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『カインの使者』霊子世界帰還編~世界再創造偏

キャプテン独の日記「霊鉄のヴァリアント」

作者: 天野 了

シーズンオフに入った長野県の湖畔で独り寛ぐはじめの目の前に突如、オーロラの様な光が怪しく輝く。

光の中心へ近づくはじめを待ち受けていたものとは‥‥‥‥




  「キャプテン独の日記」  霊鉄のヴァリアント


                        天野 了



  序章



 それはオーロラが輝く夜だった。多くは地磁気と太陽風がぶつかって発光するものだが時としてとんでもないものが原因だったりする。



  十月 二十六日               独  ひとりはじめ






   1




僕は晩秋に長野の湖畔で季節外れなキャンプをしていた。日常の煩わしさから解放されたくて、わざとこの時期を選び一人でもの思いに耽ってみたかった。




この高地に近い場所では日が沈むとたちどころに気温が下がり始める。シーズンが終ったため周りには誰もいない。人が居るとすれば、このキャンプサイトを運営している管理舎に管理人が一人いるだけだ。


僕はフリースとダウンジャケットを着込み椅子に深く腰を沈めて対岸の道路や住居の灯りを見ながらアルコールを口にしていた。買ってきたつまみの缶詰が夕食の代わりだ。



僕は何も考えずに対岸の灯りを見ていた。目の焦点もフリーにしていた。と、その時、僕の瞳に光のカーテンの様なものが映り自然、目の焦点はそれに合された。


 「オーロラ? ……………こんな所でかっ!」



僕は暫く続く光のカーテンを眺めていたが、その中から光が分離して大きく方向を変えるのを見 た。それは曲線を描いて地上に落ち地表近くで大きく輝いて消えた。


それは自分のいるところからそう遠くないように思われたため僕は椅子から腰を上げてそれを見に行くことにした。



この時期、熊に遭遇しないとも限らないので僕は予め用意しておいたサバイバルナイフとエアーガンを携行して光が落ちたと思われる方へ向かった。ヘッドライトの灯りは森林に入るとたちまち闇の中へ吸い込まれていく。僕は帰り路をロストしないように慎重に歩を進めた。


 暫く進んだところで樹の陰から真っ赤な赤銅色に光る物が見えた。そして僕は瞬間的にこれが普通でない異常な事だと察した。



 「隕石なら燃え尽きているはずなのに…………」



 近くまで来ると僕は伏せて茂みの陰から物体の状況を確認した。


 「大きさは約3メートル………形状は正方形―――何故だ?」


 通常であればこんな綺麗な正方形が出来るはずはない。僕は慎重に茂みから出て物体の前に立った。と、その時いきなり目眩を感じて地面に転がった。「ドサッ」という音のほかは何も覚えていない。




 目が覚めた時、僕はテントの中で寝ていた。寒くならないようにシュラフの中に誰かが運んで入れてくれたのか……………自分でこのキャンプサイトに戻った記憶は無かった。


 まだ早いのか薄日が差し込む中、僕はテントを出て周りを見回した。すぐ横に置いたテーブルの上にサバイバルナイフとエアーガンが綺麗に揃えて置かれていた。



 「昨日、僕はこいつを携帯して山の中へ……………」



 僕はそれを取って自分の身に着けると再度、周りを見回した。するとテントからそう離れていない水際に一人の女性が立っているのに気が付いた。背丈は自分より少し高い、一六五センチ以上はあるだろうか…………髪の色は水銀のように輝くシルバー。そして着ている服は金属質に輝くボディースーツの様なもので覆われ体の輪郭をはっきりと浮き出させていた。左手には鞘に収まった剣が握られている。



 (この場所に何故?) 



 居ること自体が何か違うような気がした。


 女性は気配を察したのかゆっくりと僕の方を向いた。お互いに視線が合う――その時だった。


 僕は異常な恐怖感を覚え瞬間的に身構えるとエアーガンを彼女に向けていた。すると彼女は表情を変えずにこう言った。


 「私が怖いのか? 私は何もしていないぞ」


 僕は何にも言えず恐怖で固まっていた。今まで感じたこともない身に差し迫るほどのアラートに頭が支配されていた。



 次に彼女はこう言った。


 「私は何もしない…………お前は戦闘に値しない。その武器を降ろせ…」


 彼女がその先を言おうとした時、僕の指はトリガーを引いていた。




 ”パパパンッ――― ”      乾いた音が辺りに響いた。




 瞬間、人? に向けて撃ったことに「しまったっ!」と思ったが、それは良い意味で裏切られた。



 発射された球は彼女の手前で水滴がガラスの板に当たって潰れるように広がり、それは地面に落ちた。


 「少し油断したか…」


 そう彼女が言い僕の方をキッ、と睨んだ瞬間、構えていたエアーガンは音を立てて潰れた。


 僕は放り出して後ろに後退りしたがそれは宙に浮いたまま潰れて行き最後に〟バンッ〝と弾けた。


 その場にへたり込んだ僕に彼女が近づいてくる。僕は腰が抜けているのか這いつくばる様にして逃げようとした。


 先回りをした彼女は僕の顔の前の地面に剣を鞘ごと突き立てた。顔を上げて彼女を見た時、僕は神経が切れたように気を失った。




 僕が次に目を覚ました時、明るい光がテントのシェルを通して差し込んできていた。太陽はおよそ中天を指している。恐らく昼はまわっているのだろう―――


 (きっと悪い夢でも見ていたんだ、きっとそうだ………)


 僕は枕越しに仰向けのまま後ろを見た。彼女が覗き込んでいた。反射的に体が痙攣を打ったが先程の凄まじい殺気は嘘のように無かった。


 「君は誰だ?」


 「私はレギオン(軍団兵)のセンテリオン(百人隊長)。名前はネフェリィム・ヴァリアント……………お前はアベルの復讐者じゃないな、ここは何処なんだ。 私は死んだのか?」


 「ハァ?…………あんた―――いや、君こそ何処から来たんだ。さっきの力は何だ」

 「さっきの?」


 「僕のエアーガンが潰された」

 「………アレか、少し霊性が高ければ誰でも出来る事だ。そういえばお前のあの武器からは何も伝わってくるものが感じられなかったな」


 

 彼女ネフェリィムは物に心が在るとでも言いたいのだろうか………僕は素っ気なく答えた。


 「そんなものは無い」


 次は逆に僕が彼女に質問した。


 「ネフェリィム―――呼びにくいな、ネフェリィって、呼んでいいかな? 君は宇宙人なのか、何でこの国の言葉なの…………」

 「宇宙? そんなものは知らない。私はアベルと戦闘中にいきなりこの場所に放り出されたんだ。私が使っている言葉以外で別の言葉なんてないよ、アベルも同じ言葉だ………」


 (日本語が…共通なのか⁈)


