C2-2 プディングともうひとつの悲劇
やりきれない感情を持てあますように、楓がため息をついたときだった。
「おじゃましまーす!」
明るい声ととともにリビングに入ってきたのは、宮西カナだ。
「ちょっと日向くん。玄関の鍵、開けっぱなしだったよ。最近物騒なんだから気をつけてよ」
「あ、うん」
日向の幼馴染であるカナは、両親が不在がちな水無月家の家事を請け負っている。光と楓に気づくなり、リスのような敏捷さで首だけお辞儀した。
「おふたりともちょうど良かった! クリスマスプディングを作ってみたんです、一緒に食べましょうよ」
よいしょと、小柄な身体で大皿をテーブルに運ぶ。
チョコレートケーキのようにも見えるそれは、お椀をひっくり返したような形をしており、シナモン系のスパイスがきいた香ばしい匂いを漂わせている。
「クリスマスプディングってクリスティの小説に出てくるお菓子でしょ。実物を初めて見た~!」
食いしん坊の日向が大きな瞳を輝かせた。
イギリスの伝統的なクリスマスのデザートである。
「受験勉強の息抜きのつもりだったんですけど、つい夢中になっちゃって」
「息抜きがお菓子作りか」
光は呆れたようにつぶやく。
どちらかといえば料理が苦手な光にとって、カナの趣味は理解しがたいのだ。
「皆さん召し上がれ……って、ちょっ、雷宮先輩……っ!?」
カナがはっとしたように光を凝視する。
「なんですかその恰好! メチャクチャ似合うんですけど!」
超ハイテンションのカナは、光のコスプレをひとしきり褒めた後、トートバッグに押し込まれていたサンタ帽子を発見し、嫌がる光に無理やり被せ、コスプレの完成度を高めた。
「はいっ出来た! もうっ可愛すぎる」
「……気がすんだか」
ぐったりと光が疲労している。
光と結婚したら、カナは小姑みたいな存在になるのかもしれない。そしてこんな調子で光を虐めるのだ……。日向は妙な想像をした。
それからカナは、要領よくケーキを切り分け、人数分の紅茶を淹れた。
「お味はどうですかぁ」
「美味しいよ、カナちゃん!」と楓。
「プディングっていうから、プリンを想像していたけど全く違うんだね」と日向。
「変わった味だな。でも嫌いじゃないかも」とは光。
しばらく食器が触れ合う音と、紅茶をすする音だけが響く。
屋根雪が落ちたタイミングで、楓がぽつりとつぶやいた。
「……正当防衛だよな」
「え」
「正当防衛だろう。明郷さんが婚約者を攻撃したのは、不審者と勘違いしたせいなんだから」
日向は頭の中をのぞかれたような気分になる。
なぜなら彼も今、事件について考えていたからだ。
プディングのかけらを呑みこんで、どうだろう、と頼りなげな声で続ける。
「正当防衛が認められる条件って、けっこう厳しいんだ。
たとえば、婚約者の栗川さんがナイフで襲ってきたっていうなら、木刀で応戦したのもわかるけど……ただ明郷さんを驚かせるために部屋に潜んでいたならどうだろう。とくに今回の場合、片方が死亡してしまっているから、過剰防衛になる可能性が――」
「日向。やけに詳しいな」
光が冷静にツッコむ。
「ウィキペディアで調べてたらつい詳しくなっちゃって」
「そんなもんを調べている暇があったら、歴史年号のひとつでも覚えろよ!」
「す、すみません」
来春から同じ大学に通う予定というのに、勉強になかなか集中しない年下の彼氏に、光は気が気じゃないらしい。
「正当防衛じゃないって、じゃあ罪になるのかよ」
今度は楓が日向に詰めよる。
起訴される可能性もゼロではないだろう。が、日向は力なくうなだれて、
「この文面から読みとれる情報だけじゃ何ともいえないよ」
明郷忍が具体的にどのような状況で、栗川雅師を死なせるに至ったのか――?
