M-4 note【解決編】
「なんだよこれ、気色わるっ!」
屋台の風鈴が一斉に鳴り出した。
楓が手放した紙片が風で飛びそうになり、日向は夢中で掴む。
いつの間にこんなものを仕掛けられたのだろう――?
背中をぞっとするような感覚が走り、帯の結び目をまさぐる。全く気づかなかった。
「『知っているか』って……。同じじゃんかよ。師範代のノートに書かれていた文字と」
「違う」
青ざめる楓に、日向は最後の一文字を指す。
「光さんの方は『知っているぞ』だけど、こっちは『知っているか』になってる」
「ほんとだ。〈疑問形〉に変わったのね。筆跡もそっくりだし、同じ人の仕業かな」
折り目どおりに畳んだ紙を、アカネがしげしげと観察する。
「でも、微妙な変更だな。師範代は知っているけど、水無月くんは知らない何かがあるってことか……?」
楓とアカネが日向を見やる。
心当たりは、ない。日向は首を横に振った。
「てか、犯人まだ近くいるんじゃね!?」
はっとしたように楓が辺りを見回す。
行き交う人の流れは目まぐるしく、とてもじゃないが犯人を特定できそうにない。三人は覚束なく視線をまじえる。
「どうする?」
アカネが日向を仰いだ。
「――とりあえず、光さんと田雲先生を捜しましょう」
入口から再びUターンする。
人いきれと熱気で、浴衣をまとった肌が汗ばむ。日向は襟元を掴んで風を送るが、気休めにしかならない。
「もう!」
アカネが苛立たしげにスマートフォンを巾着袋にしまう。
「全っ然、着信に気づいてくれないよ。二人とも」
たしかに、この喧噪のなかでは着信音を聞き逃してしまいそうだ。けれど、向こうから連絡があっても良いのに、と日向は思う。
真夏の夜空を花火が彩る。花火大会が始まったらしい。
「キレイだなぁ」
途中でたこ焼きを買い食いした楓は、すっかりお祭り気分だ。切り替えの早さが彼の利点である。
「水無月くん。ほぅら、チョコバナナだよ」
「……どうも」
考え事をしている日向は、アカネが買ってくれたチョコバナナを口にひょいと放りこむ。
「ふた口で食べちゃったよ! ねちっこくペロペロ舐めてほしかったのに」
「アカネさん、オレにも何か奢ってください」
「じゃ、りんご飴ね」
「え~っ、もっとガッツリ系がいい! 焼き鳥とか」
「だめだめ。焼き鳥を食べる姿にエロスは感じられないよ」
「なぜエロスを求めるんすか」
「はい、りんご飴。かみ砕くの禁止。ねちっこくチロチロ舐めてよ」
「……食べにくい」
ぱぱん、と連続で花火が上がる。しだれ桜のような閃光がこぼれ落ちた。
屋外で鑑賞すると、身震いするほどの迫力がある。爆音にまぎれて、どこからかハンドベルの音が聞こえてきた。楓が身を乗り出す。
「あっ、さっきのクジ引き屋で誰かが特賞を当てたらしいぞ!」
これには日向も反応する。
「僕のニントンドースイッチが……」
「汚ねぇな、あの店主。アカネさんに指導されたから、クジ箱にアタリを入れたんですよ」
「最後に誠意を示したってことで、許してあげてよ」
「うぅ」
肩を落とす日向をアカネがなだめる。
「にしても――先生と師範代、見当たらないなぁ。どっか遊びに行ったんじゃねえの」
楓はくりっとした瞳を細め、さらに声を低める。
「道場の先輩が教えてくれたんだけど。あの二人、昔付き合っていたことがあるんだってさ。ま、噂だけど。水無月くん、心配か?」
「べ、別に……」
「そうよぉ。光はアタシの親友だもん」
おくれ毛を耳にかけて、アカネは上気した頬を膨らませた。
そうこうしている間に終着点の稲荷様がみえてくる。
小さな縁日だからあっという間に往復できてしまうのだ。三人は境内に座りこむ。
「だめ。やっぱり、電話繋がんない」
「あちらも探し回っているんじゃないかな。こういうときは、止まっていた方が得策ですよ」
「光と先生も同じことを考えていたら?」
アカネが溜息まじりに返す。
うぅむ、と楓は口端についた焼き鳥のタレを舐めて、
「オレら三人のうち、一人が探しにいくっていうのはどうすか。二人はここに留まって」
「いいわね。で、誰が探しにいく?」
「じゃんけんで決めましょう。ほら、水無月くんも」
ぼんやりしていた日向も無理やり参戦させられるが、
「ちきしょーっ! 負けた!」
楓が膝から崩れ落ちる。幸いにも勝ち組に残れた。
「着信音、最大に設定しておいてね」
「へいよっ」
鼻緒ズレの足を気にしながら、楓は人混みのなかに姿を消した。
ふと気配がして振り返ると、祠から見覚えのある中年男が出てきた。
「ペップさん。まだ居たの?」
アカネが呆れたような声をかける。
「まだ居たのって……失敬な。あ、手品は披露していませんよ。ここでずっと人間観察をしていましたから」
人の好い笑顔を浮かべたペップさんが短髪の頭をかく。
日向は彼の異変に気づき、悲鳴を上げた。
「わわっ! それ大丈夫ですか!?」
ペップさんの足指に赤く擦れた傷があった。血が滲んで見るからに痛々しい。
「もしかして――“鼻緒ズレ”ですか? あれっ、でも、さっきはそんな傷ありませんでしたよね」
「……トイレを探していたら迷ってしまって」
「トイレなら近くにコンビニがありますよ。それに、すぐ傍に矢印の看板があるじゃないですか」
