M-5 あなたに教えてほしかった
紙片の先をもつと、たすきのように垂れ下がる。
「『知っているか』――。
この六文字のあとは、何も書かれていません。ほとんど余白だ。今回のために用意したとはとても思えない。即席で作ったんですよね、演劇サークルの部室で」
「見てたの?」
「いいえ、全く気づきませんでした」
日向は回想するように、
「風で飛んだカラーセロハンを拾う動作は自然だったし……。でも、折り畳んだときのこのサイズ。これは――セロハンの〈間紙〉の端を切ったものですね」
間紙。ホコリの付着を防止したり、製品の表面保護のため使われる紙のことだ。
部室で見かけたカラーセロハンにも一枚ずつ間に挟まれていた。浴衣姿でしゃがみ、丁寧にそれらを重ねるアカネの所作が印象的で、記憶に残っていたのである。
「作業中の床には、他にも文房具類が散らばっていましたから」
アカネがすぐ反応する。
「はさみと鉛筆ね、ちょうど手の届く範囲にあったのよ。でき上がったら帯と帯板の間に隠して……思いつきの行動だったのに自分でも驚くほど冷静だった。犯罪者の才能があるのかな? 縁日の人混みのなかで仕掛ければ、ごまかせると思ったけど。結局バレちゃったね」
「野巻先輩、あの――」
問いかけは大音量のメロディに妨げられた。『Fly Me to the Moon』だ。
「はい。……うん、わかった。いいよ、アタシたちがそっちに行くから」
アカネはスマートフォンの通話を終えて、
「光から。入口で待ってるって。行こっか」
輪で囲まれた赤玉の花火が上がった。
土星を模しているらしい。華やかな夜空に目を奪われていると、「ねえ」と声をかけられる。
「水無月くんは知ってるのかな?」
日向は無意識に身を固くした。『知っているか』のメッセージの意味を、なんとなく察しているからだろう。
「何をですか」
「光と田雲先生のことだよ」
アカネは前を向いたまま答える。
光と田雲のこと。日向はおずおずと口に出す。
「二人が許嫁だったことですか……? 親同士が古い友人とかで」
「なんだ知ってたんだ」
交際したばかりの頃、田雲から聞いたのだ。そのときは「へえ」としか思わなかったけど。
「――でも、今は何とも想ってないって。光さんが」
「今は、ってことは――昔はそうじゃなかったってことだよ」
耳をふさぐには遅すぎた。
まぶたをキツく閉じても聴覚は遮れない。それは、日向自身も出来るだけ考えまいとしていたことだったからだ。
「噂には聞いてたよ。さっきの楓くんみたいにね。もし、そうだとしても形式的なものだろうし――本気なら光が必ず教えてくれるって、信じてた」
アカネは日向より酷い表情をしていた。
自分で自分を傷つけるような。
「でもね、気づいてたの。光、すごくキレイになった時期があって……儚げで浮かない様子で……悩みがあるならどうして相談してくれないんだろうって寂しかった。水無月くんと付き合い始めてからは元気に戻ったけど。だから、アタシ嬉しかったのよ、君たちが上手くいって」
「はあ」
こそばゆい気持ちになる。アカネがそんな風に見守ってくれていたなんて思いもしなかった。
「先生ね、転勤することになったんだ」
日向はぽかんと口を開ける。
転勤? 田雲が? 一学期の終業式で発表はなかったのに。
「急な話ですね」
「ぜひ先生に、って招かれたそうよ。男性の養護教諭って珍しいから。
アタシは大学があるから一緒に行けないし、数年間離れるって気づいたら――もう、ダメになっちゃった」
流れるように話していた声が詰まる。
「心の防波堤が決壊しちゃったのね。ため込んでいた感情が噴き出して止まらなくなった。
光のことを先生に問い詰めたり、当てつけみたいな嫌がらせをしたり……毎日顔を合わせているのに未だに隠し事をされているんだ、と考えると堪らなくって。気づいたら、鞄を探ってルーズリーフに『知っているぞ』って殴り書きしてた。ガキかよって、ねえ? ほんと自爆」
