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振り返り

「お先にごめんね。姫ちゃんは、浅葉君をよろしく。くれぐれも怒りすぎないでね」

 終業時刻である五時を一時間半超えてようやく業務が終わり、俺のオアシスである鬼平先輩はにこやかに手を振りながら帰っていった。


 昼間押し込まれた小さな面談室に鬼の姫野さんと二人きり。しかも、俺らを隔てるものはこの机しかない。

 怖い……怖すぎる。



 しん、と静かな部屋で怒鳴り散らされるかと思いきや、姫野さんの第一声は思いのほか穏やかなものだった。


「まず、一個謝らなきゃいけないことがある。確かにアタシも悪かった。今日は手術(オペ)も入院もあったし、一年坊主とやるプレッシャーもきつくてイライラしてた。聞きづらいこともあったと思う」


 目を伏せて静かに語るという普段とは違う姫野さんの様子に、驚きつつも胸を撫で下ろしていると、俺にとって衝撃の言葉を彼女は発していった。


「だけど浅葉。アタシは一個心配してることがあるんだ。アンタ、看護の仕事軽く考えすぎなんじゃない?」


「そんなことありません!」

 姫野さんのその言葉に俺はすぐ声を荒げて反論していった。



 看護学生の頃、睡眠時間も一日三~四時間までに削って、死に物狂いで実習もこなした。

 国家試験に向けて、膨大な量の知識も暗記した。

 女ばかりの看護学校で男四人、孤立していたって三年間やり遂げたんだ。


 それなのに、何でこの人は俺が看護師を軽く見てるって言うんだよ。


 あまりの悔しさにこぶしを握り、目の前の鬼を睨みつけると、姫野さんは深呼吸をしてこう語っていった。



「じゃあ聞くけど、今回のビタミン剤全部入れたのは、軽いミスだって思ってない? なんでこんな話し合いしなきゃいけないんだ、って思ってない?」


 まっすぐに見つめてくる漆黒の瞳が苦しくて、視線を落としていく。

 何も言い返すことなんてできなかった。


 実際に何も起きていないから良かったとホッとしていたのも事実だし、うっかりしていただけだから次気をつければいいと考え、早くこんな話終わらせて帰りたいと思っていたのも事実だ。



「さっき、アンタはビタミン剤で良かったって言ったけど、もしあれが血圧を下げる薬だったら? 睡眠薬だったらどうなるの?」

 うつむく俺に姫野さんは静かにこう聞いてきて、俺はわかる知識の範囲でこう答えた。



「低血圧や眠気で意識もうろうにさせてしまうところでした」


「それだけじゃない。そこから転倒して骨が折れたり、頭をぶつけて血腫ちのかたまりが出来たりするかもしれない。もし、骨が折れたら寝たきりにさせてしまうかもしれないし、薬の内容と患者の病状によっては意識失って死んでたかもよ。もしそうなったら、患者や家族はどう思うだろうね」


 いつもとは違って威圧感なんて全くないのに、淡々とそう語る姫野さんのことが、何故かとても怖いと思った。

 


「そこまで……」

 そこまで考える必要があるのか? という言葉が出そうになり、慌てて口を閉ざした。

 そういう思いが出てくること自体、甘く考えていた証拠なのかもしれない。



「そこまで考えて、ようやく自分の責任の重さがわかる。アタシたちは人の命を預かってるんだ。気を張って、集中して、優しく丁寧に対応しつつ、ひとつのミスも起こさない。それが看護師として最低限求められてることなの。アタシ達には決していい加減な仕事は許されないんだ。あーあ、大変な仕事選んじゃったね、アンタもアタシも」


 ふ、と息をするように笑って、姫野さんは立ち上がって俺の肩を力強く叩いていった。



「説教タイムはこれでおしまい。鬼平先輩からも注意されちゃったし、なるべくアタシも怒鳴らないようにするよ。浅葉だって、死に物狂いで看護学校卒業してきたんだし、ちゃんと誇り持って仕事に向き合えよ」



 面談室に一人残された俺はようやく、さっき姫野さんのことを怖いと感じたことが思い違いであることを知った。


 やけに静かな姫野さんが怖かったんじゃない。

 俺はきっと、医療に関わることが怖くなってしまったんだ。



 自分のした失敗のせいで、患者さんを傷つけるかもしれない。命を奪うかもしれない。


 そう思うと、何の変哲もないこの手が死神の両手のように思えて怖くて仕方なかった。

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