてないのか寝癖が付いており、長く伸びた前髪はシルバーのシンプルなヘアクリップで留められている。
卯月が青年の方を見ていると、その後ろに隠れた女の子と目があった。
……そして卯月はその時気づいたのだが、女の子はしきりに彼女のことをチラチラと見ていた。
咄嗟に視線を外す。
(え、なに? 私なにか気に障ることでもした?)
青年が『何階ですか?』と尋ねると、宇喜多は『3階だ』と言い、すでに2の明かりがついている操作盤に3の文字が灯った。
扉がしまってからものの数十秒。
それは卯月にとって、知らない人間と密室空間にいる、とてもストレスの感じる時間であった。
その間、一緒に乗っている女の子の方がしきりに卯月のことを気にしていた。そして卯月は、絶対にその子と目を合わせないように視線を壁へと向ける。
「ねぇねぇ、あの子がうわさの?」
そんな声が聞こえる。
青年がそれに何事か答えているようではあるが、どうも聞き取れない。
いったい私はなんと噂されているのだろうか?
とても気にはなったが、私はどうしても彼女に話しかけることができなかったし、よくよく考えてその必要はない。
私はひとりで仕事できるし、一緒に仕事をすることもないだろうし、必要以上に接点を持つ理由がない。そう、結論づけた。
2階につき女の子と青年が降りると、卯月はスッと宇喜多から離れ、その対角線に位置する所に立つ。
宇喜多は卯月の様子を見て眉を寄せた。
「もう少し他人と話すことを覚えたらどうだ?」
「私は一人で仕事できます、必要以上に他人と話す意味なんてありませんし、する気もないです」
卯月の頑固な様子に宇喜多は深々とため息を吐いた。
◆◆◆
このビルの3階には二つの部屋がある。
一つは倉庫のような備品室、たまに職員たちが荷物を取りにくる場所で、正直私には関係ない。そして、もう一つが宇喜多さんの個人オフィスで、彼がこのビルにいる時は大抵この部屋にいる。
宇喜多はエレベータを降りると、迷わず廊下を進み壁際に設けられている自販機の前に移動し、財布からお金を取り出し投入した。
そして、宇喜多がコーヒーの微糖のボタンに指を伸ばすよりも早く、卯月はそのボタンを押す。
ガラン……
取り出し口から缶コーヒーの落ちる音が響く。
「卯月……」
宇喜多は少し複雑そうな顔で卯月を見るが、とうの彼女は『これが欲しかったんでしょう?』と言わんばかりに、缶コーヒを取り出し宇喜多のオフィスへと移動した。
宇喜多は釣り銭をまた投入し、卯月の好きそうな飲み物を探し、ミルクティーを購入する。
そして卯月に追いつくと、オフィスのカードキーを取り出し扉を開けた。
内装は全体的に重厚感のあるモダンクラシックな印象で、趣味の良いデザインの机椅子やソファ、本棚が備えられ、本棚には仕事の紙書類が几帳面に整理され保管されている。
宇喜多は、その中から幾つかの束を取り、自身がいつも座っているデスクへ置く。卯月はすかさずソファへ腰をおろした。
「それでは卯月、おまえのここ一週間の成果を聞かせてもらおうか?」
宇喜多がそう言いつつ、卯月の近くにミルクティーの缶を置く。卯月はそれを確認すると、彼のデスクに向けコーヒーの缶を差し出した。
宇喜多はコーヒーの缶を受け取ると、すぐに開けて自身のデスクに座る。卯月は、自身の近くに置かれたミルクティーを手に取るとすぐに開けることはせず、そっと強く握りしめた。
一週間の成果……丁度、七日ほど前に宇喜多から出された宿題だ。内容は組織に関すること、その仕事や目的、その手段についてまとめることだった筈だ。
宿題……卯月は些か真剣に取り組んでいた。
何故ならば彼女はこの宿題こそ、組織の実働部隊への採用試験であり、宇喜多が自分をふるいにかけているのだと考えていたからだ。
彼女が組織に……宇喜多に拾われてから1年と数ヶ月が経過していた。
その間に宇喜多による教育や、卯月にとって簡単な仕事を与えられてはいたが、彼は組織としてのもっとも重要な仕事には携わらせてくれなかった。
この組織内で、よく実働の仕事とよばれるものだ。