 「僕が夢を見たのでなければ…………昨日の夜、近くの山に四角い光物が落ちて来たんだ。ネフェリィと関係あるのか?」


 「あれは私の盾―――戦車だ」

 「オイオイ~ッ、どこの世界にそんな戦車があるんだ」


 僕は身に危険が無いと分かると少し調子に乗った。そしてバックパックからスマートフォンを取り出してネットから戦車の画像を落して彼女に見せた。


 彼女は画像より先にスマートフォンに興味を注いだ。


 「そのガラスの板の様なものは何だ? 何か映し出したぞ、これは『神』の啓示なのか⁉」

 「神の………これはスマホっていう便利なものなんだ。(これを知らないなんてどこの国の人間だぁ……)ここに映っているのが歴史上の戦車といわれているものだ、この中に該当するものはある?」

 

 ネフェリィは無いと答えた。


 「この中には強く戦闘を感じるものはないな…………恐らく私たちの敵ではないだろう」


 彼女は立ち上がるとテントを出た。僕は後を追ってテントから出るとベンチコートを取り彼女へ放った。


 「このキャンプ場はよくTVやアニメとかの背景で使われているから物語のキャラのコスプレをする人も多い。だけど今はシーズンオフだからね…………そいつを着て」


 彼女は当然、僕のマイナーな説明が分からない様だったが取りあえずコートを羽織った。


 「これからどうするんだ?」

 「盾に…戦車に戻る。」


 ネフェリはテーブルに立て掛けてあった剣を腰に帯びると山の中へ進んで行った。僕も彼女の後ろへ付いて進んだ。



山中の茂みを抜けると例の正方形の物体が在ったが昨夜見たような赤銅色ではなく光を反射しない黒色になっていた。


 ネフェリィは僕の方に向き直るとこう言った。


 「ここまでだ、お前は去れ」

 「ネフェリィはどうするんだ………もしかしたら君自身、ここが何処かも知らないんじゃないのか」


 「…………」

 (―――図星か)


 僕はこの女に酷く恐ろしい目に遭わされたが何故か親切にしてあげたい、と思った。あの死ぬような殺気が消えている今の彼女は変わってはいるが容姿も綺麗し性格も真っ直ぐな感じで変な癖も無いように思えたからだ。


 (こんなことで親切にするってのも人が良いっていうか――――僕はどうかしている)


 「僕と一緒に来ないか、君がどこから来たのか、ここが君にとってどういう場所なのか手掛かりが見つかるかもしれない」



 彼女と僕は暫く対峙した。



 「………頼む」と彼女は一言呟いた。


 僕はこの一言で彼女が別の星から来た宇宙人でないことを確信した。この広大な宇宙を行く宇宙人がいるとするなら自分が落ちた場所くらいは当然分かっているはずだからだ。



 彼女は正方形の物体、彼女が言うところの「盾」または「戦車」に向かって『小さくなるように』と命令するとそれはたちどころに手のひらに乗るほどの大きさになり彼女はそれを取ると僕に言った。


 「これでいい―――連れて行ってくれ、安全な場所に頼む」

 「安心して、大方は安全だから」


 僕は湖畔に戻るとテントを畳み器財を車へ乗せるとキャンプサイトの管理人に一言声を掛けに行った。


 「すみません、ちょっと用事が出来て帰らないといけないので―――お世話になりました。またよろしく」

 「いえ、いいんですよ。機会があったらまた来てください。おや、そちらの方は?」


 管理人は一緒にいるネフェリィを見てコートの裾から見えているボディースーツの様な服と腰に帯びている剣を見てコスプレイヤーと勘違いしている様だった。


 「何処から来られたんですか? そのコスチュームも板についている、というか………本物っぽいですね」


 僕は彼女を自分の後ろに隠すと次のように言ってキャンプ場を出た。


 「また来年も来ますから」





   2





 アパートに着いたのは夜の8時を回っていた。僕は周囲に出来るだけ人が居ないことを確認するとネフェリィを車から降ろし急いで部屋に入れた。


 「お腹空いてない、何か食べる?」

 「パンはないだろうか…………アーモンドやイチジク、ぶどう酒があれば嬉しい」

 「アルコールかぁ…二十歳は過ぎてるの?」

 「未だだ、が私の部族では戦うものは皆、飲んでいる」



 僕は直ぐ近くのスーパーへ走り言われたものを買ってきた。彼女は口に押し込むように食べ、買ってきたワインボトルをラッパ飲みにした。それを見た僕は少しだけガッカリした。


 そんな僕の気持ちを見透かすように彼女は言った。


 「戦闘では呑気に構えてられないんだ、これは習慣だ。許せ―――プフゥ………」

 「少しは落ち着いた………一つ聞いていいかな――――君は戦車の前で倒れた僕をテントまで運んでくれたの?」


 「ああ、お前の霊に聞いたら、ここから来た、と言っていたので運んだ」

 「霊に? 僕は何で倒れたんだ、何かされたのか」

 「霊的な防御無しで戦車に近づいたからだ。私の盾は霊と鉱物を合わせた『霊鉄』 

で造られているんだ。恐らくお前の霊が干渉されたんだろう」


 「さっきから言っている“霊 ”って何だ。幽霊のことか?」

 「私が言う『霊』は神の領域の力のことだ。この物質の世界が出来る以前の世界だ、それは今も在る。それは私たちが目で見れるものじゃない」


 「なんか魔法の話でも聞いている様だな。全然、想像も付かないな…………君が居た世界ってどんなんだ?」


 「どんな、か………何処へ行っても寒くないし暑くもない。だがアベルとの戦闘で地は荒れ果てている。私はここへ来た時、死んで神の元へ来たのだと思った。それほどここの景色は美しく感じた」


 「ちょっと待って―――」


 僕はネフェリィの言った「アベル」の名称が彼女の居た世界を知るカギと感じパソコンを立ち上げてネットで調べてみた。



 それはあった。聖書中の創世記の中に記されていた「アベル」は最初の一対の人間から生まれた子供で後に兄カインによって野に誘い出され殺された、とある。人類最初の人殺しの犠牲者が「アベル」だった。


