C2-4 もう他人じゃない
昔、幼稚園でサンタクロースに扮した園長先生を、本物と信じ込んでいたことを日向は思い出す。
顔半分が真っ白な髭に覆われていたが、髭さえなければ園児といえどもすぐ正体を見破っていたに違いない。髭の効果は絶大だったわけだ。
「栗川さんが〈付け髭〉をしていたから、明郷さんは顔を判別しにくかった――光さんが伝えたかったのは、そういうことではないですか?」
「……だったら何だよ。サンタの仮装に髭はつきものだろうが」
光がにわかに苛立ちをみせる。
日向は真剣な口調を崩さず、
「そのとおりです。でも――今回の場合は違った。栗川さんは髭を付けていなかったんですから」
「あのな、日向」
光は年上らしく、ゆったり諭そうとする。
「この記事に付け髭がないからといって、本当にしていなかったかは分からないだろう。書き漏らしたのかもしれない」
「考えにくいですね」
すぐに返される。
「頭の『赤い帽子』から足先の『黒い靴下』まで記されているのに、付け髭だけ漏らすなんて不自然です」
「……髭に重要な手がかりがあって、情報規制がされているのかも」
「そうでしょうか? さっき光さんが言ったように、サンタの仮装に髭は付き物です。髭を省いたところで、有益な情報規制になるとは思えません。読者に不審がられるだけです」
日向は情報誌の切り抜きをツリーのライトに透かす。
そうすれば真実が見透かせるかのように。
「カナさんが指摘した『座って身支度』の、やけに詳しい描写といい、僕はこの記事は警察関係者などから得た情報を、かなり細かく正確に記したものと判断します。栗川さんは付け髭をしていなかった。でも、それって、どうでしょう……?」
ひとり呟きながら、日向はクリスマスツリーへと歩みをすすめる。
「恋人を驚かせるためにサンタクロースの衣装で潜む――そんな遊び心のある人間が、よりによって付け髭を怠るなんて。どうもチグハグな感じがします。
こうして商品検索をしても、ほとんどのセットに髭は含まれているのに。たまたま忘れてしまった? ……かもしれませんが、僕が考えているのは別のことです」
まったくの想像ですが、と前置きしてから言う。
「サンタクロースの衣装は、栗川さんのものでなく、明郷さんのものだった。サンタクロースは――明郷さんの方だったんです」
*
余興のため、仕事のため、趣味etc...
クリスマスにサンタロースに扮する理由はさまざまだろう。
日向は目をほそめて、赤いワンピース姿の光を観やる。
恋人を喜ばせるためにコスプレをするのは、もちろん、男性とは限らない。
「女性用の衣装であれば、付け髭がないのも納得できます。光さんのようなスカートじゃなく、ズボンのタイプだったでしょうが」
光はまるで意味がわからないといった様子で、
「衣装が明郷のものだったって……だったらなぜ婚約者がそれを着ているんだ」
まっとうな疑問を口にする。
日向は事もなげに答える。
「明郷さんが彼に着るように勧めたか、死体に着せたか、のどちらかですね。
彼女は高身長でモデルのような体型と聞きました。細身の男性であれば、彼女の衣装を着れたんじゃないでしょうか。死体の服を着せ替えるのは大変だから、自分で着替えさせたのかな。いや、腕力のある女性なら可能か」
「なにを言ってるんだ……お前は」
つぶやいた光の声はかすかに震えていた。
知らぬ間にスカートの裾を強く握りしめていることに気づく。
「つまり、栗川さんがサンタクロースの恰好で潜んでいた、というのは真っ赤な嘘――明郷さんの作り話だったことになります」
外にはしんしんと雪が降り積もっている。
ツリーのライトが日向の顔を七色に照らした。
「この記事、最初に読んだときから違和感がありました。
全体的に描写が詳しいのに、明郷さんが〈不審者〉を攻撃した場面だけ、やけにあっさりしています。なぜだろう?