アカネは皮肉っぽく吐き捨てる。
「で、あんまり情けないから先生にお願いしたの――別れてください、って」
*
「光ちゃん、ちょっと」
田雲の腕を乱暴につかみ、光は縁日を抜けた。
国道をひとつ曲がると創成川沿いの遊歩道に出る。ここまで来ると、人通りはぐっと少なくなる。
「野巻と別れるって、どういうことだよ!?」
猫が全身の毛を逆立てるように威嚇する光。田雲は苦笑いして、
「アカネちゃんから提案されたんだよ」
「なぜ受け入れた? 野巻はたぶん――止めて欲しかったんだよ。離れても変わらない、ってお前に保証して欲しかったんだ……なのに!」
「光ちゃん」
「政宗はいつもそうだ。年上だからって余裕をみせて、いつも平気な顔をして。私のときだって――」
「光ちゃん。聞いて。アカネちゃんは本気だよ。あの子は君が思うより、もっと、ずっと、複雑なんだ」
「わかったような口をきくな!」
「随分だね」
黒縁眼鏡の奥の目が細まる。
川の水面に花火が映るのを、無言のまましばらく眺める。
「けどね、光ちゃん。僕らのこと何も知らないだろ? 君が彼女に何も知らせなかったように」
「……っ」
怒りから、驚き、そして戸惑いへ。光の表情が変化する。
「野巻は……私のこと、なんて?」
「それは直接話した方がいい。実は、僕も迷っているんだ」
石橋の手すりにもたれ、田雲は天を見上げる。
花火が途切れた空は、いつもより暗く、ひっそりしたように感じられる。
「僕は彼女が好きだ。別れたいなんて、ちっとも思わない」
「だったら!」
「でも、本当に僕で良いのか悩んで欲しい、とも思ってる。矛盾しているようだけど、どちらも本心だ。君の二の舞にさせないように」
光はきゅっと唇を結ぶ。田雲は辛そうに続ける。
「互いに離れて悩んで迷って……それでも僕を想っていてくれるなら。そのときは――」
*
「ねえ、寄り道しよっか」
まもなく入口に着く、というところだった。
日向が返事をする前に、アカネは屋台の隙間から街へ飛び出ていた。
「野巻先輩、待ち合わせは?」
「ちょっとくらい待たせたてもいいじゃん。アタシたちも散々探したんだから。あ~っ、開放感!」
自動車のヘッドライトとネオンの洪水に埋もれる。アカネは浴衣の両手を上げて、
「――前から思っていたんだけど。アタシたちって似てるよね」
「はい?」
虚をつかれて、日向は絶句した。
自分とアカネが似てる? 活発な彼女と引っ込み思案な自分。むしろ真逆では……?
「光とは最近どうなの?」
「どうって、変わらずです」
「結婚するんでしょ」
「あれは勢いでつい……それに、そんな未来のこと分かりませんよ」
答えてから、ああそうか、と理解した。
たぶん人は二種類に別れるのだ。
今の幸せが永遠に続くと疑わないタイプと、こんな幸せがずっと続くわけがないと不安になるタイプ。日向とアカネは同じ後者なのだろう。
「アタシが悪かったんだよね……先生も、光のことも大好きで……どちらにも正面から本音をぶつけられなかったから」
「ぶつけてみたら?」
提案すると、アカネはきっぱり首を振る。大ぶりな椿の花飾りが揺れた。
「もう、あんなの二度といや。アタシがアタシでなくなるのなんて、死んでも嫌よ」
早く、早く、大人になりたい。
ささいなことで動揺しなくて済むように。こんなこと大したことないって思えるように。確固たる自分が欲しい。十八歳の夏祭りの夜――そんなことを途方もなく望む。
フィナーレが近いのか絶え間なく上がる花火を、日向は仰いだ。漆黒のパノラマに咲く花は手を伸ばせば届きそうで、けっして掴めない。
「おーい!」
人影が近寄ってきた。先頭の影が大きく手を振っている。
「何やってんすか、こんなところで! オレらとっくの間に合流してたのに!」