そういえば、先ほどエレベータで出会った二人組も実働の人だっけ……卯月はそんなことを考え、その胸に言いようのない思いが浮かんでは消えた。
こんなところで躓けはしない。
卯月は、ミルクティーの缶を強く握り直し、息をスゥーと吸い込んでに左耳に装着した端末のスリープモードを解除する。
卯月の耳元で、装着者にしか聞こえない独特の起動音が響き、その眼前に立体位映像でデバイスの起動状態が表示される。
卯月はこの音が好きだった。
(音、少し大きいかな?もっと改良しなきゃな……)
ハッカーである卯月が、卯月のためだけに作った超高性能小型ウェアラブルデバイス……その起動音は、いやがおうにも彼女を真剣にさせる。
「始めましょうか」
卯月の真剣な声に、宇喜多は飲もうとしていた缶コーヒーから手を引いた。
「始めろ」
宇喜多の低い声が響いた。
◆◆◆
「組織は所謂『超能力者』と呼ばせる存在を、独自の方法で見つけ出し保護し、その存在を一般社会から隠匿し、彼らが起こした事件に収拾をつけ場合によっては彼らを抹殺することを目的とした団体です。また彼らのことを組織では単に『能力者』と呼んでいます」
「続けろ」
そっと一息を入れる。
宇喜多をちらりと見ると、指を組んでジッと卯月の方を見ていた、彼との付き合いは二年くらいにはなるが彼女は背筋が冷んやりするのを感じずにはいられなかった。
宇喜多から少しだけ視線を外す。
「……能力者のもつ能力は、その個人によって千差万別です。それらは、それぞれに特徴があり、とても強力な力を有しています。また、能力者は通常の人間よりも一般に身体能力、回復能力共に高いです。しかし能力者は必ずしも、自身の持つ特徴を使いこなしているわけでも理解している訳でもないことを留意しないといけません。このため、一辺倒な知識や方法では、いざという時に対処出来ないことが多いです。あと、単純に生身の人間で能力者に対応するのは極めて危険です」
宇喜多はここまで聞くと静かに息を吐いた。
まるで見定めるかのように卯月を凝視する。
卯月はそっと左手を握り直した。
「それでは……組織では、どのようにして能力者に対処しているのだ?」
「はい。組織では、能力者が引き起こしたと思われる事件に対し、組織所属の能力者を派遣することにより事件の収拾を図っています。このとき、能力者によって構成され事態に赴く部隊を、組織では実働部隊と呼んでいます。実働部隊には、一定以上自身の能力を使いこなしていると思われる人員が割り当てられ、この構成員は能力者であるという共通点以外は年齢・性別・国籍・一般社会での職業など全てバラバラです」
卯月はここまで話すとソッと息を吸い込み、宇喜多の方に身体を向けると、真っ直ぐに宇喜多の目に視線を向ける。
「そして……私もその能力者の一人です」
卯月がそう言うと宇喜多は少し驚いたような顔をする、しかし直ぐにいつもの表情へと戻った。
「私の能力は”未来視”と呼ばれるものです。そして、この能力は実働の仕事において役に立てると思います、そう例えば不足の自体を予測して……」
「そうか、しかし私はまだ卯月を実働の仕事につかせるつもりはない」
「はぁ!?」
宇喜多はまだ何か言いそうだったが、言い終わるよりも早く卯月は立ち上がりスタスタと宇喜多のデスクに向かい、バンっと音を立てて両の手を打ち付ける。
あんまりのことに、怒りともなんとも呼べない感情が巻き起こり、口より先に身体が動いた。
「えっ、だって、これ試験なんじゃないんですか?」
「なんのことだ?」
卯月が問うと、宇喜多はまるで何を言っているのか解らないと言った様子で、彼女の問いに応える。
そして、宇喜多は深々とため息を吐いた。
「ここ数ヶ月、ずっと実働部隊で仕事をしたい、もっと役に立てるとせがんで来ていたがな。私の意見は変わらない。少なくとも私並の射撃技能を習得するまでは……」
「あなた並の射撃技能ってバカなんですか?何年かかると思ってます? それにせがんでませんし、子供ぽく言うの止めてください。わざとですよね? あと、試験でもないのに、なんでまとめを作れなんて言ったんですか」
