──午後──
「──殲滅宣告です、代理」
「うっ……また敗けた……」
同日の昼下がり。
午前中にすべての仕事を終えたルノーと蒼は、居間でなにやらボードゲームをしていた。
「何してるのかしら?」
「あ、ナンシーお帰り。今さ、蒼と殺戮西洋将棋をやってたところなんだよ」
「……何、その物騒な盤上遊戯」
腰を下ろし、こたつの中に脚を入れる。
霜焼け寸前だった脚が、その魔性の温もりに復活を与えていく。
目を机上に移すと、そこにはチェスのボードが乗っていた。ただし、普通のそれとは違う点が一つあった。
「……何で、キング取られてるのにゲーム続いてるのよ?」
そう、なぜか両者ともにキングが場外にいるのだ。
普通ならばキングが撃ち取られたところで、このゲームは終了するはずだ。
なのになぜ?
首をかしげ、怪訝な顔をする私に、蒼はこう回答した。
「マスター、勘違いしてます」
「勘違い?」
「はい」
言うと、蒼は盤上を元に戻した。
「これは、チェスではなくてデストロイチェスです。アレとは別物のゲームです」
「……つまり……相手の駒をすべて場外送りにするというルールなのかしら?」
「その通りです。どうですかマスター。私と一戦」
……なるほど、キングを撃ち取るだけでなく、相手を全滅させなければならないというルールね……。
「わかったわ。でも一戦だけよ」
私はそう言うと、彼女の対面に座り直した。
数分後。
「──殲滅宣告です、マスター」
私は敗北した。
普通、チェスは王さえ取れば勝ちとなる。しかしこれは、全部とらなければ勝ちにならない。
一見、普通より簡単だと思いきや、存外それより難しいものだった。
一度やってみればわかると思うが、戦略の広がりが凄すぎる。
王さえ守ればいい訳でもないからな……。
いや、頭が疲れた。
私はどさりと床に転がると、ため息をついた。
「……貴女って、こんなに頭良かったかしら?」
「仕事のお陰で、超思考演算能力が開発されましたから」
何、その能力……。
私は伸びをして床に寝転んだ。
頭使いすぎて、もう怠い。
「ナンシー風邪引くよ?」
「んぅ……」
気だるげに答えて、そのまま夢の世界へ歩み寄ろうとする。
今日は疲れた。
主にさっきのアレのせいだ。
考えすぎて怠い。
「ルノー、私夕飯が出来るまでここに居るわ~」
「だからダメだって。ほら、温室に干してるアルラウネがあっただろ?様子見てくれば?」
アルラウネとは、マンドレイクの根っこの事だ。
外皮を剥いで糸に吊るして乾燥させたものを、水やワインで煮出し、漉すと不妊薬が作れる。
根っこは世界最古の痲酔薬だったらしい。
因みに調合法は残念ながら知らない。
麻薬としても活用できるらしいが……私はそんな危険なことはしない。
「そうね……昨日、娼婦さんから不妊薬の依頼が入ってたしちょうどいいわね」
この時ルノーは、何でそんな人と知り合ったんだと思ったが、何か訳があるのだろうとあえて聞かないことにした。
少女はナメクジのようにこたつから出ると、二、三回伸びをしてその部屋をあとにした。
展望台に上り、周囲を見回す。
陽光の差し込むその部屋は、少し霜が出ていた。
「……はぁ」
私はため息をつくと、窓拭きを開始する。
放っておけば黴になるし、黴になると胞子を撒き散らしたりする。
その胞子が気管支なんかに入ったりすれば、結核とかになるかもしれない。
──いや、それは勝手な妄想か。
でも、黴が無い状態というのは、あって損はしない。
あったら逆に損をするだろう。
私は魔法でそれを終わらせると、温室の方へと歩み寄った。
干してあるアルラウネを確認すると、糸を吊るしている竹の竿から一つずつ解いていく。
全て取り終えると、シルクの敷かれた木箱の中に入れた。
「ふぅ」
箱を閉じて、息を吐くノスタルジア。
気温が低下していたため、少し表面が濡れていたので苦労した。
一つ一つ丁寧に拭いて箱の中に収める作業は時間がかかる。
私はそれを抱えると、一階の研究室まで持って降りた。
因みに、展望台があるのは地上四階である。
研究室に入ると、大鍋とコンロを用意した。
「あ、赤ワインが無かったわ」
仕方ないと思い、水で代用することにした。
大鍋一杯に水を入れ、火にかける。
「面倒だし、魔法で一気に沸騰させよう」
左手を突きだし、くの字を宙に描く。
ルーン文字のカノだ。
ルーン文字というのは、内容が曖昧だ。
なので、その曖昧さを使う度に意識して変えないといけない。
カノのルーンは松明の火。
灯りという意味でもしばしば使ったりするが、今回はそのまま火という意味で使用した。
コンロの火が強くなる。
「暑い……」
彼女は扉を開けて、酸素を入れ換えた。
そろそろ煮たったかなと思ったところで、アルラウネを投入。
火を沈静化させるために、イサのルーンを描いた。
イサのルーンは、縦の棒の形をしている。
意味は氷。
冷めゆく気持ちや停滞等を表すルーンだ。
しかし、これも意味はやはり曖昧である。
氷なのだから、当然冷やすこともその能力のうちだろう。
閑話休題。
火は小さくなり、適温でそれは維持され続けた。
「……あれ、これどれくらい待つんだっけ?」
近くにあった本のページをパラパラとめくり、答えを探すが、書いていなかった。
……ま、いっか。
私は諦めて、それを煮続けた。
最後にそれを漉してできたものを瓶に積めた。
だいたい50本くらい作ると、私は後片付けを始めた。
まあ、あるだけ作って売ればいっか。くらいの心情だった。
世の中にはプラシーボ効果というものがある。
実際にはその効果のない薬でも、そういう効果があると思わせて飲ませると、実際にその効果が表れる……みたいな感じだったかな。
瓶にラベルを貼り、机の上に置く。
「そういえば、ラベルに使うテープもそろそろ切れかけてたわね……」
薬品棚の引き出しを見ながら、私は呟いた。
明日、依頼達成のついでに買ってこよう。
と、そんなことを考えて、私は伸びをした。
気がつけばもう日は傾き、オレンジ色の光が窓から差し込んできていた。
(もうこんな時間なのね……)
一日が終わるのは早い。
ひとつの仕事に一日かかっていたら、効率が悪いかもしれない。
ふとそう思う。
掃除や片付けは、ルノーや蒼に任せているとはいえ、それでもやはり手が足りない気がする。
(住み込みでメイドか執事を募集しようかしら?)
顎に手を当て、考える。
「ま、それもまたいつかしようかしらね」
呟き、私はその部屋を後にした。
※マンドレイクの根っこ(アルラウネ)には毒があります。
ちゃんと薬剤師の指示にしたがって生成しましょう。
また、この物語はフィクションです。
真に受けないでくださいね?