 僕はネフェリィの方を振り返るとカインのことを聞いた。


 「私の種族の名はカインだ。私たちはドバルカインと呼ばれている。鉄や銅を精錬するからだ」


 彼女がそう答えたことで案外早く彼女の居た時代が特定できた。問題なのはどうやってこの現代へ来たか―――という事だ。

 「ネフェリィがここへ飛ばされた状況を詳しく知りたい」


 ネフェリィは質問を制止した。

 「私は自分の名前や種族や居た世界の事も話したがお前は自分のことは話さないのか」


 「君は僕の霊に僕の事を聞いたと思った。口で言った方が良かった?」

 「私たちは感覚として粗方の事を察する事は出来る、お前の性格とか―――だが名前までは分からん」


 「そうか……僕は独始ひとりはじめ、ハジメって呼んでくれ。工科大学の二回生だ。ここは日本という国だ、春夏秋冬の四季があってこれから寒くなる」

 「家族は………お前は一人なのか?」

 「両親は愛媛に居る。県外の大学なんで僕はアパートで一人暮らしさ」



 「私は…戦闘で家族を失ったんだ」


 彼女がポツリと呟いたことで部屋の空気は加速度的に重たくなった。僕とネフェリィは突っ込んだ話はせず今日は床に就くことにした。




   3



 次の日の朝、僕と彼女は朝食を摂りおえるとアパートの近くの海岸に向かった。


 「なんて大きな水たまりだ………ハジメと会った時もそうだが、あそこ以上に大きい。見ろ、対岸が見えない」と彼女は驚いた。


 「恐らくネフェリィの居た世界には海はもちろん小さな池だって無かったんじゃないか………多分、大量の水が無かったんだ」


 「なぜ分かった? 確かに昨日見たくらいの水たまりさえ私は見たことがない。水は朝露か井戸でしか見たことがないんだ」


 「昨日、君が寝た後で少しだけ聖書の世界を調べてみたんだ。ネフェリィの居た世界は聖書が書き始められた時よりずっと前の世界なんだ。創世記が書き記されたのはモーセの時代、モーセによって書かれている。それから考えると数千年はさかのぼる。


 ノアの箱舟のときの大洪水以前の世界だ。その時の環境は地球の外側は水の層、若しくは大きな水蒸気の層で覆われていて、どこに居ても温度は極端に違わなかった。この世界のように大量の二酸化炭素を排出している訳じゃないから大気温度の上昇は無かった………世界が現在のようになったのは地球を覆っていた水の層に何かの原因で穴が開いて地表の大気圧が減圧―――結果、巨大な水の壁が地表に落ちて来て海が出来た………あくまでも僕の推論だけどね」


 「ハジメの言うそれが、このひろい水たまり………『海』って言うんだな」

 「ネフェリィの事で聞きたいことが―――」僕が話そうとした時、携帯が鳴った。



 「はい、独ひとりです―――麻里衣先輩? 何か………メンツが足りない? ハァ、明日の朝………分かりました、後で連絡します」僕は携帯を畳むと額に当てた。


 「さっきから何で独り言を言っているのだ。神妙にしていたが悩みでもあるのか?」


 「ネフェリィなら察してくれているんだろう―――理由までは分からんか…」


 僕は携帯を彼女に渡して触らせてみた。彼女はそれが珍しいのか携帯のフリップを開いたり閉じたりしていた。


 僕は昨日の質問を彼女に言った。彼女は手を止め携帯を僕に返すと次のように答えた。

 「ネフェリィはどうやってここに来たの?」


 「私の持つこの剣は空気を切り裂く、その時に大きな裂け目が出来るんだ。アベルたちも数は少ないがこれと同じ剣を持つ者がいる………その時の戦闘で私は不覚にもその裂け目に落ちてしまったんだ」


 「……そこに落ちた人は何処へ―――戻ってきたの?」


 「いや………戻って来たのを…見たことがない。裂け目は時間がたつと消えてしまうんだ」


 僕が長野の湖で見たオーロラの様なものが恐らく彼女の言う空気の裂け目なのだろうと確信した。彼女の話しからすると、もうそれは消えているに違いなかった。


 「アパートへ戻ろう、ネフェリィ」


 そう言うと僕は彼女の手を取ってアパートへ戻った。僕は最初に彼女と出会った時の恐怖を忘れていた。そう感じるには其れなりの理由があるという事を僕はネフェリィの容姿ばかりに目が行き本質が見えなくなっていた。




 部屋へ戻った僕は彼女を座らせ自分も座って向き合った。僕は彼女に気を許していたのかもしれない。僕が喋ろうとする前に彼女が口を開いた。それは刃物で胸をえぐられる、というのが妥当かもしれない。


 「お前は最低な奴だ! 私の体ばかりに気が行っているな………ハジメ、私が欲しいのかっ⁈ お前の目的は最初からそれかっ」


 ネフェリィは僕の前に詰め寄ると僕の喉を掴んでグイッと引っ張った。僕は必至で抵抗した。最初ほどではなかったが、それでも強い圧迫感と恐怖を感じた。



 「君は容姿が綺麗だ。そこに目が行ったからって何が最低なんだよ! 男なら普通だ。ネフェリィは向うの世界で彼氏は居なかったのかよォ………ゲヘンッ、ゲホッ―――グゥゥ―――」


 「教えてやろうかっ――――私がそんなものさえ許されない人間だという事を………どのような事をしてきたか‼」


 僕の喉を掴んでいる彼女の手から何か異様な感覚が伝わり、それは僕の中に入って来た。


 それは耐え難い鉄と血と汚泥にまみれていた。もがく様な苦しみと絶叫、呻きと怨嗟の声…………。


 今まで感じたことのない恐怖がイメージを伴って頭の中を侵食しようとしたとき僕の中の安全装置が働いた―――僕は気絶した。






 僕が次に目を覚ましたのは夕方、着ている服が汗? でグッショリ濡れており、履いていたズボンも濡れていたがそれは水を掛けられたような酷い濡れ方だった。僕は異様に感じたが半身を起こしたとき、臭いで自分が失禁しているのが分かった。


 僕は反射的に周りを見回した。ネフェリィは僕の直ぐ後ろで両膝を抱えてうずくまっていた。


 僕は起き上がると風呂場へ駆け込み濡れた衣類をバスタブの中に脱ぎ捨てシャワーを浴びた。風呂場から出た僕は腰にバスタオルを巻くと部屋の電灯を点け自分が失禁したところを雑巾でふいた。その間、僕はうずくまっているネフェリィを見ていた。


 僕は台所へ行き深呼吸をした。吐き気と目眩の様な嫌な感じがまだ残っていたがこれは現実ではない事を自分に何度も言い聞かせた。


 僕は服を着替えると彼女にコーヒーを淹れて持って行った。これだけ恐ろしい目に遭わされながら何故彼女に関わりを持とうとするのか自分でも理由が分からなかった。普通なら逃げ出すと思う…………