この男。宇喜多の射撃技能は、端的に神業と言って差し支えのないものだ。
数百メートル離れた所にある硬貨を正確に撃ち抜くことができるし、まるで西部劇のように跳弾で狙った物を射ぬけるし、早撃ちだって物凄く早い。
卯月は、そんな人物にここ一年間ほど射撃技能を教わって来た訳だが……現状、宇喜多の足元にも及ばないと彼女自身自負している。
そんな人物と同レベルの射撃……笑えない冗談だ。
それにしても、なぜまとめ作業なんて……
宇喜多は卯月の様子を見て不思議そうに小首を傾げた。
「卯月なら直ぐに私を追い抜けるだろう、期待している。あと、私が卯月にまとめ作業を頼んだのは、実働部隊の新人に向けての新しいオリエンテーリングの一貫でな、その原稿を作ってもらっていただけだ」
絶句する。
そして彼女は、込み上げてくるものを押さえ込み、焦燥が表に出ないように引きつった笑みを浮かべた。しかし、それが向けられた張本人である宇喜多は、手元の書類をパラパラとめくり目を通している。
「宇喜多さん?」
「……なんだ」
「私を実働部隊に入れてください。私にはその能力も技術もあります。必ず一人で仕事を成功させてみせます、必ずです」
まだ読んでない資料を閉じると、宇喜多はそっと卯月を見る。
そして一言、『まだ駄目だ』と言い書類に視線を戻そうとした、釣られて卯月も宇喜多が目を通そうとしていた書類を見る。
そこには”実働”という文字が見えた。
卯月はすかさず手を伸ばした、宇喜多もそれに気づいて書類を死守しようと動く、一瞬の出来事しかし普通にやれば彼の方が早いだろう。
卯月は直ぐに未来視を発動した。
本来、未来視はこのように短時間後の出来事に使うものではないし、その情報を高速で処理するのは、単純に脳への負担が計り知れない。しかしそれを可能にしているのは、卯月自身が能力を使いこなしているからだと言える。
卯月には、まるで万華鏡のようにこの数瞬後に起こる出来事がわかる。
そして文字通り卯月には未来が見えた。
《宇喜多は、書類を手に取り、直ぐにデスクの鍵のついた引き出しに入れる。私がこのまま動けば、決して間に合うことはない》
《宇喜多の表情は焦っている》
(なるほど、見られて困るものなんですね?)
卯月は咄嗟にデスク上に置かれていた缶コーヒーを宇喜多に投げる。
しかし、この程度のことならば宇喜多はなんの支障もなく書類を死守するだろう。
未来視で結果を見た卯月には、そこまでのことは予想できた。
しかし隙はできる、ならば……
迷わずデスクに飛び乗り、書類を取るのではなく蹴り上げた、それは宙へとまいあがった。
そして、宇喜多が手にするよりも早く軌道を未来視し書類を手に取る事に成功する。
卯月はすぐさま書類をパラパラとめくり、耳元のデバイスに保存していく、そして体制を立て直した宇喜多が『そこまでだ』と言い書類を取り返すと同時に、未来視を乱用した事による皺寄せが彼女を襲う。
倦怠感にも似た疲れがドッと卯月に押し寄せた。
立っているのも億劫になるほどの強烈な疲れ、よろめき倒れそうになった彼女を宇喜多は咄嗟に支える。
能力の使用は決して無償ではない。
私たち能力者は、能力を使用すればするほど、個人差はあるが精神を削り取られている感覚に襲われる。この状態は、しっかりと休養を取るか、適切な薬などを服用するか治療を受ければ治るが、しかし使用しすぎれば廃人となってしまうというリスクがある。
つまり、決して今回のことのような些事で無駄に濫用していいものではないのだ。
「卯月、能力を発動していたのか? バカなことを……待っていろ直ぐに薬を持ってくる」
「見ました」
「何?」
宇喜多が不思議そうにしていると、卯月は耳元のデバイスをトントンとし、彼の腕の中でしたり顔で笑う。
「仕事内容、記録しましたから。実働部隊に入れてくれないと、私は勝手に行っちゃいますよ。あー、取り上げても無駄です、ちゃんとバックアップは取ってあります。私は凄腕のハッカーですから」
宇喜多は深々とため息を吐き、一言『やってくれたな』と呟いた。