正当防衛を主張したいなら、栗川さんが酷く驚かせたとか、襲う真似をしてきたとか……もっと具体的に証言した方が、明郷さんにとって絶対有利です。これだけなら明らかに過剰防衛だ。自分を守ろうとする意志がまるで感じられない」
楓の前では遠慮していたが、今はっきりと日向は言い切る。
「僕が頭に描いているのは、こんな物語です」
あくまでも想像ですけど、と再び前置きしておいて、
「クリスマスイブの日、明郷さんのアパートを婚約者の栗川さんが訪れる。
そこで何らかの口論があり、逆上した彼は明郷さんを襲うが、逆に返り討ちにされてしまう。
婚約者を死なせてしまった明郷さんは、自分が着る予定だったサンタクロースの衣装を彼に着せ、まったく別のストーリーをでっち上げたんです。報道のとおりの内容を」
「なんのために?」
「栗川さんを守るために」
黙って聞いていた光は我慢できなくなったのか、怖い顔で反抗する。
「バカなことをいうな。死なせて何を守るっていうんだ」
日向は怖気づくことなく、
「死なせても守れるものはあります――“名誉”です」
「名誉……? だって、明郷は襲われたんだろ? 死なせてしまった、ということは、相手の男もかなり本気で攻撃してきたということだ。嘘をついてまでそんなヤツを守る名誉ってなんだ」
「彼が重大な罪を犯していたとしたらどうでしょう」
「重大な罪?」
日向はごくりと喉をならした。
「たとえば、殺人とか」
光が息をのむ気配がした。
「まさか、創平川の殺人事件のことを言ってるのか……?」
S市広しといえど、殺人のような重大犯罪はけっして多くない。
それが二日間連続で起こったのだ。はたして偶然だろうか。
「被害者はサンタクロースの仮装をしていた。クリスマスの街中でそんな恰好をしていたのだから、何か目的があったはずです。明郷さんの婚約者は路上パフォーマンスをしている、と空野くんが教えてくれましたね。たとえばその仲間とか」
「…………」
「何かのトラブルで仲間を殺してしまった栗川さんは、逃走して、明郷さんに助けをもとめた。が、自首をすすめる明郷さんにカッときて襲いかかるものの、返り討ちにされてしまう。
明郷さんは、栗川さんの衣服――血痕などが付着していたのかもしれません――を着替えるよう勧めたか、殺した後に着替えさせたかは定かでありませんが、殺人の証拠になるようなものを全て処分した後、110番通報をした」
光が乾いた喉をふるわせた。白い喉がうごめく。
「いくら婚約者だからって、自分を襲った男を守るなんて……」
「彼のためだけではなかったと思います。光さんは、空野くんと明郷さんのメッセージのやり取りを覚えていますか?」
楓が、明郷と交流があることを証明するために見せてくれたラインでのやり取りだ。
「明郷さんは『お客様は入場料はかかりますか?』と尋ね、『誘ってみます』と後に返していました。彼女が誘おうとしている相手は一体誰だったんでしょう?」
「……婚約者じゃないのか」
日向はゆるりとかぶりを振った。
「僕は違うと思います。
婚約者であれば、お客様、という他人行儀な表現は使わないはずです。空野くんが所属する劇団のチケット代は、二~三千円が相場です。その程度の額であれば、事前に伝えなくても問題なさそうですし、自分が立て替えても良いでしょう。
逆に考えれば、明郷さんが誘おうとしているのは、婚約者よりも気を使うべき相手で、かつ自分がチケット代を肩代わりしにくい相手、ということになるんです」
そのとき――
玄関扉が開く重たい音がして、ただいまぁ、とかん高い声が響いた。日向の母だ。買い物から帰宅したらしい。
「婚約者の両親か……?」
つぶやいて、光は絶句した。
イエスともノーとも告げず、日向は淡々と続ける。
「遺された婚約者の両親を守るため、自分の正当防衛は二の次で嘘の証言をした。
僕は明郷忍さんに会ったことがありません。でも、光さんと空野くんから彼女について聞いているうちに、それが真相じゃないかという気がしました……」
最後まで言い切り、日向はうつむき加減になった。
すこしの静けさの後、放心したように光が漏らす。
「婚約したら、相手の家ともかかわりを持つ……もう、他人じゃない」
ふたりの関係も、ふたりだけのものではなくなっていくのだ。
熱を持ち潤んだ双眸の光を、日向はこわごわと見つめ返す。
なんだか急激に、彼女が離れていってしまうのでは、と不安な気持ちに駆られたからだ。
「光さん……?」
しかし、光は日向に強く抱きついてきた。
薄い背中を叩きながら、寂しげに吐き捨てる。
「バカだな明郷……ほんとうに!」
*
明郷忍は、その後も証言を変えず、創平川の事件についても黙秘しているらしい。
後日、楓が教えてくれた。
ようするに、日向の推理もまったく机上の空論である。
制服に着替えた日向は、タンスの上に放置されていたサンタ帽子を中にしまう。
クリスマスパーティーの日、光が忘れていったものだ。
おそらくもう二度と、永久に、彼女がサンタクロースのコスプレをしてくれることはないだろう。
明郷忍も婚約者の栗川も――
当然のように続くと思っていた未来が、あんなかたちで壊れてしまうとは予想だにしなかったに違いない。怖い、と日向は思う。
いや……
受験票と光がくれた御守りが鞄に入っているのを確認して、邪念をはらう。未来に保証なんてない、と夏に痛感したばかりではないか。
「落ちついてね!」
「緊張したら、手のひらに人と三回書いて……あれ? どうするんだったっけ」
「カンニングだけはするなよ!」
「わかったよ……いってきます」
あわただしく家族に見送られ、日向は自宅を出た。
今日はセンター試験である。
身体の芯まで凍てつくような朝の冷気を吸い込み、真っ白い息を吐き出す。
そして、新雪に――未来に一歩踏み出した。
【to be continued...!】
お読みいただきありがとうございます。
よかったら、ブクマ、評価、感想などなどお待ちしています♪