紙面の限られた情報から判断するのは難しい。
「私も読みましたよ、その記事……え、楓くんの知り合いなの?」
カナは、意気消沈の楓を気遣うように話し出す。
「彼女がやったことは過剰防衛じゃないと思うよ。
だって考えてもみてよ? ひとり暮らしの部屋に、知らぬ間に“不審者”が潜んでいたんだよ。都市伝説じゃあるまいし怖すぎるって。私だったら気づいた時点で気絶しちゃうかも」
「でもさ」
日向は唇に指をあてて、
「婚約者の間柄なんだから、お互い自宅の合い鍵くらい持っていたんじゃないかな。としたら、『不在時に彼がいる』というシチュエーションは今までにもありそうだけど」
カナが言うほどに恐怖して驚く必要はないと思うのだが。
「水無月くんと師範代はどうなんだよ」
逆に質問された日向はきょとんとなる。
「師範代が不在でも、水無月くんが部屋に入るのはよくあることなのか」
「あり得ない」
光が楓にきっぱり否定する。
「私は日向に合い鍵を渡していないから」
「そうなんですか。意外だな。なぜ?」
「日向がだらしないからだ。すぐに鍵を失くしそうだから」
たはは、と日向が照れくさそうに頬をかいた。照れるべき場面ではないが。
このカップルは参考にならない。
そんな失望の色を、楓とカナがありありと顔に浮かべた。
こほんとカナが可愛い咳ばらいをして、
「実際、合い鍵を持っていたのかもしれない。にしても、サンタの恰好で隠れているなんて“悪ふざけ”が過ぎているよ」
悪ふざけ?
ピンときていない一同に、カナはさらに身を乗り出す。
「他にもあったじゃないですか、サンタクロースの事件が。日向くん、昨日の朝刊をちょうだい」
*
創平川で男性が死亡
23日午後3時頃、S市中央区の創平川で血を流した男性の死体が浮いている、と110番通報があった。
警察では現在、男性が着ていたサンタクロースの衣装などから身元を確認中である。
また、男性が創平橋で誰かと揉めていたという周囲の証言があり、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性もあるとして、目撃者などから情報を聞いている。
『北海丸新聞12月25日付朝刊』
*
「こっちもサンタクロースか……」
茫然と日向はつぶやく。
S市広しといえども、殺人事件はけっして多くない。
クリスマス絡みの事件として、数日後には全国ネットのワイドショーで、センセーショナルに取り上げられるのかもしれない。
カナは皆を素早く見まわして、
「この事件のせいですよ、明郷さんがサンタクロースを怖がったのは」
「サンタは被害者のようだけど?」
「イメージの問題よ!」
幼馴染のおもわぬ迫力に、日向はのけ反る。
「血まみれのサンタが創平川で死んでいたんだよ。
普段ならまだしも自分の街でそんな事件が起こったとき、サンタコスプレの男が部屋に潜んでいるなんて……恐怖と驚きで過剰な攻撃をしてもしかたないと思うの」
想像したのか、カナが、ぶるっと華奢な肩をふるわせた。
来春から実家を出てひとり暮らしする予定だというから、自分の身に重ねているのかもしれない。
「ちょっと待って、カナさん。栗川さんが“悪ふざけ”でコスプレしたとは限らないよ。事件をたまたま知らなかったのかもしれないし」
「もしそうだったとしても、明郷さんを怖がらせたことに変わりはないよ」
「うん……」
日向はあいまいながら頷く。
カナの話は、それなりに説得力があると感じたからだ。
「私も知らなかったな」
幼馴染同士の会話に口を挟んだのは光である。
「創平川の事件は二十四日のニュースで知っていたが。被害者がサンタクロースの衣装だった件は、流れていなかったぞ」
「え……?」
日時の経過によって、情報公開にバラつきがあったのかもしれない。
いわれてみれば、日向も事件は知っていたものの、サンタクロースのイメージはなかった。
カナは少し考え込むような仕草をする。
「明郷さん、ウェブのニュースで知ったのかも。あちらの方が情報が早いし……もしくは――現場の周辺にいたとか」
「現場って創平川の? 明郷さんが事件に出くわしていたってこと?」
かなり突飛な発想である。
日向は苦笑いしたが、カナはむしろ語気を強めた。
「もしかすると明郷さんは事件の目撃者だったのかもしれない。そうよ……死体を目の当たりにしていたからいっそう恐怖した」
「それだ――!」
かっと目を見開いたのは楓だ。
「前の日に事件を目撃していたなら、サンタクロースにビビッて攻撃したのも無理ないって。警察でも当然考慮してくれるよな!?」
「明郷がそう証言すれば、の話だがな……」
同意するように何度もうなづく楓の一方、首をかしげているのは光だ。
「光さん、何か気づいたことがあるんですか」
日向が静かにたずねると、光は、サンタ帽から出たポニーテールのしっぽを撫でおろした。
「どうにも腑に落ちない点があるんだ」