 僕は彼女の横に並んで腰を降ろし「喉、乾いてるだろう」と、そう言って彼女の足元にコーヒーを置いた。


 「ネフェリィは自分が ”許されない人間 “って言ったけど僕が君を許すって言ったら――――君は僕の隣にいる、僕も君の横だ。」


 ネフェリィは両膝に顔を埋めたまま小さな声で呟いた。


 「私は何故ここにいる…………何故、お前なんだ。」


 彼女の呟きに対し僕は少し強気で吹いてみた。

 「全ては神の申し合せだ。きっと何か理由がある、やらなければならない事が君にはあるんだ。ここに居る僕にも――――」


 ネフェリィは顔をあげると足元に置いたコーヒーカップを取りこう言った。


 「頂くぞ、ハジメ」


 そう言い、コーヒーに口をつけるとネフェリィは僕の方を向いて言った。


 「あまり美味しくはないな…すまなかった―――暫く世話になりたい」

 「最初からそのつもりだよ」と、僕は笑って答えた。



 彼女が落ち着いた頃、呼鈴が鳴った。ドアを開けると友人の下衆勝げしゅうまさる春日井良子かすいりょうこが来ていた。


 「何だ、ゲスとカスか。どうした?」

 「お前、その言い方やめろよな………麻里衣先輩がキャプテンから連絡が無いっつうから見に来たんだよ。上がるぞ――――」


 そう言うと勝は良子と部屋へ入った。


 部屋に入った二人はネフェリィに気が付き直ぐ僕の顔を見た。

 「キャプテンが彼女をなぁ~、マジかぁ。しかも外人を………」と勝がニヤけた。

 「キャプテンも隅に置けないわね、どこからさらってきたの?」と良子が言った。



 僕は厳重に口止めをした上で事の経緯を説明した。それを聞いた二人は少し真面目な顔をして次のように勧めた。


 「彼女………ネフェリィさん、だったかな。ここに居ても構わないけど住所不定と渡航証明書が無いのはマズいな。彼女は容姿が綺麗だから目立つ…………オレの知り合いにその辺に詳しい奴がいるから造らせよう」

 「勝、偽造するのか? それマズいだろ」

 「人聞きの悪いことを―――彼女がこの世界の人じゃないのなら偽造とは言わないだろ。偽造ってのは最初から所在がはっきりしている奴のを変えることだから」

 「一応、理屈だな………で、知ってる奴ってクズのことか?」

 「また言うか………察しの通り葛間栄一郎くずまえいいちろうだ。彼の親父は入国管理局に努めているからな。その辺のシステムにも詳しい。証明書の方は御宅に作ってもらおう」

 「オタクの御宅博みやけひろしか、確かあいつの家は大手の印刷会社………勝の人脈は底が広いな」

 「まあ、名字の通り下衆だからな」


 良子がネフェリィに近づいて言った。

 「私は春日井良子、私の家は個人病院なの。もし体の調子が悪くなったら言ってね、大きな病院より身元が怪しまれないから………内のパパには友達だって言うから」


 「ありがとう。リョウコ、だったかな…………人に親切にされたなんて向うでは無かった」と、ネフェリィは少し俯いてこたえた。


 「お礼ならキャプテンに言ってね。拾ってくれたんだから」

 「キャプテン? それはハジメの名前なのか…………」


 聞いていた勝は彼女の前に来て座り僕のニックネームの説明を始めた。勝は僕の手を引っ張って横に座らせるとこう言った。


 「こいつは何をやるにしても独りでやりたがるんだ。基本は面倒なことが大嫌いなんだ。だから大勢で動くときは先頭に立って皆を仕切りたがる。早く仕事を終わらせたいんだな………でもこいつは人が良いから文句を言わずに皆が助けてくれる。まあ――――人望があるのかな、それで皆は始のことをキャプテンって呼んでるんだ。


 そんな奴がオレの友人に一人くらい居てもいいかな、と思って仲間に入れてやってる」

 「勝―――お前、調子乗り過ぎ。だからゲスって皆から言われるんだ」


 「まあ、それは置いといて………明日の旅行の件を伝えておきたい。麻里衣先輩から頼まれてる、メンツは先輩、オレと良子、お前だけど来れるか?」


 「ネフェリィの事、放っておけないからなぁ………行先はどこだ?」

 「聞いて喜べ。お前ん家、お前の実家に泊まるって。麻里衣先輩は日本最古の道後の湯に浸って普段の疲れを癒したいそうだ」


 僕は小さなため息をつくと勝にこう答えた。


 「ウソだ。あの人はお兄ちゃん子で彼氏を探し損ねているから向うで兄ちゃんに似た彼氏でも探すんだろう。僕らはそのダシ、口実ってことだ。僕の実家ってのも旅行代を浮かしたいからだろう」


 「で、行くんだな?」と、勝は答えをはぐらかして詰め寄った。

 「行こうよ、キャプテンなんだから」と、もたげるように良子も勧めた。


 僕はネフェリィの方を向いて様子を伺ったが旅行の意味が理解できない様なので簡単に彼女が理解できる言い方、彼女が居た世界でよく使われたと思われる言葉で説明した。


 「明日、宿営地を移動する。ネフェリィは来るか?」


 「この取巻きのチーフテン(族長)はハジメのようだからお前に従おう」


 「よしっ、決まりだな。麻里衣先輩にはオレが伝えておくから………明日、中央駅のリニア線2番ホーム改札口前、時間は9時発だから少し早目に来てくれ」 そう言うと勝は腰を上げ良子と一緒に部屋を出ようとした。部屋を出る前に勝は背中越しに振り返るとネフェリィにブイサインを出してウインクでアイコンタクトを取った。


 「楽しみにしてるよ、ネフェリィ。また明日―――」




 二人が去った後、彼女はポカンとしていた。


 「何でマサルは片目を閉じたんだ………」

 「君に気があるってことだろう………ゲスがあんな事をするの初めて見たな。何か変なものを見た感じだ、オゲェ…」




   4




 翌日、僕は彼女の服を着替えさせた。幸い近県から時折遊びに来る妹のために、こちらでストックしている服があった。


 彼女が纏っている金属のように鈍く輝いている服? の様なものは彼女が持っている正方形の金属と同じ性質のようで、それは彼女の「脱納」の命令に従って彼女の左上腕に集まってリングの形になった。


 彼女はそれを僕の目の前で行ったが一応背中は向けていた。後ろから僕は見ていた。本来なら目を逸らさなければならなかったが彼女の見事なまでに均整の取れた肢体と女性らしい丸みを帯びたふくよかさの中に強く「戦闘」を意識させる何かに僕の視線は奪われていた。


