謎解き
「はぁ……お疲れ様っす」
引き継ぎを済ませ、ため息をついて休憩室に入ると、すでに姫野さんがテレビを見ながら昼食のカップ麺を食べはじめていた。
姫野さんの昼食はいつも決まってラーメンで、それがカップ麺になるか、食堂のラーメンになるかの違いがあるだけだ。
患者さんには『健康にいいバランスの良い食事を』とあんなに力説しているのに、自分の食事にはとことん無関心な人だな、なんてそんなことを思う。
そんな姫野さんにため息が聞こえてしまったようで、彼女はにやにやしながら俺のことを見つめていった。
「元気だけが取り柄の浅葉が落ち込んでまぁ」
「元気だけが取り柄ってなんすか! 姫野さんは今日風呂当番でしたよね。どうですか」
ごそごそと自分のロッカーの中身を引っ張り出しながらそう尋ねる。
うちの病棟には風呂当番なるものが存在していて、風呂当番に当たった場合、朝から仕事終わりまでひたすら患者さんをシャワーに入れ続けるという仕事をしているのだ。
俺の問いに姫野さんは箸を止めて、嬉しそうに笑った。
「超がつくほどイイ感じ。この調子だと三時にはフィナーレだね。んで、今何してんの」
「参考書引っ張り出してるんです。国家試験の時に使ってたやつ」
毎日わからないことが次から次へと出てくるので、すぐに調べられるようにこうやってロッカーに入れているのだ。
辞書ほどの厚みがある参考書をひたすらめくり、血糖値のページを開いてそれを食い入るように見つめていると、横から姫野さんが覗き込んでくる。
「ふーん、いまさら血糖値調べてんの? 遅くない? 毎日測ってんじゃんよ」
「違いますよ、山岸さんの血糖値が高いから原因究明のために、です」
上から下まで、小さな文字をなぞり読み込んでいきながらそう答えると、姫野さんは片肘をつきながら俺の横顔を見ていく。
「んで、何が原因って考えてんの?」
「たぶん、薬が合わないのかなぁ。これとかいいんじゃないですか? 長く効くタイプ」
参考書をたてて、血糖値を下げる注射について書かれている表を指差すと、姫野さんはじとっとした目で俺のことを見つめていった。
「欠片もわからないから、適当に言ってるだろ」
「う、ばれましたか」
がっくりと肩を落としていると、姫野さんは俺の参考書を奪い取って乱暴にページをめくり、ドンと音をたてて机の上に置いていった。
「むしろ、いまのアンタに必要なのはこっち」
そのページを見ると、電気回路のように複雑に線や文字が張り巡らされた図が見開きになって書かれていた。
「これって、関連図……?」
学生の時に実習で何度も書かされた、患者さんの全体像をつかみ、患者さんが抱える問題や起こる可能性のある問題を見つけていくための図だ。
「看護学校出て一ヶ月もたたないうちに忘れたとは言わせないよ。病気、薬の副作用、治療による心身の負担、本人の行動や性格……全部絡み合って、その人のいまの状態がある。病気だけ見るんじゃなくて、いろんな視点で見てみろと習ったろ?」
姫野さんの言葉に静かにうなずいた。
あんなに何度も習い、実習でも嫌になるほど書いていた表なのに、働き出してから関連図の存在が頭からすっかり抜けてしまっていた。
「書く暇ないからアタシが聞いちゃうけど、佐藤さんの病気の状態は、血糖値が一日で急激に上がるもんなのか? 何か薬や治療は変わったのか?」
「いえ、ずっと値も安定していましたし、薬も変わってません。じゃあ……」
あと考えられるのは、本人の行動……
顔を上げて姫野さんと視線を合わせると、姫野さんは声も出さずに大きくうなずいていった。
「患者さんを信じることはいいことだと思うけど、それだけじゃダメだ。細貝さんにも相談してみることだね」
――・――・――・――・――
「細貝さん、あの、さっきの件なんですけど」
昼の休憩が終わってすぐに細貝さんを捕まえてそう声をかける。
「なぁにー、わかった? てか、教えてもらったのかな」
新人の俺のことなどお見通し、とでもいった様子で、細い目を更に細くさせながら笑う。
苦笑いをしながら、俺はさっきたどり着いた仮説を細貝さんに伝えていった。
「佐藤さんち、昨日面会来てました。やたらでかい袋持って。そん中にたぶんお菓子が入ってます」
細貝さんはにやりと笑って、またボールペンを魔法使いのように突き付けていった。
「たぶん正解ー! だけど、まだ証拠もないしねぇ。とにかくこの件は私の休憩後にね」