歩き回って探す意味が分からない。
「いやはや、ええと」
マジシャンの目つきが怪しくなる。
迂闊にも、ペップさんはアカネをチラリと見た。あまりに無防備といわざるえない仕草だった。アカネの表情が硬くなる。
「まさか――これ」
日向は握っていた紙片をかかげる。
「あなたが仕込んだんですか……? 僕らを尾行してチャンスを伺って、浴衣の帯に引っ掛けた?」
「やあ、なにを言っているのか、ちょっと」
「もういいよ、ペップさん」
顔を伏せたままアカネが言う。
中年のマジシャンは、ぎこちない笑みを浮かべたまま去っていった。
はは、と乾いた笑いをアカネがもらす。
「あの人、マジシャンに向いてないと思うのよね。だって演技力ゼロだもの」
「…………」
「怒らないであげて。頼んだのはアタシだから」
「じゃあ――」
日向は少しだけ言いよどむ。
「光さんのノートの落書きも、野巻先輩が?」
「そうだよ」
あっけなく、アカネは認めた。
祠にもたれて、赤フレーム眼鏡の奥から、挑戦的に日向を見上げる。
「って。驚かないんだ、水無月くん」
大輪の花火が二人を照らす。
「……変だな、とは思っていました」
日向はおもむろに話し出す。
「誰かが光さんを警告したい、とします。
その方法として、持ち物にメッセージを残すことを考える。ある日、光さんが講義室にノートを置き忘れるという絶好の機会に恵まれ、実行した。――どう思います?」
「どうって」アカネは戸惑ったように、「もしそうだとしたら、何か問題があるの?」
日向は大げさに頷く。
「あります。大いにあります。光さんが、講義室に忘れ物をしたのはそれが初めてだったからです。僕みたいに普段から忘れ物が多いならまだしも」
「水無月くん、うっかり屋なの?」
「一緒に出かけるとき財布を忘れたりとか」
「あらま。何回も繰り返すと嫌われるよ」
「気をつけます。ええっと――つまり、光さんが忘れ物をするのは滅多にないレアケースな訳です。もし、犯人がその機会を狙っていたとしたら、あまりに効率が悪いんじゃないかと」
そもそもですよ、と日向はあらぬ虚空に視線をやる。
「警告文を残すのに、ノートに直接書き込む必要があるでしょうか?
しかも、文体が崩してあるとはいえ直筆で。自ら進んで証拠を残しているようなものです。空いたページを探って、書いて、と手間もかかる。
そんなことをするより、あらかじめ手紙やカードを用意して、送りつける方がよっぽど簡単ですよね。なぜそうしなかったのか? どうしてもノートにこだわりたい理由があったのか? ――で、気づいたんです。光さんの発言の不自然さに」
「不自然って、さっき話していた内容が……?」
「光さんは、落書きされたページを抜いて捨てた、と言いました。変だと思いませんでした?」
アカネは怪訝な顔になり、首をかしげた。
「だって、ノートですよ。普通は『破って』捨てた、でしょう。『抜いた』はおかしい」
「…………」
目が醒めたような表情をアカネがした。
いつもの明るく愉快な彼女が消えて、素の彼女が現れた瞬間だった。
「水無月くん、あのね」
体裁を取り戻すかのように、アカネが口を開く。
「光は、《ルーズリーフ》を使っているんだよ。学部は違うけど、共通科目を一緒に受講しているからアタシも知ってるの」
日向は納得したように深くうなづいた。
「やっぱりそうだったんですね。普通のノートでなく、ルーズリーフなら事情は違ってきます――文字を書いたページを予め用意できますから」
「そうかしら?」とアカネ。「ファイルのリングを開いてページを差し入れるのと、たった六文字を書くのと、大して手間は変わらないと思うけど」
「正論です」
日向はあっさり同意する。
「加えて想像してみました。もし、僕が犯人で、ページを用意していたとしたら、わざわざファイルに綴ろうと思うだろうか――と。
鞄に忍ばせたり、もしくはテキストやノートに挟めるだけで目的は達成されるのに――ここまで考えたところで、ふり出しに戻りました」
「えっ?」
脱力して体勢をくずすアカネ。日向はもどかしげに続ける。
「つまり僕は――なぜ犯人は、偶然に置き忘られたノートに落書きする、という効率の悪い手段を選んだのか。その理由ばかりを考えていたんです。
《得体のしれない何者かの仕業》と思い込んでいたから……。
けれど、真相はごくシンプルだった。普段から光さんの身近にいる犯人にとって、ノートに触れるのは容易いことでした」
アカネが唇をとがらす。
「犯人、犯人って。アタシがやった、って白状しているのに。意地悪なんだから」
「すみません。つい……」日向は大きな瞳を伏せて、「落書きは特別講義よりも前にされていたんですね?」
「当日だよ。朝、部室に集合したとき。講義中に気づくだろう、と予想していたけど……意外と気づかないものね。ページが開いていたのは、講義室の窓が開いていたからじゃないかな」
北国の夏は、気温が上がっても、風が吹くのが救いである。
風鈴の涼しげな音色が屋台から響いている。
「そうだ……あのときも風が」
ふいに呟き、日向は、浴衣の帯に挟んだ紙片を取り出す。
「この紙、どこかで見かけたことがある、と記憶を探っていたんです。今、ようやく分かりました」