 (第二世代の戦車の……………まるで避弾経始のような体―――綺麗だ)


 「私の装甲は脱いだぞ、次どうすればいい」


 「(装甲だったのか…)この服を着て。僕の妹のだけど」

そう言って僕は彼女に黄色のワンピースを渡した。


 「ただの薄い布じゃないか………もし襲われたらひとたまりもないな」

 「いや、襲う奴、滅多にいないから………安全だから安心して」





 僕たちは広島行きリニアの定刻である9時に間に合うよう早目に改札口に向かったが先輩と勝、良子は既に集まっていて僕たちを迎えた。


 先輩の麻里衣は僕の前に進み出てこう言った。

 「勝から聞いたんだけど独り者のキャプテンにも春が来たんだってぇ………この子か」


 「彼女はネフェリィム・ヴァリアント。一昨日、長野で知り合いになったんです」


  麻里衣は僕を通り過ぎるとネフェリィの周りをぐるりと一周した後、挨拶した。


 「私は島崎麻里衣、キャプテンと同じ学内で一級上なの。専攻は鉱物化学…………まあ、それはいいか――――それよりネフェリィさん、貴女とても綺麗ね。それと怒ると多分怖い人になるかな」


 「何で麻里衣先輩が知ってるんです? 勝には言ってなかったけど」と僕は聞いた。


 「以前、そんな人と一度だけ旅行したことがあるの。お兄ちゃんの友達と一緒に………今回、行先も同じだなんて奇遇よね。そう思わないキャプテン―――」


 「マリイ、だったかな? お喋りな女は嫌われるぞ。私たちは宿営地の移動をしているんだ。気を抜くな――――ハジメ、チーフはお前だ。皆を早く乗り物に乗せろ」


 ネフェリィは少し語気を強めて言った。こっちの世界のゆっくりとした雰囲気に馴染めていないようだ。


 全員、ネフェリィの言葉にどう対応してよいのか分からず黙った。


 僕は勝から渡された切符を持って全員を定刻のリニアへ乗せた。全員が席に着いたところでネフェリィは次のように言って足をテーブルの上に投げ出した。


 「悪いが寛がせてもらうぞ」


 舞い上がるスカートの裾からナマ足と脚の付け根に目が行く。


 「ウワワァッ!」

 僕は叫ぶと慌てて彼女のスカートの裾を引っ張り脚の付根が見えないように隠した。


 彼女は下着を着けていない。上はジャケットで目立たなくすることは出来たが下は用意ができなかった。


 「ネ、ネフェリィ―――こっ、ここでそういう事はダメなんだよ。この世界では兵士には礼節が求められるんだ…」


 「軍規か…私も兵士だから――――まあ、仕方がないな」

 そう言うと彼女はスッと脚を下ろした。


 僕は皆の方を向いて様子を伺ったが見たのか見なかったのか誰も何も言わない。恐らく皆は気が付いたのだと僕は感じた。


 勝がバッグに手を突っ込んでゴソゴソと何かを探している。


 勝はカードの様なものをネフェリィに渡した。


 「君の渡航証明書、パスポートだ。ここでは有効な武器になる」

 「この薄い板が、か?」ネフェリィは光に当てて透かして見たりした。


 麻里衣が彼女にこの世界の戦いについて説明をした。


 「あなたが居た世界は力で勝敗を決していた時代…ここの世界と時代は敵味方であっても共生しなければやっていけない社会構造なの。それぞれの国が軍隊を持っているけどそれを前面に出して行使する国はないわ。

 世界のパワーバランスは軍事力じゃなくて経済が支配している…この時代の戦いは経済で勝つための情報戦や産業の創出力をどう維持していくかに掛かっているの」


 ネフェリィは少し下を向いて目を閉じるとフッと薄笑いして次のように言った。


 「マリイは戦いの本質を理解していない。戦闘で敗れた者は生きて行けないんだ、私は自分が生きるために戦ってきたんだ」




 「聞いていて何か空しい感じがする…」と麻里衣は言った。勝と良子も下を向いたまま黙っている。




 僕が学生である以上、頭に思うだけでも嫌だが(それは自分の事も言っているから)、その日を楽しく生きる学生を前にネフェリィは歳こそ下だが格の重さは遙かに上に感じた。


 (多分この子はギリギリのところで生きてきて後ろを振り返る余裕なんて無かったんだ……)