「え~浮気?」
アカネが冗談めかして日向の手を握る。
「や、ちょっ、ちが」
弁解しようとするが、光と視線が合わない。
光は真っすぐにアカネを見据えていた。
「野巻……ごめん」
潮が引くように、アカネの表情が消える。
「知られたくなかったんだ……野巻には。野巻だけには知られたくなかったんだ……」
「アタシは教えてほしいってずっと思っていたよ」
凛々しい瞳をうるませた光を、アカネはそっと抱き寄せる。
「許さない。でも、いいよ。光だもん」
「……ごめん」
親友なのに――親友だから。
街中を隔てる小川のように、越えがたい溝があるのかもしれない。
二人のやりとりを、事情を知らない楓は遠巻きに眺めている。
「何があったんだ?……いや、詮索しないほうが良い空気だな」
楓。高校三年生になって、ちょっとだけ雰囲気が読めるようになったらしい。
手持ち無沙汰のように、日向にたずねてくる。
「そういやさ。ペップさんの手品、不思議だったなあ。タネわかった?」
「手品がどうしたの?」
「聞いてくださいよ、先生!」
概要を説明すると、田雲は少し思案した後、日向と目配せした。仲間ハズレの気分になったのか、楓が身を乗り出す。
「まさか分かったんすか!? オレ考えているんだけどさっぱり」
「楓くん。この手品の不思議な点はどこだと思う?」
小動物めいた仕草で首をかしげる楓に、田雲がヒントを出した。
「たとえば、楓くんが心の中で選んだのが〈スペードの1〉だったとする。他の観客もそれぞれ違うカードを思い描くわけだ。――にもかかわらず、全員の選んだカードが消えていたということは?」
「ん~? 以心伝心じゃあるまいし、皆がそろって同じカードを選ぶわけないしなぁ……のに皆が驚いてたってことは……あーっ!」
「うん」と田雲は腕組みを解いて、
「マジシャンは、五枚のカードから一枚抜いたのではなく、四枚全てを入れ替えたんだよ」
クジ引き屋のクジ箱に、最初からアタリが入っていなかったように。
次に開かれたとき、カードは“リセット”されていたのだ。
「カードをよく見て覚えて、と指示されたら、観客はその通りにする。選んだカード以外は眼中になく、記憶しない。盲点を生かしたマジックだったね」
「マジかよぉ! 感心して損した!」
楓は急にしんみりとして、田雲を見つめる。
「――先生、離島の学校に転勤しちゃうんでしょ。寂しいな。田雲先生は、こんなオレみたいなヤツにも親切で優しくて。ずっと憧れていたのに……ッ」
「なんで空野が泣くんだよ」
メソメソし始めた楓に、光が呆れてぼやく。
袂を引かれて振り向くと、アカネだった。何かを企むような笑顔である。
「水無月くん。クジで当たったスーパーボール貸して?」
「いいですけど……」
ハズレの景品だ。蛍光ピンクの球体を受け取ると、アカネはそれを田雲に手渡す。
「はい、先生。今日の思い出に――貸してあげる」
「貸す?」
「返却期限は来年。アタシのじゃなくて、水無月くんのだから。失くさずに返してね」
晴れやかに忠告するアカネに、田雲は目を丸くして、そして、彼特有の柔和な笑みを浮かべた。
「わかった。必ず守ろう」
ラストの花火が炸裂した。
「おーっ! すげーな!」
真昼のように明るくなった夜空に、楓がはしゃぐ。
パレットで絵の具が混じるように様々な色彩が溢れている。田雲とアカネは並んで静かに眺めている。直接触れるのでなく、田雲の袖を握っているアカネがいじらしい。
背後に息遣いを感じると、光だった。
「来年も観れたらいいな」
爛々とかがやく瞳に花火が映っている。
はい、と日向は心の中で、強く返した。
まだまだ先は分からないけど、明日、明後日――来年も一緒に居られたらいい。そう願った。
【end】
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