 確かに悩みや苦しみは人に歩んできた重みを持たせる。だが、それは人が幸せになる事とは関係がない。


 僕は席を立ちネフェリィの手を引っ張って立たせた。

 「僕はチーフとして君に話がある。ちょっと、来いや」


 皆は一斉に僕を見た、皆は僕の癖を良く知っている。僕が何かに集中したり本気の時は田舎の訛りが出ることを――――



 僕は彼女を連れて化粧ルームへ入るとこう説明した。


 「僕たちは宿営地を移動している、でも戦争をするためじゃない。お互いの理解を深めるために一緒に旅をするんだ。この世界ではこういうことを『旅行』って言うんだ。

君の居た世界とは全然違うかもしれないけど今は皆と楽しく過ごそうよ。」


 彼女は洗面台の鏡の方を向いたまま答えた。


 「自信は無いな……私は皆が言っている事がよく理解できないんだ。言葉を労して面白いのか?」


 「じゃ、聞くけどネフェリィは戦闘が楽しいのか」

 「私は戦人いくさびとだ。戦うことが私の本分だが―――楽しくはない」


 「君がしてきたことを部屋で脅された時に僕は知った。それだけで僕は死ぬかと思ったんだ………普通に考えても償いきれない程の罪だ」


 彼女はカッと目を開くと僕の肩を掴み壁に ”バンッ“ と叩き付けると首を絞めつけた。



 「知った風に言うな‼ 私たちは『神』から自分を守るためにアベルの血の復讐者を打ち倒すことを許されているんだ――――ハジメっ、それ以上しつこく言うと殺すぞっ!」


 「グゥゥ、ゲㇸッ―――好きにしろ…………君に殺られるなら………理由も……付く………」僕は遠のく意識の中で彼女の顔を見たがそれは歪んで見えた。


 「そんな顔で私を見るな―――クソォッ!」


 そう言うと彼女は手を放して退き、後ろの壁へ背中を着いた。彼女は壁にもたれる様にしてその場に崩れると床に手を着いて肩で荒い息をし始めた。


 僕もその場に崩れたが腰を引き摺るようにして彼女に近づいた。僕は彼女の背中を手でさすりながら労るように言った。


 「ごめん、ネフェリィ…誰だって好きで人の命に手を掛ける人間なんていない………君の気持ちを理解できていなかった……僕は最低だ」




 深い鎮痛を帯びて僕たちは皆の居る席へ戻った。列車は既に減速を始めていて窓からは広島の郊外が見えた。


 リニアが広島駅へ滑り込むとそこからバスに乗り呉港へ向かい、そこで更に船に乗り換えて目的地の愛媛県松山へ向かう。


 時速七百キロを超えるリニアに乗っていた時間より船に乗っている時間は遙かに長い。


 僕とネフェリィはデッキから瀬戸内の海を見ていた。


 列車で揉めてから彼女は余り喋らない。僕はどうして良いのか分からなかったが、それでも横に居てやりたかった―――いや、僕自身が彼女の横に居たかったのか…………



 僕は横に居る彼女の肩に手を回して昔の話をした。


 「あそこに島が見えるだろう、小さな島だ。僕が高校生の時、あそこで死に掛けたんだ」


 「盗賊か何かに襲われたのか?」


 「襲ってくるのが人とは限らないよ………イモガイにやられたんだ、毒性の強い種類の貝だった。僕は高校の最後の夏にカヤック………小さな船だ。それでこの海を渡っていたんだ。二日目にあの島で停泊していた。翌日に艇を出そうとしてその貝に刺されたんだ、僕は一端、浜に上ったけど吐き気と痛みに襲われて気を失ったんだ。そのままだったら命を失ってた……」


 「……どうやって助かったんだ」


 「僕の実家に着いてから話そう………」

 「分かった、後で話してくれ、それと―――――手を……」


 そう言うと彼女は肩に回した僕の手を握った。

 僕は慌てて手を引っ込めようとすると彼女は僕の手を引っ張ってこう言った。


 「このままでいい、暫くこのままで居たい…………こうしてくれていると落ち着く」


 この時、やっと僕は気が付いた。彼女はこの世界に来てからずっと心の休まる暇が無かったのだと。


 僕は少しだけ彼女を自分の方へ引き寄せた、彼女の髪が僕の肩に触れる。


 「ハジメは………私が欲しいか」

 「そ、そんなこと――――言ったら…」


 「何もしない――――欲しいか」



 「……欲しいって言ったら」


 彼女は優しい表情で僕を見ると手を僕の頬に添えて軽く唇を重ねた。


 「考えておくよ…ハジメ」




   5




 実家に着いたのは昼前だった。


 皆は僕の両親に挨拶をすると其々に用意されていた部屋で寛いだ。僕の実家は旧家で部屋は幾つも空いている。


 僕は自分の部屋へ行きネフェリィも連れて入った。机の上に置いてある写真立ての前へ行き僕は両手を合わせると写真の人に言った。


 「帰ったよ、お姉さん」

 「この絵の女は誰だ?」と彼女は写真に顔を近づけて覗き込んだ。


 「これは写真っていうんだ。ネフェリィ、この人が僕を助けてくれたんだ。名前は風早美鈴さん………僕より三つ年上の人だった。」


 「ハジメの親類の人なのか?」

 「いや、違う―――彼女は空を飛んでたんだ、MPGモーターパラグライダーっていう空を飛ぶ機械でね…………彼女は僕が倒れた島の上を偶然通り掛かって僕を見つけたんだ。直ぐに降りてきて僕の様態を見て紙に状況と救助に必要なものをメモに書き記して再び空に上った、連絡を取るためだ。あの島は携帯の電波が繋がらなかった………」


 「連絡は取れたのか」

 「取れた………けど…向うで着陸する時、強い下降気流に巻き込まれたんだ、30メートルの高さから地面に叩き付けられて―――後から聞いた話だ。彼女は駆けつけた人にメモを渡した後、亡くなった。

 直ぐに救命ヘリが駆けつけてくれて僕は何とか一命を取留めたんだ………見ず知らずの僕を助けようとした彼女の気持ちを僕は本当に理解しているんだろうか―――時々そう思うんだ。


 彼女は僕を生かしてくれた、僕も誰かのためにここに居るんだ」


 「それは私の事かも知れないな―――ハジメはこの世界ではありえない人間を拾ったからだ。

今、ハジメが言ったことは私の居た世界では真逆な事だ。私はこの世界で何かを知らなければならない…そう感じている」




 その日の晩、皆は夜の街へ出て行き夜中に酔いつぶれてタクシーで帰ってきた。時刻は既に翌日になっていた。僕とネフェリィは皆を担ぎ出すとそれぞれの部屋に放り込んだ。


 「ハジメ、お前は行かなくて良かったのか? 私なら気にかけてくれなくても―――」

 「僕はアルコールが嫌いじゃないけど余り飲めないんだ、今回は皆のお世話係さ。それに君のことも放って置けない―――気にしなくてもいい」


 僕と彼女は一段落すると自分の部屋に入り就寝しようとした、その時、携帯が鳴った。いつもの着信音ではなく災害を示すアラートだった。

 僕は急いでテレビの電源を入れるとそこには有りえないような情報が映し出された。アメリカの西海岸でマグニチュード12クラスの超巨大地震が発生したと言うのだ。


 僕はパソコンを立ち上げて気象庁のホームページを開き衛星画像を出した。そこには赤い線で示された巨大津波が日本へ向かって押し寄せていた。


 「時速3百、津波の高さは………第一波で80メートル以上‼ まずいっ」

僕は慌てて両親、そして皆を叩き起こした。しかし僕の家族とネフェリィを除いて後の者は泥酔している、僕は父に向かって叫んだ。


 「家の車、7人乗りだよね、急いで皆を乗せて逃げて!」


 父は皆を乗せると高地の久万高原町へ行くため国道33号へ向かおうとしたが既に街中は脱出しようとする人の車で大渋滞になっていた。


 「ダメだ、久万高原町に行きたいがこの渋滞では………歩いてでは遠すぎる」と父。

泥酔して寝込んでいる者以外、ネフェリィを除いて困惑していた。その時彼女が言った。


 「ハジメは皆を助けたいんだな―――どんなものが襲って来るんだ」

 「巨大な水の壁だ‼ 恐らく紀伊水道から瀬戸内海へ流れ込んでくる………奥まった狭い水域では津波の高さが――――僕や皆だけじゃなくて沿岸にある都市は壊滅する」


 「……ハジメ、私と一緒に来い。皆ここに居てくれ、必ず助ける」


 彼女はそう言って僕を車から降ろすと腕のリングに付けていた例の正方形の金属を外し道路の少し広い所へ置いた。


 「ヴァリアント展開‼ 移動する!」


 彼女がそう命令すると正方形の金属は直径5メートルくらいの球に変形した。そして金属の一部が開き彼女は僕の手を引っ張って中へ連れ込んだ。中には機械的なものは一切なく外側と同質のもので出来ていた。


 「ヴァリアント? こいつの名前なのか」と僕は彼女に迫った。


 「そうだ、私の名前で勇気、または確固とした意志という意味だ。そしてこれは私自身の霊の力なんだ―――行くぞ! ハジメ」

 僕は慌てて彼女を制止した。

 「まっ、待てぇっ! 前にいる車を踏み潰して行くつもりか⁉」

 「………そうだった。ヴァリアント、極限まで軽く、柔らかく‼    前進せよ!」


 ヴァリアントは凄まじい加速で動き出した。

 「ウワアァッ!」


 僕はコックピット? の壁に映し出されている前にいた車がヴァリアントの下へ潜り込んだのを見て思わず目を伏せた――――だが、何の衝撃も伝わって来ない。ヴァリアントは何事も無いように車の上を高速で進んで行った。


 「安心しろ、当たっても物が壊れたり人が怪我を負わないよう命令を与えている」

 「いっその事、空でも飛べばいいのに―――」と僕は言った。

 「人間が空を飛ぶという概念が私にはなかった、事象の認識のない事は無理だ―――ハジメ、水の壁が―――瀬戸内海だったかな? 水の壁がそこへ入ってくる入口はどこだ」


 僕はスマートフォンの地図を開き現在地とその場所を示した。


 「ここだ、徳島と和歌山の間、紀伊水道だ。間口が狭い、津波はここで一気に高さとスピードを上げて瀬戸内海に流れ込む………第一波が80メートルの高さだ、瀬戸内海の諸島部は緩衝材にはならない………ネフェリィ、何をするつもりだ⁈」

 「そこにヴァリアントで壁を造るんだ。此処だけじゃない、この図の細長い陸地(本州)を全部、水の壁から守ってやる‼」

 「ネフェリィ、どうして―――」

 「それは後だ、この図の広い海(太平洋側)の方へ急ぐぞ!」


 ヴァリアントは球の直径を大きくし、国道から逸れて目的地の方向へ一気に突っ走った。


 山の尾根伝いを時速100キロ以上と思われる猛スピードで進んでいるが耐え難い動揺は無かった。ネフェリィはただ前を注視して座っているだけだった。

 (この “ヴァリアント ”って乗り物は………一体何なんだ)




 ヴァリアントは二時間も経たない内に太平洋側へ躍り出た。警察と消防が警戒で多く出回っている間を縫うようにして浜辺へ侵入し岩陰に入ると大きさを縮小させ途中で僕たちを吐き出した。


 「ハジメ、この海の向うから大きな水の壁が来るんだな、どのくらいで来る?」

 「時間か? あと4時間………午前九時半くらいか」


 「ハジメ、暫くここに一緒に座っていてくれ。そして船に乗っていた時と同じようにしてくれないか」


 僕たちは岩場に腰を降ろし船の時と同じように彼女の肩に手を回して自分の方へ引き寄せた。


 彼女は背中に背負っていた剣を抱え込むと目を閉じて暫く動かなかった――――――



 次に目を開け顔を上げると彼女は剣を僕に渡してこう言った。


 「預ける………これは必要ない。ハジメ、私は――――」

  彼女の体は震えていた。


 「私は自分や同族のために沢山の人間を剣の刃に掛けてきた。でも………今度は沢山の人間のために自分の命を捨てなければならない、私がこの世界で知らなければならなかったのはこの事だったんだ」


 それを聞いた僕は少なからずショックを覚えた。この状況で津波から多くの人を守れるのは未知の力を秘めている彼女とその盾、戦車「ヴァリアント」以外にはないと自分でも感じていたからだ。しかし―――――彼女の命と引替えだとは思っていなかった。



 「ヴァリアントを力の掛からない(非戦闘)状態で展開するなら一万八千ファーロング、この世界を包むことさえ出来る。だけど、水の壁、か………力が必要な場合は私の霊の力に比例する、ヴァリアントが力を失えば私も生きてはいないだろう」


 これに対して僕は彼女に何も言うことが出来なかった。彼女と津波の犠牲になろうとしている多くの人の命、その命の秤は神にしか扱うことができないように思えたからだ。




 時間は瞬く間に過ぎた。水平線が黒く盛り上がって見える、津波は真近に迫っていた。彼女は砂浜にヴァリアントを置くと膝を地面に着き両手を天に掲げて神に祈った。




 「ここへ私を遣わされた創造主であり全能者なる神よ、私たちカインは殺人の罪の故に地を追われました。しかし、あなたは私たちを逃れさせるために剣と盾をお与えになりました。一体どれほどの人間が倒れたでしょう………

 神よ、それでもあなたの本意が剣で打ち倒すことではなく和解と魂の安らぎを全ての者が得ることを望んでおられるのを―――――私はここで身を持って知らなければなりません。


 どうか私に力を与えてください―――――」




 巨大な津波は目前だった。僕は恐怖で体が動かなくなっていたがそれでも出せるだけの声で彼女に叫んだ。


 「ネフェリィ、死ぬな‼  絶対に死なないでくれ」


 彼女は悲しげな表情の中に少しだけ笑みを浮かべて僕に言った。



 「神が私の罪を許されれば………」




 ネフェリィは立ち上がり迫る巨大な水の壁に向き直ると大声でヴァリアントに命令した。


 「征け、ヴァリアント‼ 盾となり私たちとこの国を護れっ!」






   6





 僕は部屋でテレビを見ていた。ニュースの伝える処によると日本列島を襲った超巨大津波は直前で躊躇するかのように止まったと言う。


 巨大な水の壁は数時間に渡り静止し、やがて高さを減じていった。波が陸に打ち寄せたときの被害は当初考えられていたものより想像も付かないくらい軽微なものとなった、と伝えている。


 彼女、ネフェリィは津波を押し留めた後、全てを消耗したかの様に動くことができなかった。死にこそしなかったが回復もしない状態だった。


 そして昨日、彼女は僕に最後の別れを告げるとこの世界を去って行った。


 僕が彼女から預かった剣が部屋の壁に立て掛けられている………僕がそれを取ろうとした時、呼鈴が鳴り勝がドアを開けて入って来た。


 「キャプテン、ネフェリィは―――良くなったのか?」

 「彼女は昨日この世界から消えた。皆にもよろしくと………」


 「どういうことだ⁉ あの衰弱した体で―――良子も絶対安静に、と言ったはずだ」


 僕は多くを語らなかった。


 「要するに彼女はこの世界には居ない、という事なんだな」と勝は詰め寄った。


 「勝………彼女の事は忘れてくれ、僕は――――」、ネフェリィのことを振り返っていると自然に涙が零れた。

 それは三年前、僕を助けるために事故で亡くなった「風早美鈴」の影と重なったからかも知れない。



 「キャプテン………元気出せよ。オレは彼女のことを忘れない――――勘違いするな、パスポートの処分に手が掛かる。行方不明扱いが一番困るんだ………」


 「すまん、勝。迷惑を掛けて―――」

 「オレが勝手に関わりたかっただけだ、気にするな。オレの方から良子と麻里衣先輩には伝えておくよ、じゃぁ、またな」


 そう言うと勝は部屋を出て行った。


 僕は再び剣の方へ向き直るとそれを取ってネフェリィとの最後の別れを憶った。




 巨大な津波を押し留めたヴァリアントは霊の力を使い切り消滅していた。同時に彼女の纏っていた「装甲」も消え、残ったのはこの一振りの剣だけだった。


 部屋の床に伏した彼女は小さな声で僕を呼ぶと次のように言った。


 「私は…………神に許されただろうか、私の命は…………長く………ない」

 「ネフェリィ、僕は自分の命を二度も救われた。今度は絶対に君を失いたくない、誰かが生き延びて誰かが死ぬなんて………僕はもう嫌だ」


 僕は彼女の半身に被さるように彼女を抱いていた。そうすることが正直な自分の気持ちだった。

彼女は力の入らない手を僕の首に回し途切れるような声で語った。


 「私は祖父カインの犯した罪を自分も負っている、そう思って………アベルの血の復讐者を多く打ち倒してきた。だが、私が手に掛けてきた者すべてが打ち倒すに正当な理由があったのか…

確かに神は私たちを護るために『剣と盾』をお与えになられた。だがそれは、あくまでも身を護るために、だけだった……………アベルにも同じ『剣と盾』を持つものが現れたとき私たちカインは気が付くべきだった。



 私はこの世界で…ハジメ、お前が気が付かせてくれたんだ。私が二回に渡って脅したとき、ハジメは無抵抗で死を受け入れようとした………………このとき私は悟った、自分が何をしてきたのか―――神がアベルに『剣と盾』を与えられた理由を………」


 「ネフェリィ、それ以上喋ると体が―――」

 「ハジメ………………抱いて欲しい、私の様な人間で………良いのなら」


 「僕に君を抱く資格があるのか、僕は――――何も出来なかった!」


 「何も? ハジメは私を拾って大切なことを教えてくれたんだ………」


 彼女は衰弱した体の力を振り絞るようにして半身を起こし僕も彼女を支えた。布団が肩から滑り落ち彼女の何も着けていない身体を露わにした。衰弱した彼女は自然、僕にもたれる形になった。


 「ハジメ、ハジメ…………お前を―――慕っている」


 僕は彼女を再び横たえると、そっと優しく抱いた。






   7






 翌朝、彼女は僕を起こし最初に連れて来た時の浜辺へ連れて行ってほしいと頼んだ。まともに立つことができない彼女は剣を杖にし、僕も肩を貸した。


 浜辺に着くとネフェリィは剣をザッと砂に突き立て、肩で大きな息をした。


 「ハジメ……………少し、離れて――――居てくれ」


 彼女は静かに剣を鞘から抜いたが刃が大気に露出した瞬間、まわりの空気が大きく振動した。剣の刃は緑色に輝いていた。


 僕は空気の圧力の様な力で後ろに押しやられた。彼女は剣をゆっくりと海側へ向けると中段から僅かに振り下ろした。

振り下ろした剣の刃が描く線は輝きを増し、広がっていく。その周りの大気はオーロラの様に揺らいで見えた。


 「湖で見たのと同じ…………ネフェリィ、何をするんだ、まさか―――」


  彼女は剣を鞘に納めると歩み寄り、僕に剣を渡した。


 「私は二度と戦いを学ばない。ありがとうハジメ………私はお前を忘れない」

 「ネフェリィ、まさかあの光の中へ…ダメだっ、 行くな‼」


 「私はこの世界に居てはならない人間なんだ―――もし、もとの世界へ戻れたなら……………ハジメが気付かせてくれたことを皆に…………伝えたい」


 彼女は僕の首に両手を回すと唇を重ね最後の別れを告げた。



 「ありがとう、ハジメ…………世話に…なった」



 彼女の頬を涙が伝った。僕の方を向いたままよろける様に後ろへ下がると輝く空間の切れ目の様な所へ仰向けに倒れ、その姿は見えなくなった。


 「ネフェリィィィィッ‼ 」


 僕は大声で叫んでいた。程なくして輝く空間の切れ目は収縮し完全に消滅した。

これが彼女との別れだった。




 僕は剣を壁に立て掛けるとネットで聖書を調べた。


 創世記を読み進めるとそこには巨人ネフェリムの記述があった。御使い(天使)と人間との合いの子とされ昔から名のある者、と記されている。


 ネフェリㇺの評価投稿には様々な意見があったが、その中には彼らは高度に組織された強力な軍隊でありドバルカインを指しているのではないか、また力を振るっただけでなく状況によって助けたりもしたのではないか――――別の投稿では小さな子供がネフェリㇺごっこをしていたとか…………今で言う戦争ごっこなのか?


 いずれにしても虐げたり暴力ばかりを行っていたとは思いたくなかった。彼女がそれを証明している。


 “戦うことが私の本分だが―――楽しくはない ” 彼女は確かにそう言ったのだ。



 部屋の外で誰かが走ってくる音がした。二回ドアがノックされた後、入って来たのは勝だった。


 「キャプテン、肝心なもの渡すのを忘れる処だった――――大事にしろよ」


 そう言うと勝は折り畳んだ便箋を僕に渡し再び部屋を出て行った。


 便箋を開くと一枚の写真が出てきた。それは船上で僕とネフェリィがお互いに向き合っている場面だった。


 「………勝の奴、隠し撮りしやがって…」


 僕はそれをフォトフレームの中に納め、静かに机の上に置いた。




  彼女の声が心の中に浮かび上がる。






  ” 考えておくよ、ハジメ……… “





                           《了》

連載としてUPしてましたがサイトの使い方がよく分からず、順番が違っていたりしました。今回、短編読み切りとして再度、投稿したものです。


一気に読んで下さった方、お疲れ様でした。また拙著に付きあって頂きありがとうございました。

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